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飛地物語  作者: 白くじら
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会談

「死ぬかと思った……」

 ヨイチは全身にびっちりと汗をかき、肩で息をしている。

 全身に回った痺れは小一時間続いた。自力でそれを解こうとして思考錯誤を繰り返し、何とか動くようになったのが三十分ほど前。足を引きずるようにして、エチュウに助けを求めたのが約十五分前だ。

「何をどうすれば、あの娘をここまで怒らすことができるのですか」

 エチュウは手に持った細い枝を香炉の中にくべた。少し間をおいて上る、柔らかで細い煙がヨイチの痺れを中和してくれる。

「私が聞きたいのですが……」

 ヨイチとしてはまったくの不意打ちである。しかし、エチュウはそうは思わない。男が「身に覚えがない」と主張する時、大抵が「無神経」によって女を傷付けている。そういう時、いつも馬鹿な男達にはこう言ってきた。

「気付けないのは馬鹿。傷付かないのは無神経」

 ヨイチは肩を落とした。

「女を怒らせるのは男が未熟だからです。泣かせるぐらいしてみなさいな」

 エチュウはその情け無い肩を叩く。しかし、あのユギリが男に感情を現すのは珍しい。

「相手が悪い。むしろ、象を怒らせた蟻として評価されたいところですね」

「まあ、随分と評価が高い。確かにあれは器量好しではありますが、ヨイチ様はキビ家のご子息でしょう?綺麗所には免疫があるのではないですか」

「キビ家だからこそです。清廉潔白を絵に描いた様な家ですから。税金で遊ぶなんて許されませんでした」

「でも、戦争には行かれたのでしょう。大陸を超えたのなら、超えたなりの出会いがあるのではないですか」

「確かに行きました。でも、あそこで女性に触れようとするのなら、人を辞めなくちゃいけません。私は獣にはなりたくなかった」

「商人たちが商売女を連れて行ったとも聞きますが」

「上層部の連中が遊んでいるのは知っていましたが、我々第一線の部隊にしてみれば関係の無い話でしたね」

「領主のご子息は上層部なのでは?」

「肌の色は隠せませんし、キビ家は太平の世の成り上がり貴族です。それでも、一般募集で参加した兵士達よりは優遇されていたのでしょうね……」

「ヨイチ様が優秀だったとは考えられませんか」

「私が自慢出来るのは人を殺すように訓練されていながら、その機会が少なかった事だけですね。それでも、十字架の重さに耐えられなくなる時があります。少なかったとはいえ、無かったとは言えないですから」

ヨイチは自分の手を見つめた。拭いようのない血が、べったりとこびりついている。この手で誰かを抱きしめる事などあり得るのだろうか……想像がつかない。

「ここも同じです。女達に求められるのは美しく着飾る術じゃあなくて、人を殺す術なんですよ……」

 ヨイチは顔を上げた。エチュウの顔には何とも言えない表情が浮かんでいる。


 ヨイチは最後まで残っていた手のしびれを確認していた。柔らかな光が揺らいで、静かな空間にリズムを作り出している。

「もう、お約束の三日が経とうとしています。少しでも、この村のこと、この村で生きる女のことを理解して頂けましたか」

 エチュウの声が会話と会話の隙間を越えてきた。おそらく準備していた質問で、タイミングを見計らっていたのだろう。

「ユギリさんさえいなければ理解が進んだって言えるんですけど、怒らせた理由も分からず、地面に転がされましたからね……」

 躱した回答にエチュウはコロコロと娘の様に笑う。

「あの娘の事をどう感じました?」

 しかし、煙に巻かれるつもりはないらしい。

「うん……すごいです……。何というか、色っぽい。いや、ふつうは色艶って下品さを伴うものだと思ってましたけど、全然感じません。正体は仕草ですか。あの動きを身に付けるだけでも尋常じゃない努力が必要なんでしょう?天才ともいえるんじゃあないでしょうか」

「何故、彼女がそんな所作を覚えなくてはならなかったのか、とは、お考えにならないのですか」

 ヨイチは来るだろうと準備していた質問に対峙し、姿勢を正した。

「ある技術がドブの中で生まれたモノであったとしても、それで誰かを救う事が出来れば何の問題がありますか。もっと言えば、今、我々が手にしているテクノロジーの殆どが、恣意的な欲求の上に成り立っています。現在の聖教典ですら時の王や、権力に酔った聖教師によって改編されているのです。しかし、聖典は今も不幸な人々を救い続けている。身に付けた技術が男達の欲望を土台としていたとしても、彼女の魅力を引き上げている一因である事には変わりはありません。それに、あの独特の動きが魔術のトリガーになっているんでしょう?言葉や模様ではなく、動作で発動させる術があるとは知りませんでした」

 エチュウは驚いて、ヨイチを見つめた。

「初見で見抜く人がいるとは……。向こうの大陸では、色々と経験されてきたようですね。まあ、魔法の話はおいおいお話するとして、彼女がどういう職業に就いていたかは容易に想像がついたでしょう。嫌悪感や同情は浮かびませんでしたか」

