ミステイク
デイビッド・フェレルは盗賊である。
物を盗み、人を殺し、違法薬物や武器の密輸など反社会的行動で利益を得るニステ盗賊団に所属する10歳の少年だ。物心ついた時から荒くれ者ぞろいの盗賊たちと共に暮らし成長してきた。盗賊団の中でも下の下―― 下っ端のフェレルは贅沢な暮らしはおろか人並みの生活さえ知らない。階級制度の下の方に位置する少年盗賊が何かの間違いか王子様と間違えられて現在、立派なお屋敷で監禁―― もとい、暮らしている。
現在のフェレルの状況は幸運のシンデレラボーイ―― そして、幸運にして不幸な盗賊である。
階級制度の上位と下位が入れ替わる物語―― 『とりかえばや』物語は古今東西数あるが、フェレルの『とりかえばや』物語は入れ替わった相手が舞台の序盤で退場してしまうというハプニングに見舞われる。主役を失った舞台がその後どうなるのかは誰にも分からない。市井の暮らしを知り心を入れ替えた王子さまともう一度入れ替わってハッピーエンディング―― そんな結末はもう存在しないのだから。
【聖暦1541年1月15日午前0時/アンドナ・ラ・ビエナ/ファラエル王家別邸】
夜も眠る丑三つ時―― より少し前の子の正刻。明かりが消えた静かなお屋敷の中を静かに動く影が1つ。抜き足、差し足、忍び足と廊下を進むその姿はまさに泥棒―― いや、盗賊そのものだ。目線だけで辺りの様子を伺いながらお屋敷の中を歩き回る盗賊は、何かを悟りその歩みを止めた。
「予想はしてたけどさ―… 目に付く窓は全部鉄格子付きか!?……くっそぉ!」
お風呂から上がったフェレルは監禁されていた部屋で足に付いていた鎖からようやく開放されて1人になっていた。今までの扱いから監視が付くのかと思いきや自由の身という1人部屋に放置されるという幸運―― さらにドアに鍵が掛かっていない事にも気づき、この機会を逃すまいと行動に移る。だが――
「ドアも全部、鍵が掛かっているし、道具が無いから解錠も無理―― これが王子様に対する仕打ちかよ!?」
廊下をひたすら歩き回り、目に付くドアを片っ端から開けようとしてみたものの押しても引いてもドアは開かず完全にお手上げ状態。結局、拘束されている範囲がベットの上からお屋敷の廊下まで広がっただけで状況は未だに好転していないと事に気づかされただけだった。
「ナダル様だっけ……はあ、本当に王子様でいいんだよなぁ……思っていたのと違う気がする」
燕尾服の青年―― もとい、執事服の女、カルラが言うには今のフェレルはナダル王子と言う人物らしい。だが王子と名が付く身分にしては扱いが酷いような気がする。世間知らずのフェレルでも王子様が偉いことぐらいは認識している。なのに、蹴られるわ、犯されそうになるわ、監禁されるわ、思っていた王子像とだいぶ違う。
「―― 戻るか。はあ……お腹減ったな。せめて食べ物だけでも確保したかった……はあ」
空腹でお腹がキリキリする。一向に好転しない状況と空腹とでフェレルの気持ちはどんどん落ち込み、何度もため息をつく。ため息をつくと幸福が逃げていくという俗説があるが、今のフェレルに逃げ出すような幸福が体の中に残っているのかは疑わしいところ。「腹減ったな~……はあ」続けてため息をはくフェレルだった。
意気消沈したフェレルが最初の部屋にとぼとぼと歩いて戻ると部屋の前に人影があるのに気づいた。おろおろしと落ち着かない様子が伺えるシルエット。
― あれ!?もしかして見張りがいたのか。
部屋の前に誰かがいるのに気づいて、逃げ出したことがばれたのかとあせるフェレル。そして、部屋の前にいた人物が気が付いたのかフェレルのほうに向かって歩いてくる。
そして、フェレルの目の前に現れた人物、それは――
「どちらにいらしたのですか!?ナダル様―― その……こんな遅くに」
黒いドレスに胸当てエプロン、そしてホワイトブリム。腰の辺りまで伸ばしたブロンドと青い瞳の温和そうな顔立ちの女性―― 脅えた表情で顔を真っ青にしたメイドがフェレルに話しかけてくる。
