第十一章 虚無に帰す
「はぁ…、はぁ……。」
どこまで走ってきたのだろうか。俺の脚と心肺機能は限界を宣言し、自動停止機能を発動した。要は、もう走れねぇ、ってことだ。
「畜生……。」
畜生。畜生。
「畜生!畜生!」
俺は……。
「なんで……なんでだよ……。」
結局…俺は……。俺は……
「なんでだよっ!!!!」
…………。
き・・・・・・らぎ…きさ…ら…ぎ……。
「何だよ!!」
「!!」
俺は勢いよく起き上がった。目の前に、何かがあった。
「び…びっくりさせんなよ。」
「?」
人。
「……おい?」
その人は、ここにはいないはずだった。抹消された、はずだった。
「どうしたんだ?」
なぜここに?
「おい!!」
彼が俺の肩をイライラしたようにつかむ。
「黒……川…?」
「おう」
黒川。存在しなかったはずの人物が、ここにいる。
「大丈夫かよ。マジで。うなされてたぞ?」
うなされてた……?
「ああ。お前、朝貧血で倒れて。心配してよ。休みを見計らってここに来てみたんだ。そしたら、お前なんかうなされてて、寝言っぽいの言ってたんだ。最初面白くて聞いてたんだが、途中からちょっとやばくなってきたから。起こしたんだ。」
「どんなことを言っていた?」
「情報がなんたらとか、シリアルコードがどうたらとか。随分と哲学的な夢を見てるんだな、と思って聞いてた。で、お前急に畜生、とか大声で叫び始めて。」
「……!!」
哲学的な……。
夢……?
「ま、頭はギリギリ大丈夫みてーだから、俺は行くぜ。さっさと授業に合流しろよ。笹原が、寂しがってるぞ。」
「そうか」
しかし、その返事の相手は、黒川ではなかった。
黒川が出て行くのを見届けてから、俺はため息を吐いた。
ここは、保健室。
「夢、だったのか……。」
そう、夢だったのだ。
情報操作も、記憶媒体も、あの気障な変態も、水無月飛鳥も。
あそこであった、全てのことが。
……夢だったのだ。
「……ああ…。」
そうか、夢だったのか。
もしも、これが夢だと分かっていたのなら。
俺は、あそこで走り去りはしなかっただろう。
あの時、俺は絶望したのだ。
やっと、退屈な世の中から脱出できる、と思って期待していたのに。
例えるなら、一ヶ月前から親に頼んでおいたクリスマスプレゼントを、クリスマスイブに興奮して眠れないくらい楽しみにしていたのに、それが頼んだものじゃなくてどこかの問題集だった、そんな心境だ。
悔しい。
でも、あんなの、現実であろうはずがない。
そう、夢だったのだ。
この世の、実際にあったことではないのだ。
そうさ。現実に、あんなことが起こるはずがない。
夢でないはずがない。
ふぅっ、とため息を吐き、俺はベッドから降りる。俺にやっと存在を気付いてもらえた保健の先生にもう大丈夫、授業に合流します的な事を言って、さりげなく俺は部屋から出た。
教室に戻っても、特に変わっていることはなく、やはり夢だったな、と俺は憂鬱な心象になり、その心象のせいか、一人で窓の外を眺めていた笹原に何のリアクションもしなかった、する気になれなかった。
その憂鬱を引きずりながら、今日は過ぎていき、時は流れた。
しばらくの間、俺に平穏が訪れた。
しかし、そのしばらく、というのもそう長くは続かなかった。
五日後の、ことだった。
五日後、と宣告したからにはやはり五日後の世界にフェードインすべきなのだろうが、やはりここは俺の身の上の変化についてあらかじめ述べておくのが筋であろう。そう思って俺の五日間の生活の全てを描写したいところなのだが、そんなのはめんどくさい以外の何者にも当てはまらないし、そもそもノーマルな男子高校生の全てを描写したところで、それを喜ぶ変態がこの中にいるだろうか。例えいたとしても、そんな変態に好かれたいとは天地がひっくり返っても思いたくないので、丸ごとすっ飛ばしてしまうことにし、とりあえず結果をお伝えすることにしようと思う。
結果としては、この五日間、何もなかった。
そりゃあ学校も行ったし、学校ではなにもしないを完璧にしていたし、家に帰っても寝てるかテレビ見てるか飯食ってるか本読んでるかのどれかだし、結局この五日間は平穏無事、天下泰平、のほほんとしたものだった。
さて、これで心置きなくフェードインできるってもんだ。




