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飛地物語  作者: 白くじら
14/61

「いいから、こっち来いって」

 ヨイチは、ミツリを街道沿いのあばら屋へ引っ張り込んだ。

「そんなに引っ張らないでください。……っていうか、今度は何があったんですか」

「いや、厄介な問題が……」

「あなたに会ってから、厄介じゃあない問題を抱えていない時がありません。今度はどんな問題を抱えたんですか」

「問題を抱えたというか……」

「自分で問題と言ったでしょう」

 ヨイチは申し訳なさそうに、積んであった木箱をどかした。

「抱えたのは問題というより……『おっさん』だ。おっさんを連れて来ちゃったから厄介な問題が起きた。順番が逆……」

 木箱の陰に座っていたのは、片腕の無い初老の男だった。もちろん、ミツリには状況が掴めない。

「ちょっと……時間を頂けますか……」

「まて、もうすぐ日が暮れる。時間がないんだ、どうしよう……」

「どうしようって、連れてきちゃったんなら預かるしかないじゃないですか!何がどうなると、おっさんを連れて来る状況が出来上がるんですか」

「いや、偶然が偶然を呼んだんだが――」

 ヨイチは一通り状況を説明した。

「さっきから一言もしゃべらないし、目の焦点も合わない。おそらく、何らかの薬物を摂取したか、投与されたんだと思うんだが、まったく状況が分からん。処刑だったのかもしれないし、ただの錯乱なのかもしれない。いずれにしろ、落ち着いてから話を聞きたい。それまで匿っておきたいんだ」

 ミツリは、計画を忘れなかったヨイチをひとまずは評価し、意見を飲んだ。

「それは分かりましたが、我々の館ではだめなんですか」

「処刑だった場合、俺達が罪人を引き込んだことになる。そうしたら、住民の決定権を否定した事になるんだぞ。意志を主張するにはまだ早い」

「領主の承諾を得ないで、処刑なんて重要事項を決断しますかね」

「俺も違うとは思う。でも、状況を確認するまで、どこか安全な場所に置いておきたい。もしかしたら重要な情報を持っているかもしれないだろう」

「しかし、村以外にアレが侵入しないクオリティーの建物がありますかね。このあばら屋で一夜を過ごすなんて絶対嫌ですよ」

「このおっさんが何処から来たのか分からないかな。今まで家無しで暮らしていたわけじゃあないだろう」

「フクラで見た事はないですが……」

「じゃあミツシか……」

「コトハマの可能性もあるでしょう」

「いや、それはない。コトハマからあの空地へは、とてもじゃないが上がれない」

「でも、コトハマ寄りの山中で遭遇したって言っていたじゃあないですか」

「確かにコトハマには近いが、あそこからは急傾斜を通ることになる。俺でも、両手が空いていないと登れないような場所が何か所もあるんだ。この人が片手で登れるとは思えない」

「絞り切れないですね。これじゃあ家を探すこともできませんよ。やっぱり館へ連れて行くしかないんじゃないですかね」

「止むを得ないか……」

 ヨイチは男の顔を見る。

 男の目は、相変わらず何も捉えていないように見える。ただ、口からこぼれているのが教典の言葉だという事は分かった。「個に生きる者は神の救いを受けない。全に生きる者は死後も神の息吹を感じる」は戦地に向かう兵士へ、聖教師が無責任に与える教義だ。

「もしかしたら自殺しようとしたのかもしれませんよ」

 ミツリが言う。

 ヨイチもそれを否定できない。

「だとしたら、助けても無駄だと?」

「そこまでは言いませんが、一時的に匿っても問題の解決策にはならないでしょうね」

 ミツリの意見は正しい。ヨイチも実は連れて来たことが間違いだと思い始めている。既存秩序が存在する場所を統治する場合、最初に気を使うべきは減点であり、加点は必要ない。住民にとって「悪化しない」という価値観は「得する」「幸せになる」ということ以上に重要な要素になる。生物にとって変化とは危険以外の何物でもないのだ。

