蛾の誕生編 第五話 第三幕 十二柱
傍観者 神戸四季
体育館を離れ僕は理事長室の前に来ていた。辺りは暗く、非常口の灯りも消えている。休日で関係者以外は居るはずがない学校。古川楔、島崎真二は校則を破り、夜の学校に侵入したため、現時点で校内に誰かが居るのは可笑しい。扉の向こうからは誰かの気配が感じられる。僕は直感する。この気配は十中八九、色芳香子だ。
「入って構わないよ。鍵は開いているから。」
中から優しい声音で僕を招待する。失礼、とノックせず理事長室に入ると、思った通りに綺麗な部屋でそこで佇む理事長様は子猫でも愛でていそうな雰囲気だ。
「その姿で対面するのは初めてか。」
「いつ以来だろうねぇ。五年前、パルテノン神殿以来かしら?第三室室長 神戸四季。」
僕は目を閉じ、深呼吸をした後、ゆっくりと眼を開ける。
「僕を覚えているとは…そんなに特徴的だった覚えはないが、褒め言葉として受け取っておこう。」
「貴方は人類の希望でしょう?神戸四季。NOT手術でNOT因子と融合した存在何て前代未聞だったそうじゃない。どういう手品をしたのかしら?」
そんなことまで調べていたのか。十三委員会のセキュリティは笊もいいところじゃねぇよ。
「…上層部しか知らないはずなんだがな。」
神戸四季。NOT因子組込手術において人間の細胞核とNOT因子が完全に融合した人類の変種体。NOT因子とのシンクロ率は常時〇%。しかし、NOTのパルス状を帯びていて、NOTを破壊することは可能。この変種体が人類の進化なのか、変化なのか、判断できず安易に判断すべきではないと上層部で会議が持たれているが答えは出ず、時間が経てば神戸四季は室長へと昇格していた。
「貴方の御陰で私たちにも狂いが生じてきた。『三番』を失ったのは貴方の力が大きかったと聞いているわ。その仇くらいは取らせて欲しいわね。」
「相子だろ?お前も僕の同期を十四人も殺しているじゃねぇか。『十二番』さんよ。」
「パルテノンでの話ですか。あの時に貴方を殺しておくべきでしたよ。生き残りが居ない方がこちらとしても都合がよかった。」
「では、何故僕とレーネだけは見逃した?あの時、お前を含めNOTは四体居たはず、殺そうと思えば殺せたはずだ。僕ら五期生を根絶やす以外に別の主目的があったとしか考えられないな。何をした?」
「何もしてないわ。貴方を見て、可能性を感じたのよ。」
「可能性?」
「私たちと人間の完全融合、イエスは次のフェイズに行きたがっている。」
「神にでもなるつもりかよ。」
爆発に似た音が後ろから聞こえ、理事長室の扉が目の前を転がる。扉を蹴り開けて姿を現したのは早乙女刑事。
「遅かったな、早乙女刑事。」
「俺が来ることが分かったのか?」
「…勘かな」
「勘って…やっぱお前、俺の正体に気付いてんだろ?」
早乙女がスーツの懐から取り出したのは注射器。容器内には透明な液体が満ちている。
「まあまあ、来客が多いですわね。」
理事長は人間の姿のまま背中に翼が生えた。初老のおばあさんに翼が生えると言うのも見ていてアンバランスだが、背中から生えたそれは蝙蝠の翼に似ていた。眼は黄色に迸る。理事長室の天井を吹き飛ばし、現れた星一つない夜空は雲が淀み異世界を連想させた。黒い空に浮かぶ悪魔の黄色い眼が異様に煌めく。
「早乙女!」
「分かってんだよ!」
早乙女は自分の首に注射器を突き立てると液体を体内へ流し込む。注射した地点から侵食は始まり、痣のように紫に変色した後、黒く淀んでいく。
早乙女辰真 二十八歳。
彼は大学時代、十三委員会に所属した。第一世代の兵士である。第一世代はNOT因子を体内に留めておくことが出来ないため、注射器やボトルでNOT因子を何百倍にも薄めたものを体外から摂取する必要がある。利便性に欠け、一時的なドーピングにしか過ぎず、第一世代は失敗作と言われているが、彼らのシンクロ率は一〇〇%を上回る。化け物として暴れまわる彼らは効力が切れると自動的に人間に戻る。早乙女はこの力を持ちながら日本県警へ十三委員会の門外部署として送り込まれたのだ。
「……十三委員会 第一室室長補佐 早乙女辰真――」
「……第三室室長 神戸四季――」
宙を舞う悪魔を眼前に、紫雷を纏う室長と、黒煙を纏う全身黒鎧のような悪魔は飛び上がる。ジャンプではなく、飛行だ。
「「―――押して参る!」」
「ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアア」
早乙女が理性を飛ばして『十二番』に掴みかかる。『十二番』は黒い腕を生成し、早乙女を襲うが後ろに続く僕の紫電が腕を弾く。
「Not factor patent―code THUNDER LIZARD」
自分のコードを詠唱し、自己をNOTと同期する。
「これを弾きますか…」
感心したように眼を細める『十二番』に距離を詰めた早乙女は、『十二番』の腰に自分の足を絡め密着し、拳を溜めた。
「そんな隙あって野生の本能ってのも大変だな。早乙女。」
僕の雷が届くよりも先に『十二番』の腕が早乙女の心臓を貫く。
「人間は心臓が弱点だと聞きましたよ。貴方もそれは同じ…」
言葉を遮るように早乙女は溜めていた拳を『十二番』の顔面へ叩き込んだ。老婆の顔は吹き飛び、血飛沫の代わりに黒い靄が生まれる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
早乙女が怒り狂ったように拳を付きまくり、空中でも打音と衝撃派が伝わり振動する。『十二番』が憑いていた理事長・色芳香子の身体は霧散したが、辺りに漂う忌まわしさの塊は消えない。
「そうですか、早乙女さん。貴方は一時的に人間ではなくなっているのですね。道理で心臓を壊しても動くはずです。」
心臓を異物で貫かれながらも動き回る早乙女を見て『十二番』は言ったのだろう。『十二番』の気配はそこら中から感じるが、闇と淀みしか見えない。
「『十二番』お前は僕らを舐め過ぎだ。もっと真面目に戦ったらどうだ?」
「…いえ、戦う気はありませんよ。この陽正高校にしても私と私の眷属を強化するため塒にしていたに過ぎません。十三委員会に露見してしまっては安息も十分に取れないですし、この辺りで引こうかと思います。」
「…二ついいか?」
僕は辺りを漂う存在に声を掛ける。無視されるかと思ったが、想像よりも人間に開放的なのか女性の声は帰ってくる。
「答えられる範囲なら聞きましょう。なんですか?」
「溝口俊介、島崎真二あの二人はNOTで間違いないな?」
「それはお答えしかねますが、私がここで育てていたのは三体ですよ。溝口君はこの前、次のフェイズに移動しましたのでここに居るのは私を含めて三体ですね。」
「…ネクストフェイズ…か。」
空間に反響した声が知らせた数は三。僕が認知できたのは色芳香子を含めて三。それでは数が合わない。一体見逃しているのは…古川楔か。
「やはり…『神隠し事件』はお前が黒幕だったんだな。」
「出来る限り公にしないよう数と期間には気を使ったつもりなんですけれど、悪事千里を走るとはこのことですかね。上手くいかないものねぇ」
彼女の回答を肯定と受け取った。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
早乙女が咆哮し、闇を切り裂く。夜空に星が見えると『十二番』の存在は徐々に薄れていく。
「……『十二番』恨みは晴らさせてもらうぞ。いつかな…」
虚空に響く宣誓は暗闇に溶けるだけで返事をしなかった。
危機が去り、理事長室に舞い戻ると早乙女は薬の効力が切れたのか人間に戻った。
「いつ変身しても辛いなこれは…身体中の筋が伸び切って痛い…」
「悪いな。思ってたより呆気なく終わったから無駄に力を使わせたかもしれねぇ。でも感謝してる。」
ソファに腰かけると服装を正しながら早乙女はケータイをチェックする。今の騒ぎが街に影響を与えていないか確認しているらしい。僕も外を見渡す限り人影は見えず、遠くで消防やパトカーの音が聞こえるが、到着までは時間がかかるだろう。
「いいさ、気持ち悪い。…誰か通報したみたいだ。確かに爆発音やら雷やら異常なことが重なったからな。誰かが不審がっても普通だ。」
煙草を咥え火をつける。煙を吐き捨てる。
「ストレス溜まんのか?」
「当たり前だろ。ストレス溜めるなってのは無理な話だ。仕事柄もある。それよりお前、体育館で部下が死にそうになってたぞ。いいのか?」
「ヴィルマ君が……?」
「知らんが、女の子だ。」
『十二番』の言葉を思い返すと眷属が三体はいることが分かる。どうなるかなんて体育館に置いて来た時点で解っていた。新米兵士のヴィルマ君はまだNOT因子を上手く扱えていないはずだからね。
「いいんだ早乙女、彼女はもう死んでいる。」




