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飛地物語  作者: 白くじら
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恐れる

「――という訳なので、俺はコトハマで情報収集をします。市場調査は進めておくように」

 と文をしたため、矢に結び付ける。ふぅと息を吐き、慎重に精神を折りたたんでいく。

「かしこみ かしこみもうす――」

 ヨイチは日が沈む直前の庭園に立ち、空へ矢を向けた。山は既に黒い影になっていて、空は茜色に染まっている。

「キビノヨイチがひとこころにつづりしふみ はなれし ジブミツリのもとへ あまのやへぐもをこえて とどかせたまえ つたえたまえ」

 矢の先端が明るく燃え始め、周囲が黄色い光に照らされると、ヨイチは引き絞った弦を放した。光りの放物線は大きな放物線を描き、その頂点で霧散する。

「届くかなぁ――」

 矢の行方を見送るヨイチの数歩後ろで、ユギリが同じく夕暮れの空を見上げていた。

「届きますよ」

 首を傾いで微笑むユギリに対して、ヨイチは出来るだけ感情を乗せないで返す。

「こういう魔法は苦手なんです。練習はかなりしたんですけどね、上手くならなかった」

 ユギリは異常に大きく育ったオオツメクサの花から滴をハンカチに移している。移しながら、質問をする。

「ヨイチ様は教会に認められていない法術も、お隠しにならないんですね」

「隠さないのはエチュウさん達も一緒じゃないですか。私もアレを見なければ、こうして堂々と魔法を使わなかったですよ」

 ヨイチはクルクルと指を回す。ドア越しの以心伝心は不自然すぎる。

「アレを法術と気付くことができるのはヨイチ様ぐらいなものですよ。教会の聖導師様ですら分からなかったのですから」

「奴らは見ようとしている物しか見ませんからね。空ばっかり見てて、踏み潰しちまったアリが何匹いた事か」

「教会に対してなかなか複雑なお気持ちがありそうですね。今晩中に聞く事ができますでしょうか」

 悪戯っぽい笑顔を見せる。

「伝える魔法も苦手ですけど、昔ばなしはもっと苦手なんです。勘弁してください。」

 ヨイチが本当に困ったような顔をすると、ユギリは可笑しそうにクスクスと笑い「それは残念」とこぼす。

 これはヤバイかもしれない――。

 ヨイチは思い始めていた。


「もう暗くなりましたし、どうぞこちらにいらしてください」

 ヨイチは、庭園の隅に隠れるようにして建つ「離れ」に案内された。小さなドアをくぐると、こじんまりとした清潔な部屋になる。二台置かれたベッドの片方に男が座り、ただ中空を眺めていた。

「先にご案内させていただきました。エチュウからは、明日より回復処置をしていくように指示されております。今日はどうぞ、ごゆっくりお休みください」

 ユギリはベッドの脇まで進み、左手を男の額に添えた。すると、男は瞼を落としベッドへ沈み込む。ユギリは笑いながら振り返り、指を回して見せた。

「私もヨイチ様を見習ってみました。人前で術を見せるのは緊張するものですね」

「推奨もされません。女性なら特に」

「それは慎ましやかにしろという事でしょうか」

「いえ、命のためです」

 ヨイチは真面目な顔で答えた。

「ここに教会はありませんよ」

「常に警戒をするべきだと言っているんです。彼等は、信じているもののためなら、いくらでも残酷になれます」

「ヨイチ様は魔女に対して、偏見はないのですか」

「流石に問答無用で魔女を処刑しようとは思いません。だからと言って、魔法を使える女性が特別素晴らしいとも思いませんが……」

「なるほど、誠実なんですね……。でも、その分、お遊びが苦手そう」

 ユギリが手で押さえた唇から、笑い声が溢れる。

「否定は……出来ませんね」

 ヨイチも自然に笑った。それもそうだと本気で思った。

 室内に灯りは無く、既に暗闇がだいぶ支配圏を広げている。ユギリが先程のハンカチを広げると、部屋の中に爽やかな香りが広がった。そのまま嗅ぐと青臭いオオツメクサの滴も、拡散させると印象が大きく違う。自然と嗅覚に意識が集中していく……。

「お荷物と上着をお預かりしましょう」

 だからなのか、胸元に伸びてきたユギリの指に反応が遅れる。

「わぁ!」

 ヨイチは、思わず声を上げる。ユギリは驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んだ。

「そんなに嫌がらなくてもいいじゃあないですか。それとも、他人に武器を預けるのは落ち着きませんか?」

 少し、むくれる様な表情が浮かぶ。ヨイチは距離を取りつつ弁解をした。

「そういう訳じゃありません。武器も預けます」

 ヨイチは担いでいた化物弓を床に置く。

「では、法術をかけられるかもしれないと思った、とか」

「それも……平気です、ね」

「……私、変な匂いしましたか」

 クンクンと体の匂いを嗅ぎ始めるのを、ヨイチは止める。

「いえ、決してそんな事は……」

「……」

「……」

「私……怒りましょうか?」

「え?いや、出来ればやめて欲しいですね」

「では理由を教えて下さい。女の好意を袖にした以上、男性には答える義務があると思います」

 ユギリは微笑み、詰め寄る。狭い部屋に逃げ場はない。

「いや、えぇと……」

 ハッキリしないヨイチに、ユギリはさらにズイと顔を寄せる。

「領主様がハッキリお言いにならないようなので、私が当てて見せましょう。原因はエチュウ様でしょう?あの方の真意が読めないでいるから、ヨイチ様は必要以上に警戒されています」

