祈る絵画編 プロローグ 静かな足音
傍観者 ヴィルマ・ガソット
どの国の経済水域にも含まれない海上に浮かぶ、宮殿と言い表すには些か不気味なイメージの強い、古城に近い建物が我々十三委員会の本部になっている。漂う雲も黒みがかり一層陰湿さを際立たせている。面積は建物だけでローマ北西部にあるバチカン市国と同程度で委員会メンバー三百人程度では余りある。正面ゲートからは二百メートル程直線の橋が伸び、その先端には直径二十メートル程度のヘリポートが設置され、任務の際にヘリや船が発着する場所として利用されている。
日本での最終試験を終え、次の指示があるまで本部で待機との指示だったが帰還して一週間が経とうとしている。修練場での自主練も限界が見えつつある。今日の自主練を終え、脱いでいた黒コートを再び羽織ると、修練場に入ってくる白人女性と目線がぶつかった。歳の割に幼い顔立ちをしているのは丸顔で目が大きいからだろう。美人というよりも可愛いという印象を受ける愛嬌のいい顔だ。私はその顔に見覚えがあった。
「…コレット?」
「ホントに居た。久し振りね。」
第十一期、私と同期の兵士。コレット・シャルトー。フランス人 二十五歳。
彼女も第三室に加わったと聞いていたが、無事に最終試験を通過できたようで胸を撫で下ろした。第五期以来の不作と言われた今回の十一期は果たして何人の新米兵士が生まれたのか。
「どうして…ここに?」
彼女も待機命令での休暇を自主練でもする気なのかと思ったが、どうやら違ったらしい。出入り口の扉を開けると早く出るように急かした。
「集合だってよ。第十一期修了生全員。三室室長室に集合だって。」
第三室室長室は二十畳以上ある広い部屋だが、物品が驚くほど少ない。あるのは十三委員会のエンブレムを模した重厚感のある長机と社長椅子、そして一台のノートパソコンだけだ。私たちが入室したときには既に他三名の十一期生は整列していて、慌ててその列に加わった。見る限り十一期生は五人らしい。加わったのを確認して社長椅子に腰かける三室長・神戸四季は口を開いた。
「…揃ったね。まずは最終試験通過おめでとう。これから僕らとなんら変わらず任務を熟していくことになるが、命を粗末にする行為は慎むようにお願いするよ。部屋の割り振りは聞いていると思うけど確認も込めてもう一度言おう。
エレオノーラ・ジノヴィエフ 第一室
室井獅我 第一室
ルキアノス 第二室
ヴィルマ・ガソット 第三室
コレット・シャルトー 第三室
今後部屋毎に動くことになると思うが、各部屋特色が違う。慣れることも重要だけど、一番は自分らしく居ることだ。だからといって…」
室長が話している最中、一歩前へ出て発言しする同期が居た。強靭な筋肉はコートの上からでも分かる。彼は教官と同じ日本人の室井獅我。元々悪目立ちしていたが、エレオノーラに続いて次点での卒業は十分な実績を誇る。
「お言葉ですが神戸室長。我々は心構えなど当に出来ておりますので、新たな指示を頂きたく存じます。」
室井は丁寧に口を挟んだ。口の挟み方に訓練生時代の雑さは無く、神戸室長に対して敬意を抱いているのが見られた。
「室井、少し黙って室長の話を聞けないのか?俺らと同年代だが、経験は何倍も積んでいる。そんな人の話を聞ける機会なんて早々ねぇよ。」
室井に言い返したのは同じ十一期生のルキアノス。私の一個下で十一期生では最年少だが、肝の座り方は一級品。目上相手でも、悪魔相手でも怖気づかない。
「なんだ?テメェ…神戸室長の話が有難いことは分かってんだよ!けどな、俺はここについてから二週間は動いてねぇ、どっかの誰かさんがいつまでも最終試験を通過できないから溜りに溜まって仕方ねぇんだよ!」
「それは私に言っているのか?室井」
童顔のコレットが似つかわしくない鋭い目線を室井に向けると、冷ややかな氷点下での冷戦が始まる。室井は口を開き、ギラリとした獣染みた八重歯を覗かせると後ろで組んでいた手を解く。
「やれやれ…。この三人はいつも問題の中心にいる。…ヴィルマ、ウチ等は止めに入った方がいいのかな?」
列の逆サイドから細々とした声で聞こえて来たのはエレオノーラの声だ。比較的白人が多いが、彼女も白人でその美貌たるや人からかけ離れている。
「さぁ…どうでしょう?」
解答に困っていると室長が音もなく目の前にやってくる。騒いでいる三人の肩に軽く触れると全員萎縮したように動かなくなった。紫の電気が見えたので軽く電気を流して黙らせたのだろう。神戸室長のNOT FACTOR PATENT「THUNDER LIZARD」だ。