「……どうしますか」

 ミツリが問い詰めるように尋ねる。

 ヨイチは腕を組み、しばらく黙っていたが、答えた。ただ、はっきりと断言するようにではなく、考えながら、それも絞る様に答えた。

「……この男を館には連れて行かない。コトハマへ連れて行く。あそこの女村長は話のできる人だし、何より高齢者の見取りシステムがまだ残っている。部外者だが、金を積めば交渉の余地がある」

 ミツリは明らかに不満そうだ。

「見ず知らずの、それも情報が取れるかどうかも怪しい男に、金まで出す必要がありますか。住民全員に同じことは出来ませんよ」

「公平校正な立場で物事を考えればミツリは正しい。全ての住民に同じサービスが出来ない以上、やらない方がいいのかもしれない。しかし、薬物だったとしたら早急な手立てが必要だし、勝手に処刑を決めていたら越権行為だ、村長は処分しなくちゃならなくなる。自殺だとしたら、何らかの致命的な問題点がこの村にある事になる」

「いずれにしても、何らかの処置は必要で、情報収集は必要不可欠だという事ですか……」

「たぶん……」

「まあ、確信なんてもてませんよね。分かりました、金は後で持っていきます」

「いや、持っていくと足元も見られるし、物価がイマイチ分からない状況での金銭取引はやばい。俺はこのままおっさんを連れてコトハマに向かうから、ミツリは明日の朝、市が立つからそこで物価の目安をつけてくれ」

「明日の朝市だけで判断しろと?」

「だいたいでいいんだよ。仕事っていうのは5割で十分な時があるんだ。ただ、物々交換も行われているはずだから、そこら辺も調査しておいてくれ」

「……分かりました。やれるだけはやりましょう」

「ああ、やれるだけでいい、頼んだ」

 ヨイチは方針が決まると、男にミツリのマントを着せてフードを被せる。

「じゃあ行ってくる」

 時間差で出ていく事にしたミツリは、いつもの調子で嫌味を言う。

「労力に見合う成果が出ると良いですけど」

 ヨイチは「祈ってろ」と返事をして、街道に出た。もう夕暮れが近い。


 コトハマ村まで、ヨイチの脚なら三十分もかからない。しかし、今日は道連れがいるため、たっぷり一時間をかけて到着した。日は既に傾き、辺りはこの地域独特の緊張感のある慌ただしさに包まれている。

 歓楽街の名残を残す村は、独特の空虚な装飾で溢れているが、年月とともに廃れ、今は不気味な威圧感を醸し出している。この複雑な景観が必要以上の死角を作り、この村を要塞化させている。

 ヨイチは、狭い路地を縫うように進む。階段を上り、右に左に振り回されながら、時には道を間違えて引き返しながら、ようやく小さな庵にたどり着く。そこは楼閣に囲まれた庭園になっていて、決して広くはない敷地に様々な草木が生い茂っている。一見、自然の任せるままにしているようだが、生育の難しい香草、薬草が花を咲かせていのが見て取れた。緑の絨毯は外壁を伝い、屋根まで達しており、窓と玄関ドアさえ無ければ丘と見間違うかもしれない。

 二人は、蔓と花で華やかに装飾されたアーチをくぐり、玄関まで続いているレンガを辿った。ヨイチがドアノブに手を掛けようとする数歩手前で、玄関がガチャリと開く。出てきたのは若い女で、二人を見ると優雅な所作で挨拶をする。

「ようこそおこしくださいました――エチュウがお待ちしております、どうぞこちらへ」

 言われるがまま、暗く短い廊下を抜けて客間へ通された。小さな部屋は、先ほどまで見てきた空虚な装飾群とは違い、不必要な飾りがない。ただ、一輪、野花が壁に活けてあるだけだ。

