【錆びた町(上)】 悠久のディストピア。永遠の町に生きる人々。 -Rain of Rust and the Ruins-
私たちはみな、四十歳を迎えると消えてしまう。
誰もがあたり前に知っている、疑問を挟む余地のない〝条件〟だ。でもそれは、昔はもっと個人的で曖昧なものだった。
(人は、いつか死ぬ)
消えるのではなくて、死ぬ。
生まれてすぐに。あるいは百年もの時間を超えてから、死んでしまう。
――がたん、ごとん、がたん、ごとん。
過去のこと。
文明が発達して、世界はおおよそ豊かになった。旧世紀の終わりには、エネルギーの最小効率化と保存媒体が完成し、他へと転用する技術も知れわたった。
エネルギーの供給量は、あらゆる需要を上回り、ヒトは0から1を生み出せる。人類は今後、半永久的に数を増やしていくと思われた。けれど、結果的にそうはならなかった。
「〝錆びの雨〟」
今から五十年ほど昔、空から特殊な雨が降り始めた。
「〝鈍色の町〟」
世界の人口は、破滅的に失われた。
地上の街は、大量のエネルギー保有体と、有り余る物資を置いて残された。
――がたん、ごとん、がたん、ごとん。
私を乗せて列車は走る。小さな一両編成の列車。他には誰も乗ってない。
車掌もいない。全自動操作の車内でひとり、私は窓の向こうの景色を見やる。この世界の空は、週に一度でも晴れたら良い方だ。陰気な空模様も相まって〝壁の外〟はだいたい灰色一色にできていた。
(この雨に触れたら、私も錆びて、死んでしまう)
錆びの雨、鈍色の町。
ガラス窓を隔てた風景をじっと見ゆる。景色は網膜を通じて脳に届く。私の内部で流動する『ナノアプリケーション』は、それを画像記録として取りこんだ。
視線を側に移し、持ってきたバッグを開く。画用紙を取り出して、白を一枚留める。キャンバスの上に、実在する色鉛筆で書き写していく。
(……私が、私であるために……)
この世界を写す。色を添える。
いつか同じように失われる、貴女に届くために。
※
空からは、今日も〝錆びの雨〟が降っています。
地上はだいたい、毎日が曇り空です。
雨に触れた肌は、かさぶたのように赤く、硬くなってゆき、最後にはぺりっと剥がれ落ち、生命ごと朽ち果ててしまうのです。
人々は、地上の町を捨てました。
雨の影響を受けない、ドーム型の循環都市〝銀の都〟を作り、そちらに移りました。また別の人々は地下を広げ〝回廊郷〟と呼ばれる一帯で暮らしています。
私は最近になって地上の町に越してきた、独立型の人型機構と呼ばれる非生命体種族です。なので、錆びません。
灰色の空と、無人の町並み。音の乏しい世界のなか、私が運転する自動車のワイパーが、規則的な音をたてています。
――ぎったん、ばったん、ぎったん、ばったん。
運転席に座り、時速四十キロという、非常にまったりした速度で移動中。
本日の風向きはおだやかで、雨はぽつぽつ小振りの程度。
――ぎったん、ばったん、ぎったん、ばったん。
白いライトバンのフロントガラスから、規則的なリズムが届きます。自動車は、錆びの雨が降る前に作られた年代物でした。当時に作られたワイパーも、ここまで毎日使用されるのは想定外だったことでしょう。
――ぎったん、ばったん、ぎったん、ばったん。
永久循環炉なるものが完成した現代、望めば手に入らぬものはありません。ですがいわゆる型落ちの、個人的な私物に関しては届くまで時間がかかります。
――ぎったん、ばったん、ぎったん、ばったん。
丈夫なカーボンと、ゴムの素材が欲しいのです。さすがに使用年数を超過していることもあって、ガラス面を移動する音が今日も響きます。
(むぅ。やはり油を差し足すぐらいでは、限界なのですよ)
ハンドルを握った運転席で思いました。普段、お仕事で使っている、この自動車も無機物ですから、私と同じく雨にぬれても錆びません。
