女御 -COURT LADY-
月帝は庭の池から下界を見下ろし、目を細めた。
「時は満ちた。…奴は、下界の男と契ったか」
月帝は後ろに控えた女官に声をかけた。
「怜香、欠けぬ月の夜に下界に下る。今から月読の大神へ文を書く。墨を持て」「かしこまりました。今暫くお待ちください」
女官はそう言うと拝礼し、その場から歩き去った。
月帝はもう一度池の中を覗き込むと微かに笑った。そして、自らの腕に連なった玉環を一つ抜き取ると、池に落とした。
「"陽"と結びつくかは運しだいよ」
そして、彼は笑みを浮かべたまま、踵を返した。
朔哉は目の前に座る見慣れた女に目を向けた。
「梅壺…何がいいたい」
女もとい梅壺女御が先程より、一段と声を張り上げた。熱を帯びた夜露のような黒い瞳が朔哉を見上げるが、以前のようにその美しさに酔うことはなかった。
「わたくしは皇子を生みとうございます」
赤い唇から、吐息のような、だかはっきりとした玉の声が転がる。
「それがどうかしたか。そなたのもとへ通うか通わぬかは我が決める。このような遊びの時にそなたが言うべきことではない」
朔哉はうんざりとして投げ遣りな言葉で返す。その言葉に梅壺女御が顔を伏せた。違うところで女どもが含み笑いを漏らすのを感じた。朔哉はため息をもらすと再び梅壺女御に言葉を投げた。
「そう気を病むでない。我は他の女のもとへも通ってはおらぬ。それはそなたが重々承知のうえであろう。…何を急く」
その言葉でさざ波のような嘲笑が静まりかえった。
「……っ。わたくしは」
梅壺女御は伏せていた顔をあげた。その目は憎悪をむき出しにし、爛々と光っていた。
「なぜ、どこぞの馬の骨とも分からぬ女のことなどをいつまでも心に留めおかれるのか。卑しき婢ではありませぬか」
梅壺女御ははっきりと『婢』と呼んだ。
その場の空気が一気に冷めた。他の女御らは息を潜め、その女房らは顔を青ざめた。その中で帝と右近は眉を潜めた。
皆々、かぐや姫のことは知っていた。帝が毎日文を書くことも風の便りで聞いていた。だが、その事を腹立たしくは思わなかった。かぐや姫が張り合うに値する女ではなかったからだ。梅壺女御のいう『婢』は高貴な者にとって人ではない。帝の余興のひとつだろうと考えていた。それ以前に、帝の行いをとやかく言うのは、中宮にでもならない限り無理だったのである。
それを梅壺女御は言った。梅壺女御からしてみたら、一番帝の寵愛のある自分こそ言えることだったのだろう。
「そなたは何だ」
帝が鋭く言った。梅壺女御がビクリと肩を揺らした。その顔は先程とは違い、青ざめていた。
「…女御の御位を賜りました女でございます」
「中宮でない者が我に逆らうのか?」
梅壺女御の歯が恐怖でカチカチと鳴り始めた。
「め、滅相もございません!わたくしは逆らうなど…」「黙れ」
その場の誰もが息をのんだ。平常なのは右近くらいだっただろう。
「我の前でこれ以上この話題に触れるな。…気分が悪くなった。宮へ戻る」
そう言うと朔哉は踵を返した。




