蛾の誕生編 第二話 第一幕 信念を持つ者
傍観者 ヴィルマ・ガソット
一夜明けた朝。私はホテルのベッドから起き上がった。見立て通りに昨夜遅く現地入りしてその日の内に行動を起こすのは困難だったため、時差ボケを直すことと明日は早朝からの調査があるため早めに睡眠をとることになった。いつも通りとはいかない寝起きのため、些か気持ち悪さが残るが重い身体を起こして隣のベッドを見るとそこにはいるはずの上官の姿が無かった。私、ヴィルマ・ガソットは今回が初任務であり、任務の流れを指南して頂くために神戸教官に同行して貰っているという形だ。
重たい体を起こして神戸教官の居ないうちに身支度を整えるべきだ。研修生でもある私が朝から不甲斐ない姿を見せられない。顔を洗うため洗面所のドアを開けると、ここの洗面所は風呂と一緒になっているようで風呂場であろう仕切りのカーテンが閉まっていたが、気にも留めず顔を洗っているとカーテンが開く音がした。気が緩んでいたのかそのまま顔を上げるとそこには全裸の神戸教官がいた。
「き…きゃあああああ⁉」
私は唐突過ぎたこの事態をどう対処していいのか解らず、取り敢えず、洗面所から出て行こうとしたが足がもつれて派手に転んでしまった。
「おはよう。ヴィルマ君。大丈夫かい?」
手を差し出してくれた神戸教官は腰にタオルを巻いていて全裸ではなかったが、私も女なので少しは気を使ってもらいたい。手を取りながらつくづくとそう思う。しかし、優男かと思っていた神戸教官の体は鍛え抜かれていて見惚れしてしまうような筋肉の鎧を纏っていた。
「すみません。久々に飛行機に乗ったもので気が緩んでいたようです。」
「そうか。まあ…こんなところで怪我をしないようにな。それにしても君に覗きの趣味があるとは思わなかった。次からは鍵を掛けないといけないな。」
「そっ!それは誤解です!覗きなんて趣味はありません!」
「覗かれたんだから説得力はないよな」
私は自分の顔が真っ赤になっており、湯気が出そうなほど恥ずかしかった。悪気はなかったとは言え事実、神戸教官の入浴を不埒な研修生が覗いてしまったのだ、気を悪くしない方が可笑しいというもの。
「むう…申し訳ありませんでした。」
「ま、嘘だよ。鍵をかけてない僕が迂闊だったんだ。気にしないでくれ。」
教官は私の頭を撫でると洗面所から出て、今度は忠告の様に言う。
「だが、仕事で慣れ合われるのは困る。正装を着たら、たとえ研修生であっても僕たちは十三委員会であることを自覚して行動しなければならない。『十三委員会にただの失敗は許されない』僕たち十三が機能し始めた時からの教訓であり、皆が実行し続けていることだ。ヴィルマ君。君の代五人見習い兵になったが、果たして何人合格できることか。君がもし合格したら今期で十三委員会も十一期目になる。少数精鋭の考えが強くて、合格した兵士たちにはそれ相応に働いて貰わなければならないね。上もこの頃はNOTの発生が各地で活発化して来ていて躍起になっている、こっちも気苦労ばかりだ。つまりは中間管理職の僕らとしても君みたいな新人に伸びてほしいと期待しているんだよ。」
話を聞いていて寝ぼけていた頭も冴えてきた。
「そうです…でも、神戸教官。」
「何だい?」
「そろそろ服を着て頂け…ません?」
「…そうだね。」
私と神戸教官はいつもの黒い正装に着替えると二階にあるバイキング方式の食堂で朝食を採っていた。半径五十センチメートル程度の丸テーブルにパスタなどが乗った皿が無数に置いてある。しかし、食べているのは私だけで神戸教官はホットコーヒー片手に新聞を読んでいた。十三委員会の情報源も新聞なんだろうかと一応疑問を持ってみるが、確かにNOT以外の情報についてはNOTが関連していると認定されないと見過ごされてしまう事件は多くあり、疎いという欠点がある。その情報源はどこから来るのかというと一つは監査として十三委員会に出入りしている各国政府の役人からで、もう一つは委員会の役員が自分で調査して来ると言ったものだ。驚くべきことに大半が後者であり、今の十三委員会を支える礎になっている。だからと言って自分から仕事を見つけに行くワーカーホリックがいるのだろうかと思ってしまうが、現にワーカーホリックが目の前にいらっしゃるようで私の考えは根本から崩れ去っている。
「教官…。新聞を見つめて仕事探している…ですか?」
一応、期待を持たずに聞いてみる。
「おぅ。まあ探していると言えばそうだが、最近ここらで起きていることを調べておこうと思ってね。僕らはこういう情報は一応気にして置いた方がいいんだよ。何かと役に立つことが多いからね…」