しかし物は古くなる一方です。ワイパーのみならず、肝心のエンジンやブレーキオイルもまた、本来の性能の半分以下にまで落ち込んでいます。
アクセルを思いきり踏んだところで、時速の上限は五十キロ止まり。急ブレーキを踏んだ場合も、完全に停止するまで、のんびりみっつ数える余裕があります。
(このままでは絶対、いつか事故るのですよ)
ハンドルを握るたびに、思います。エアバッグは正しく機能するのでしょうか。そして私は無事でいられるのでしょうか。
「左折します」
ウインカーを出して道を曲がります。ブレーキがかからず、氷の上をすべるように、すーっと進んでいくのもいつものこと。上手い具合にコーナリングを意識する必要があります。
気分だけはF1ドライバーなのです。
――ぎったん、ばったん、ぎったん、ばったん。
でもね。もうね。
正直な話、可能な限り、迅速に修理したいなーって思うのです。
『サヤ』
ですけれど、それは許されないのでした。
『不埒な事を考えていますか?』
「ナビ」
フロントボードに内蔵されたカーナビ装置が点灯します。音声通信です。
『あなたはいま、内部指向にて、わたしの状態に不満の声をあげましたね?』
ぎくり。
「そ、そんなことないですよ? だいたいどうしてそう思ったんですか、ナビ」
『特に解答に至る理由はありません。が、〝そんな気がしました〟』
内蔵型のカーナビゲーションシステム。前時代に残された人工知能技術のひとつです。彼女の感性は正確で、とびきり鋭いものでした。
「ねぇ、ナビ」
『なんでしょう、サヤ』
「いつも思うのですが。貴女、実はエスパーだったりするのでは?」
『ありえません』
ふっ、と鼻で笑った感じに言われてしまいます。
『わたしは只のカーナビです。たかが〝三歳児〟のあなたとは、経験値の蓄積量が圧倒的に違う。それだけのことですよ?』
「むぅ。じゃあ私もいつか、相手の心が読めるようになりますか?」
『心は読みものではありません。天気予報に等しいものを、必ず当てられると確信してるようでは、まだまだですね』
そして彼女は、とても人間らしいナビでした。
『本題に戻します。わたしの一部を〝改造〟しようという不埒な考えは、今すぐに消去してくださいね、サヤ』
「改造ではなく、修理なのですよ」
『わたしのパーツを弄るのですから、同じことです』
カーナビの映像が切り替わります。
表示されるのは、私の顔写真を含んだ個人情報。あるいは免許証でした。
『生体ネットワーク登録者名「蒼月沙夜」。
製造年月日「2103年5月3日」
種族「独立人型機構・分類十代女性型」
本籍「地下・回廊郷第三層区域・蒼月研究所」
この者を、本自動車における、
DNAⅡ起動鍵の始動を可能とする〝仮所有者〟の一名として認める』
生真面目な物言いが続きます。まぁようするに、私はこの車の運転手を務めてもいいですよ。でもそれ以外は許しませんよ。というわけです。
『いいですか、サヤ。電気燃料を追加するのは必要上認めますが、製造元が不明な機械油を注入したこと、わたしはまだ許していませんからね』
「でもしばらくは調子良かったじゃないですか。それに、ワックスでピカピカに磨かれるのは、許してくれたわけでしょう?」
『それはあなたの義務です』
「ぎ、義務ときましたか……」
『当然です。運転手は責任を持って、車を慈しまねばならないのです』
「ではパーツの取り換えも」
『拒否します』
うーん。なんなんでしょう。その差は一体っ。
「ひとまず後日、また話合いましょうね」
『余地はありませんね』
「むぅ……」
ウチのナビは頑固です。私はきっと、前時代的なお姑さんにいびられて、泣き寝入りする嫁のような立場なのですよ。よよよ。
『サヤ』
「いえっ、な、なにも不埒な妄想はしてませんわ、お義母さまっ!」
『わたしは貴女の母親になったつもりはありません。それよりも〝お手伝い〟を希望する要請が入りました。要請者は、中央区駅の坂崎浩二様です』