「えっと……誰だっけ」
「―――! ポーラです。 その……覚えておいでではないのですか」
「ああ!? ポーラさん!ポーラさんだったよね!?いや、寝ぼけててさ。その……ごめんなさい」
急に話しかけられ思わず「誰?」と返すフェレル。話しかけてきたメイドがナダルと既知の間がらであろう事に気づいて失態であった事を悟る。どうにか取り繕おうと知っているふりをしてなんとかその場をごまかした。
ここはナダルの家なのだ。ナダルという人物と下働きの人間がどういう人間関係にあるのかフェレルは当然知りようもない。迂闊なことを言うと自分がナダルでないことがばれてしまう恐れがある。慎重に話さなければ――
「そうですか……その、ナダル様はこんな遅くにどちらに……」
「あー…ええっと―― 散歩だよ!ちょっと寝付けなくてさ」
「散歩……ですか。そう……そうでしたか」
若干、顔を引きつらせながら散歩していたと答える。お屋敷の中を散歩すると言うのもだいぶ苦しい言い訳だが。ポーラはなんとも言えないような顔をしながらも一応納得した様子をみせる。
これ以上は不味いな―― ボロが出ないうちに話を切り上げよう。
「俺、もう寝るからさ、ポーラさんもはやく寝たほうがいいよ」
「……わかりました」
ポーラに寝るからと伝えて部屋に戻る。静まり返った屋敷の中でいきなり人に出会うとは思っていなかったフェレルは内心ドキドキだった。
「は~…びっくりした。ばれたかと思った―― 今日はこれ以上は無理か」
フェレルはそのままベットところまで駆け込み、布団の上にダイブする。ぼよ~んという擬音が聞こえてきそうなぐらいふかふかの布団―― このお屋敷に来てから一番付き合いが長いのがこのベットというのもおかしな話だ。
フェレルはそのまま仰向けになり白い天井を見つめながら、いままで起きたことを整理する。
― ナダル様か……やっぱりあの罵倒男がナダル様なんだよな。心当たりがそれくらいしか無いし、あの兵士たちに逮捕されたとしてこんなお屋敷に連れてこられるのもおかしな話だし。
フェレルは少し前から気づいていた。王子と正体を―― つまりはあの罵倒男ことナダルに間違えられてこのお屋敷に連れてこられてという事に。
― どうしたものかな。まさか王子様の暮らしが急に転がり込んでくるなんて……幸運? いや、どう考えても無理があるだろ。もしナダルじゃないなんてばれたら……俺が殺したわけじゃないけどナダルが死んでいるってばれたら……やっぱり死刑かな。
王子様は偉い人。その偉い人の名前を騙っているこの状況。つまりナダルがフェレルとばれたら只ではすまない。今の状況が非常に不味いことをフェレルは理解している。
― そもそもあの罵倒男と俺ってそんなに似てるのか?崖で話したときは雨がひどくて声を良く聞き取れなかったし、顔も死んだ直後のひどいものしか見てないから似てるのかどうか……顔も声も体つきも一緒なんて本当にありえるのか。う~ん……
―― がさっ
「―――!?」
天井を見ながら考え込むフェレルの耳にすぐ近くから音が飛び込んできた。考え事をしてる中での意識外からの急な違和感―― 音に驚いて音の発生源に目を向ける。そこには……
「…………」
「―――!?ひっ……うおっ!?」
2つの瞳がこっちをじっと見つめている。フェレルと同じ目線でベットに寝ている人物がいた。あれっ?ポーラさんだっけ―― なんでこんな所に。
「大きな声をだされて……どうかなさいましたか?」
― いや、大声だすって。急に人が現れたらびっくりするだろ……って言うかなんでここにいるの!?
フェレルはおどろきで高鳴る鼓動を落ち着かせながら、心の中で冷静に突っ込む。何でこんな所にいるんだという当然の疑問―― そして、すぐに答えを思いついた。
― あ~…これって監視なのか? さっきのカルラといい、ポーラといい、この屋敷の人間は俺の意表を付いて驚かせてばっかりだな。ひょっとしてわざとか?
