祈る絵画編 第二章 第四幕 大きなヤマ
傍観者 ヴィルマ・ガソット
ニカラグア到着から三日目の朝。寝ボケたままの頭でベッドから起き上がると全裸であったことに気付く。私としたことが有力な情報を得られない苛立ちでヤケ酒をしてしまったことが原因だと深く反省する。コレットと二人の任務であるのでツインの部屋を予約していたのだが、ニカラグア到着以降彼女とは一切会っていない。煩わしくも溜め息が出てしまい教官の声が聞きたくなる。たった三日しか離れていないというのにこの抑えきれない衝動というのもまた難儀だ。
今回の討伐対象、第二柱眷属、識別コード『夕暮れ詩人』の情報は今のところ得られていない。資料に在った情報にはニカラグア周辺を塒にしていることと、第二柱眷属であり、委員会の兵士数名が犠牲になっていることが綴られているのみで外見や能力についての情報は皆無。『夕暮れ詩人』というコードもNOT自身が言ったそうで有益な情報になるとは考えにくい。そもそも委員会内のコードも私ならば『SILVER MOTH』銀色の蛾、神戸教官ならば『THUNDER LIZARD』雷竜、といったように英語で表記され、コードを決定するのは委員会長の仕事である。会長直々に兵士一人一人のコードを決めるその儀式を終えると兵士としての形が決まってくる。名前によって縛られるとはこのことだ。与えられ開花する能力が自分のスタイルにあっているのか、なんてこと会長は意に介していない。意図してコードを付けているのかもしれないが、事実的に会長へは逆らえないようになっているのだ。このコードは人間であることを捨てた私たち兵士にとって命と等価であり、安易な代物ではない。
『夕暮れ詩人』というコードは私が描いているコードの意味とは少し違うように感じられる。敢えて名を売っている。今や十三委員会内でもかなりの知名度を誇っているこの『夕暮れ詩人』であるが、有名になることで何が得られるのだろう?委員会から狙われやすくなり、兵士を屠ることに快楽を得たのだろうか。いや、十三委員会の視点で考えているのが間違い?NOTにも社会があるらしいと最近上げられた報告書にあったと教官が言っていた。もしかしたら、『夕暮れ詩人』の狙いは私たちとの交戦にはないのかもしれない。
あくまで仮説であるが、そういう考えが無いとも限らない。何せNOTとはいえ、ネクストフェイズに到達した人間とNOTの記憶を持つハイブリッドなのだ。私たちよりの考えを持っていても可笑しくない。
「…でも兵士を殺しているのは事実…か…」
一般人のマフィアは身体を食い千切るだけで済むのに、委員会の兵士は殺される。実際に一室から犠牲が出ている。兵士には殺さなければならない理由があったということか…。
自分の仮説に大分無理があることも理解している。委員会の理念とは相反する考え方を教官は良いと言ってくれたけど、それでも上役に聞かれたら反乱分子として排除されるだろう。私は弱い。自分の考えを通したいのなら上に上がるしかない、と当然のことに納得する。委員会の正装に着替えると聞き込みを開始するために今日も街へと繰り出すが、たまには違うアプローチも必要だと思い始め、目に入った美術館を調べることにした。
白亜の外装に似合う落ち着いた雰囲気の中にも優美で楽しさのあるインテリア。ただ華美なだけではなく、卓越された技術が収縮された数々の作品は一つ一つに見えないエネルギーを感じた。中でも私が引かれたのは象の彫刻で等身大の象を生きたまま剥製にしたような今にも動き出しそうな作品だった。象の彫刻を見終わると部屋の一角に一際人だかりが出来ている部分があった。壁掛けの絵のコーナーで一つの作品に何人もの人が食い入るように見入っていた。
壁に懸けられていた絵は中央に一人の女性が祈り手を組み、背景には倒壊したビルディングと燃える大地、逃げ惑う人々が描かれていた。平和を求める女性を描いた絵かと思ったが、題名を見てゾッとした。
『夕暮れ詩人』 ロレンツォ・ディエゴ 作
悪い予感がして意識を集中して見ると弱々しいがNOT因子の様な波動を絵から感じる。こんなところで『夕暮れ詩人』の名を見るとは正直思っていなかった。これは滞っていた情報が進展するかもしれないとロレンツォ・ディエゴという人物を訪ねようと係員にロレンツォの事を聞くと、
