祈る絵画編 終章 第二幕 兵士とは
傍観者 ヴィルマ・ガソット
ニカラグアから本部に帰還して早三日が過ぎた。今でも思い出す『夕暮れ詩人』の圧倒的な強さ。武闘の実力派ディミトリアス・ロックハート室長補佐と新たな三室のメンバー古川楔が加わってくれなければ、私もコレットも死んでいただろう。死人種がまた死ぬというのも可笑しい話だが、二回目の人生は死んだ気で生きると決めている。これも一重に想い人である神戸教官に忠誠を誓ったが故の選択である。二回目があっただけラッキーと思いたい。
ともあれ、『夕暮れ詩人』について『ロレンツォ・ディエゴ』との関係性を調べてみると段々と分かって来たことがあった。まずあのNOTがどうして『夕暮れ詩人』と名乗っていたのかについて、『夕暮れ詩人』とはロレンツォの作品であるが、それを気に入って購入したのが、あのNOTだったのだ。以来NOTは自分のコードよりも『夕暮れ詩人』という二つ名の方を触れ回り厄災を振り撒いた。『夕暮れ詩人』がネクストフェイズとして覚醒したのは『ロレンツォ・ディエゴ』に乗り移ってからだそうだ。
ここ何か月か続いていた身体を食い千切る通り魔というのはロレンツォ・ディエゴが起こしたことであったのだろうか。被害者の悪質マフィアは全てスベルディア社と繋がっていたらしい。真相は闇の中だが、この事件がロレンツォ・ディエゴの起こしたことではなく、他の陰謀が働いていたなら十三委員会も瀬戸際に追い込まれつつあるのだ。
いずれにしても今回は一般人の被害が出なくて幸いだったというべきか。
今日は朝から身体が重い。この後に控える予定が主な原因なんだろうが、それでも気が晴れると言うことは一切ない。寧ろ引き籠りたいくらいに憂鬱だ。
「……教官…私どうすれば…」
部屋の窓辺に立ち眩しいくらいの海を眺める。最近、感覚が麻痺することが多い。肉体的な感覚ではなく精神的な感覚だ。何事にも一生懸命だった子供の頃が懐かしい。あの頃苦くて飲めなかったコーヒーが今では手放せなくなっていて、時の流れは人を大きく変えるものだと痛感している。この後の予定について多くの兵士、会員に対しては詳細を明かしていないのだが、上役である神戸教官の厚意で何が起こるのか、聞いていた。聞いてしまって後悔したがこれも仕方のないことなのか。諦めなければならないのか。
「まさか…コレットの公開処刑とはね…」
これは委員会内の裏切り者を炙り出す機会であると同時に牽制でもある。裏切り者の末路、委員会を裏切った時のリスクを提示しているのだ。公開処刑を行えばある一定期間だけでも反逆者を抑えておけるとそういう考えなのだろうか。如何にしても各室長補佐以上十二名と委員会会長、副会長の全十四名で編成される十三委員会最高権威『室長会議』で決定された事項である。私の様な一兵士が異を唱えても処分されるのがオチだ。だから身体が重いのだ。折角の同期を見殺しにしなければならない。どうしても助けたいが、どうしようもないのだろう。
考えが纏まらないままに本部メイン棟大会議場に来ていた。円形の会議場は中心に向かう程に高さが低くなり最終的な中心は入り口から五メートルも低い。入り口から一番近い席に腰を下ろすと眼を閉じたくなる光景に対峙する。黒い拘束衣を着せられたコレット、そして隣に立つのはシルクハットを被り、テールコートに身を包んだ細めの男性。顔には目だけがくり抜かれ、無機質な表情をした白い面。本人の眼だけがクリクリと動いていて不気味さは増している。彼が死刑執行人。存在しないはずの零番目の部屋。
十三委員会 零小隊 小隊長 シャルル=アバドン・サンソン
彼の所属は公的機関ではない。兵士たちは「死刑執行人」の名で知っているばかりのはずだ。中心円の周りには室長クラスの数名が囲み死刑執行の妨害を防ぐよう警戒している。その中に教官も混じっているが、無感情な顔をして直立不動だ。表情は見えないがコレットからは既に存在圧を感じない。既に死んでいるのではないかと疑ってしまう。彼女を見ていると助けたい衝動に駆られる。同期であり、同じ三室の仲間であり、一時的ではあったがバディを組んだ相手だ。感情移入しやすい私が悲しまない訳がない。
(手を出すんじゃない。コレットの事はもう諦めるべきだ。委員会も会長は信頼していいが…個人的な軍を持つ副会長閣下、そしてその忠実な部下『零小隊』。詳細は一切が不明だが零小隊は一人一人がNOTの十二柱に匹敵する戦力を有していると聞く。彼らには近づくな。関わるな。僕でも助けられなくなる。)
教官からここに来る前に言われたことを思い出す。自分の中で教官は絶対強者、誰にも負けない人だと思い込んでいた。