「あ、わかりました。向かいましょう。どうせ今日はお暇でしたからね」
『だいたい毎日暇でしょう。今日だってこの後は家で』
「あー、忙しい、忙しいっ」
『もう少し、ごまかし方も覚えた方がいいと思いますがね。では目的地までのルートを表示します』
画面がまた切り替わります。
すでに周辺の地理は頭に入っていましたが、生真面目に職務を実行してくれる彼女に対して、素直に「ありがとう」と告げました。
弱々しいウインカーを出して、駅の方へと最短の経路で向かいます。
一年前。私は生まれ育った地下を出て、この町にやって来ました。
〝お手伝いさん〟を始めたのは、思いつきでした。
特にこれといった作業の限定はしていません。人手が欲しいという理由でしたら、だいたいなんでもやってます。
雨にぬれると錆びてしまう地上で暮らす人々は少ないですが、それでも皆無というわけではありませんでした。
しんしんと、静寂の続く町のなかで。日々、息をする気配もあるのです。
市駅ホームから伸びた線路。
北と南で二ヶ所ある出入り口の、南側に到着です。こちらが昔は表玄関口となり、バスターミナルや路面電車が通っていて、正面には大きなビルも並んでます。
「よいしょ、と」
本当の意味で無人の駐車場から、歩行用の縁石を超えてワイルドに乗り上げます。誰も咎める人はいないので見逃していただきます。
屋根のあるところまで直接進んでから、エンジンを切ります。後ろの席に常備してある長靴と、淡い桃色の雨合羽をとりました。
私は地下で作られた『オートマタ』です。雨の影響は受けません。
しかし地上の人からすれば、〝雨にぬれた人〟というのは、ある意味おそろしく映ってしまうのです。そのことを知ってから、外に出る時は欠かさず雨合羽を羽織り、長靴を履くようにしました。
いわば、これもエチケットの一種です。
郷に入っては郷に従いませ。という言葉もありますしね。
「それでは、いってきますね、ナビ」
『いってらっしゃい、サヤ』
扉を開けると、リノリウムの床と、アスファルトを打つ小雨の音が聞こえます。
私は雨の音を聞きながら、駅の構内を歩いてゆきました。
静かな券売機の側を通って改札口を抜けます。屋根つきの、一番ホームのところまでやってくると、一人の男性と、一匹のわんこさんのお姿が見えました。
「わふっ、わふっ、わふっ」
「……ん?」
こちらへ振り返った一匹の小型犬の頭上には、ちょこんと制帽が乗っています。隣には駅員の制服を着た男性の姿も見えました。
「こんにちは、坂崎さん」
「やぁ。早かったね。蒼月くん」
駅員の坂崎浩二さんです。
深い藍色の駅員を示す上掛けに、透明の雨合羽を着ています。フードの部分は首の後ろに垂らしていて、黒髪はいつものように短く刈り込んでいます。
「いきなり、呼び寄せてすまなかったね」
「いいえ。ちょうど暇をしてましたから。あの、リクさんに触れてもいいですか?」
「もちろん。撫でてやっておくれ」
坂崎さんが言って、リクさんに乗せた帽子を取ります。私が屈むと、リクさんも一歩身体を前に寄せてきます。
「はふ」
カラカラ、と補助輪が音をたてて鳴りました。リクさんの後ろ脚二本は、昔に錆びてなくなっています。
「えへへ。もふもふです~」
「わふっ」
たまりません。ふかふかの毛並が至福です。
私の頬をぺろぺろ舐めてくださるのも、少しくすぐったくて、実に良い気持ちなのです。
「はぁ。私のナビも、これぐらい可愛げがあったらいいのに」
「ナビというのは、君の自動車についてるシステムだったかね」
「そうです。旧世代の末期に作られたカーナビなのです。ただ、外部との通信をはじめ、いろいろ出来過ぎちゃうので、ちょっと小生意気なのですよ」
「ふむ。しかし旧世代の物ならば、君のように完全に自立したAIとは違うのだろう。基本的にはテンプレートを返すボットだと記憶しているが」
