蛾の誕生編 第二話 第二幕 推察する眼
傍観者 古川楔
今は放課後でいつもならばバスケ部の部活動をしている時間なのだが、今日の体育館使用権利が他の部活にあるため、今日は部活動休止となった。インハイ予選まであと一か月足らずだがこういうオフの時間も大切だと言って島崎は自主練も自粛させた。成績が怪しいため帰って勉強しようかとも考えたのだが、今日は違うことに利用することにした。そのため俺は外履きに履き替え学校の生徒用昇降口前で人を待っている。と言っても彼女を待っているだけなのだが。
「楔。お待たせ。ごめんね、ちょっとホームルーム長引いちゃって。」
そんなことを考えていると後ろから彼女は現れた。
「いや、大丈夫。考え事してたら直ぐだったよ。今何時?」
「んと…三時三十九分だけど。どうかした?てか、何考えてたの?」
手に持っていたタブレット端末の時間を確認するとアヤカは背負っているスクールバックにタブレット端末を押入れた。俺と居るうちは弄る気が無いらしい。
「溝口のこと。」
「ああ、でも島崎部長なら大丈夫でしょう?あの人教師受けもいいみたいだし。いい慰め方をして溝口先輩も戻ってくると思うわ。何も心配いらないと思うけど?」
「俺も今そう思ったところだ。でもよ、どういう理由があれ、バスケを途中で止めちまう奴はその程度だったってことだ。負けという現実を突きつけられて諦めちまうのは溝口の弱さだ。まあ…別にいいけど、個人の自由だし、俺は俺で自主練して強くなるさ。」
「バスケ馬鹿は相変わらずね。」
島崎は今日も溝口を説得に行っている。ダメで元々という考えなのだろうが、部活無い日にまで行くとは部長としての責任感の高さに感心する。
「バスケが性分だからな俺は。…皆はどう思っているんだろうな?」
「うん…そうね。例えば石ヶ守君を見ていると楔や島崎先輩みたいな巨大過ぎる才能の塊を見たことで自分も限界を超えてみたいって思っていると思うわ。現時点で彼は自分の方が劣っていてこのままやったのでは埒が明かないと見て、嫉妬することで一時的にでも自分を鼓舞し、十二分に力を発揮するといった自分にプレッシャーを掛けるタイプね。」
「じゃあ俺は?どういうタイプ?」
「楔の事はよく解んないわよ。いつも敵なんか見てない癖に…島崎先輩より点数取ろうとしているだけじゃない?」
「ま、ご最もだな。大丈夫だって今は島崎に負けてるけど高総体までには俺のことをエースって呼ばせてやるよ。アヤカもそっちの方が彼女として鼻が高いだろ?」
「別に学校での体裁は気にしてないよ。大事なのは私の好きな楔が好きな楔で居続ける事だからね?」
歩きながら俺の顔を覗き込んだアヤカは少し顔に赤みが差していた。大きな瞳に吸い込まれてしまいそうでその瞳を見ているとある出来事を彷彿させて俺は歩みを止めてしまった。
その出来事は彼女が俺に告白してきた時のこと。それは俺と島崎が高二の新人戦の時、その時アヤカは高一で既にバスケ部のマネージャーとして職務を全うしていた。俺たち陽正高校と都立の強豪校との決勝戦だったが二点差で負けており、第四クォーターの残り二分の時だった。アヤカは俺の手を握りタイムアウト中、一切離そうとしなかった。高総体の試合じゃないにしてもそれなりに重要な試合であることは間違いなかったのだが、彼女はそこで「勝って」と言った。試合終了一分前で三ポイントを決め、逆転に成功すると浮足立ったのか溝口がまさかのパスミスをして敵に再逆転を許してしまった。その後、ブザービーターで何とか勝利したものの、どうしてもその時のことが気がかりだった。試合が終わった後、アヤカと話しているとその視界に溝口の姿が見えたのである。こちらを睨む鋭い視線に身を震わせたのを覚えている。
あの時、溝口はワザとパスミスをしたのではないか?
