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飛地物語  作者: 白くじら
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毒のように

 ヨイチとミツリがマヤヅルへ来て、初めての政策が行われている。政策というと仰々しいが、実際のところは自治会の集まりと大差がない。要するに専門家を連れたピクニックである。

 専門家の一人はユギリで、彼女は植物を担当している。安全に食べることが出来る植物やキノコを教え、かつ採り過ぎないように教育も行う。「採るのではなく、譲り受けるのです」とユギリが言うと、随行する男達はトロンとした目で首を縦に振った。彼女が得意なのは毒なのだが、それを暴露するほどヨイチは野暮ではない。

 もう一人の専門家はヨイチで、安全な山野の歩き方を教えた。野生動物の痕跡を辿り、魔獣の香りを敏感にかぎ分ける。「生物は必ず痕跡を残す。それを見逃さないようにしてください」とヨイチが言っても聞いているのかどうか。男達の視線はユギリの腰や、うなじに注がれている気がする。

「代官の人気が伺えますな」

 耳元で囁くミツリを、ヨイチは思い切り引っ叩いた。

 ヨイチにしてみれば――決して強がりではなく――身になっているかどうかは問題にしていない。要は三つの村から協力者を選出してもらい、有効な物を持ち帰り、それぞれの住民に分け与えてくれればそれで良かった。動機は助平根性でも構わない。行動と事実がジワリジワリと浸透していけば御の字だ。

「まるで毒だな」

 自分の地味な政策を眺めて、ヨイチは自嘲気味に呟いた。しかし、「大きな変革は、多くの犠牲者を生む」という教訓は、きちんと胸に収まっている。これでいいと納得してもいるのだ。

 事実、参加した人々からはヨイチの狙い通りの反応が起こりつつある。当初は非協力的だったミツシ村長のニノ・ヤキジも、今やこのピクニックの熱心な後援者だ。魔獣の所為で今まで手に入らなかった山の幸を味わえる事もあるが、ユギリの豊富な植物知識を学べる事も大きいらしい。経験値だけでは生産効率はあがらない。ただせさえミツシの土壌は枯れ始めている。速やかな対策が必要だった。


「よし、それじゃあ今日は引き上げましょう。それぞれお土産は持ちましたか」

 ヨイチの呼びかけに人々は「はい」と返事をする。魔獣に遭遇する事を考慮して、各村からの参加者は2名を上限としているが、そのうちお土産の沢山詰まった籠を持てるのは1名だけだ。

 面積と人口を考慮しても、採り方さえ気を付けていればそこまで量を制限する必要はないのだが「そこまで気を使わなければ枯渇する」というイメージを最初に持たせるのが狙いだ。口で説明した情報はすぐに抜けてしまうが、持ったイメージは抜こうと思っても抜けない。

 知識よりもイメージ、良識よりも損得、思想よりも実利――キビ家の基本的政治術である。

「よし、出発。森の中では目印を刻むよりも、地形を頭に入れておく方が確実です。頭の中でどの方角に傾斜が伸びているかを思い浮かべながら進みましょう」

 一行は山を下る。

 街道までは大した距離ではないが、豊かな自然というのは歩き易くはなっていない。足をとられ、かすり傷をこさえながら、たっぷりと時間をかけて人の領域に着いた。日は十分に高い。

「それでは」

「ありがとうございました」

「また……」

 この地域独特の淡白な挨拶が交わされ、人々はそれぞれの村に戻っていく。残ったのはヨイチ、ミツリ、ユギリの三人だ。

「さてと……」

「今回も無事に終わりましたね」

「まあな。途中、変な臭いがしたからヤバいかなって思ったけど、なにも無くてよかった」

「そんな臭い、しましたか」

「気のせいかもしれないけどな」

 おざなりに返すヨイチに、ユギリが返す。

「気のせいではないと思いますよ」

 相変わらず不必要に色っぽい。この色艶にミツリもさぞ困惑するだろうとヨイチはユギリを紹介する時にほくそえんでいたのだが、意外にミツリは涼しい顔をしていた。朴念仁もここまで昇華すると便利だなと思う。

「どなたか無神経な方が、私の事を『毒』とおっしゃる少し前です。川のせせらぎに混じって上流から腐敗臭が少し漂って来ましたよ」

 ミツリが首を傾げる

「毒?そんな事を言った人がいましたか」

「……冤罪だ……」

 俯くヨイチにユギリが微笑む。

「どうしたんです、ヨイチ様。おからだの調子でも悪いのですか」

「いえ……」

 顔色の悪いヨイチを見てミツリは首を傾げる。しかし、彼の関心は上司の顔色にとどまらない。

「まあ、遭遇しなかったのなら良しとしましょう。それより、重要なのはミツシで続いている不作問題です。早急に対策しなければマヤヅルの住民は干からびてしまいますよ」

「あ、ああ、そうだな。連作による被害ってのは間違いないんでしたっけ」

 意を決し、ユギリの方へ振り向いてヨイチは尋ねる。

「そうですね、山菜採集に参加している方から話を聞いている限りでは、そう感じます。ですが、やはり直接見なければ断定する事は難しいですね」

「じゃあ、さっそく見てもらいましょうよ。ユギリさんにも無関係な話じゃありませんし、今からでも間に合いますって」

「ええ、それは構いませんが……」

「いや、それはまずい。ユギリさんはエチュウさんの後見人になる人だ。ポンポン他の村へ連れ出す訳にはいかない。エチュウさんの所へ行って、許可を貰ってからじゃないと駄目だ。それにコトハマがミツシの警備に従事しているのなら、不作が続いている原因を理解している人がいるかもしれない」