「いえ。……あー、えっと、その辺りはですね……」
ちょっと説明しづらい事情もあったりします。私が言葉に迷っていると、坂崎さんはまた笑顔を浮かべて、「失礼いたしました」と聞かなかったことにしてくれました。
「さて、もうすこしで列車が着く」
「ご用は荷物の運搬ですか?」
「あぁ。なにか都の方から、臨時の物資が届くそうでね。手間をかけさせて悪いけれど、荷物を下ろしたら、君の自動車で運んでほしいんだ」
「どんな荷物なのですか?」
「それがね、珍しく要領を得ない。受け取れば分かるらしいんだが。まぁとりあえず、危険物ではないとのことだから」
「わかりました。お引き受けします」
「ありがとう。頼んだよ」
坂崎さんがおだやかに微笑んでくれます。彼は今年で六十歳になるらしいです。この無人駅の監視員、線路を辿って〝銀の都〟から届けられる配給物資を受理する仕事をつとめ、三十年を超えるそうでした。
しかし外見の見た目は若いまま。坂崎さんは、二十歳になってから歳を重ねることがありません。
彼は『ノーボディ』と呼ばれる人間でした。雨に濡れて錆びない限り、永遠にこの世界を生きてゆけます。
「来たようだね」
東の先、線路を走って列車がその姿を見せました。
「あの、坂崎さん。……あれ、普通の列車ですよね」
「ほんとだ。貨物車ではないな。まさか」
すべてが自動操縦されている一両だけの列車は、ゆっくり、ゆっくりと近づいてきます。そして私たちの前で止まりました。
「誰かひとり、乗ってますね」
「銀の都からやってきた〝アップデータ〟かね」
囁き合う私たちを気に留めるはずもなく、無人列車の扉は開きました。そして中から女の人がひとり、降りてきました。
「こんにちは」
艶やかで長い黒の髪。細長い睫に、晴れた空と同じ色の瞳。
美人さんです。膝下までのワンピースを着ていて、両手に旅行用の鞄をひとつ持ち、私たちに向かってお辞儀します。
「お初にお目にかかります」
静かな、それでいて、自然に響き渡る声でした。
「わたくし、秋野栞奈と申します。よろしければ、この辺りで滞在できる場所を教えていただけませんでしょうか」
私たちは秋野さんをお連れして、駅の中にあるお店の中に入りました。
「動物と一緒だが、気にするかね?」
「いいえ。大丈夫です」
私は秋野さんの向かいに座ります。坂崎さんはカウンター席の後ろにまわり、コーヒーミルを取り出して、豆を焙煎してくれます。外はいつものように錆の雨が降っていて、こちらの室内には良い香りが漂ってきます。
「わふ」
床の上にはリク君が素直に伏しています。私たち三人の様子を静かに見比べているようでした。
「あの、こちらのお店は、駅長さんのお店ですか?」
「そんなところだよ。昔は妻がやっていたけどね」
豆を抽出する一方で、別のカップにあたためた牛乳とシロップを注ぎながら、昔を思い出すように言います。
「この町におとずれる人は、一年を通じても数えるほどだからね。毎日、休憩時に訪れるのは私と、そこに伏しているリクぐらいのものだったよ」
「む。坂崎さんっ、今は私が通ってるじゃないですか」
「はは。そうそう。蒼月くんは数少ないウチの上客だね。駅の店だけに」
「えっ?」
「え?」
あ、少し空気が凍
「えー、それはつまり、上客と乗客をかけあわせているという事でしょうか」
生真面目に返答する秋野さんの問いかけ。
「うむ。面白いだろう?」
「……」
かちーん。秋野さんは真顔、無言で頷きました。こっくり。
「そ、そうだっ、秋野さんは銀の都から来た、アップデータなんですよねっ?」
すかさず、フォロー。
地上の人たちは、こんな人たちばかりと思われてはいけません。
「えぇ。ところで駅長さんは……」
