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NOT FACTOR  作者: Ribain
祈る絵画編
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祈る絵画編 第三章 第二幕 転化


 傍観者 ロレンツォ・ディエゴ


 目が覚めた俺はいつもの部屋。散らかった画材に描き掛けの作品。汚い部屋から俺を探すのは大変な作業だろう。シェイラの為にも今日くらい起きて連絡の一つでもしてあげないといけないな。また怒られる。

 作品を描き出すと部屋に籠りきりになる俺にいつも食べ物を持って来たり、ちょっかいを掛けてきたり、迷惑なようで俺の生きる理由にもなっている彼女の笑顔は他の誰よりも暖かい。誰よりも何よりも大切な彼女を守る為なら俺は何にでもなろう。

(シェイラ…)

(なぁに?)

 思い出されるのは過去の残響。

(この仕事終わったら俺と暮らさないか?)

(いやよ、あんな汚い部屋で寝泊まりするの)

 馬鹿野郎。俺は大馬鹿だ。

(何言ってんだよ。……俺と結婚してくれって言ったんだ…)

 はにかんだ彼女の笑顔は今でも脳裏に焼き付いている。

(ばーか。遅せぇんだよ。)

 男勝りで発せられた言葉と相対してシェイラから零れ落ちる涙。誰よりも愛おしくて抱きしめた。離さないと誓った。腕に触れていたはずの温もりはいつの間にか消えていた。カーテンの隙間から見える朝日が眩しい。キラキラと光り空中に漂う小さな粒子は引き寄せられるかのように俺へと集まっている。粒子に触れるとフワッと灯りを灯し俺の身体に入ってくる。錯覚だとは思うが力が湧いてくる。何かに励まされていると感じる。いつもより軽い身体を起こすと視点が変わって見えた。昨日までとは違う視点で物事を見られる予感がした。

 描き掛けの絵の前に立つと自然と手が動く。どんどん新しいイメージが膨らんでいく。夢中で描き続けた。青い空を、赤い大地を、緑の木々を。自然と調和した作品が一つ仕上がった。起きてからたったの一時間。描き掛けだった絵は未だかつてない程に上質な作品へと生まれ変わった。満足した俺は小腹が空き学食に行こうとコートを羽織った。時間は昼前だが学食は学生で溢れていて熱気が溜まっている。

 なんて美しくない。

 なんて見るに堪えない。

 俺の近くに居た女子学生が悲鳴を上げるとそれに気付いた学生が次々と騒ぎ立て、悲鳴奇声を上げて俺から離れていく。何をと疑問に思いながらも俺は歩みを進め食堂の券売機に辿り着く。しかし、券売機の前にはへたり込んだ女子学生が眼を見開き、涙を流しながら許しを乞うていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい。何でもします何でもしますから許してください。許して下さい。私悪いこと何もしてないです…」

 嗚咽を交えながら俺に訴える彼女は神に祈るように手を合わせ這い蹲る。何をそんなに恐れているのか。生まれて二十二年、人に蔑まれこそすれ恐れられることなんてない人間だったというのに昨日の今日でこの変化は何だ?

 思考はスローモーションになり、学食の壁に飾られていた鏡が目に入る。そこから見えたのは何とも形容し難い化け物。気味の悪い触角をいくつも伸ばし、フルフェイスヘルメットを被ったような頭、人間の皮膚が少しばかり残る口元に悪魔よりもずっと生々しい姿。何よりも人間の肉質が恐怖をより駆り立てた。容姿を一言で表すのなら『異星人』。自分が置かれている状況にやっと気付いた。逃げられて仕方ない。

 既に目の前で四つん這いになんている女の子は失禁し、この世の終わりとばかりに祈りを捧げている。他数名この学食から動けない者がいた。いずれも腰を抜かしているのだろうか。自分のコートを女子学生にかけてやると出口へと向かう。

 もうここには居られない。

(あの女を殺せよ。ロレンツォ・ディエゴ。引き裂いて中身を取り出して栄養を摂取しろ。人間なんて養分の塊だ。)

 自分の中で別の声が俺の厚意を批判する。さっきの彼女を喰えと囁きかける。しかし、言葉に強制力は無く。俺に取り憑いたこれはどうやら外面だけらしい。

(喰ってやる…喰ってやる…)

 囁きは少しずつ近づいてくる。それでも俺はまだ俺のままだ。どうやらこいつは『夕暮れ詩人』と名乗った奴だ。あの黒と白の世界から俺は帰還できたらしい。

 すべてを思い出した。『夕暮れ詩人』が入って来たことによって記憶の混濁が起きていたらしいが、他愛のないことも重要なことも全部、思い出した。

「オズバルド・スベルディア。」

 俺の大切なものを汚した名を想い浮かべる。

 だが、冷静だった。黒い感情に流されても俺は自分を保っていた。化け物に流されなんかしない。胸に左手を当てて空を見る。

 空は青い。

 太陽は眩しい。

 森は緑。

 土は茶色。

 人は尊い。

「……冷静だ。」

 呟くと学食から券売機の前で恐怖していた女学生が出てきた。顔にはまだ恐怖の表情しか見えなかった。涙は流れ続け、足はガクガクと震えている。綺麗な黒髪もボサボサになっている。何故彼女は俺を追いかけるように出てきた?殺されるかもしれないという恐怖は無いのか?馬鹿な女だと捨て置いたが、どうやら彼女はやはり俺を追ってきたようで声を震わせながら問うてきた。

