祈る絵画編 第三章 第三幕 背負うもの
傍観者 ヴィルマ・ガソット
「こんなにも多くNOTが溶け込んでいる街というのも珍しいわね。」
口を開いたのはコレットだ。私とコレットが合流したのは三室室長補佐のディミトリアス・ロックハートと、先の陽正高校で対峙した古川楔だった。ファストフード店での戦闘を経て準備運動は完了したとロック室長補佐は言っていた。
「…ええ。本格的にNOTは統率されている様ね。ここまで勢力を拡大しているのに委員会が放置していたとも考えにくいし、ロック室長補佐…その辺はどういう見解でいらっしゃいますか?」
「この案件は元々一室が担当していた問題だ。本来ならばお前らの様な新兵ではなく一室の精鋭を送っていただろう。しかし今回、一室は『八番』と全面戦争の真っただ中であること、そして前々から警戒分子であった『夕暮れ詩人』の動きが活発になったことから二室にこの件は行くはずだった。二室長はこの任務を放棄、三室へ処理を依頼してきた訳だ。だから三室でも上位のペア、キッカとクロエを向かわせる算段を室長はしていたんだが、生憎都合がつかなくなってな。三室でも上位に位置する俺と新人三人の実力を測るための配置になった。…そもそもの問題は一室のレーネ・デュフナーが『夕暮れ詩人』を仕留め損ねたから始まったことだ。幾度として調査員をニカラグアに向かわせても全員帰ってこない。ここまで奴らが大きくなったのは小さな芽を摘んでおかなかった一室にある。」
怒りを露わにしながらロック室長補佐は夜空を見上げる。十二柱クラスと呼ばれるネクストフェイズでも更に特異な存在である『夕暮れ詩人』は今も巷で通り魔をやっているのだろうか。こうしている間にも犠牲者は増え続けるのだろうか。
「ロック室長補佐、このメンバーで『夕暮れ詩人』を倒せるとお思いですか?」
「俺一人では無理だ。正直全員揃っても勝てる保証はない。それでも挑まなければならない。見ず知らずの幸せを守る為に…な…」
夜空に光る星は明るく街を照らす。街灯が少ないのは地方特有だろう。前を歩くロック室長補佐からいつもの威厳は見えない。そこに居るのは過去を背負った一人の男だ。
「…状況が呑み込めていないのは俺だけみたいだな。ヴィルマ」
ホテルに到着した一行は交代で仮眠を取り、再度調査を開始することになった。部屋にはあまり一緒に居たくない相手が座っている。何を隠そう私は彼の親友を殺しているのだ。普通に顔を合わせているのも心苦しい。流れる沈黙の時間を打ち破ったのが、その一言だった。
「記憶は…どこまであるの?」
あの日、私は確実に古川楔を殺した。脳裏にチラつくのは死人種と呼ばれる自分と同類ではないかという疑念。我々兵士は通常、人類の前に初めて現れたNOTから奪った『眼』からNOT因子を抽出し、人体へ組み込むことで力を得る。だが私はNOT因子に耐えられず爆死し絶命した。
そこに手を加えたのが三室室長である神戸四季と副官の熙英であった。三室の『再生』研究は人体実験の段階まで技術を確立している。そこで死亡した私の死体から採取したDNAと神戸四季室長のDNAを掛け合わせ、『再生』手術を施すと第二の命が生まれた。死人種の誕生だ。死人種は生き返ったこと以外は他の人間と変わりない。痛みも感じるし、殺されれば死ぬ。ただNOT因子を人間の染色体と完全に同調させた神戸四季のDNAが幸いしてNOT因子と適合しなかった私でも適合は果たされた。目覚めた時に記憶の混濁があったものの戦えるだけの力を得ることが出来て私としては幸運だった。
「…俺の記憶はお前と体育館で戦って負けたところまでだ。島崎のことを許したんじゃないが今はそんなこと言っている余裕がないんだろう?」
「理解が早くて助かるわ…。教官から何か聞いてる?」
「…いや、大口を叩いたわりにはどうしようか迷っている。『夕暮れ詩人』はそんなに危険なのか?」
月明かりだけが照らす部屋でも彼の視線だけは力強くはっきり見えた。
「私たちが襲撃されたのはニカラグア到着前の海上。注意して大陸側を見ていたならば輪郭くらいは掴めたかもしれないけど、実力も含め不明な点は多いわ。」