「私はノーボディだよ。体内に『ナノアプリケーション』は変わらず存在しているが、すでに共有機構を更新する権利は失われている。ま、三十年以上前から、世捨て人になったようなものだ」
坂崎さんは、なんでもない風に言いました。
「ただ、今でも正式な契約履歴はあるからね。なんだったら、この店の権利なんかも、君の方で検索してくれれば、その辺りのこともハッキリするよ」
「わかりました。それでは少しだけ、覗かせていただきます」
秋野さんが、自らの手の甲を二度、人差し指でトントンと軽く叩きます。その何気ない動作が、情報インプラント技術『ナノアプリケーション』と呼ばれるものの、起動鍵となっている様でした。
現在、地上の政府や企業といったもの、不動産物そのものの権利と管理にいたっても、錆の雨が降って以来、あらゆる機能は停止状態に陥っています。
そこで土地の権限に関しては、〝銀の都〟にある、大規模DNA認証型クラウドサーバシステム、および超高度AI『MANAS』に一括管理されています。
「確認が取れました。建築物件の地主データベースより情報の一致を確認。三十年前に、こちらのお店の権利を獲得されたのですね」
「そうか。もうそんなにもなるんだな」
銀の都のアップデータさんは〝共有思想者〟とも呼ばれ、この『MANAS』にアクセスすることができるのです。
みんなで情報を共有し、管理して生きていく人たちなのでした。
「はい、できたよ。お待ちどう」
坂崎さんがプレートの上にふたつ、良い香りのするカフェラテを乗せて運んできてくれます。リクさんは変わらず素直に伏しています。躾のできたいい子です。
「さてと。それじゃ話を聞かせてもらおうかね。君は、正規の方法で都を出てきたわけじゃないようだ。今朝、荷物が届くという情報は届いていただけれど。アップデータがひとり出国してくるという話は聞いてなかったよ」
「すみません。実は、システムの入出力管理の隙間を抜けてきたんです」
秋野さんはあっさり言いました。
「隙間を抜けてきたって。つまり、管理AIを騙して出国してきたんです?」
私も聞くと、秋野さんはもうひとつ頷きます。
「はい。壁の外に興味を持つ〝私たち〟は稀なんです。外部からの入国審査は厳しいのですが、出国に至っては運搬システムを改竄できる隙間を見つけてしまえば、存外簡単でした」
「あの……あとで怒られたりしませんか、それ?」
「大丈夫です。私の方からシステムの脆弱性を指摘しておきましたので、むしろ感謝されると思います」
「え、褒められてしまうんですか?」
「はい。私たちは〝より完全なもの〟を求め、追求していますから。個人の主観よりも全体の総意こそが重要であり、その欠点が明確であることが発覚した場合は、即座にシステムの改善がとり行われ、発見者は概ね賞賛されます」
「ほむ~」
ところ変われば、常識も変わるようなのです。
「それにしても、君はどうして無断で街を出てくるような真似をしたのかね。出国するだけなら、正規の手続きを踏めば問題はないだろう」
「普通に外に出ようとしても、きっと、両親に反対されていましたから」
秋野さんの笑顔が、ほんの少し陰ったような気がしました。
「私は、どうしても一度、外の世界を見ておきたかったんです」
坂崎さんも今度はしずかに、窓の外を見つめます。
「ま、そうだろうね。錆びの雨は、銀の都にいる君たちにとっては、馴染みのない〝死〟だものな」
「えっと……どういうことなのです?」
私が尋ねると、坂崎さんはひとつ頷き、言いました。
「壁の向こう、銀の都に住む、アップデータはね。個々の情報リソースがすべて、体内を巡る『ナノアプリケーション』と、超高度AI『MANAS』に管理、統治されている。そして基本的にアップデータは〝死なない〟んだよ。その代わり、例外なく四十歳を迎えると同時に〝消滅〟する」
「消えてしまうのですか?」
「……えぇ。私たちは〝消えてしまうのです〟」
