15【エピローグ】好きだと、言って。
時は、ゆっくりと、優しく流れていく。
悲しみを、懐かしい思い出へと変化させながら、優しく流れていく。
そして、三度目の夏が訪れた――。
今年の夏も、空には、相変わらずの綿菓子みたいな入道雲が、モクモクと広がっている。
さわさわと梢を揺らすのは、少しだけ秋の気配が混じった、まだ十分に湿気を含んだ生ぬるい風。
静かに立ち並ぶ墓標の中を、夏を惜しむかのようなヒグラシの、どこかもの悲しい鳴き声が響いてくる。
日が傾きかけた夕暮れ前の、人気のない墓地の一角。
毎年訪れている墓石の前で、濃紺の浴衣に身を包んだ私は、抱えていたミニ向日葵とかすみ草の花束を供え、一人静かに手を合わせた。
「ハルカ、久しぶりだね。また、遊びにきたよ」
三池ハルカ、享年二十五歳。
墓石に刻まれた、もう年を重ねることがない大切な友の名を、そっと指先でなぞっていく。
周りには今も尚、色とりどりの花が手向けられ、生前のハルカの人柄を忍ばせている。
その中程にポツリと供えられているのは、赤いリンゴ飴。
大振りのリンゴ飴は、夕日の柔らかい光を受けて、深い赤に染まっていた。
「浩二が来たんだね……」
あの日。ハルカの葬儀の後。
伊藤君が予想した通り、ハルカの最後を見届け終わった浩二は、男泣きに泣いた。
私は、彼との約束通り、特大ハンカチの役割を果たし、浩二と一緒に、大泣きした。
そして、心の中で、密かにハルカに誓った。
いつか、いつかきっと。
必ず、伊藤君に、この胸の思いを届けようって――。
「ふふふ。でも、びっくりよねー。まさか、浩二がカメラマンになっちゃうなんて」
ハルカの死で色々と考えるところがあったのか、葬儀から半年ほど経ったある日。「俺は、カメラマンになる」と言って、浩二は勤めていた会社を辞めて、黒谷隆生とかいう有名な写真家の先生に弟子入りしてしまった。
なんでも、半年の間通いに通い詰めて、根負けした先生が弟子入りを許してくれたのだとか。
まあまだ、カメラマンとは名ばかりの使いっ走りで、いつ会っても「金がねぇ~っ!」と、ぴーぴー言っているんだけど。
おばちゃんに、「これだから、お気楽な次男坊は!」と、ことあるごとにお小言を言われているみたいだけど、その瞳は、まるで少年のようにキラキラと輝いている。
そして、私はと言えば――。
「はいこれ。ハルカに、お土産だよ」
私は、小脇に抱えていた一冊の小冊誌を、そっと墓前に供えた。
ライトブルーの表紙には、淡い色彩で、青い水風船と赤いリンゴ飴が描かれている。
そして、そのタイトルは、『好きだと、言って。』
私も浩二と同じで、ハルカの死をうけて、学生の時に諦めてしまった作家への道に、もう一度挑戦し始めた。
OLをしながら、文芸のコンテストに応募を繰り返す傍ら、ネット小説やブログ小説などにも手を広げ、紆余曲折しながらも、縁あってある小説サイトで主催されていたコンテストで賞を頂いた。
少ない部数ながら書籍化されると言う、幸運なおまけ付きだ。
内容は、『病気がちで、小柄な体にコンプレックスを持っていた主人公の女の子が、高校でサッカー部の男の子と恋に落ちる、コメディ・タッチのラブストーリー』
もちろん。主人公のモデルは、ハルカ。
ちなみに、相手役の男の子は、『お人好しで涙もろい、八方美人が玉にキズの、サッカー馬鹿』。
言わずもがなの、浩二がモデルだ。
浩二にもこの本を送りつけてやったから、きっと今頃は、二十八歳にもなるいい年の大人の男が、女子中高生が読むラブコメを読んで……、泣いているかもしれない。
私は一週間ほど前、伊藤君に一通の手紙を送った。
概略は、
『大切なお話しがあります。
もしも、お時間が取れるようでしたら、神社のお祭りの日に会えませんか?