「…脱線したけど、本来ならこの五人である案件を処理してもらおうと思っていたが、予定が大幅に狂った。ま、だから僕がここで君たちに話をしているんだけど。ここで激を飛ばす役目は第一室室長の務めだったんだけどさ。知っての通り第一室が『八番』との全面戦争に発展した。一室に配属された室井獅我、エレオノーラ・ジノヴィエフは直ちに現地へ向かい合流して欲しい。第二室のルキアノスは第二室副室長が迎えに来るからここで待機してていい、三室、僕の下に入ったヴィルマ・ガソットとコレット・シャルトーはこれからニカラグアに飛んでもらう。詳細はロックから聞いてくれ。」
「Yes, my God.」
身体を自由に動かせるようになると室井獅我とエレオノーラ・ジノヴィエフは急ぎ足で部屋を出る。私とコレットも準備をするために部屋を出ようとすると、ただ一人部屋に残るルキアノスと目線がぶつかる。
「ルキ…」
「久し振りに会ったのに殆ど会話も出来なかったね…ヴィル姉。」
幼馴染で弟分のルキアノスに過保護な面があるのは自覚しているが、親族が居ない私にとっては最も近しい存在なので大切にしている。
「俺よりヴィル姉の方が心配だ。ニカラグアの案件をキッチリ熟して見返して見ろよ。」
「…お互いにね。」
口の減らない弟分と別れ、部屋を出ると長い廊下を進む。隣には痺れた身体を解しながらも不安そうな表情が張り付いているコレット。不安の種はこれからの任務だろうが、室井に煽られたことで自信を失っていないことを願う。
「コレット…?」
「ヴィルマ。あの人じゃないロックって…」
薄暗い廊下の先に私たちと同じ黒コートを着込んだ男性が立っている。無精髭を生やした金髪男性は第三室のバッジをつけて、クリップボードに挟まれた書類を持っている。
「ヴィルマ・ガソットにコレット・シャルトーだな。第三室室長補佐ディミトリアス・ロックハートだ。室長より話は伺っていると思うが、任務の詳細を話す。」
室長補佐は私たちの歩く速度に合わせると歩きながら説明を始める。
「…今回調査して欲しいのは中米最大級の聖堂建築物、ニカラグアにあるレオン大聖堂周辺だ。カトリック教会だから何かしら関係ある可能性も考慮してもらいたい。」
「調査ですか?」
「ああ。NOTと断定できる案件は少ない。疑いが濃くなった事件を調査して処理する。本部からの任務は大半がその流れだ。今回の事件、実を言うと悪質なマフィアが対象になっている。一言で表せば身体の一部を食い千切る通り魔だな。」
「死人は出ていないのですか?」
「今のところはだがな。」
そうこう言っているうちに正面ゲートからヘリポートへと延びる約二百メートルの砂でできた道に辿り着く。先のヘリポートにはヘリが見え、エレオノーラと室井が乗り込むところだった。私たちとは比べものにならない戦火の中へ飛び込む彼らに敬意を払いつつ、プロペラの風を切る音と共に上昇していくヘリを見送る。
「ヘリは直ぐに来る。準備は出来ているな?」
ロック室長補佐に二つ返事をすると、彼方へ消えつつあるヘリと入替で同型機のヘリがこちらへ向かって来る。
今回は私とコレットの新米二人だけでの任務になる。引率者が居ないのは心もとないが、これからは私たちも支える側にならねばならない。手違いで人間を殺すなんてことはないだろうが、判断は慎重を期さなければならない。
着陸を待つ三人は奇妙な存在を感じた。
「……NOT…海獣型か?」
ロック室長補佐が本部から二時の方向を見ると海が盛り上がり、黒い塊が姿を現す。卵型の黒球から八本の足が生み出されると、海面に足を付ける。まるで蜘蛛を思わせるその体躯は、遠目からでもおよそ十メートルを裕に超えているのが見て取れる。背中の部分に大きな口が開くと、呻き声を上げて海上を走り、こちらに突進してくる。海上とは思えない速度で近づいてくるNOTはまるでミサイルを彷彿させた。
「室長補佐!NOTが向かって来ます!」
私は腰から二振りの日本刀を抜刀し、コレットは背中の鞄から猟銃を取り出し、臨戦態勢を取る。思えば十三委員会本部にはNOT因子持つ契約者が常時二十人は居る。NOTは同族に惹かれ易い。この座標が露見するのも道理だ。寧ろ今までNOT側から本部に強襲されなかったのが奇跡。
「コレット!援護お願い!」
「わかった!NOT FACTOR PATENT―…」
しかし、二人を遮ったのはロック室長補佐の左手だった。落ち着いた表情で、既にNOTの方を向いて居ない。
「大丈夫だ。お前らはヘリに乗る準備をしろ。」