「あの……今日はお抱きになられないのですか」
突然の侵入者を無言で見つめていたフェレルにポーラがぼそっと声をかける。急に横に現れたポーラに戸惑っていたフェレルは『抱かないのですか』と言われ再び混乱。
薄暗い部屋の中でポーラの青い瞳がフェレルを静かに捉えて離さない―― 心なしか、少し怖がっているように見える。
「―――? ああ、そうゆう事か」
ポーラの言葉の意味を理解しようと必死に考えて、フェレルはポーラを抱くのがナダルの日常だったのではとようやく気が付いた。
「じゃあ抱くからさ、こっちに方に身体を寄せて欲しいんだけど」
「はい……失礼します」
フェレルの言葉にポーラは小さく頷き、布団の中でもぞもぞと身体を寄せてくる。お互いの息がかかるほど身を寄せ合い、フェレルの眼前に彼女のブロンドの髪が迫る。花の様な香り―― 女の人の髪ってこんな匂いがするのかと余計なこと思い。そして――
「んっ!」
両手でポーラの身体を抱きしめ――!? あれ、なんかひんやりするけど……
― 服がない……裸なの?
両手にひんやりとした肌の感触が伝わる。ポーラは服を着ていないらしい。首の所まで布団をかぶっていて目で確認は出来ないがポーラは裸のようだ。
― この人って寝るときに服を着ない人なのか。そういえば性器丸出しで寝ているやつもいたっけ―― 風邪とか引かないのかな。
フェレルはニステ盗賊団の裸族の男たちを思い出していた。むさ苦しい男所帯だったので全裸でアジトの中をうろついている団員も多かった覚えがある。フェレルは着替えるのが面倒くさくて着たきり雀だったが―― ポーラを抱きしめながらむさ苦しい男たちの局部を思い返すフェレルであった。
ポーラを抱きしめてからどれくらい時間がたったのだろうか―― 腕が痺れてきた。お互い横向きで身体を抱きしめ合う2人。ポーラの身体の下敷きになっている右腕が麻痺してきた。正直、きついです。
「あのぉ、ポーラさん。いつまで抱いていればいいんでしょうか」
プルプルと右腕を痙攣させギブアップを臭わせた質問をぶつける。これが彼らの日常だったのだろうがナダルとポーラがなぜこんな事をしていたのかイマイチ理解できない。だが、さすがに右腕が限界に近いので逃げの姿勢で質問。
「ナダル様のお気の済むままに」
「ああ、じゃあもうお終いで。抱くのはお終い―― そろそろ眠ろうよ」
フェレルは下敷きになっていた右腕をポーラの上半身から引き抜き、抱くのを止める。血流が止まっていた右腕に血液が循環しだし腕がかゆくなった気がした。抱きしめるのが楽しいのか?と疑問に思いながら、再び仰向けになりポーラの事を考える。
― 監視されてるんだろうけど……ポーラさんは何がしたかったんだろう。う~ん―…
白い天井を見つめながらフェレルはそんな事を考えていた。それはともかく今は考えることは別にある。
さて―― まずは明日からどうするかだ。王子様であるあの罵倒男と盗賊の自分とではどう考えても違うだろうし、いつ正体がばれてもおかしくは無い。とにかくここから逃げ出さないと自分の身が危ない。ただ、抜け出すにしてもニステ盗賊団に戻れるかどうかは怪しいところだ。予期せぬトラブルがあったとはいえ仕事を放り出した事を残忍なニステ・E・サンチェスが許すとは思えない。
つまり―― 屋敷から金目の物を盗んで逃げ出すのが理想的な展開だ。時間がかかるかもしれないけど、なんとかしてそのチャンスを待つしかないか―― そう言えば―…
「あのぉ、ポーラさん。まだ、起きてる?」
「はい……何でしょうか」
「あのさ―― 今日の俺ってどこか変わっていたりした……かな」
ポーラが起きているのを確認したフェレルは自分の様子を質問する。ナダルとの違いがどれほどあるのかを知るために。その質問に少し困ったような表情でポーラは言葉を慎重に選びながら返事をする。
「変わった……ですか。いえ……ナダル様はいつも通りだと思いますが……」