「…あ…貴方…さまは…何者ですか?」

 聞き取れなかったことにして女学生を見るだけにする。どうせ直ぐ逃げ出すだろうと思っていた。俺でもこんな姿の化け物を見たら逃げ出す。例え危害を加えていなくてもこんな存在は居てならない、居るはずがないと本能が言っている。

「貴方は…何者ですか?」

 彼女はもう一度言った。

「俺は…誰でもない。」

 女学生は震える眼差しを向けてきた。恐怖の中に俺を見ようと努力が見える。無駄な努力だろうに。俺の興味は失せていた。こんな身体になっちまった俺を動かすのは黒い感情だけ。オズバルド・スベルディアに対しての怒りだ。

 飛んで空中からアイツの会社を探せば早いな、と考えると同時に俺は自分で翼を形成していた。こんな力悪魔宛らだな。翼は一度羽ばたかせるだけで空高くまで俺を運ぶ。街に見える無駄に高いビルがおそらく奴の社だろう。

(あそこに居るのは仲間だぞ)

「…誰が仲間だ。俺にとっては敵だ。」

(いいだろう。同族を消すのも我々の運命。世界を変えられるのはお前だ。ロレンツォ・ディエゴ。お前の望む世界をもぎ取ってみろ。)

「随分…時間を無駄に使っちまった。シェイラ…今…助ける。」

 弾丸の如く打ち出された俺は一直線にスベルディア社のビルを目指した。

 こんな展開を誰が望んだんだろうか。見様によってはヒーローだ。だが、俺は大層な肩書は要らない。彼女を救う力だけ欲しい。彼女を守る力だけ欲しい。負けてもいい、死んでもいい、ただシェイラが汚い世界に居て欲しくない。それだけだった。

 風の冷たさも、高所での恐怖心もない。ただ十数キロ先にあった高層ビルの最上階に弾丸の如く突っ込んだ。考えはなかった。思考も停止していた。ただ前の敵を倒すことだけを。

 ビルに侵入を果たした時点で俺は頭のネジが緩そうな衛兵に囲まれる。全員人の形をしているが、精神がぶっ飛んでいるのか動きが遅い。殴って来たのを避けて膝蹴り、突進してきたのを避けて肘打ち。頭と胴を手刀で切断して無力化したら次の敵へ。繰り返す。来た敵を薙いで避けて一発入れて、隙が出来たら無力化。五〇人は居た衛兵が五分と保たなかった。奥へ行く扉をブチ破り一際広い部屋に出ると奥に居たのは俺に絵を依頼したオズバルド・スベルディアだった。

「やあ見違えたね。ロレンツォ・ディエゴさん。絵は完成したんですか?」

「ああ。だからシェイラを開放してもらおうか。」

 するとオズバルド・スベルディアは会長椅子を回して俺の方へ向けた。気付くのが遅れたがそこに座っていたのはシェイラだ。

「帰してやるよロレンツォ・ディエゴ。もう遅いかもしれないがな。」

「……シェイラをどこにやった?」

 嘘であって欲しい。

「ここに居るだろう?」

「真面な思考回路の持ち主じゃないな…お前…」

 青ざめた彼女の身体、表情はない。

「俺たちならこれでも生きている。人間の言葉を使えばNOTか?」

 どうでもいい。俺の生きる理由を帰せ。

(ロディ…また寝てたの?昼食くらいちゃんと取りなさい!)

 彼女の声が懐かしい。また聞きたい。

 笑う彼女を抱きしめたい。

 髪の毛をくしゃくしゃにして撫でたい。

 もう叶わないのか?

「シェイラ・ディエゴは…人間だ!首を切り落としたら死ぬに決まってんだろうが!」

 彼女の笑顔を帰せ。

 彼女の声を帰せ。

 あの愛らしい瞳を。

「そうか。それは失敬。」

 吠えろ。

 吠えろ。吠えろ。

 魂の全てを絞りつくして力に変えろ。

 目の前の悪魔を殺す為に。

「オズバルド・スベルディアァァ!」

 腕は枝分れ八本にまで増えると一つ一つが意志を持ってオズバルドを狙う。奴の命を刈り取らんがために。

(ロレンツォ・ディエゴ、本能を引き出せ、お前は選ばれた存在だ。そんなヒヨッコに引けを取らん。狩りつくせ、捕食者はお前だ。)