「……概ね正しいです……」

「本当に誠実な……いえ、正直な人ですね」

 ユギリは大袈裟な溜息をつく。上目遣いで睨み付けながら、でも、口元は笑いながら。

「疑り深い領主様に僭越ながら言わして頂きますが、エチュウは決して意地の悪い女ではありません。厳しい人ですし、駆け引きの上手な人ではありますが、人を騙す様な事は決してしません。あの方がこの土地と、この土地に生きる女を知って欲しいと言ったのなら、それ以上の意味はありえません。彼女に仕える者としただけでなく、生活を共にしている者として保証します」

「……すいません、でも、本当にそれだけなのでしょうか」

「納得いかないですか?」

「納得がいかないというより、理解が出来ません。この人を預かるという面倒事を引き受ける代償が、新代官の教育なんて、麦をくれる条件に魚をくれると言っているようなものでしょう。この土地の事を理解して欲しいと思っているのなら、説明すればいい。」

「確かに、そうかもしれませんね。あの場で説明をしても、誠実なヨイチ様なら私達の事を理解して頂けたのかもしれません。でも、エチュウはただ知るのではなく、実感して欲しかったのではないかと思います。だってそうでしょう、私達の事を言葉で綴れば『元娼婦』で済んでしまうのですよ?それではあまりに寂しいじゃないですか」

「寂しいなんて……」

「ウフフ、ヨイチ様は優しい方ですね。でも、残酷な人。心のどこかで商売女を嫌っていらっしゃる」

「そんなことはありません」

「うそ――。私達は仕草や態度で全てを悟る様に訓練されています。ヨイチ様の態度に、私を嫌う影がございます」

 ヨイチは一歩踏み出た。

「決め付けないで欲しい。確かに、私は貴女を避けている。視線でも、言葉でも。でもそれは貴女の過去に関するしょうもない偏見じゃあない。貴女に染み付いている仕草や言葉が完璧だからだ」

 真剣に抗議するヨイチに、ユギリは少し驚く。

「……聞きましょう」

 ヨイチは喉に詰まったものを吐き出すように言葉を並べた。

「貴女は完璧なんですよ。所作が艶やかで流れるようです。でも、よく見れば無駄の多い、実に不効率な動作をしている。それは、おそらく誰かに教え込まれたものだ。自分では絶対に訓練できない」

「……」

「自然に身に付いた動きは、洗練されていく過程の中で無駄が省かれていきます。でも、あなたのは違う。美しく見えるように無駄な動作を取り入れている。それでいて、不自然じゃあない。それは物凄く大変な事です。おそらくは、幼少期から叩き込まれた人間のうち、才能がある者だけが辿りつける到達点なんでしょう」

「作られた女は気味が悪いとおっしゃりたいのですか」

 先ほどの笑みが嘘のような、冷たい視線がヨイチを捉えた。

「概ねは正しいです」

 ヨイチも引きはしない。すんなりと肯定すると、ユギリの指がするすると上がる。感知する事のできない何かが動き始めていた。

「正確には恐怖を感じています」

「男に喜ばれるだけに磨き上げられた女は恐ろしいですか。また、勝手な事を――」

 膨張した空気ような圧迫感を、ヨイチは肌ではなく細胞で感じた。

「だから勘違いしないでください!」

 ヨイチは腕を大きく振り払う。何かが霧散する。ユギリは指を思わず引っ込めた。

「あなたは鍛え上げられた武人を見て恐ろしいとは思いませんか?磨き上げられた工芸品を見て鳥肌を立てたことは?絵画に引き込まれるような感覚になったことは?」

 ヨイチは振り払った手で、中途半端に引っ込めようとしたユギリの手を力強く掴む。

「恐ろしいですよ、当たり前です。自分よりもよっぽど手練れな政治家から派遣された魔女ですよ?それも、やたらセクシーで、所作の一つ一つまで鍛錬されているんです。こんな四面楚歌な状況で、あなたは私に笑えと?社交的になれと?ふざけるのもいい加減にしてください」

 ユギリはイマイチ目の前の男が何を言っているのか理解できなかった。持ち前の明晰さで状況を理解しようと必死になるが、上手く脳がついていかない。

「言っておきますが、女性に免疫のない男にこれ以上の対応を求められても困ります。失礼は謝りますが、スマートになれというのは承諾しかねます」

 ヨイチは手を離した。

 ユギリは初めて自分の手からこぼれてしまう男を見たような気がした。でも、気分は決して悪くはなかった。



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