秋野さんは言いました。
「私たちは四十歳、正確には婚約した夫婦が、そろって四十歳を迎える日に、この世から〝消滅〟します。わたしの両親も来月に、消えてなくなることが〝確定しています〟」
変わらぬ口調で、淡々と断言する秋月さんに、私はちょっとあわてました。
「そ、それは、えっと……あの、お淋しいですよね」
「ありがとう。でも平気ですよ。わかっていることですから。ところで蒼月さんは、地上のヒトですか?」
「あ、違うのです。私も元は〝回廊郷〟の出身です。おつむには生体パーツではなくて、モデリングされた人工知能が入ってます」
「まぁ。ということは、地下で製造された、自立型のオートマタさんなのですね」
「なのです。雨に打たれても錆びないのです。でも、秋野さんは怖くなかったですか?」
「雨に直接ふれなければ、問題はないと聞いています。要は火と同じかと」
私が聞くと、秋月さんはまたもあっさり、応えました。
「若人は威勢がいいね。さて、少々話がそれてしまったが、君がこちらに来た目的を聞かせてもらっていいかね?」
「あ、はい。実はわたし、外の世界の絵を描きたいと思ってまして」
秋野さんが鞄の中から厚紙の束を取りだします。てっきり着替えの衣類なんかが入っているのかと思ってましたが、
「大きいメモ帳です?」
「いえ、絵を描くための画用紙、スケッチブックですよ」
最初の一ページをめくると、列車の中から描いたと思われる、この町の風景画が現れました。でもそれは、普段見慣れた鈍色一色とは違っていました。
「ほわぁ。す、すごいです! キラキラしてますっ」
たくさんの色で線を引かれた町並み。
空には、七色の不思議な橋もかけられていました。
「すごいですっ、秋野さんは絵描きさんなのですかっ」
「ただの下手の横好きです」
「いや、しかし充分に上手い方なんじゃないかね。これは」
坂崎さんも驚いた顔になって、彼女が描いた絵を見つめます。リク君も気になったのか、そわそわとやってきて、鼻をふんふんさせています。
机の上、続けてめくられたページにも、色彩豊かな町の光景が飛び込んできます。
「ほわぁ、ほやぁ~! 綺麗なのです! 美しいのです!」
私はどう見ても、素人丸出しの感想をあげました。
「確かにこれは素敵な絵だが。君は絵を描いたあと、どうするつもりだい。もちろん家には帰るのだろうね?」
「もちろんそのつもりです。こちらには数日、長くても一週間以上、滞在するつもりはありません。壁を出てくる際に、共有通信で両親にも連絡は入れましたので、どうか少しの間だけ、見逃して頂けませんでしょうか」
「うーむ、そう言われてもなぁ」
「問題ありませんっ、その〝お手伝い〟承りましたっ」
「蒼月くん?」
渋い顔をする坂崎さんを差し置いて、手をあげます。
「私はこの町で〝お手伝いさん〟をしています。もう、どーんと、どどーんと、お任せくださいなのですよ!」
※
十六歳の夏。
両親が消えてしまう最後の夏に、わたしは両親に黙って家を出ました。
壁の向こう側。屋根のない、空に満ちた領域へ。
そこで出会ったのは、わたしと同じく、過去に町をでて四十九日が経ち、共有機関を失った『ノーボディ』の駅員と、雨で後ろ脚を喪った小型犬。それから人工知能を搭載した、わたしと同じ年頃の、機械仕掛けの少女でした。
「どうぞ秋野さんっ、すこし古い車ですが、雨漏りなんかはしてないので、安心してお乗りくださいなのですよ!」
「はい、ありがとうございます。では失礼しますね」
わたしはお礼を言って扉に手をかけます。しかし開きませんでした。
『あなたはどちら様ですか?』
「えっ?」
声、というか音でしょうか。車の内装の一部に光が灯り、わたしに問いかけるようにして、再度その音が響きわたりました。
『あなたには、わたしの助手席に乗る権限がありません。わたしの左手に掛けた手を離していただけますか?』