その疑念が試合後も拭えなかった。
「…どうしたの?」
「あ、いや…何でもない。…つーことで今日はデートでもしますか?」
「へ?」
俺の行き成りの誘いにアヤカは段々と顔を赤くしていき、後ろに倒れていく。
「おいっ!」
それを急いで抱き留めると、自分自身らしくなかったと反省した。アヤカと付き合ってから半年も経とうとしているのに俺から遊びに誘ったのは今日が初めてのような気がする。こういう恋人ってあんまり居ないんじゃないのかな?
「…で…デートですか?」
「ああ。…んと俺らしくないことは解ってんだけどよ。なんて言うか、たまには羽を伸ばしてもいいんじゃないかと思ってな。どうだろうか?」
「勿論行くよ!死んでも!」
「死んだら行けないから」
傍観者 色芳彩香
私が彼と出会ったのは偶然で一目惚れだったと思う。色芳彩香は常人よりもいくらか特殊な存在であった。先天的な才能とも呼べる「人を見る才能」、観察能力に優れていると言える。人の動きを見れば体のバランスからどこの筋肉が足りていないか、その人が今どういった精神状態にあるのかを把握することができる。そんなことが出来てしまう私というのはクラスで浮き、省かれることが多くあったので、その才能に蓋をするかのように人とは縁遠くなるように勉強ばかりして暮らしていた。そういうことで学校も学業に力を入れ、一流企業に就職することもあるという陽正高校にした。だけれど、ある日私に転機が訪れた。
「男子バスケ部」
それは偶然であり運命の出会いだった。入学して二ヶ月ほど経ったある日、体育館2階のトラックを部活生の邪魔にならないよう端を歩いて下校しようとしているところに女子生徒の溜りがあった。何の野次馬かと覗いてみると体育館一階で他校とうちのバスケ部が試合をしているところだった。相手の高校の名前も聞いたことがあり、全国でも屈指の実力を持つ強豪校だろうと推察できるが、我らが陽正高校の男子バスケ部はまさに「圧倒」していた。その時はルールに詳しくなく、何をしているんだと思ったものだが、二人ほど私の才能を持ってしても見切れない肉体と精神力を持つ男がいた。今まで初見ですら人の成りを憶測できる私が見切れない人間が居たことにかなり驚いたが、彼らは去年のスポーツ特待生だと言う。つまりはまだ二年生だそうだ。動きから見るに両チームとも正規メンバーだと思われるが、その三年生たちに混じりながらも尚且つ彼らが一番活躍している。背番号が六番と七番を与えられていることから既に異様な強さを感じられる。うちのバスケ部は決して人が少ない訳でも三年生が初心者ばかりという訳でもない。ましてやベンチ入りしている三年生も他校では一軍に入る実力はあろう選手が軒並み居るのが見て取れる。
六番 島崎真二
七番 古川楔
他の選手、敵味方合わせても彼らの動きは倍速く感じられる。二人だけ時間軸がずれているのではないかと疑いたくもなる。ハーフラインから三点決めたり、ダブルチーム振り切ってダンクを決めたりとまさに蟻と巨像の戦いだった。スコアは八十一対一五〇で陽正の勝ち。これが最初のきっかけ。その時は興味を持った程度で終わったのだが、その試合を見てから数日が経ち、その日も私は授業と課題を終えてオレンジ色に染まる帰り道を歩いていると前から二人の男がランニングさながら全力疾走にも似た走り込みを行っていた。近づくに連れてその二人がこの間の島崎先輩と古川先輩だということが分かった。別に接点もなく、あちらからしたら初対面ですらないこの状況であったが、私は自分の才能で島崎先輩と古川先輩に選手生命も脅かしそうな疲労を蓄積した足腰が見て取れたため、すれ違い様に声を掛けた。
「あの…すみません!」
「え?誰っ!?」
案外普通の反応をした。彼らの肉体は未知数のことが多いため、このことを言うべきかどうか正直迷ったが、声を掛けてしまった今となっては変な人だと思われないためにも喋らない訳にはいかない。
「お前のファンじゃないの?最近結構いるじゃん?」
「いやいや、んなわけ」
「あの…失礼ですけどシューズのサイズ合ってないんじゃないですか?」
