祈る絵画編 第三章 第一幕 リアリティの無い出来事
傍観者 古川楔
疑問は多々あった。俺の最後の記憶は体育館で銀髪の女と戦っているところ。一切の情報が断たれ、目覚めた時に目の前に居たのは見ず知らずの白衣の女。熙英と名乗った彼女は上役らしき男を呼んでくる。呼ばれてきた男は神戸四季と名乗り俺の前に腰を下ろした。全裸だった俺も囚人服の様なものを着せられて対面に腰を下ろすと神戸から現状とこれからについて聞かされた。
悪魔の存在「NOT」、島崎はこれに取り憑かれたところをあの銀髪に殺された。そして溝口は奴らの中でも上位種に分類されている。神戸たちは人類の存亡をかけてNOTと戦っている。俺は悪魔に取り憑かれながらも未だ正常な精神を保っている希少種だと言っていた。簡単な理解はこの程度だ。
(複雑な話はかなりあるが、それは一時置いて貰って協力してほしい。)
(協力してくれるなら溝口君との再会を約束しよう。)
かなり俺のツボを押さえている。溝口の名を出せば俺は協力を余儀なくされる。アイツに会って言いたいことが山ほどある。
取り敢えず神戸とは和解して今の状況になるが、本部と呼ばれる場所からヘリでニカラグアに向かっているらしい。持たされたのは黒いバスケットボールと同行人。同行人の名をディミトリアス・ロックハートと言い、分からないことは全て聞けと言っていた。
「おい、俺は何をやらされるんだ?」
「…古川。お前は今からあの悪魔たちとの戦争に駆り出される。怖気づくようなら帰っても良いぞ。命のやり取りだからな。」
高校生の俺に命のやり取りと言われてもピンと来ない。そんなシチュエーションは漫画の中だけだ。リアリティが無いと言わざるしかない。並べられた御託は絵空事、示された道の看板は嘘臭いといった具合。それも仕方なしと思うのはこれがどうしようもなく現実だからだ。アヤカの死相も島崎の涙も本物だ。夢なんかじゃない。
握りしめた左手にはアヤカを貫いた悲しい感覚が蘇る。夢であって欲しいと願う俺が居るのはリアルだからだろう。さっきから何度も同じ問いを繰り返す。
「…俺は…どこに居る――…」
答えはそこに居る男に聞けば「ニカラグアに向かっているヘリの中だ」と返ってくるに決まっている。正直なところ今の俺は現実を見られない。心がまだ過去に囚われたままなのだ。
「古川。まずは見ることだ。善と悪、今俺らがやっていることを理解してくれ。」
「もしかして、人殺しをする悪の組織とかじゃないよな?」
冗談であって欲しい一言を口にするとディミトリアス・ロックハートは一度眉間に皺を寄せてから溜息をついた。次に見せた表情は有無を言わさぬ屈託のない笑顔。
「…それは古川が決めてくれ。」
俺は笑顔の裏に冷たく暗い何かを見た。小さいころから周りよりも秀でた存在だった俺はそれでも空気を読める方だったと思っている。島崎はどうだったか分からないが、俺はチームメイトとの連携を第一に考えていたのだ。バスケットボールは五人のスポーツ、一人二人の天才が引っ張って勝てるようなスポーツではないのだ。ふと、学校の事を思い出す。俺と島崎、溝口、アヤカを抜いて高総体を勝ち抜けたのだろうか。全国制覇という平和的な目標を掲げていたあの頃が酷く懐かしい。今までの日常は数日前で終わってしまったのだ。彼、ディミトリアス・ロックハートも日常がいきなり終わってしまった人なのだろうか。彼の冷たく暗い何かは酷い悲しみに満ちていて触れることを躊躇われる。深入りしたくないと思ってしまう。
神戸四季の言っていた複雑な話とはなんだろうか。溝口との再会は殺し合えと言っているのだろうか。もう答えは出ていた。火を見るよりも明らかだ。
……俺はもうこの世界に生きるしかない。
ニカラグアに着いたのは十八時を過ぎたころで辺りは薄暗くなっていた。個人所有のヘリコプターらしいが最寄りの空港に降り立ち、正式な手続きも早々に街へ足を延ばした。ディミトリアス・ロックハートは本部との連絡を終えると俺に飯を食おうと言って来たのでそのまま付いて行った。
ファストフードの店に入ったが、全身黒を基調とした俺らの服は正直言って周囲から浮いている。誰のセンスでこんな服にしたのかと対面の男に聞くと「これは委員会の証なんだ」と理解しかねることを言い返された。
「詳細はヘリで何となく聞いていたかな?」