武器を仕舞うよう言われたが従えず、室長補佐を押しのけて海に片足を付けた瞬間。突撃して来るNOTを遮るように水柱が奔る。蜘蛛型のNOTが宙に浮くと更に水龍にも似た水柱がいくつも追撃する。海上に叩きつけられたNOTの前に渦潮が巻かれると、海中から男性の姿をした何かが現れた。男の手には三又の槍が握られており、蠢き出したNOTに銛突きの要領で投げると腹部を貫いてNOTは黒い霧になって消えた。
「ポセイドン…?」
コレットが三又槍と海から連想するオリンポス神を口にする。実際に私もその単語が頭を過った。しかし、それは可笑しいポセイドンはオリンポス十二神、我々が倒す敵であるはずだ。その神が味方なのか、疑念を抱きつつも動けないでいると、ヘリが着陸し、ドアが開けられ操縦士から乗れと指示があった。
「…彼はテティス。ポセイドンと同じ海の神だ。それにこの本部は多くの契約者が一か所に滞在する為、NOTのパルスを打ち消す波動を出しているオルフェウスが、常時監視を行い、テティスに伝えている。このヘリポートはパルス無効化域の範囲外になっているから、テティスは出立前の護衛役も兼ねている。」
テティスは近づくと分かるが身長が三メートルを超える人間離れした身長をしていて、普通の人間ではないことが分かる。
「…彼も人間なのですか?」
「元な。今は兵士。NOT因子のコードがテティスだから、皆にテティスって呼ばれているんだが、配属も名前もちゃんとあるんだぞ。さ、解ったらこれ持って行け。」
ロック室長補佐は今回の資料を手渡すと私たち二人をヘリに詰め込んで、強引にドアを閉めた。上昇していく風景の中、先ほど私たちを救ってくれたテティスが映る。能力や身長は化け物クラスだが、表情は穏やかで温厚な人だと判断できた。
彼でも元々は人間。何か大切なものを失ってこの委員会に入ったに違いない。人間としての体躯が変わるほど、NOT因子の影響を受けていることから精神的、身体的ダメージも相当なものだろう。それでも彼の温厚な笑顔は崩れない。テティスを凝視していると彼が手を振っていたので、コレットと私は手を振りかえしていた。
「あんな…優しそうな人でも契約者に…兵士に成るしかなかったんだね…」
私が呟いた一言はコレットの心に届いたようで神妙な面持ちで呟きに返してくれる。
「……私だってヴィルマだって、上辺では笑顔じゃない。私はヴィルマの過去を知らないけど、委員会の全員が自分と同程度の傷を負っているんだと思えば、戯言の一つや二つホッといてもいいんだけどね。室井は違うからムカつくのよ。」
「…詳しく知らないんだけど…室井は何なの?」
私とコレットは向かい合う様に座り、移動の時間を資料に目を通さず昔話に花を咲かせることにした。
「彼は狂気殺人者。契約者に成る前に三十人の人を殺しているらしいのだけれど、一人分罪を被っているらしいわ。三十人も殺しておいてなんだけどね。それでその一人というのは自分の姉が殺した…彼氏?みたいね。」
「恋愛感情の縺れですかね?」
「でも、運が悪かったのね。その姉は十二柱の『八番』だったのよ。」
十二柱「八番」と言えば今現在一室が戦っている案件。
「まるで姉弟の殺し合いをさせたいみたいね。委員会も酷い事するわ。」
「いや…敢えて自分の手で…って考えもあるんじゃないの?悪魔に落ちた姉を殺す弟って言うのも悲しい話だけどね。」
室井獅我。筋骨隆々の野獣みたいな彼に姉の罪を庇う甘さがあったとは。今までの彼からは想像も出来ないことだ。いつもギラギラ闘争心を剥き出して何かと力比べをしたがる彼にも事情というものがあるのだ。
「でも嫌いなの?」
「気に入らないのよ。室井は力があるけど誇示するだけじゃない。委員会の思い通りに動かされ、対峙した敵を倒すだけ。アイツ頭だってそんな悪くないらしいわよ。使わないだけでね。」
私は自分の事を言われているようで目を逸らした。私だって教官の駒に過ぎない。教官は決してそんなこと言わないけど、傍から見ればいい手駒なんだろう。少し恥じた。
「そうね…頭は使わないと…」
「ホントよ。委員会の『駒』だなんて願い下げよね。」
童顔には似合う笑みを浮かべるとコレットは書類に目を落とした。
▼調査依頼書 急務
受諾者 ヴィルマ・ガソット
コレット・シャルトー
引率者 なし
目的地 ニカラグア レオン大聖堂
内容 近隣で相次ぐ通り魔事件について調査しNOTならば速やかに排除されたし、可能性として『ネクストフェイズ』が考えられるので危険度は高いと思われる。
追記 全権は室長に委任する