「…協力はしよう。俺ももう委員会の一員な訳だからな。どういう世界に居るのかも理解しておきたいからな。」
「強いのね…環境の変化にも柔軟だってことかしら?」
「俺の環境なんて変わってない――」
古川楔は苛立ちを見せるでもなく淡々と語る。変わらない風景を見ながら彼は何も変わることなく眉ひとつ動かさなかった。
「――生まれた時からNOTだったんだからな。」
「!…それはどういうことなの?にわかには信じ難いのだけれど?」
人間とNOTの間の子供。最初に思い当たった一つの解答だったが、そんなことが可能なのだろうか。ならば神戸四季室長と同類の扱いになる。
「…俺は元々NOTなんだ。人間じゃない。NOTは人間を喰らい栄養にするが、俺は人間の食糧を摂取しながら自分で栄養を生成できた。それだけのことだ。NOTという存在を認識してからは無意識でやっていたことが色々調整できることに気が付いた。人と違うのは…そうだな俺は呼吸をしていない。酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す作業を必要としないんだ。さっき言った通り栄養は自分で作り出せるからな。」
「…NOTって便利な部分が多いわね…」
しかし、古川は淋しそうな顔をすると思いに耽った様に天井を見上げた。
「便利でも人と違うってことが怖かった。バスケの試合をしてた時だって相手が呼吸を荒げているのに俺は何してるんだコイツってしか思わなかったんだからな。みんなには体力馬鹿とか妬まれた気がしたけど…今となっては昔の話かね…」
先天的な理由で迫害を受けていたなどと彼は考えていたのだろうか。理解者であった色芳彩香、島崎真二は他界、残された古川は復讐に取り憑かれた悪魔に成り下がったのではないか。
「溝口だっけ?復讐…したいの?」
「…そうだな。俺の生き長らえた意味は溝口俊介を殺す事しかないと思っている。その為なら神戸に忠誠を誓ってやるよ。汚れ仕事でも請け負う。誰よりも力を持つ悪魔になってやる。」
背負ってきたものが多かったのだ。若いなりにも打ち明けられない秘密を抱え、大切な友人、そしてバスケットボールという青春全てを掛けられるスポーツに出会った。
私たちが来たことで友人も彼女も失い。背負うものが無くなってしまった。彼はいきなり軽くなった背中に戸惑っているのだ。喪失感を埋めるように復讐で満たして、また同じ重さにしようとしている。
「決意は堅いんですね…。」
私にとっては愛だった。
彼にとっては復讐だった。
背中に乗る重みは人により違い、大きさも異なる。満たす感情が人の成りを決める。彼は壊れてしまわないだろうか。
「…なんだよ。もうこれしか道が無いじゃんかよ。もう戻れないし、もう会えない。行き場の無い感情の方向を決めてやることしか俺には出来ない。そこに理屈とか、大義名分を付け加えることが今は出来ない。もう復讐だけでいいんだ。」
私の場合は両親が居なくなった。古くからの友人や大学の同期はまだ健在だろうか。今となってはそれを知る由もないが、人の悲しみの度合いなんてわからない。私が軽い人間なのか、彼が弱い人間なのか。
かける言葉が見つからなかった。命取りにならないことを祈るばかりだ。
自分が思ったよりも優しかったことに少し驚いた。
「…アンタ本当は優しいんだな。黙って聞いてくれるってのは少し落ち着くよ。同じ匂いがするからか…隠し事をしても無駄なんだろうな。アンタには死んでほしくない…そう思えるよ。」
「何言ってんの?私だって三十一位なのよ。そこそこやるの、馬鹿にしないで」
古川はふん、とあしらうだけだったが、そっぽを向いた横顔からは笑みが覗えた。やはり年齢そこそこの男の子なんだと思い知らされる。
例えネクストフェイズのNOTだとしても負けられない。教官の様に皆を守りながら戦える兵士になりたいと思った。
しかし、今の私では螻蛄の水渡りだった。
翌日、ニカラグア全域は雨に見舞われていた。レオン大聖堂の城壁に血を塗りたくって倒れている私を見る人間は居ない。蔑むのは二つの影。
ネクストフェイズ、絶対強者の『夕暮れ詩人』と、
長い尾の鳥の化け物コレット・シャルトーだった。