「ああ。本当にざっくりとだけどな。これからその…二人と合流するのか?」
ホットコーヒーを啜りながら夜の街を見ていると身体にザワザワとしたむず痒い感覚を覚える。
「来たみたいだね。」
「合流する奴らか?」
落ち着かないのは緊張してではなく。この身体の感覚に慣れないからだ。昔からフリースローなど土壇場の緊張感については場数を踏んでいる。ちょっとやそっとでは自分のポテンシャルを落とさないと自負するのも言い過ぎではない。
「こんばんは。遅くなりましたディミトリアス・ロックハート室長補佐。ヴィルマ・ガソット、コレット・シャルトー、ただいま合流いたしました。」
声のする方を向くとそこに居たのは体育館で戦った銀髪の女だ。驚きの余り勢いよく立ち上がり、座っていた椅子が音を立てて倒れると店中の視線が集中した。ディミトリアス・ロックハートが俺を制するようにしてくれなければ殴りかかっていたのかもしれない。ここはいつになく取り乱した。銀髪の女は「久しぶりね」と微笑み、俺の隣に腰を下ろす。銀髪の対面にはパッとしない顔をした童顔女性が座る。
「…揃ったな。ヴィルマ、報告を頼む。」
ディミトリアス・ロックハートが追加のコーヒーを頼みながら銀髪の女に指示する。
「私とコレットはニカラグアに着いてから二手に分かれ情報を収集、結果的に『夕暮れ詩人』にまつわる情報は得られなかったけれど、一つ、手掛かりとなりそうなものを発見しました。美術館に飾ってあった絵画、タイトルが『夕暮れ詩人』著者はロレンツォ・ディエゴ、接触は難しそうですが、実際にこれが関係あるかどうかは不明ですね。そしてその後にBombと名乗るNOTと対峙これを撃破して現在に至ります。」
『夕暮れ詩人』が今回のターゲットだと聞いているが、どうやら身を隠すのが上手い相手らしい。それに絵画が関係あるのか?
「…コレットからは何か意見ないか?」
「この町かどうかはわかりませんが、NOTの社会が形成されていると見ていいと思います。ヘリを撃墜された後、直ぐに身を隠す狡猾さ。そして先ほどのBombもこちらの戦力を確認する為という見方もあるんじゃないですかね。」
襲撃は二回。一回目はニカラグアに到着する前、二回目は美術館で『夕暮れ詩人』の絵画を見た後。どちらにしてもこの国がキナ臭いと暗示しているようだ。しかし、ファストフード店に二振りの刀を携えた銀髪女、猟銃を背負った女を含む黒衣の男女四人が集まっている時点で異様な眼を向けられ悪目立ちしているが、彼らは気にしないのだろうか。俺だけが周りの眼を気にし過ぎているのかもしれないけれど、これは日本人の性か?
「俺と古川が来たことで敵さんも何らかの動きをしてくるだろう。こうして四人集まってくるところを一気に狙うとかな。今のところその気配はないが、用心に越したことはない。俺のプランとしてこれからも二手に分かれることを勧める。俺と古川はそのロレンツォについて調べる。ヴィルマとコレットは『夕暮れ詩人』について今まで通りに情報収集をお願いしたい。またBombみたいな刺客が来ることを念頭に置いて焦らず行こう。」
ディミトリアス・ロックハートの意見を鵜吞みすると銀髪の女は了解ですと頷いた。もう片割れの女は何かに気付いたように外を見ている。釣られて外を見るとニカラグアの夜景が綺麗に見えた。彼女らもリアリティの無いこの環境ではあるが、歳相応の部分もあると思える。美しいものを美しいと悲しいものを悲しいと。伝えられる感性を持っている。取り乱して冷静に見れていなかった銀髪の女性でさえ、事務的な言葉を話しているにも関わらず、人間味が滲み出ている。
「……では行こうか、古川。俺たちは美術館の所有権があるスベルディア社に赴く。」
ディミトリアス・ロックハートは立ち上がり会計のレシートを取る。学生の時の感覚でポケットに手を伸ばすと財布を持っていないことにようやく気付く。立ち上がろうとしたら横に居た銀髪の女に制され再び席に着いた。
「今から起きること知らんぷりしてなさい。」
彼女の言葉を理解するのにかかった時間は約三秒。この三秒の間で店内の人間は全員消失した。いや人間ではなかった。
店員含め五着の衣服が床に散らばる。ディミトリアス・ロックハートは煙草に火を着けると前髪を掻き上げて煙を吐き出す。冷たく暗い何かが今は前面に押し出されていた。
「古川…感想をどうぞ。」
「最悪だ」




