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プロローグ

さて、今から昔話をしようと思う。

昔話というからにはやはり昔々、と始めたいところだが、そしたら俺は今何歳だ、という話になりかねないので、初めに断っておくがこれは俺が小六のころの話だ。

そのときの俺は、今の俺からは見当も付かないほど活発で、それでいて純粋だったそうだ。

いつからだろう、こんなに毎日がつまらなく思うようになったのは。

……といってもそれはそのときの俺の気持ちであって、今の俺としては明確にその理由が分かっている。

もったいぶっていても仕方がない。

さあ、昔の世界へ浸りに行こうではないか。

……まあ、これはあくまで俺の思い出だから、お前にとっちゃ何の面白みもない話に聞こえるだろうが、我慢して聞いてくれ。

…………

忘れもしない、八月十七日。

仕事から妙に早く帰ってきた親父の顔が妙に嬉々としていて、すわ何事かと思いきや、彼は右手に紙切れをひらひらさせていた。それには『野球観戦招待券』と見て取れるゴシック体の文字が印刷されていた。

会社の同僚が急用で行けなくなったためチケットを譲ってくれたのだ、と母に弁明する親父を目の端で捕らえながら、それなのに三枚も持っているなんて怪しいとは微塵も思わず、食い入るようにそのチケットを見、俺は純粋に喜んでいた気がする。

 そのチケットは当日の試合のもので、母はまた変なものを貰ってきて、とブーイングをしつつもどこかご機嫌そうにお弁当を作っていた。そして滅多に着せてもらえないよそ行きの服と、どこから引っ張り出してきたか、埃だらけのグローブを持って、俺らは駅に急いだ。

時間も少し遅めだったので球場の外には誰一人としていなく、聞こえてくる声援に催促されながら球場の中へ走りこんだ。

そして―愕然とした。

野球のことなんて、頭から吹っ飛んでいた。

球場を埋め尽くす、米粒のような人間どもが、向こうででうごめいていた。

呑まれそうな、大声援。

埋め尽くされてしまいそうな、多い、多すぎる人間。

その瞬間、俺の世界から全ての音が消失した気がした。日本全国の人々がここに集まっているんじゃないかとも思った。

野球なんて、もうどうでもよくなっていた。

……

試合が終わり、駅へ向かう道にも、人があふれかえっていた。そこでも再び俺は愕然とした。

「野球、すごかったな。」

「え?」

「野球だよ、野球。どうだ、すごかったろ?」

「ああ……。」

「どうした?元気ないな……」

「なあ、親父」

「ん?」

「あの球場……。どんくらいいた?」

「何が」

「人が」

「ううん……。満入りだから五万くらいじゃないか?」

「五万……。」

「どうしたんだ?」

「……。」

ここからは後日談になるが、家に帰って、すぐに俺は部屋に閉じこもった。そして机の中から埃をかぶった電卓を引っ張り出した。日本の人口が一億数千というのは既に社会で習っていたので、震える指で『100000000』と打ち、そしてそれを『50000』で割った。

2000。

それをみて、俺はまた愕然とした。

2000分の1。

あんなにいた人間が―怖いくらいの大勢の人間が―この日本のたったの2000分の1でしかないんだ。ほんの一部でしかないんだ。

俺なんて、あの球場にいた人間の中の一人でしかなくて、あれだけたくさんに思えた人間も、日本の人口のほんの、ほんの一部でしかないのだ。

それまで、俺は自分が特別な存在だと思っていた。家族といるのも楽しかったし、それに俺の通っていた学校には―いや、俺のクラスには世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていた。

でも、そうじゃないのだ。

俺が世界一楽しいと思っていたクラスの出来事も、俺の日常も、こんなの日本の学校のどこにでもあるありふれたものでしかないのだ。日本全国の人間から見たら、こんなの普通の出来事でしかない。

そう気付いたとき、俺は急に俺の周りの世界が色あせたような気がした。俺の、どんなものよりも楽しいと思っていた日常は、どこにでもある、みんながみんなやっている普通の日常なんだと思うと、途端に何もかもがつまらなくなった。

そして、こうも思った。

世の中にこれだけ人がいるんだったら、その中には全く普通ではない、面白い人生を送っている人もいるんだ、そうに違いないと。

―それが、俺じゃないのはなぜ?

小学校を卒業するまで、俺はずっとそんなことばかりを考え続けてきた。

……とまあこんな面白くもなんともない昔話を聞かせたのだが、よくぞ耐えてくれた。

しかし、中学に入学してから、俺は、そんなことはもう起こりえないと悟って―理解していた。

……そう。宇宙人、超能力者がいるような世界は、ないのだと悟ったのだ。

中学を卒業するころには、物理原則が良くできていることに感心しつつ嘆きつつ、俺はいつしかUFOの特番や心霊番組、そういった類をそう見なくなっていった。いるはずだ、という確信から、いるワケねー、けどいてくれたらいいな、という最大公約数的思考を持てるほどに俺も成長したのさ。

世の中の普通さにも、慣れてきた。

誰もが頭の片隅でそう考え、そして日常で埋まっていくように、俺もいつしか退屈な日常に埋め尽くされてしまうのだろうか。

……なーんてな。

いまや高校生となった俺は、キセキの邂逅を心のどこかで待ち望みつつも普通―退屈な日常にいつしか慣れてしまっていた。こういうことなんだろうな。大人になるってのは。だったら大人になんかなりたかねーけど、早く、バイクの免許は欲しいなー、とつい思ってしまう、中途半端な俺の姿を嘲りつつ、大した感慨もなく俺は高校生になった。

さて、空想はここまでにして、現実の世界に戻ろうか。




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