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飛地物語  作者: 白くじら
16/61

幕間

 エチュウとユギリは二人きりで向かい合って座っている。ここでは魔獣への警戒が不要なのか、室内には柔らかな光源が部屋の中央付近に置かれていた。

「あの男の容態はどう?」

 男を預けて二日目の夕刻である。

「ええ、大分回復しました。やはりトビゴマの根を噛んでいたようですね、意識の混濁と痛覚の麻痺は時間と共に改善しつつあります」

「危険な男ではないの?」

「まだはっきりはしませんので、手足に痺れを与えています。ですが、話をしてみると穏やかな印象は受けました。一度死を受け入れた方、独特のモノでしたが……」

「やっぱり、あの習慣が残っているということなのでしょうねぇ……仕方がない事なのかもしれないけど、新領主様が納得するかが問題ね」

「思ったより感情的な方ですからね」

「短絡的ではないわ」

「衝動的な所もあります」

「武人っぽい馬鹿さは見えないけど」

「子供っぽさは随所に見えますが」

「ユギリ……」

「はい?」

「あなたにしては随分と辛口ね。何か思う所があるのかしら――」

 必要以上に懐疑的な視線にピクリとも眉を動かさず、ユギリはにこやかに答える。

「なにも」

「そ、そう……。ならいいわ、それで彼は一度フクラに戻っているんですって?」

「はい。なんでも、部下がそろそろ怒っている頃だからとおっしゃっていましたが、本当なのかどうか。そもそも部下の機嫌を気にするなんて、領主としてどうなんでしょうか。しかも、魔獣が出るかもしれない夜の街道を通って!」

「ま、まあ、そうねぇ、でも彼の腕なら魔獣も手に負えない脅威ではないと言う事なのでしょう。あの大きな弓と、魔法が使えるのなら納得も出来ますが……」

「……」

「それにしても、弓矢を媒体に魔法を発動させるとは聞いた事がありません。もしかしたら、魔法を攻撃に転じる事ができるのかも……。そうだとしたら、ユギリ――」

「――最悪の場合も考えて行動します」

 先ほどのにこやかな笑顔とは打って変わり、決意を伝えるユギリの顔には、なんの表情も浮かんでいなかった。


 時間は少しさかのぼり、フクラの公館である。こちらはヨイチとミツリが顔を突き合わしている。

「それではやっぱり自殺の線が濃厚なんですか」

 ヨイチが使った「伝える」魔術は、とりあえず成功していたらしい。突如頭の中にヨイチの声が響き、しまおうとしていた工具を盛大にぶちまけたが、最低限の情報共有はなされていた。「それなら来るんじゃあなかった」と若干、後悔したが、事態が進展したのでまどろっこしい手紙を送るよりは来た方が手っ取り早かっただろうとヨイチは自身を納得させた。

「ユギリさんの話じゃあそうなるな。トビゴマの根には強い幻覚作用があるが、苦みが強くて意図的に飲み込まない限り摂取は難しいらしい。複雑な立場の人間なら、自殺に見せかけた暗殺も考慮しなくちゃならないんだろうが、ただの漁師じゃあそれも考えにくいだろう」