「どうやら、新しい領主様はここを気に入っていただけたようですねぇ」

 お待たせしましたと、嫌味の無い小さな会釈を交えてエチュウが入って来た。古希を超えているらしいのだが背筋は伸び、年齢を感じさせない。顔に刻まれたシワも、白くなった豊かな髪も、どこか凛とした緊張感がある。女性社会に君臨するには能力だけでは駄目だと言う事を体現しているようだ。

 女性ならではの柔らかい動作で二人を質素な背の低い椅子へ誘い、エチュウ自身も同じ形をした椅子へ腰を下ろした。視線が下がる事で、親密な雰囲気になる。

「今日はお二人でお越しなんですねぇ。そちらのお方は?」

「ここに来る途中で拾いました」

 ヨイチはにっこりと微笑む。

「人をお拾いになるなんて、ヨイチ様は随分と悪趣味でいらっしゃるわぁ」

 カラカラと笑いながらエチュウは指で何かの合図をする。すると、どこで見ていたのか先ほどの女がお茶を運んできた。独特の香りは、庭園の香草だろうか。

「悪趣味というよりか、無計画と蔑んでください。つい、伸ばした手を引っ込める勇気もなく、ここへ助けを求めに来てしまいました」

 エチョウはちらりと男を流し目で捉え、溜息をつくように答える。

「ここは、かつて女達の苦界で、男達の楽園でした。しかし、今、それは逆転しています。それを承知で来たのですか」

「無遠慮は承知の上です。そして、頼るべき場所を間違えていることも承知です。しかし、可能性を精査した際、ここへ賭けてみる事が一番勝率が高いと考えたのです」

「正直は美徳ですわ。でも、時と場合によりません?」

「同感です」

 すかさず答えたヨイチに、エチョウの眉が困惑に歪む。

「御領主はまだこの地の事を詳しくお知りにならないでしょうが、マヤズルという土地は他者に寛容ですが無関心です。他人からの干渉を極端に嫌います。まあ、男も女もいますから、子を為す者達もおりますが、その殆どが一緒には暮らしませんのよ。自立といえば聞こえはいいのでしょうが、一般的な感覚の持ち主であれば非情だと思うでしょうねぇ」

「しかし、そうしなければならない理由があったという事なんでしょう」

「……そういう事ですわ。ですから、ここにいられる方も、そして私たちも、関わる事を望みませんの」

「でも、この村には高齢になった方の面倒を見るシステムがまだ機能していると聞きました」

「確かに、そう言いましたわ。しかし、そのシステムも利害関係によって成り立ちます。私は、先ほどの娘を匿い、ここでの生活基盤を与え、生きる術を教える代わりに、これからの事を依頼していますの。それは一般的な家庭で行われるモノとは明らかに違います」

「……魔術を伴う契約ですか」

「……」

「ミツシやフクラではどうなっているんですか」

 エチュウは首を振った。どうやら他の村について話す気はないらしい。

「では、この村に関する質問をさせてください――この男を預かる事について、村長として協力することが出来ない事はよくわかりました。でも、あくまでこの男の世話を、誰か個人が了承した場合。つまり、個人間での約束であれば、それを村としても拒否しないという事でよろしいですか」

「先ほど申した通り、寛容な土地柄です。それが男に蹂躙された地であっても、他者の自由は確保されるでしょうね。しかし、それは村として預かる事よりも難しい交渉になるでしょう」

「それでもあえてお願いします。エチュウ村長は私にしばしの間、隣の荷物小屋を貸してもらえませんか」

「それは構いませんが――」

 真意を捉えかねるエチュウは、了承するものの言葉尻をぼやかす。しかし、ヨイチは頓着せずに言葉を続けた。

「それでは、私は個別に先ほどの女性と交渉します。彼女と契約が成立すればこの男を匿ってもらえるという事ですね」

 エチュウはびっくりして、つい前のめりになる。

「あの娘は、私に仕えているのですよ」

「エチュウ村長に迷惑をかけるつもりはありません。あくまで余剰分を分けていただくだけです」

「そんなものがあると――」

「ある分で構いません」

 ヨイチは言い切った。「何なら殺したっていい」ということにしないと、交渉は妥結しないだろうと思っている。大事なのは「そういうことにする」と決める事だ。感情は妥協の障害にしかならない。