夜の七時。神社の境内でお待ちしています』
と言うような、用件のみの、極短い手紙だ。
この短い文面の手紙には、更に短い返事が送られてきた。
『了解しました』
前置きも何もなく、これだけがポツリと書かれていて、その文面を見たとき、思わず笑ってしまったのは誰にも内緒だ。
「ハルカ。私、行って来るよ」
私はもう一度、墓前に手を合わせて、ゆっくりと立ち上がった。
まだ、自分の未来図が、はっきりと見えるワケじゃない。
まだ、ほんの夢の途中だけど、それでも。今なら私は、伊藤君に思いを伝えられるような気がする。
だから、そこで見ていてね。ハルカ――。
傾き始めた夕日は、赤く染まる大地の底に呑み込まれ、上空には白い満月が顔を覗かせる。
その淡い月光の下。私の視線の先には、あの日と同じ、賑やかな祭りの灯りが揺れていた。
遠くで聞こえる、祭り囃子の太鼓の音。
賑やかに、行き交う人の群れ。
そこここで上がる、楽しげな笑い声。
食欲をそそる、屋台の美味しそうな匂い。
鮮やかに甦る、遠いあの日の光景を胸に抱きながら、私は、青い水風船を一つ買って、右手の中指にゴムを通す。
左手には、店で一番大きいリンゴ飴。
カプリと、一口かじりつくと、あの日と変わらない素朴な甘酸っぱい味が、口いっぱいに広がった。
もしかしたら。伊藤くんには、もう既に、心に決めた女性がいるかもしれない。
例えそう言う人がいなくても、私を友達以上には思えないかも知れない。もしもそうなら。私は、友達と言う心地よい居場所さえ無くしてしまうかも――。
わき上がってくる不安に、思わず足が止まる。
「怖いよ、ハルカ……」
思いを伝えることが、こんなにも、怖いことだったなんて。
悪い結果だけが次々に浮かんできて、止まった足をすくませる。
静かに目を閉じ、あの日のハルカを思い出す。
私と色違いの、裾に赤い金魚柄が入った、淡い空色の浴衣から出た手足は、白くて折れそうに華奢なのに、しゃんと伸ばした背筋と、真っ直ぐな眼差しは、とても力強くて。
そう。その姿はまるで、太陽を凛と見つめ続ける、向日葵の花を思わせる。
向日葵は、どんなに強い日の光に焼かれたって、太陽を見つめるのを絶対やめない。とても、とても、強い花――。
「ハルカ……」
胸に忍ばせてあるハルカの手紙に、そっと右手をのせた。振られた水風船が、今の私の心のように、ユラユラと揺れる。
『大丈夫だよ。っと伊藤君だって、あーちゃんのこと嫌いじゃないって、ほら、行ってきな!』
ポン! と、優しい風が、励ますように私の背中を押し出した。
ハルカ……。
そこで、見ていてくれているよね。
きっと、不甲斐ない私に、やきもきしているかも。
込み上げる熱いものを押しとどめようと、振り仰いだ夜空には、綺麗な丸い月と満天の星屑。
そこで、ハルカが笑っているような気がした。
『頑張れ、あーちゃん!』
心の中に、懐かしい友の、澄んだハイトーンの声が優しく響く。
そう。
たとえ、思いが叶わなくても。
もう立ち止まったりしない。
私は、一番の友達に、大切なものを貰ったから。
もう、何もせずに、最初から諦めたりしない。
大きく息を吸い込み、息を止めて。
背筋をしゃんと伸ばして、頭を真っ直ぐ上げる。
「うん。玉砕覚悟で行って来るね!」
私を待っている、あの人の元へ。
大好きな、あの人の元へ。
せいいっぱいの、この思いを届けるために。
今、私は一歩、足を踏み出した。
―了―
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
「好きだと言って。」(Ⅰ)~忘れえぬ人~亜弓編は、ここで完結です。
このシリーズは、三部作の予定です。
シリーズⅡは、浩次とハルカサイドの物語を、シリーズⅢで、亜弓と貴史(伊藤くんです。笑)サイドのその後のお話を考えています。色々と妄想の種は尽きませんが、ひとまずこれにてシリーズ第一作、完結マークを付けさせていただきます。
それではまた、次回のシリーズ第二作、この場所でお会いできることを楽しみにしています。