神戸教官は新聞と私の朝食を交互に見て、コーヒーを置くと最後に私の顔を見た。
「…なんです?」
「ヴィルマ君。君っていつもこんなに食べるのかい?」
「え?」
「僕はあまり食べるほうではないのだけれど。それを差し引いても朝からご飯を十杯とか、皿に山盛りにした唐揚げとか、バイキングで料理の乗っているプレートをそのまま持って来る女の子を見たことはなかったよ。」
私と神戸教官のテーブルには食い散らかした皿が溢れ返っており、更に追加で料理人さんが運んできた料理に目を配らせている私に呆れていたのだろう。初任務ということもあり力を十二分に発揮するため遠慮なしに食べ過ぎた自分に私は今更ながら恥じらいを覚えて顔を耳まで真っ赤にした。
「いえっ!あの…いつもはもっと食べないって言うか…。初の任務なのでテンションアゲアゲって言うか…いつもはこんなんじゃないんですけど…はい。」
「食べ過ぎて動けなくなるのも困るからね。適度にしなよ。」
真っ赤になっている私を気遣いながら、神戸教官は新聞を私に見せてくる。見せてもらった記事には昨日の夕方頃に成田国際空港近くのビル街で起きた事が書かれていた。
「…教官これは…?」
「ああ。間違いないな。NOTが僕らを見ていたということだ。NOTとNOT因子を体内に宿している僕らは似た雰囲気を醸し出していて惹かれ易い。同族に群がる習性があるのかもな?しかし、これでここにNOTが居る可能性も出てきたわけだ。じゃあ早速仕事に取り掛かろうかヴィルマ君。君は陽正高校の生徒に聞き込みを頼むよ。」
神戸教官は新聞を丸めて立ち上がり私を顧みることもなく食堂の出口に向かう。私も急いで皿を片付けてその後を追った。
○月×日午後十六時頃、成田国際空港付近のビル街で奇妙な事件が起きた。事件と言うのは些か語弊があるのかもしれないが、大手機材メーカー本社前に男性用のスーツが着たままの状態で捨てられていた。ベルトもネクタイも締められており、何かの悪戯ではないかと言う声も上げられているが、目撃者によるとどうやらビルの上から落ちて来たらしい。付近の高校でも不可解な事件が続く今、警察はこの事件との関係性も考えられるとみて捜査をしている。
「着たままの状態で服が捨てられているなんてありえませんよね。」
「服を着たまま全裸になる人なんて変態にはあったことがないよ。否、あれは服を着たまま人間だけが消えているということになる。理解しかねる話だが、これに該当する案件を僕らは取り扱っている。つまりはNOTだ。君も見たことがあるはずだろう?」
息を飲んだ。それは次の神戸教官の台詞を予想できたからだ。出来ればそうでないと半ば願いながら教官の次の言葉を待った。
「あれはNOTが食事をした跡だ。」
ホテルの自動ドアが開き、風を切る音が五月蠅く響くがその台詞だけははっきりと聞こえた。
「やはり…神隠し事件で行方不明の生徒たちはもう…」
「助かることを期待するのは厳しいだろうな。しかし、間違えるなよヴィルマ君、僕らの目的は人助けじゃなくNOTという化け物退治なんだからな。人助けは二の次だ。」
「わかっています教官。我々は十三委員会―――」
私は十三委員会の理念とは異なり戦っている。委員会の方針は人類の復讐、同族殺しをモットーとして悪魔の十二柱を破壊し、NOT因子をこの世から根絶すること。目的のために犠牲は厭わないし、仲間も騙す。ブラック企業だ。多額の給料、NOT撃破によるボーナスもあると聞くが、この十三委員会に入会している連中の大半には意味のないことだ。大体が大切な人を失っていて、仕送りする先がある人はまだいい方で家族や身寄りのない人もザラにいる。連中に金を与えたって心を満たす肥やしにもなりはしない。私含め満足するのは生きていることを実感した時であり、現代に生きる人たちにはあまり親身に感じ取れない感覚であろう。
「―――復讐に取り憑かれた神。」
それでも私は人助けのために戦う。自分の中の復讐を糧にして何も知らない人のために。
教官とは別行動で今日から聞き込み調査を開始する。まずは外堀からと思い市街地へ来てみるが、都内ということもあり人は多い。立ち並ぶ全国チェーンの店や、下町に根付く老舗商店の数々、ネットで話題に上がることも少なくなった『神隠し事件』は街でどう思われているのか、世間に疎いおじいちゃん、おばあちゃんでも知っているのかという微々たる疑問から調査を始めることにした。
「知らんな」
「知らないねぇ」
「分からないです。すいません」
いきなり連敗記録を積み重ねる。聞き込み何て分からないが当たり前の対応だと教官からも言われているが、手に入れた情報は有効に活用したい。