助けられなくなる。言葉の重さが身に染みている。教官が救えないものをどうやって私が救うと言うのだ。コレットはもう処刑されるしかないし、私はそれを見ていることしかできない。ヘリの中で馬鹿やっていたのが懐かしい。
「…正午になりました。それではコレット・シャルトーの公開処刑を執り行います。介錯の係りを務めさせて頂く私はシャルル=アバドン・サンソンと申します。とまあ十一期生が入ったことで八十六名になった全三室の兵士でしたがここでまた裏切り者が出てしまいました。委員会内序列七〇位コレット・シャルトー十一期生です。彼女はNOT側に加担したに留まらず、本部の座標を漏洩した疑いがあります。またこの情報を持った『夕暮れ詩人』は粛清されましたが、NOTの社会が形成されている可能性が出てきた今ではこの情報が拡散していると思われます。ここが襲われる日もそう遠くないのかもしれません。忌々しき事態であり、重要な戦力は取っておきたいのですが、この情報を漏洩し、我々十三委員会を排水の陣まで押しやった彼女については処刑を敢行するとの『室長会議』による決定になりました。」
胸に手を当てて嬉々とした声で語る奇怪な執行人は断頭台の上にコレットの頭を乗せた。ギロチンではなく木の椅子と頭を固定するだけの机、断頭台を用いるのは何か意味があるのだろうか。ただ単に固定のギロチンでは利便性に欠けるだけの話だったのかは分からない。断頭台には故人の血が染みついていて何人もの首をはね続けていた情景が浮かぶ。擬似的な痛みを首に感じてしまう程に黒い世界の代物だった。コレットは眠らされているのか抵抗する素振りもない。我々NOT因子を持つ兵士たちは通常の兵器が効かない。銃も剣も核爆弾も、身体から常時発生しているパルス状により肌の何ミリか手前で跳ね返す。つまりあの断頭台はNOT因子を帯びているはずだ。NOTは首を落としても死なないと言うが、あの話はNOT単体の場合に限られており、我々兵士には適用されない。NOTの本体というのは因子であり、ケムリとも比喩される。しかし、我々兵士の本体は人間の身体である。
人間は首を落とされれば死ぬ。即死だ。昔、首を落とされた後に何十秒かでも意志があるのか試す実験が行われていたらしいが結果として何の確証も得られなかったという。
駄目だ…希望を持つな。教官なら死人種として復活させてくれるなんて都合のいい話だ。死人種は私と古川くんだけだ。教官ももう増やせないと言っていた。どうしようもなく詰んでいるんではないか。もう本当にどうしようもない。
私にはコレットを助ける手立てがない。
「コレット・シャルトーは情報漏洩に留まらず、NOT因子のシンクロ率が一〇〇%を超えた異端者である。ここに集まる者は分かっているでしょうが、罪状二つを帳消しにできる提案はまずないでしょう。この罪人を助けようと考えるのは止めて頂きたい。…失礼前例がありましたので申し上げた次第です。…ではコレット・シャルトーの処刑を執り行います。」
執行人が手にした斧を見て漸く理解した。あの斧にはNOTのパルス状が見える。執行人のNOT因子だろう。固定のギロチンだとNOT因子を流せない、つまりはそういうことらしい。これでコレットの首筋で刃が止まるといった可能性が消えた。
「…コレット…」
口を開いた時に出た言葉は彼女の名だった。はっとして口を手で覆う。名前を呼ぶと思い出してしまう。声を聴いたら泣いてしまうかもしれない。もうここから出ようと席を立った時だった。机を殴り飛ばした破壊音と雷のような怒号が大会議場を揺らした。
「異議ありだぁ!コレットを殺すんじゃねぇ!」
叫びは室井獅我のものだった。一室は『八番』と全面戦争中であるが、定期的に休憩と交代を命じられる。たまたま今日は室井が本部に帰還している時期だったのだ。
「貴方は?」
シャルルが問うと胸の前で両拳を打ち鳴らし男は答える。
「室井獅我!十一期生の一室所属!ただの馬鹿野郎だ!」
座っていた席から飛び上がると中心円に向かい左拳を前に右の拳を溜め込む。あれは室井の右ストレート。岩を砕き、地面を抉る殺人的な威力を例え室井の拳は「万力の鎚」と呼ばれている。室井の正面に回り込んだのはディミトリアス・ロックハート室長補佐。NOT因子を使えない本部内では肉体の強さだけが勝敗を決する。
「室井!落ち着け!」
「誰だよ!アンタ!」
拳はディミトリアスの身体を貫いて、室長補佐は側壁へぶつかる。二十七位をも吹き飛ばす力は本物なんだろうが、これは見ていられない。数日前まであんなにいがみ合っていたのにどうして室井はコレットを助けようとしているの?