「ユギリさんって、やたらとセクシーな女村長の付人でしたっけ?信用できるんですか」

「わかんない」

「それは駄目でしょう。情報操作されてたら、元も子もありませんよ」

「まぁ、『分からない』ていうのは『確信が持てない』ってだけで、疑わしいってことじゃあないからさ、今は信じてみよう。現時点ではそれで十分さ」

「楽観的ですね。でも、漁師である事はどうやって分かったんですか」

「少しづつだけど、話ができる様になってきたんだ。まだ、遠くにいる人と話をしている感じだけどな」

「漁師って事は、ここに住んでいたって事ですか」

「そういう事になるな。ただ、片腕で船を出すなんてできないだろう?ここじゃあ村人同士が協力する事もなさそうだし、まだまだ分からない事の方が多いよ」

「まあ、いずれにしても、おじさんの回復を待つしかなさそうですね。コトハマの方は何か分かったんですか」

「ぼちぼちってとこかな。ここの村長よりは協力的だけど、この土地唯一の治安部隊を抱えている村だからな、秘密主義はここ以上だよ」

「女性が多いのに治安部隊って何か変な感じもしますが」

「まあな、正直俺も実際に訪れるまでは眉唾な感じがしていたけど、行ってみると納得する事もあるかな」

「すごいごつい人が沢山いるとか……」

「いや、いや、綺麗な人が多かったよ。むしろ、地形と武器かな」

「どういう事です?」

「う~ん、そうだな……。じゃあさ、ミツリが人を殺そうとしたとき、よく切れるナイフか、重さ二十キロのハンマーか、どちらを選ぶ?って話さ」

「見えてきませんが」

「人を殺すのに、重量武器はいらないって事だよ。ここの地形は、溶岩と浸蝕によって複雑になっているから大部隊を一気に動かすには向いていないだろ?戦闘になれば機動性が重要視されるゲリラ戦になるのが目に見えている。そうなれば、女性でも簡単に扱える小型の弓や、小剣なんかが大活躍ってわけさ。もちろん、軽量武器は致死率が低いっていう欠点があるが、強力な毒でも塗布してあげれば問題は解決する。軽量武器で負傷した兵士は戦線を離脱した後、自国や野戦病院で死んでいくから、戦地に復帰する事もない」

「毒ですか……」

「ここしばらくここの山野を歩き回ったが、強い毒性を持つ生物も、植物も、見当たらなかった。でも、村長の庭は別だよ。無秩序に植物が植えているなと思っていたら、よく見ると毒草がかなりの割合で生えてやがった」

「……向こうでの食事は、緊張感がありそうですね」

「まったくだ。しかも、コトハマは元歓楽街だろ?趣味の悪い装飾品がそこらじゅうにあったり、安い建物を無理やり豪奢に見せていたもんだから、やたらと死角が多いんだ。道も狭くて入り組んでいるし、ありゃあ要塞としても機能するぞ」

「なるほど。武力に長けている理由は分かった気がしますが、生活はちょっと見えてきませんよね?ほかの村からミカジメ料を徴収している訳じゃあないんでしょう?」

「実は近いモノがあるな。エチュウ村長の話だと、マヤヅルでは税金の支払い以外に金銭のやり取りは殆どないらしいんだ。だから、ミツシから穀類を仕入れる時も、金銭で購入しているのではなく、私兵の貸与を条件にしているらしい」

「じゃあ、マヤヅルの村々が盗賊と繋がっているって説は否定されましたね。魔獣相手に毒付きの軽装備じゃあ役に立たないでしょう」

「いや、それは分からない。だって、コトハマが契約しているのはミツシだけなんだぞ。その理屈でいったらフクラも盗賊から守らなくちゃあならなくなるだろう?おそらくだけど、コトハマの連中が警戒しているのはイノシシや、シカなどの野生動物だ。それなら軽量武器でも十分に対応できる」

「そうなんですか?だって穀類だけでは生活できないでしょう。フクラとは表沙汰にはできない約束事があったりするんじゃあないですか」

「食糧事情だけで考えれば、それはない。コトハマ人達の殆どが海女なんだ。他に販売するほど獲れるわけじゃあないんだろうが、自分達が消費する分くらいは確保できるだろう。小さいが普通の畑もあったしな」

「なるほど……」

「とりあえず、今できる事は想像して仮説を立てる事だけだ。観察と検証は次の段階だろう。ミツリは引き続き市場の調査を進めておいてくれ、急ぐ必要はなくなったけど、これから絶対に必要になる」

「今後の事を考えると、戸籍台帳の方が先のような気がしますが……」

「……それもそうだな」

「じゃあ、ぼちぼち進めておきます。いきなり始めたら警戒されそうなので、のんびりと、じわじわと……」

「頼んだ」

 ヨイチは立ち上がり、準備を始めた。もう日が暮れかかっているので、できれば急ぎたい。街道の途中で魔獣とばったり、というのはヨイチでも勘弁して欲しいところだ。

 弓を担ぎ、お土産を腰にぶら下げて、ヨイチは新たに取り付けられた扉に手をかけた。

「じゃあ、行ってくる」

「ああ、神様。色っぽい街に出かける上司を見送る部下にお慈悲をください」

「馬鹿な事を言ってるんじゃあない。あの街が色っぽかったのは、もう二十年も前の話だよ」

 ヨイチは夕闇に飛び出していった。


 ユギリは男をベッドに座らせ、頭部に数種類のハーブを入れた袋を当てている。男は虚ろな目をしたまま、何か喋ろうと口を動かすのだがよく分からない。そのうち、ユギリの手が離れると、そのまま倒れるようにベッドへ横になった。続けられている魔術治療である。

 ユギリは香りを使った魔術を得意としていた。古くからある手法の一つだが、その複雑な工程は独特のセンスを必要とされる。力強いが、繊細――。力のある魔女たちが好んで使ったが、普及しなかった理由の一つだ。魔女が多く住むコトハマでも、香りを使う魔女はそう多くはいない。