私は出来るだけオブラートに包んで彼らが自分で自分の欠陥に気付くように誘導しようとした。彼らは顔を見合わせると島崎先輩の方が、口を開く。
「何でそんなことわかったんだ?」
「え…えと…」
「…確かに今日は俺も古川もバッシュが壊れて備品のシューズ履いてるからサイズが合ってるとは言い難いけど、しかし、どうしてわかったんだ?」
問い詰めるように私にきつい視線を向けてくる島崎先輩。私が対応に困っていると古川先輩が助けに入ってくれた。
「島崎。女の子に対してそんな威嚇しちゃいかんだろ。」
「けどよ。こいつのなんかモジモジした感じ俺は嫌だ。」
「お前も女子の前じゃモジモジしてるよ。」
「うるせぇよ古川」
初見にも関わらず酷いこと言うなと思いながら私は正直に打ち明けることにした。私には昔からそういう類の才能があって他人を「見る」ことに精通していると。
「そうか…それは何というか…気持ち悪いな。」
「…!」
私はいつもクラスメイトに言われていることを言われ、体が硬直した。それはこの二人ならば私の気持ちがわかってくれる。もしかしたら私と同類ではないのだろうかと思っていたため、島崎先輩の態度は私の期待を残酷なまでに打ち砕いた。けど、古川先輩は違っていた。
「いや…そんなこと言うなよ島崎。彼女は逸材だ。うちに入れよう。」
「……へ?」
「古川!本気で言ってんのか?そんな性悪女をバスケ部に入れるって?ただ俺らの私生活が覗き見されるだけじゃねぇのか?」
「それくらいどうってことないだろう?それくらい曝け出してでもバスケが上手くなりたいと俺は思うけどな。お前は違うのか?」
島崎先輩は一度考え込むように頭を抱えたが、ふぅという溜め息と共にどうやら古川先輩の意見の飲んだようだった。それを確認すると古川先輩は私の方を見て微笑んだ。
「そういえば君の意見を聞いて無かったね。どうだろ?うちのバスケ部のマネージャーとして俺たちに力を貸してくれないかな?」
私の才能を受け入れ、しかも仲間に誘って来るなんて思わなかった。私の突出した才能を見て、離れて行った輩は数え切れないほどに居たがその逆は初めてだった。彼には自分に何が出来て何が出来ないのかを把握し、それをマイナスには考えない柔軟性が見られた。普通、才能がある者はその才能ゆえに自分よりも他人が優れていることを認めたくない者が多い気がするが、彼は少し違うようだった。認めているには認めているのだろう。しかし、彼は前しか見ていないのだ。彼のベクトルはバスケが上手くなることにしか向いていない。子供のような彼の考えに辿り着くにはそう時間が掛らなかった。私は気付かないうちに自然と笑っていた。そんな私を見たのか彼らはきょとんとして顔を見合わせていた。それが最初であり私がバスケ部のマネージャーになったきっかけ。
『有能ゆえに孤独』だった私を救ってくれた古川楔との出会いだった。
それからしばらくして私も男子バスケ部マネージャーとしての仕事もしっかりと熟すようになり、他の部員とも仲良くなり始めて来た二年生主体での新人戦が行われる時期、その頃にはもう楔や島崎先輩の実力も大体把握出来るようになり、的確なアドバイスを与えられたと思う。私が入部してから半年も経たないうちに成果は現れた。日々選手たちの状態を見ることで足りない部分を補えるようなトレーニングアドバイスや栄養管理等の参考を毎日選手たちに伝え、そのことによりエースとして申し分ないポイントゲッターに成長したPFの楔、副部長でSGの原口先輩、SFの石ヶ守君、PGの赤間君など軒並み化け物揃いの強豪校になった。中でも急激に伸びたのが問題児の溝口先輩だった。私は溝口先輩について腑に落ちない点があった。一時期、病気を理由に練習を一週間ほど休んだことがあり、普通ならばそこでいくらか訛ってしまうことがあるはずだ。しかし、他人を見ることに長けている私は休み明けの溝口先輩を見て、背筋が寒くなった。外見での能力値の桁が以前とは違う領域に達していたのだ。この変化に気付いたのは私だけかもしれない。