どうして私は助けようとしていないの?
「コレットは仲間だろうが!何勝手に殺そうとしてんだボケ!」
室井の行く手を一室室長補佐レーネ・デュフナーが塞ぐ。
「室井君。貴方は理解力のある人間よ。抑えなさい。」
「レーネさん。幾ら貴方の命令でもこれは聞けませんね!どうして誰も動かない!どうしてだ!確かに悪いことをしたかもしれない。仲間を売ったのかもしれない!それでも殺す程なのか!この世界から排除するのか!」
着々と処刑の準備を進めるシャルルに向かい怒鳴るも室井の声は聞こえていないようで見向きもしない。これは室井がキレる。
そう感じた瞬間だ。室井は叫ぶ。
「禁忌がなんだ!人のルールなんて人が破んだよ!NOT FACTOR PATENT――!」
本部内での禁止事項にNOT因子の解放が含まれる。破れば兵士としての力と権限の剥奪、酷ければ処理される。室井はNOT因子を使う気だ。しかし、彼と手を組めばコレットを奪還することも叶うかもしれない。異常なほどの室井の強さは知っている。囲んでいる室長クラスはあと五人隙を作れば行ける。私の身体は知らぬ間に動いていた。
「―――STRENGTH―…」
彼の叫びが止んだのは目の前に私が来たからだ。
「室井…」
「ヴィルマ…お前…」
私の声は震えていた。自分でも驚くほどに嗚咽を含んで格好悪いことこの上ない。それでも鬼丸を鞘から抜くと室井に向ける。
「…殺人鬼の貴方がそんな行動をするなんて驚きだわ、室井。でも貴方まで居なくなったらエレオノーラもルキアノスも耐えられない。良くも悪くも一緒にやって来たでしょ。私たちは。バラバラで、点で纏まりがなくって…その都度怒られて。でも結果を出して笑い会えた五人だった。それも今日までなのよ!コレットは既に『夕暮れ詩人』にやられていた!彼女はもう手遅れだったの!」
室井は下がらずに鬼丸を素手で掴んだ。手からは血が滴り落ちて歯噛みしている。
「ヴィルマ…誰が…お前をそうさせている?」
「何…?」
「誰が…何が!今お前に刀を握らせているんだ!」
「……!」
刀を握るのは自分の意志だと思っていた。自分の責任で背負うべきものだと思っていたが、日本人曰く刀には自分が映る。私の心を室井が垣間見たのだ。
「責任感や立場ならそこを退け。お前の正義なら止めて見ろ。」
…でも…私は…
「私の!正義よ!」
自分をスカイブルーの光が包む。室井は刀を離し、一歩下がる。彼を包むのは古川くんの色と似ていた…しかしあの色は微妙に違うあの色は…バーミリオン。
「「NOT FACTOR PATENT―――」」
室井と本気で対峙する。勝つ見込みは薄いだろう。刀を握り直すと自分のコードを想い浮かべる。
発動する直前。自分の背中が軽くなったのが分かった。
初撃の音を聞き逃したのだ。会場の全てが自分の足元に響いた鈍い音で無音になった。
ボウリング玉が入るくらいの麻袋が足元に転がっている。今の今までここにはおいていなかった。誰もこんなもの持っていなかった。麻袋に付く染みが少しずつ広がっていく。私は鬼丸を下ろして室井を見る。室井は眼を見開いて麻袋を警戒しているようだ。
もう争う理由もなくなった。
「…コレッ…」
「室井」
室井が続けようとした言葉を遮るが視界が拉げて上手く見えない。
「…すまん…泣かせちまったな…」
自分が泣いていることに気付くのは頬を伝う涙に触れてからだった。
暗い感情、暗い心、暗い世界。
ふと見えた違う色に惹かれて道を変えてみるが、
差しこんだ光は直ぐに消え、周りは黒い世界に帰った。
もう少し待てば、もう少し早ければ、
暗いものも変わった色に見えたかもしれない。
伸ばされた手を掴めなかったけれど、
明日はきっと掴むから。
今日はもう休ませて…
信愛なる仲間に幸多からんことを。
序列七十位は来期の新人入会まで欠番になった。
様々な感情が入り乱れる会議場は行事が終わると片付けられ始めた。兵士に運ばれる麻袋はもう真っ黒になっていた。