「ロレンツォ・ディエゴさんとは現在連絡が取れておりません。あの作品も彼が十年くらい前に手掛けたものでここに出ているロレンツォ画伯の作品の中では最新のものになっています。一部の情報ではロレンツォさんは行方不明だとか。公式な情報ではないのであてにはならないのですがね。」
進展すると思っていた情報はまたしても途絶えた。しかし、ロレンツォ・ディエゴという絵描きが『夕暮れ詩人』と関わりがあることに違いはなさそうだ。
「ロレンツォ・ディエゴは生きているわよ。ヴィルマ」
私の後ろから声を掛けてきたのはニカラグアに到着してから別行動を取っていたコレット・シャルトーだった。彼女がここに来ることは予想していなかったが、NOT因子の影響で近づいていることは察知できた。
「……確認して来たの?」
「ええ。そしてもう一人注意しておくべき人物も浮かび上がってきた。オズバルド・スベルディア。世界シェアの薬品制作会社社長の彼がロレンツォ・ディエゴに絵を描いてほしいと依頼して完遂される前に行方不明になっているらしい。キナ臭い話だ。」
「その調査結果でロレンツォ・ディエゴがNOTである可能性は?」
「五分五分。彼よりもオズバルド・スベルディアの方が怪しいけど。そちらの情報は表向きの物しか出てこない。かなり厄介なヤマかもしれない。」
情報を得たからには本部に居る教官にも伝えなければならない。急いで美術館を出て本部への通信を試みたが、一人の少年がこちらを凝視していることに気付いた。私たち二人は怪訝に思いながらも彼の雰囲気から物事を察する。
「ヴィルマ…」
「ええ。フォーメーションは訓練時代の物を使いましょう。」
二人は助走を付けず低姿勢で駆け出すと少年の左右を取る。通りに面した民家の外壁に腰を預けていた少年は顔を歪ませると真上へ跳躍して民家の三階部分に張り付いた。
「……やはり…NOTか…」
「ワレハ……ジュウニ…の眷属。…ボ…ム。ハイジョ…メイレイ」
片言で話し、左目は明後日の方向を向いている。右目はヴィルマとコレットを捉えているようだが、知能は低そうだ。
「どうやらネクストフェイズではなさそうね。『夕暮れ詩人』の可能性はなさそう。情報も得られなさそうだし、一思いに倒しますか。どうせ人の皮を被っただけのNOTフェイズ1でしょう?」
「ヴィルマ。貴方は人を救いたいと言ったわね。目の前のアイツは含まれていないの?」
ニカラグア到着時の話をここに来て持って来るのかと私は少し止まってしまったが、その質問に対しては明確な答えを持っている。
「私が救うのは望まなくしてNOTに食べられてしまった者達。自我がもうない人間の残りカスは消してやるのが情というものではないですか?」
コレットの眼には得心言ってない戸惑いも見えたが、敵前でこんな話をしている訳にはいかない。話が終わるまで待つ敵なんていないだろう。
「NOT FACTOR PATENT――code SILVER MOTH」
スカイブルーの瞳を少年へ向け、銀の燐分を撒きながら垂直の壁を駆ける。腰に携えた二振りの刀を抜刀すると少年がいる空間を切り刻む。しかし、少年は捉えられず、民家の三階部分は細断された。宙に逃げた少年を下から狙撃するのはコレット・シャルトーの猟銃だ。NOT因子を帯びたダメージ不可避の散弾が少年の全身に被弾すると、軽傷ながらも動きを鈍らせる程度のダメージを与えられた。少年は視線をコレットに移し、口を大きく開くと口内から羽虫の様なものが多数飛び出し、コレットへと向かう。異常を察知したコレットが走り出すよりも早く、羽虫は彼女を取り巻き白く光り始めた。
「ボム…Bomb!コレット!爆弾よ!」
「ええ。分かってるわ。NOT FACTOR PATENT――code LYREBIRD」
ライアーバード、和名はコトドリ。長い尾と驚異の声帯模写が特徴の鳥だが、戦闘向きではない。
「……ボム」
NOTの掛け声と共に羽虫たちは光始めた。歯噛みするコレットの顔が膨張した光により見えなくなると、辺りを照らす連鎖爆発が起きる。土煙が晴れると美術館周辺に居た人々は逃げていたが、逃げ遅れていた何人かは爆発に巻き込まれ火傷等の軽傷を負っているようだ。死人はどうやら出ていない。
「この外道が…」