 狩る。殺す。

 頭に浮かぶのは残酷なまでの野生。床を抉り、壁を壊し、ガラスを割り。反撃を許さない猛攻はオズバルドの左腕を吹き飛ばすまで続いた。

「…さすがにヘラの眷属だけはあるな。」

 ロレンツォ・ディエゴは既に五感を使い果たし、全てを脊髄反射で処理していた。究極の野生系。俺の身体は黄色い光を放ち、恰好とは真逆している。まるで光の戦士だ。

(code EVOIUTION――『夕暮れ詩人』と称される悪魔に与えられし能力は『進化』、だから世界を変えられる。お前の力で全てを砕け、壊せ、手に入れろ。)

「もう世界なんて興味ない!シェイラの居ない世界なんて壊れろ!手始めがお前だ!オズバルド・スベルディア!」

「何回も言わなくても自分の名前くらい憶えているロレンツォ。しかし、そんな力を持っているからこそ解せないな。どうして人間の女一人に執着する?お前は既に人間じゃない、悪魔なんだ。考え直して俺の元に来い。」

 差し出された右腕を吹き飛ばしてオズバルドは両腕が無くなった。今の俺には一切の躊躇が無い。一時的な精神の覚醒は後で後悔することになるのは分かっている。オズバルドを殺すことで後悔するかもしれない。シェイラが死んだことを喜ぶかもしれない。人間の心は移ろうもの。しかし、一時の感情に流されるのもまた人間なのだ。

「息絶えろ」

 八本の腕を八方向からオズバルドに伸ばすが、止めを刺すことは敵わず左足を刈り取るに終わる。四肢は右足のみ。しかし、追撃は止めない。前頭葉から出ている触覚に意識を集中するとエネルギーが収縮して放たれる。ビル最上階の半分を吹き飛ばした破壊光線はそれでもオズバルドを殺しえることはできなかった。

「詰めが甘いな。ロレンツォ。」

「あ?」

 イエローオーカーの色が焔の様に燃え盛り、悪魔の容姿をアンバランスな堕天使に見せる。骸骨にも思えてしまう自分の顔を見ないで済むので安堵しているが、オズバルドからはどう見えているのか。コイツも悪魔だ、俺の姿に親近感を覚えこそすれ、嫌悪感は抱かないだろう。コイツを殺すのは赤子を捻るのと同義。破壊光線のエネルギーを集中させるとオズバルドの顔に不敵な笑みが見えた。

「ロレンツォ…お前…後悔するぞ。」

「俺は後悔しない。過ちを犯しても恋人を亡くすよりはマシだ。」

 光線が放たれた瞬間にオズバルドはその場から消えた。奴自身が動けたわけじゃない。後ろを見ると鋼の様な肉体をした男がオズバルドを抱えている。鋼の男からは威圧されるほどの存在感を感じられ、彼が悪魔の中でも上位に位置する存在であることが容易に想像できた。

「ヘラクレス」

「……」

「彼はギリシア神話最高の英雄ヘラクレスの名を持つ俺の部下だ。」

 相手が誰であろうと握った拳を解くことは出来ない。英雄が、神が何だと言うのだ。俺の怒りは誰かに止められるものではない。目の前のオズバルド・スベルディアを殺しても収まらないかもしれない。

「……英雄が相手なら俺が引くと思ったのか?」

「ロレンツォ…俺はNOTの合同組織を立ち上げた…スベルディア社…人間の世界にも影響を与えられる企業だが、目的はその先にある。世界征服…現時点地球を支配しているのは人間と言う個体だが、近々、NOTが最高位の存在として君臨する。どうだ?考えただけで奮えてこないか?」

 ヘラクレスに抱かれながら笑みを浮かべるオズバルドを見ていると、普段なら苛立ちを感じて直ぐに言い返したくなりそうだが、俺の怒りは度を越している。メーターを振り切って怒りが何か違う感情に変化しそうだ。

「こんな姿になっちまった。俺はもう人間としては生きられない。生きる必要もないがな……オズバルド・スベルディア、手前のやろうとしていることがどういうことなのか、俺には理解できないし、興奮もしない。俺含めNOTとして覚醒した者たちからすれば救世主とかリーダーって存在になるのかな。でも俺には興味が無い。俺のセンスの理解外だ。」

「それでも…もう一度聞こう。」

 オズバルド・スベルディアがヘラクレスに抱かれながら俺を正視する。四肢を捥ぎ取られた憐れな姿ではあるが、それでも威厳は失われていなかった。元来のリーダー気質なのだろう。

「ロレンツォ・ディエゴ…俺の元へ来い。」

「興味ないな。」

 ヘラクレス、とオズバルドの口が動いた。

 もう、止められない。後戻りも出来ない。

 シェイラが死んで孤独は耐えられない。生きる意味もない。

 俺の価値観は崩壊した。NOTになって全てが壊れた。

「せめて…一緒に死のうか…」



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