「…と言っても何一つ得られていないんですがね…」
自分の言葉で更に落胆し、肩を落とす。調査開始三十分でこれだ。先が思いやられる。トボトボと目立つ黒コートで歩いていると一人の青年が声を掛けてきた。
「お姉さん。何してんの?」
髭を伸ばしてオヤジっぽさを出そうとしている見るからに二十代後半の男性は外国人が珍しいのか、やたらと私に絡んでくる。
「ああ。日本語分からないかな?ナイストゥミーチュー?」
「……馬鹿にするのも大概にして下さい。」
英語力の欠片もない日本語を聞かされ不快に思った私は目線で威圧しようとした。こんな馬鹿そうな男を相手にしている暇はない。
「お、やっと喋ったっしょ。」
「私、忙しいので失礼しますね。」
その場を立ち去ろうとする私を引き止めるように男は叫んだ。
「いいの!探し物があるんでしょ?俺っち知ってるよ!」
男の言葉に不覚にも足を止めてしまった。
「貴方が…何を知っていると?」
「『神隠し事件』の真相って奴?」
男は手を広げて続きを放し始める。
「さっきから見てたよ。やたら人に聞いてたじゃん?あれじゃ誰も喋んないっしょ。怪しげな女が何々しってますかって聞いて来てアンタなら親切に答えるのかよ。変な奴だって思うのが関の山じゃね?」
確かに男のいう事には一理ある。だからといってこの男が信頼に足る人間かどうかという問題は解決されないが…
「それで貴方は何を知っていると?」
「付いてきなよ。真相教えてやるから」
男は手招きして歩き始める。今まで手掛かりらしい手掛かりが無く、これから路頭に迷いそうな予感がしていた私にとっては渡りに船。ただ怪しい匂いしかしない。罠と分かりつつも男に付いて行くとビルの合間にある薄暗い路地裏に入っていく。
「…のこのこ付いて来る辺り、やっぱり外人だよなぁ」
先導していた男は振り返って私を見る。開かれた口が三日月の様に見える。それが合図だったかのように、路地の影からぞろぞろと男たちが出てくる。総勢十数名の男たちは私を見てニタニタと欲望に満ちた顔をしている。
「…はぁ…こんなことだろうと思ったんですけれどね。それで、貴方は『神隠し事件』について何か知っていることはないんですか?」
「知るかよ!そんな事件。下らねぇ事どうでもいい!これからアンタとイイコトするんだからよ!ハハハッ!コスプレなんかしやがって目立ちたがり屋さんめ!」
教官からもスタイルがいいねと言われていて、こういうアホな連中に絡まれることもあるだろうと言われていた。その時の処理は至極簡単だ。
「……御託はいいから襲ってきたら?」
艶めかしく首を傾げ挑発すると奇声を上げて二人の男が迫ってくる。
「カッカッカ」「うほ…」
後ろから迫って来た二人の背後に抜き足で移動し、腕を捩じり上げると男たちは悲鳴を上げて地にひれ伏す。その悲鳴を無視して関節を外し二人戦力から除外。絶句する周りの男たちを見回して、相手になりそうな人間が居ないことを悟る。
「……スパーリングの相手くらいにはなってくださいね。」
「ざけんなアマ!」「やっちまえ!」
残りの男たちが一斉に襲い掛かってくる。狭い路地で集団戦闘は向かない。軍の特殊部隊でもない限り、そんな芸当は不可能。連携が出来ない烏合の衆を端から無力化していく。腹部を蹴り抜かれ、壁に打ち付け脳を昏倒する輩。関節を外されて蹲る輩。私が男たちを全員を無力化するのに要した時間は二分とかからなかった。
「…やはり普通の人間では相手になりませんね。これもNOT因子の恩恵と考えると皮肉なものです。恨むべき敵の力を使って優越感に浸るなんて、人間としてクズですね。」
心のどこかで優越感に浸っていた自分をしっかりと見つめ直し、路地裏から通りへ出ると、ペットショップの宣伝用ショーケースに入れられた子犬を見ていた神戸教官に遭遇する。驚きはしたが、NOT因子同士は惹かれ易い。雰囲気を感じれば近くに来るのは至極当然のことで、今の乱闘も最終試験の評価に影響しているだろう。
「…教官…こちらは情報を掴めませんでした。」
乱闘のことを振れるよりも、意に介さないように仕事の話をし始めると、教官もそのことについては触れる気がないらしい。
「やはり、直接陽正高校の生徒に聞くしかないね。」
「…そうですね。」
今、私のことを襲って来た男たちだって何も知らない部類の人。人間として捻じ曲がった根性をしていても私にとっては守るべき対象。あの男たちは懲りずまた違う女性をひっかけるだろうか、それとも私の影響で懲りただろうか。
人間は変われる。私たち契約者と違って。
だから、変われるうちに気付いてほしい。