 ヨイチはしばらく逡巡してから言葉発する。とても言いづらいらしい。

「……言いたくありませんが、私はこの歳になるまで女性経験がありません。それを恥だとは考えませんが、なんというか……全く経験の無い物が、奪われたとはいえ経験を持つ人を同情できますかね。尊敬はしますが……」

 エチュウは更に驚いて眼を見はる。貴族の次男に貞操観念などある訳がないと考えるのが一般的だったから、間違った反応ではない。

「そんなに意外ですかね」

「いえ、でも、まさか御領主様が、ねえ?」

「まあ、変わっているとは思いますよ、若くはないですから。でも、戦地に行くまで修行僧のような父と兄に――兄はそれなりに遊んでいたようですが――育てられ、従軍したら南聖教師軍として不貞を誓わされました。そこから七年間を戦地で過ごし、ようやく最近解放されたんですよ?仕方がないと思いませんか」

 ヨイチは笑いながら胸を張ってみせる。

「威張ることですかねぇ」

 エチュウも笑う。

「それでも、何年か捕虜で生活していたと聞きましたが、現地での恋はなかったと?」

「三年間ですからね、無い訳ではありませんでしたが……」

「誓いを破る勇気が無かったんでしょう」

「私はそこまで敬虔な信者じゃありません。ですが、分かります?兵士の全てが不貞の誓いをするのにも関わらず、現地で悲惨な目に合う女性が減らない理由を……。それは、従軍してすぐに教会が兵士達へ言う免罪符の所為なんです。『お前達は不貞の誓いを立てたが、あくまでそれは人間に対してだけだ』と――。つまり、現地の女を抱こうが、殺そうが、人では無いので罪にはならないと言うのです。それを聞いて、現地の女性を愛せますか?よくしてくれた女性がいましたが、彼女を受け入れたら聖教師の連中の下衆な言い分を認めるみたいで、『誓いを立てた』の一点張りで過ごしました。まあ、おかげでユギリさんにも引け目なく話ができましたが……」

「経験がない事で対等になれると?普通は逆なのではないですか」

「蹂躙した者、欲に溺れた者としてあの人と会っていたら、罪悪感からまともに話なんて出来ませんでしたよ。私の中では、彼女はやたらと色っぽいお姉さんで収まってくれています。まぁ、セクシー過ぎて困りましたが、それは別の話にしておいて下さい。経験値不足による失礼は不可抗力って事ご容赦いただきたい」

「罪悪感ですか……面白い事をおっしゃる」

「同じ欲望を持つ者として、ですかね」

「欲望ですか……そうですね……」

 エチュウはその老いてなお黒い眼差しを自身の影に落とした。白髪と皺は伊達ではない。大人の女が持ちうる憂いがふんだんに滲む。おそらく、その視線には歴史が見えている。

「前にお話したとおり、この村は色街として栄えた時代があります。もう随分と前の事で覚えている者も少なくなりましたが、当時、ここには色んな人生が溢れていました。もちろん苦界ですから悲しい声も聞こえましたが、それでも生きる強さが勝っていましたね。女たちは奪われながらも、助け合って、生きていました。まるで、奪われたものが価値の無かったもののように、ビックリするほど明るかったですわ」

 語る声は濁っているが聞き苦しくない、独特の響きがあった。

「あれから多くの年月が過ぎました。権力者は季節の様に変わって、その度、色々な欲望がこの村を襲いました。『女』『金』『土地』『名誉』。『正義』なんてのもあったかしら。振り回されるのはいつも民。荒れ狂う価値観の変化で、多くの人が涙を呑んできたのです」

 ヨイチは何を言われているのか理解した。真っ直ぐにエチュウの目を見る。

「お約束します。悪戯にバランスを壊すことは絶対にしません。統治者の代行として、この地に根付いている問題を無視する事はしませんが、決して安定を犠牲にすることはしません。もし、この約束を違えるのなら――我が名誉を持って償いましょう」

 ヨイチはナイフを取り出して指先に傷をつけようとする。エチュウはそれを優雅な手つきで止めた。

「呪を刻む必要はありません」

 微笑と、呆れ顔を混ぜて、エチュウは続ける。

「その意志を見せていただいただけで十分です。それよりも、ヨイチ様――」

「なんでしょうか」

「やはり女性経験を積む必要があります。このような老婆の言に踊らされて呪を刻むなど、御領主としてもってのほか。もっとドンとお構えなさい。でなければ、ユギリに遊ばれてしまいますよ。彼女は花々溢れる都の遊郭において最年少で花魁まで上り詰めた異才。童貞が気を緩ませれば魂まで溶かされます。心なさい」

 ヨイチはバツが悪そうに「はあ」と答える。エチュウはふと「朴念仁」という言葉が浮かび、思わず笑ってしまった。


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