「ちょっと、ナビっ! 秋野さんはお客さんなのですよっ」
『お客さん? そんな〝お手伝い〟の案件を受理した記憶はありませんが?』
「まったくもう、ナビは失礼なのですっ、予定がちょびっと変更になるのはいつものことなのですっ」
運転席側に回っていた蒼月さんは、なにやら車に対して憤りの声をあげていました。わたしがここにいる事情を口頭で説明しています。
『概要を整理します。つまり、銀の都を出てきたのは荷物ではなく、こちらの共有型生命体であったわけですね』
どうやらこちらの車にも、人型ではない人工知能が搭載されている様です。
『あなたは、悪人ですか?』
「えっ?」
なにやらまっすぐに尋ねられてしまいました。
わたしはしばし思案し、答えをだします。
「悪人ではありません。少なくとも、この世界の方々に危害を与えるような真似は致しませんし、元よりそんな気持ちを持ってはいません」
『了解いたしました。その言葉に嘘が混じっていないことを認めます』
すると、手元の扉は不意に軽くなり、自然と鍵が外されました。改めて失礼しますと告げてから中に乗り込みました。
「よかったのです。もー、うちのナビってば頑固なのです」
『誰が〝あなたの〟ですか。調子に乗らないでくださいね。アンポンタン娘』
「あ、あんぽんたんこっ!?」
『サヤのことです。いつもいつも、その場限りの安請け合いをして、後先のことをまったく考えていらっしゃらないので、その様に評価するのが極めて適切であると判断しました』
「ねちっこいっ! ナビってば嫌味の言い回しがいちいちねちっこいのです!」
『わたしもこのような無駄なことに、毎回エネルギーを割り振るのは極めて不本意であると判断しています。まったく未熟な三歳児の身勝手につきあって、貴重な電力が6ワットも持続的に消費されることの非生産性を吟味していただきたいものですね。サヤ』
「わかりました。わたしの負けです。もういいです。ごめんなさ~い」
『よろしい。では二人とも、シートベルトはしっかりとご着用してください』
「はい」
「ぐぬぬ……」
わたしは言われた通り、シートベルトを締めました。画材を入れてきた肩掛けのバッグは、膝元に置いておきます。運転席に座る蒼月さんは、若干こめかみをぴくぴくさせながら、座席シートをいっぱいに詰めて、ハンドルを握りました。
「そ、それでは秋月さん。どこか行きたいところがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」
「そうですね。あの……ガッコウってありますか」
「学校というと。この世界の学び舎的なところです?」
「はい。一度拝見してみたかったんです。わたし達のところでは、すでにそういった施設については存在していませんから」
共有通信をしていれば、知識はいくらでも手に入り、蓄えられる。
わたし達の間では、特別大きな差は存在しない。各々が持つ興味が個性に直結されて、近しい思想をもった相手に共有される。
上下関係というものはひどく希薄になっていた。なんらかの交流や意見交換を目的とした場は、図書館や運動場、あるいは研究所といった施設が中心となる。学び舎という場はすでに概念として、特に必要ないものとなっていた。
「わかりました。ナビ、お願いします」
『了解しました。この駅からもっとも近い、元私立高校であった場所へのルートを表示します』
車の正面の機材に、この世界の地図が浮かびあがりました。
蒼月さんがアクセルを踏んで、車はゆるやかに発車します。フロントガラスの上を、ワイパーが「ぎったん、ばったん、ぎったん、ばったん」と音をたてます。
ゆるやかに縁石を降りて。
雨の降る町を進んでゆきます。どこまでもゆるやかに。延々とゆるやかに。
「曲がります~。ちょっと揺れるのですよ~」
すべるように。ほぼ無人の街並みを、進んでいきました。