私は苛立ちを隠せずにNOTを睨む。通りの中央に落下したNOTは爆発の間、そこら中に羽虫を放っていたようで、空間の色を黒く染め上げている。
「オマエモ…殺ス…命令…」
NOTの眼はやっと照準があったのか、両の眼で私を捉えた。私が刀を振り上げる仕草をするとNOTの注意は完全にこちらに向いていた。
「知能低いって…こんなにも格差があるのね。」
何かが擦れるかの様な乾いた音が現場で唯一聞こえた音だったろう。土煙を押し分けて飛んできたNOT因子を帯びた弾丸はNOTの頭を貫いた。気を緩めそうになるが、NOTは頭を吹き飛ばしても死なない。しかし、動きは遅くなった。
「ヴィルマ…」
「ええ。」
民家二階分の高さからの位置エネルギーを最大限に生かせるように計算してから跳躍。肩に担いだ一振りの刀に意識のすべてを集約するとスカイブルーの闘気が刀に纏わり憑き、視界にはNOTだけが見えて全神経が研ぎ澄まされていく。身体が刀身になり刀と一体になったような感覚になる。気付くとNOTには二本の線が刻まれていた。右上から左下、さらに左横から右横へ薙いだ連撃は〈蒼き薔薇の荊〉。ヴィルマ・ガソットが教えを受け継いだ剣技にNOT因子のオリジナル要素をプラスした壱の型だ。太刀筋が終わると刀身からはスカイブルーの闘気は消え、目に留まらぬ程の斬撃はNOTの身体から鮮血を撒かせた。拭き出した血は直ぐに蒸発しBombと名乗ったNOTも同じように蒸発した。残った衣服にやりきれない思いを抱いていると土煙が完全に晴れてコレットが姿を現した。
「…本当に慈悲が無いのね」
「彼はただの悪魔だった。私が救いたいのは完全に意識を喰われる前の人。意識を失う前の…悪魔に対抗している精神力の持ち主。貴方…私が教官を崇拝している理由がわかる?」
「…ただの恋心だと思っていたけれど?」
少し息を詰まらせて彼を思い浮かべる。
「教官は…神戸四季室長は、NOT因子適合試験でNOT因子を喰った。融合してNOT側に引っ張られるだけの私たちとは違う。彼は逆にNOTを人間側に引っ張った。そして新人類となったのよ。もう人種が違う。私たち契約者、兵士、適合者とさまざまな言い方をされるけど、彼だけは違う言葉で表記しなければならない。そうね…プロメテウスと言うべきかもね。」
ギリシア・ローマ神話で最高神ゼウスと敵対して人間の味方をしていた「先に考える者」プロメテウス。私は体勢からその名を口にしたが、何やらしっくりこない。どう表せばいいのだろう。彼への崇拝をどうすれば。
「…ヴィルマ。今の全三室長は全員化け物よ。神話の英雄から名を取ってくるのは間違っているわ。アイツら一人一人はもう十二柱と変わらない戦力を持っているの。私はあの人が怖い。室長を尊敬するのは勝手だけれど価値観を共有できると思わないで欲しいわね。」
コレットとは本当にそりが合わない。
「そう…それは残念だけど。コレットにも見習って欲しいわ。揺るぎ無い鉄の精神力。何物にも侵されない自分らしさを。私に強さを教えてくれたのは教官だったから、貴方も何か得られるかと思ったのだけれど…ね。」
強さは自分らしさを貫くこと。何をおいても確固たる精神を、自分の道を見失わず先を見つめる事。私から見てコレットは危うい。直ぐトラブルに巻き込まれ問題を広げる。訓練生時代から兆しはあった。だからニカラグアに着いてからのコレットの行動は目に余る。勝手な行動を取られると疑いを抱かれかねないというのは分かるだろうに。
ネクストフェイズという知能を持ったNOTが発見され、ネクストフェイズの輩が徒党を組んで社会を形成出来るようになっている。教官も懸念していたが、ネクストフェイズの社会に取り込まれる可能性と十三委員会からの離反。可能性が最も色濃いのが十一期卒業生コレット・シャルトー。彼女には妹を委員会に殺されたという過去があるために厳重警戒人物に指定されている。
「…取り敢えず、室長に連絡を入れましょう。NOTを一体倒したけれど、コイツが私たちの乗っていたヘリを狙撃したとは思えないじゃない?大きなヤマになりそうな気配がするわね。」
「ロレンツォ・ディエゴと今のNOT、そして『夕暮れ詩人』。この三者に繋がりがあると仮定すると…このニカラグアでNOTの社会が形成されているのかもしれないわ。」
NOTとの集団戦を予期した私は直ぐ教官に連絡を取るのだった。