「いや、今日は色々あったからなんか調子が悪くってさ。できれば正直に答えてほしいんだけど……どこか変わったところとか無いかな」
フェレルは必死に食い下がる。すぐに屋敷から逃げ出せる保障はないのだ。この機会にナダルという男の情報をできる限り集めたい。フェレルの再度の問いかけにポーラは先ほどよりも困った表情で何と言えば良いものかと言葉を選び、そして――
「……いつもよりも、やさしい―― いえ、いつも以上にお慈悲に溢れているような……申し訳ありません! 私のような者がナダル様を語るなど……」
「いや、聞いたのはこっちだから―― 他にはない。たとえば喋り方とか態度とか」
「……そうですね。今日は私のことを『さん』付けで呼んでおりますし……後、態度については……」
ポーラはそこで言葉を区切る。言って良いものかと脅えながらフェレルのほうを伺っている。その様子に焦るフェレルは言葉の続きを促す。
「いや、だから遠慮しないで話してよ。聞いたのはこっちなんだから――!? もしかして、怒られるとか思った」
「いえ!そんな……滅相もございません!」
「はあ~…そんな事でいちいち怒らないよ。 俺にとっても死活問題なんだから―― じゃ、無かった。うん、俺の態度がおかしくないか教えてください!お願いします!!」
口ごもるポーラの態度に業を煮やしたフェレル。彼女の様子を見るにナダルとフェレルの違いが本当は分かっているのだろうとベットから上半身だけ起こして頭を下げてお願いする。押してダメなら引いてみろの精神でポーラから言葉を引き出そうとする。
「なっ!?―― うー…その……今日のナダル様は……その~…」
「うん! 今日のナダル様は!?」
「……怒らないですし……その……誰かを殴ったりしません……その……抱いてくださらない……です。うう~…申し訳ありません。どうかお許しを……」
恐る恐る答え終わるとポーラはその場に泣き崩れてしまう。怒る、殴る、抱かない―― あれ、ちゃんと抱いたよね?と内心、疑問に思いつつもフェレルは崖で少しだけ話す機会があった罵倒男ことナダルのことを思い返す。そう、あの時の助けようとしたフェレルにナダルが話しかけた言葉は―…
『おい!遅いぞ!いつまで俺を待たせるんだ!早く助けろ!このノロマが!!』
『なに黙ってんだ。助けろってのが聞こえないのか!このグズが!』
『おい!どこ行くんだ!俺が助けろって言ってるだろ!本当に殺されたいのか!!』
―― 今更だけどひどいな。ナダルという人間の性格とポーラの脅えた態度に納得。
「あのー…ポーラさん。怒らないし、もう殴ったりもしないからさ……その、泣き止んでくれないかな。いままでのことも全部あやまるから……お願い!」
「……ぐすっ……いえ、ナダル様があやまるような事では……ぐすっ……」
「教えてくれてありがとう、ポーラさん。だからもう寝よ。明日も仕事があるんでしょ。ねっ?」
「ぐすっ……はい。ありがとうございます」
お互いに謝り合うという不毛な争い―― 埒が明かないので強引に話を終わらせる。女性と話す機会は皆無だったフェレは泣いている女性を目の当たりにするのも当然初めて。スマートなあやしかたを知るはずもなく、言葉足らずながらもなんとかその場を治めた。
ナダルの悪行をフェレルが謝ることになるとは―― なんと理不尽な『とりかえばや』なのだろうか。だが、フェレルは罵倒男に為りきらなければいけないという事を忘れて本物のナダルなら絶対にしないであろう行動―― 謝るという致命的なミスを犯したことにこの時点では気づいていなかった。
そう、フェレルは気づいていなかった―― 怒られ、殴られるというポーラの境遇を盗賊団の中で虐げられていた自分と無意識に重ねていたことに。
泣き疲れたて眠るポーラの横でフェレルは明日からの自分の事を考えながら深いため息と――
「はあ~…疲れた。それにしてもお腹減ったな……」
もはや、腹痛の域に達した自分の胃袋の気持ちを呟いた。