「何かもう特訓でもしたのか?」と島崎先輩に聞かれたが、「私は知らない」と答える事しかできなかった。その日までは、冷たかった溝口先輩とも人並みに仲良くなって来た実感はあったけれど、以来、纏う雰囲気が変わり話しかけ辛くなってしまった。彼のポテンシャルは反応速度が異常に早い、時間軸がズレているかのような滑らかな動き、多彩なテクニック。異常な威圧感。何が彼をそこまで追い詰めたのか、どうしたらそんな高みに行けるのか、私には理解できず怖かった。
そして訪れた新人戦決勝。都立の全国大会常連校との試合のハーフタイム私は溝口先輩に襲われた。選手控室前の誰もいない廊下で。壁際に追いやられ、舌で自分の下唇を舐める溝口先輩から連想したのは『蛇』。
「……お前…旨そうだよなぁ…」
頬を撫でられ、身体は震えてまともな反応が出来なかった。しかし、何もされないうちに解放されたのは運よく楔が来たからだ。
「溝口ぃ!」
冷静さを取り戻した私は近くにあったトイレに駆け込み、個室に入って鍵も締めた。呼吸は荒れて冷静さを取り戻したというには語弊があるのだけれど、まともな判断ができたのだからあの瞬間は冷静だったのだろう。ハーフタイムも終わり第三クォーターが終了し二点差で負けており、そのまま第四クォーターもの残り二分となった時だった。最後のタイムアウト中、私は溝口先輩から逃げる用に楔の方へ行き、手を握って離さなかった。第一に溝口先輩の恐怖がまだ脳内に焼き付いているということもあったし、この試合で負けて欲しくなかったのも事実だった。私はそこで些か過剰かとも思ったが「勝って」と言った。そこまで重要でもない言わば高総体の前座にも似たこの試合で、そんなことを言う女子マネージャーは居ないだろう。しかし、楔は嫌な顔一つせず頷くと試合終了一分前で三ポイントを決め、逆転に成功した。しかしその後溝口先輩がまさかのパスミスをして敵に再逆転を許してしまった。ミスをした後の先輩は一瞬笑った。それを私は見逃さなかった。楔がブザービーターでダンクを決め何とか勝利したものの、溝口先輩は何の為にパスミスを偽装してまで負けようとしたのか?原因は私なのか?色んな感覚に苛まれながらもそれを尽く吹き飛ばしてくれる古川楔に段々と惹かれていった。
新人戦後の練習で行った溝口先輩と島崎先輩の1on1。新人戦での活躍から誰もが溝口先輩の勝利を予想した。しかし、全員の予想は大きく覆された。
溝口先輩の完敗。島崎先輩にシュートを全て止められ、最後には苦痛の顔も覗えた。明らかに可笑しいと思い彼の様子を観察すると彼は足に爆弾を抱えていた。
飛べない。
バスケットマンとして活躍することはもう出来ない。医師に相談すれば確実にそう言われるであろうと予想できる深刻な怪我だ。溝口先輩は島崎先輩に負けて以来、練習に一切参加しなくなってしまった。
今に至るが私は無事に楔と付き合うことが出来ていて、溝口先輩への恐怖は変わらない。だけれど楔がいるのなら…
「私…ろくな死に方をしなくても構わないからずっと一緒にいたいな…楔…」
酷い言い草だが、昔から贔屓目を向けられてきた私にとってはそれくらいに大切な存在になりつつある古川楔は、未だ変わらずポジティブで生きて大好きなバスケを続けている。
「何か言ったか?アヤカ」
でも、私は一物の不安を抱いていた。
「…いえ…昨日の島崎先輩はらしくなかったけど…」
「…?…けど?」
「今日の楔もらしくないよ?何かあったの?」
すると彼の眼の色が変わり、少し怒ったような顔になったが、直ぐに元に戻り彼は続けた。
「島崎も今は耐える時なんだよ。高校最後の試合が近づいて気が荒れていただけなんだって…全国制覇を狙えるチームに育ったウチの士気を下げたくなかった。目標に向かって一緒に進んでいたはずなのに溝口の言った一言が裏切りに感じただけなんだって思うよ。話せば二人とも分かり合えるだろうし一先ず心配はいらないだろ」
「……楔は島崎先輩のことを信じているのね。」
「そりゃあ信じているさ。十年来の友達だからな。アイツのことは誰よりも深く知っているぜ。」
私はその言葉を聞いて楔は本当の島崎真二を知らないと直感した。これは単に人を見ることに長けているからという私的な見解ではなく、他の要因も兼ねての答えである。
…溝口先輩に怪我を負わせたのは島崎先輩だ。