「意外と堅いですね」

「私もその方が助かります。ただ、ミツシの警備にあたっている者が不作の原因を把握しているとは思いません。『毒』を主に扱っているのは私とエチュウ村長ですから、育成から生成となると他の者では難しいかと」

 ユギリは悪戯に笑う。

「……冤罪だ…」

「じゃあどちらにしろ、コトハマに向かわないといけませんね。ヨイチ様、ついでにマンジさんの様子を見てきてくださいよ」

 片腕の男。ジョ・マンジはそのままコトハマに住んでいる。意識は完全に戻り、今は海女さん達の道具を加工する仕事を買って出ている。強面の顔だったが、意外と馴染んでいるらしい。

「お前はどうするんだ」

「もう魔獣が玄関先をうろつくのは御免ですからね、敷地の入り口に柵を設けて、ユギリさんに教えてお貰った『毒』でも植えようかなと……」

「だから冤罪だって言ってんだろうが!」

 上司の怒鳴り声を物ともせず、ミツリは香草の株を籠に満載してフクラに戻って行った。ヨイチとユギリはコトハマを目指す。


「初めての政策がうまくいっているようで、よかったです」

 ユギリは今度は嫌味ではなく、微笑んだ。

「ええ、まあ参加者の男連中は我々の話では無く、ユギリさん自体が目的みたいでしたが……」

「でも、それも計算に入れていたのでしょう」

 ヨイチはバツが悪そうに頭を掻く。

「悪い人――意外と政治家なんですね」

 ユギリはふてくされて見せる。

「……すみません。エチュウさんには話をしておいたんですが、どうしても人が集まる要素が欲しくて……」

 真剣に謝るヨイチをユギリは笑って躱した。実のところ、ユギリはエチュウから話を聞いている。そもそも参加者を集めるためにどうしたらいいか相談に来たヨイチに、ユギリを参加させる事を提案したのはエチュウだったのだ。

「嘘です。エチュウからそうするように頼まれていたんです。これでも色香で生きてきた女ですから、そういうのは出したり、引っ込めたりできるんですよ」

 ああ、とヨイチは納得をする。確かに初めて会った時は、今の様な色気は感じなかった。

「ちなみにどうやって出し入れするんですか」

「企業秘密です」

「怖いですね」

「女は怖いものという事が分かれば第一段階です。女の良さが分かるようになるには長い訓練と経験が必要なんですよ」

「心します」

 ヨイチは出口の見えない洞窟を想像し、渋い顔になった。先は長そうである。

「それはそうとして、ヨイチ様は何故このようなハイキングを企画したのですか?山での注意を説明しても、いつ魔獣に遭遇するか分からない状況下では彼等が単独で山に入る事はありませんよね。ヨイチ様ご自身が採取し、配って歩けば支持率も上がりそうですが」

 ヨイチはユギリがエチュウから計画の全容を聞いていないことを確認し、説明をした。大した話ではないと前置きをして……。

「きっかけは……いや、最初にマヤヅルへ来た時からうすうす感じていましたが、この土地にある他者への無関心と猜疑心が、どうも不気味に感じていまして……。そこでマンジさんの事があったでしょう?これは何とかしなくちゃならないなと……」

 マンジの件について、ヨイチ達が全貌を知ったのは本人の意識が回復し、しばらく経ってからだ。当初、マンジは自身の行動について頑なに口を閉ざしていたが、コトハマへ定住して良い事になると、次第に重たい口を開き始めた。つまる所、自主的な口減らしである。

 フクラの住民の大多数が対外的な交流を持たない。住民同士が結婚する事も無く、家庭を持っている者は家族ごと移住してきた場合がほとんどである。家庭があった者は良い。看取られて死んでいけるからだ。しかし、看取った子供達もやがては高齢になる。その時、周りには誰もいない。あるのは殺伐とした人間関係で構築された社会だけだ。

 それでも働けているうちは良いのだが、それも出来なくなると食べて行くことすらままならない。そうして、彼らはトビゴマの根を持って山へ向かう。

「ささやかな食料の配給だけで状況が変わりますか?」

 手厳しい。しかし、ヨイチは祈る。

「食料の増加では変わらないでしょう。しかし、何かを分け合う機会があれば、確実に人との交流が生まれます。あの様な死が全ての人に定着すれば、生は絶望に変わる可能性がある。それが、隣人と触れ合う事で何か変わるかもしれない。その可能性を拾いたい」

「ロマンティストなんですね」

「政治を司る以上、そうありたいと思っていますが難しいですね。実のところ、この作戦が上手くいったとしても、劇的な変化なんて起きないでしょう。変わったとしても、隣人に会釈をする程度でしょうね」

「それだけのために?」

 ヨイチはニヤリと笑う。

「本人たちも気が付かないような変化こそ重要だと思いませんか」

 ユギリは口の中で小さく「毒…」とつぶやいた。

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