 コトハマに魔女が多く住む理由は単純だ。教会の魔女狩りから逃れてきた者達にとって、寂れた歓楽街より住むに適した場所はなかったからだ。魔女の多くが娼婦だった。

 従来から魔女は教会から敵視されてきた。魔力原子を扱える女児が生まれたと教会が知りえた場合、彼等は容赦なく両親の元からその娘を奪い去り、偉大なるテト大師に火を与えた者の末裔として火炙りにされるのだ。

 生き残る術は、歓楽街にしかなかった。娼館なら教会の手も及ばない。親たちは苦渋の選択の末、女衒へ娘を差し出す。結果、娼館には魔女たちの社会が人知れず構築され、独特のネットワークが生まれた。コトハマもそうしたネットワークの一端を担っており、男に蹂躙される生活に辟易した魔女たちが流れてくる。今ではこの小さな村に魔女が十五人もいる。これは、魔力原子を利用できる人間の割合から考えれば異常な数字である。

「ゆっくりとお休みなさい」

 ユギリは使っていたハーブの袋を壁に掛けた。こうしておけば、緩やかだが男の脳を刺激し続けることができるだろう。そうすれば、明日には自然な会話ができるかもしれない。

 部屋の明かりを消して外へ出ると、もう外は星空に覆われていた。そろそろ本格的に魔獣が動き出すころである。この庵には野草?が色々あるので魔獣が近寄る事はないが、街道はもう道というより狩場といった方がいい。訓練されたコトハマの一部隊でも、この時間に街道を通る事はしない。

「いらいらする……」

 ユギリはそっとつぶやく。

 当たり前だ。彼女を待たせたことのある男など皆無だった。しかも、よく分からない用事でヨイチは出かけて行き、勝手に危険な状態になっている。

 エチュウの言うとおり、腕に自信があるのだと納得しようとするが、なかなかそうもいかない。昼間の見通しが良い所ならいざ知らず、夜道では勝手が違うだろう。

 結局は馬鹿なのね――。

 ユギリは庭園を歩きながら思う。

 その上勝手――。

 慎重に配合された土はエチュウの作品でもある。毒素を持つ植物が多く育つ中で、成分が混合したり、土や大気中に拡散されないように綿密な計算がされており、見た目だけの下品な管理がされておらず美しい。

 ユギリはこの狭い庭園を歩くのが好きだった。暴走しつつあった自分を押さえてくれたのもここの植物であったし、フラッシュバックする恐怖もここの植物が和らげてくれた。

 好きにすればいい――。

 散らかった頭が片付いていく感覚。ばらばらだった思考が、本来の明晰さを取り戻しつつあった。


 夜風に秋が交じり始めている。ユギリは思わず肩をすぼめ、視線を変化のないアーチへ向ける。

 もう部屋に戻ろうと、踵を返したところだった。

「どうも、勝手を言いまして申し訳ございませんでした。それではおやすみなさい」

 こんもりした母屋から、ユギリにとって思いがけない声が聞こえてきた。しばらくしてドアがガチャリと開き、フードを外したヨイチが外に出て来る。大きなシロメナツグサに全身が隠れてしまっているユギリには気が付かないようだ。

「?ナゼアノオトコガモドッテイルノ?」

 ユギリの音にならない声が聞こえるわけもない。しばらく星空を眺めたヨイチは、誰を探す素振りも見せず、そのまま真っ直ぐに「離れ」に向かう。そこで、ユギリはシロメナツグサの影から一歩前に出た。

 流石に気配で気が付いたヨイチは、振り返り、なるべく笑顔で声を掛けた。

「あ、どうも。おやすみなさい」

 まるで、何もなかったかのような自然な挨拶を、ユギリは渾身の笑顔で受けた。それと同時に指がするすると動く。まるで、花を愛でるような優雅で流れるような仕草である。ヨイチは思わず息をのむ。

 美しい――。

 うっとりするほどの色香。そしてヨイチの足元にふわりと落ちる一枚の羽根。ヨイチは思わず手に取り香りを……。

「うぐぇ」

 小さく、カエルが踏み潰された様な声が聞こえた。ヨイチは全身を固まらせ、ふかふかの土に転がる。全身に回った痺れで、一歩も動けない?

 辛うじて動く目が、ゾッとするほど美しい笑みを浮かべたユギリを捉えた。

「すいません、つい……」

 去っていく背中に、ヨイチは涙目だけで訴えた。

 つい……って何だ――!

 

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