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飛地物語  作者: 白くじら
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父たちの秘密

 ヨイチは公館2階の角部屋へと案内された。

 前を歩く使用人に勝手知ったる生家を案内される違和感より、様相が一変した館内の方がヨイチの精神に圧力をかけた。かつて、面白みのない漆喰むき出しだった通路が、華やかな壁紙と美術品で装飾されているのだ。貴族の館としてはこちらの方が正しいのだろうが、かつてこの館に住んでいて者としては、自分の記憶を書き換えられた感じがしてしまう。

 この感覚は正しくない――。

 ヨイチは感覚を思考で拭おうとする。しかし、感情に蓋をするのには数年ぶりに戻った生家という場所は相性が悪い。

 そもそも、この建物はヨイチの祖父が建てたものだ。地方を収める貴族としては珍しく、文官だった彼は、この地を支配していた貴族の失脚に伴い、ここへ派遣された。その際、港のすぐ傍にあった公館を商会連合に売却し、自身は戦略上の理由からこの高台に政治の中心を据えた。

 彼が設計士に要求した点は3つ。

「機能的であること」

「安全であること」

「飾らないこと」

 これらを忠実に守った職人達によって、この地に王国一番の殺風景な建物が出来上がった。曲線は一切なく、全て定規で設計されたかのような建物は、住民からは愛着と少しの嘲笑を兼ねて「石箱」と呼ばれた。

 「実直・堅実・誠実・確実」はキビノ家の家風となり、ヨイチの父はその家風を体現する人だった。王都の貴族からは「変人」と称されながらも、質素を自らの華とするかのように生きた。「彼の統治下で文化は生まれない」という評価は、この領地だけでなく、この国の共通認識になった。肖像画の一切ない館内、燃料代を節約するために集中している居住スペース、最低限の使用人は全て文官を兼ねていた。

「自らを犠牲にして麦を生み出すのが農家、労力を使ってパンを生み出すのが職人、プライドを切り売りして金を動かすのが商人、命を捨てて自分以外の誰かを守るのが兵士」

 父の言葉は続く。

「そして、彼らが投げ打ったものの価値を知るのが土地を治める者だ。決して奢ってはいけない。決して奪ってはいけない。彼等は私たちの為に生きているのではない。私たちが彼らの為に生きるのだ」

 そこまで遠い記憶でもない。


「どうぞこちらでございます」

 慇懃な礼を、おそらく床に向かって施してから、使用人が扉を開けた。

「なにぶん殺風景な部屋でございますが、当時のまま残っているのはこの部屋だけです。ヨイチ様にはこの部屋が懐かしくてよいだろうと、マサゴ様からのささやかな配慮でございます。」

 扉こそ装飾が施されていたが、中に入ると確かに当時のままだった。

 2階の角部屋。何の面白味も無い部屋。

 ただ、そこは偶然にもキビノ家にとって特別な場所だった。

「お気遣い恐縮です。でも、なんでこの部屋だけ改装しないんですか」

 ヨイチには原因の予測はついている。噛み殺した笑が口元をくすぐる。

「ええ、何でも過去に不幸な事故があったらしくて……でも、ご安心ください、単なる噂ですので……」

 歯切れの悪い返答をヨイチはさらりと返す。

「そうですか、なら良かった」

 不自然な表情を訝しく思ったのか、観察するような視線を投げていた使用人だが、用件が終われば退室するしかない。一礼を残して、ドアを静かに閉じた。

 足音が遠ざかっていくのを確認し、ヨイチは窓を大きく開いた。

 余計なサンが取り払われ、窓枠の中に港と市街地がキチンと収まっている。

 大分変わってしまいましたが――。

 そっと木製の窓枠に手をかけて、位置を探る。微かな凹凸を指先が感じると、おもむろに力を込める。すると、くるりと窓枠の一部が回転し、金色のプレートがこちらに向いた。「私の全て」と、とても美しい均整のとれた文字が輝いている。

 たったそれだけの秘密である。

 しかし、それは祖父から受け継がれた重要な秘密だった。


 秘密を受け継いだのはヨイチが13歳になろうとする頃だった。

 厳格な父への反発から家出を計画し、それが兄の裏切りによって露見した日。ヨイチは父に連れられてこの部屋に来た。使用人が自殺した部屋と聞いていたので、閉じ込められたらたまらないと思っていたが、おもむろに父は悪戯な目をこちらに向けた。食事の時でさえ決して見た事のない、まるで子供の様な表情に戸惑っていると、父は秘密を語り出した。

「お前が反発するのも無理はない。爺さんの教えは時代錯誤だし、石頭すぎる」

 唐突の告白に、ヨイチは目の前にいる人が自分の父とは信じられなかった。口を開けば「先代が言うには――」が口癖の人だったからだ。

「だが、爺さんも、もちろん私も、文化の価値も分からない朴念仁だというのは間違っている。お前は知らないだろうが、爺さんがまだ雇われ文官だったころは、絵画や工芸品に散財して婆さんに怒られたもんなんだぞ」

 信じられないと目で語る息子に対して、父は窓を開け放ち、例のプレートを返した。

「どうだ?素晴らしい絵だろう」

 窓の先には、夕暮れに染まる港と市街地が、まるで一枚の絵画のような構図で収まっている。計算しつくされた設計であることは一目瞭然だった。この家に?景色を愛でるためだけの窓が?

 混乱した頭のまま、ヨイチはプレートを読んだ。

「私の全て……?」

「爺さんにとって、この景色が何よりの作品だったんだ。考えてみろ、一介の文官が王都の財政を改善させたからっていきなり侯爵になったんだ。その重圧は計り知れんだろう。しかも、治めようとしている土地は悪政によって住民の心が離れ切っていたらしいからな、正に命がけだったんだ。必死に住民の心を掴もうとしたその結果があの徹底した節制主義だったのさ」

 父の目は息子から離れた。おそらく、祖父を探しているのだと息子は思った。

「私も若い頃、反発して港の芸術家と酒を飲んじゃあ、宗教絵画の成金趣味に文句を言ったものだ。怒りと改革こそが政治だと勘違いしてる歳だったからな、父に対して大声で文化の多様性を説いたこともあった。でもある日、ここに連れてこられた。そして、私にはこれで十分だと言われた」

「十分ですか……」

「今になって分かることもある。でも、父が十分と言った気持ちは今も分からん。だがな、ヨイチ。私は、父から教えられたから今のスタイルでいる訳ではない。必要だから、このスタイルを貫いているんだ。そして、疲れた時、やっぱりこの景色を眺める。この絵はキビノ家にとって最も価値がある美術品で、作品なんだ。お前もこの絵が黒く塗りつぶされないように、兄を支えてやってくれよ」

 二人は夕日が沈む数十分を、言葉を交わすことなく絵画の鑑賞にあてた。

 辺りが暗くなり、扉を閉める時になってヨイチはふと、父に尋ねた。  

「なんでおじい様はこの絵を隠すんですか。皆で楽しめばいいのに」

「まずプレートが金であること。もう一つはロマンだ」

「はぁ?」

「誰もが知っている仕掛けと、自分だけが知っている仕掛け……お前ならどちらを選ぶ?」


 屋敷の立地上、唯一港を望めるこの部屋。

 自らを律するしか住民の協力を得られなかった文官の小さな悪戯は、街と屋敷が分かりやすい装飾に覆われてもそのままの形で残っていた。

 ただそれだけの事が、ヨイチの頬に生気を戻した。

 全てが変わったわけじゃあるまいし――。



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