第二章 夢
次の日。
俺は早くもサボり魔という、かの天上天下無双の強さを誇る睡魔に匹敵する、強力な曲者に冒されはじめ、同体積の鋼鉄にも匹敵するかと思われるように重い足を引きずり、睡魔の巣窟、その名も教室へ向かっていた。それでも学校へ行こうとする自分の健気さを褒め称えつつまた自嘲しつつ、俺は普段となんら変わらぬ日常を送ろうとしていた。変わっている事といえば、たかが生活の舞台が変わっただけさ。
そう自分に言い聞かせている自分を心の内へ押し込め、目の前に急遽出現した扉〈なんのこっちゃ〉をにらみつけた。
俺は覚悟を決め、教室の扉を、一旦躊躇してから勢いよく開けた。
「おお、ソーヤ、おはよーさん」
「おっす」
ちなみに、ソーヤというのは俺のあだ名だ。なんてことはない、名前を普通に読んだらそうなるだけのことであるが、元より俺は名前で呼ばれたことはあまりなく、中学のときも『如月』で通っていた。それはそれで珍しい苗字だしな。だが、こいつ―黒川、だったっけか―は蒼夜、という如月以上に漫画チックな名前が気に入ったらしく、ソーヤ、ソーヤと折りあるごとに喚き立てる。まあ、実際にそうだから仕方がないことなのだが、周りもそれに呼応し、中学時代に一緒で、如月と呼んでいてくれた友たちも、ソーヤと呼ぶようになってしまった。
「どした?」
案の定、彼は人懐こい笑顔と共に、朱に交われば赤くなる、という言葉を思い出していた俺に話しかけてきた。
「ねみぃ」
「なんじゃ、そりゃあ。眠気なんてよ、気合で吹っ飛ばしちまえ!」
榊原の受け売りか。二日目にして早くも聞き飽きた。あのハンドボール馬鹿は二言目には気合だからな。あまり熱血すぎても夏にはウザイし、かといって無気力先生はただうっとうしいだけだ。世の中何でもほどほどがいいのさ。
それに、今の俺の気合は品薄プレミアお墨付きでな、めったにお目にかかれんのだ。この俺が言うんだから、間違いない。
「なぁに言ってんだ、俺の気合は年中無休この上なしだぜ!」
そう言って、彼はファイティングポーズを取り、ボクサー気取りのステップを軽快とはあまりにも言いがたいリズムで刻みだした。それはそれは、いくらか分けてもらいたいもんだな。毎朝俺は布団の中での睡魔の誘惑を断ち切るのに苦労しているもんでな。
「ならよぉ、朝ジョグしてみ?すっげー気持ち良いぜ?」
だから、俺は毎朝起きるのに苦労してるっつってんだろーが。
「そうだ、昨日の十時からのバラエティ見た?十二チャンの。」
ああ、そんなのあったっけな。
「なんだ、見てねえのかよ、マジ面白かったぜ?新ユニットが参戦してきてよー、それがまた面白かったんだ、今日もやるらしいから、見てみ、もう大爆笑間違いナシだぜ。なんつったっけな……」
「あ、俺も見た!『笑いのドロ沼』だろ!?」
なんて話に入ってきたのは、笹原という、こいつは俺と同じ東中出身の友達だ。おそらく秀才の部類に入るであろう笹原は、なんだかんだで黒川とも仲がよさ気な雰囲気になっていた。
「そうそうそれだ!お前も見たか、やっぱみないとだめだよな。」
何がだめなのだ。
「そりゃあ、もう人間としてだめだな。」
「ああ、確かに。あれは本気で面白いぞ、次元がちがうっつーの?なんかさ、こう……」
キーンコーンカーンコーン……
「おっと、じゃな」
彼らの自慢話を回避させてくれたチャイムに感謝の念を送りつつ、彼らの背中をのほほんと見つめ、彼らが席に着くと、ほぼ同タイミングで例の迅速振りを十分に見せ付けつつ、かの榊原氏が入ってきた。
「よしっ!ホームルーム、始めるぞっ!」
新しい一日が始まる。名目上は、だが。
…………
午前中はなんだかんだで勉強がなくて、あっという間に昼休みが到来した。
購買で買った菓子パンを貪りながら、俺は外を見、緑の少なさに少ししみじみしながら、なんとなく黒川の弁当を見た。すげえカラフルだ。よくこんなもんを食える……
「お?そんなにえび入りシューマイが珍しいか?」
目ざとくも気付かれた。
「それにしても、緑、少ねぇよなあ。」
俺の実に見事なスルーに気を悪くした様子もなく、彼は俺の話に食いついてきた。
「ああ、ここらも俺らが生まれる前までは緑豊かだったんだろうなあ」
「なんだ、その俺らが悪い的な言い方は」
「そういうつもりはなかったんだが、……地球温暖化、恐るべしだよなあ。」
「環境破壊だろ」
「どっちでも変わんねーよ」
「アホか」
そんな他愛のない話を繰り広げているうちに、昼休みは終わった。
んでもって、五時間目。
先ほども申し上げたとおり、一、二時間目は学級活動でつぶれ、三、四時間目は体育ということで勉強がなく、五時間目が実質今日はじめての授業となるのだが、初めての授業としては申し分がありすぎる数学ということで、俺の深層心理は睡魔軍に攻め立てられる前からすでに降伏論派に傾いていた。
しかし、やっぱはじめての授業なんだし、張り切ってやってみないか、という抗戦派も少数ながらあり、というわけで頑張って数分ばかり睡魔と籠城戦V2―いや、この場合L2か―を繰り広げていたのだが、その辺はやはり、と言うかさすがは睡魔、彼らは軽々と張りぼての城壁を乗り越え、抗戦派を叩きのめすと、難なく俺の深層心理城を陥落させてしまった。おお、恐るべし、睡魔。天上の韓信もナポレオンも真っ青だ。
誇張も交えて言えばこうなるのだが、その戦いの最中、俺の中に少しずつ増え続け、現在進行形で増加し続ける絶望も、忘れないでいただきたい。どういうことかって?まあ、そのうち、お前にも分かる日が来るさ。
俺だって、頑張ったんだからな。誰かも言ってたろ、頑張って頑張って、それでもだめなら仕方がない、と。
まあ、とゆーわけで、数学の先生。必死こいて授業してるあんたにゃ悪いが、俺もそろそろ限界っぽいんだ。おやすみなさい。
………………
…………
……
一面に広がる。
ここは、どこだろう。
草花がそよぐ。
いつか見たかのような既視感。
だが、雰囲気が―何か違う。
風になびく草も。
さえずる小鳥も。
そんな気がする。
……体が…動か…ない?
手も…足も…口も?
……世界が暗く…
……
…………
………………
キーンコーンカーンコーン……
俺の安眠は、終戦を告げる鐘の音の元にぶち壊された。睡魔が退散してゆく。
「では、今日はここまでだ。家に帰ったら、この問三をやり直しておくように。」
そう言って彼はさっさと退室してしまった。
「……ううむ」
顔がいてえ。顔を上げると、こちらを見ていた黒川がふきだした。おそらく、教科書の痕が顔についているのだろう。教科書出していただけエライと思えよ。お前なんて教科書さえ出てねーじゃんか。しまった、なんてことはあるまいに。……誰だ?今五十歩百歩とか言った馬鹿は。
まあ、これで試練―いや、安眠か―は終わり、家へと凱旋―敗走か?―をすることができるのだが、俺の中の絶望はいっそう大きくなっていた。
そういえば、なんか変な夢を見た気がするが―それこそどーでもいーや。