 もちろん、即断はない。沈黙が生まれる。

 エチュウは、この理不尽だが私欲の無い代官を扱いかねていた。官吏によくいる、詭弁を武器にする輩なら現実の刃で返せばいいが、こう手の内を見せられると言葉が見つからない。ただの馬鹿なら煙に巻く事もできるのだが、そうでもないらしい。事情を知らないくせに引っ掻き回している実感もあるようだ。いや、それを逆手にとって交渉している感じもする。

 長年、唯一の女村長として培ってきた観察眼と洞察力も、さらけ出している人間には通用しない。正直、苦手な交渉相手であった。

「三日ですわ」

条件の提示。すなわち、承諾はエチュウから、少しふてくされた感じで発せられた。

「三日間は看病という名目で、あの娘に面倒を見せましょう。あなたが交渉する必要はありません……」

 ヨイチは満面の笑みで礼を言おうとするが、条件は続いていた。

「そのかわり、三日間、あなたにはあの娘と共に行動して頂きます。寝泊まりは、そこの小屋ではなく、奥の離れをお使いください」

ヨイチは訝しんだ。男がいない訳ではない村だが、「まいど」と暖簾をくぐる様に出入りができる場所でもない。コトハマに滞在するということは、隷属を意味する場合が多いと聞いた。

「何のために……」

「あなたが何を背負ったのか。そして、背負い込もうとしているのかを教えて差し上げるためです。そして、この村の事も、いえ、この村で生きる女のことも知って頂きます」

エチョウは指をくるりと回し、合図を送る。扉の向こうで、見える訳がないソレに答えて気配が動いた。その動作で、ヨイチは庭園の草木が複雑に育っている理由に検討がついた。


「失礼します」

 しばらくしてから扉が開いた。そこには先ほどの若い女が立っていた。ヨイチはお茶の代わりでも持ってきたのかと思ったが、彼女は手ぶらだった。

「ユギリと申します」

 二回の訪問の内で始めて名乗り、数歩、ツツと進んだだけである。先ほどと何も変わらない。何も変わったようには見えない。

 しかし、ヨイチはさっきまで何も感じなかった女の異様な色香に、思わず眉を寄せた。

 女は詠われるような美女ではない。むしろ、素朴な雰囲気すらする。ただ、柔らかさそうな眼元と、程よく膨らんだ唇が蠱惑的な魅力を加えている。強調し過ぎない曲線が艶かしく動き、ヨイチの隣で傅いた。なぜ、このような女性に対して、先ほどまで自分が無反応だったのかヨイチはまったく理解できない。

 女は目を伏せ、視線をそっと床へ外している。それだけで相手は表情をつかむ事が出来ない。襟首から鎖骨にかけての艶めかしい曲線が、他者からの行動を促しているようだ。

 しかし、ヨイチは奇妙な浮遊感に襲われてそれどころではなくなった。おそらく、始めて出会う洗練された色気に悪酔いしたのだろう。ただただ、目の前の存在が不思議で、不気味だった。

「どうです、先ほどと同じ娘ですのよ?」

 ロクに口もきけないヨイチを、エチュウが意地悪く弄ぶ。

「この悲しい土地で、老婆の面倒を見る事を強いられている、ただの悲しい女ですよ?街で流行の衣装を合わせる事もなく、粗末な服と、些末な食事で日々をつないでいる女ですわ。でも、彼女はこの地を去る事はないでしょう。もちろん、私との約束事がなくともです」

 エチュウの言葉に合わせて、ユギリが伏せていた目をじょじょに持ち上げた。雲を引くような視線の動きに思わずたじろぐ。瑞々しい漆黒の瞳にヨイチの顔が映っている。

官能的――。

神経が痺れる感覚を初めて味わう。

「この土地を、この土地に住む女の人生をじっくりと理解して頂きます」

エチュウが威圧感を匂わせて言った。


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