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好きだと、言って。  作者: 水樹ゆう
(Ⅰ)~忘れえぬ人~亜弓編
31/33

14【約束】夏の終わりに。-1


 浩二の腕の中で、まるで眠っているみたいに、微笑みさえ浮かべて。

 ハルカは、静かに息をひきとった。

 ほんの二十五年。

 あまりにも早すぎる死を、他人は可哀想だと、不幸だと言うけど。

 私は、そうは思わない。

 だって。

 ハルカは、最後に、特上の笑顔を見せてくれた。

 可哀想な人間が、不幸な人間が、あんな満ち足りた笑顔をできるはずがない。

 だから。

 ハルカは、幸せだったんだ――。


 ハルカが、火葬にされている間。私は、親族の人たちのいる控え室から一人離れて、火葬場の玄関ポーチから、ボンヤリと周りの景色を眺めていた。

 小高い丘に建てられているこの火葬場からは、のんびりとした、午後の田園風景が広がっているのが一望できる。

 先日まではあんなに、もこもこと賑やかに空を埋め尽くしていた入道雲はいつの間にか姿を消して、今日は秋めいた薄い鱗雲が広がっていた。

 うるさいくらいに大合唱していたアブラゼミの鳴き声も、心なしか元気がない。

 頭を垂れ始めた、黄金色に変化しつつある稲穂の間を吹き抜けてくる風に微かに混じっているのは、もうそこまで来ている秋の気配。

 秋の気配が混じった、それでもまだ夏の名残りを充分に含んだ、生ぬるい風に頬を撫でられながら、私は、静かに目を閉じた。

 押さえきれない感情の波が、うねるように、心の中で渦を巻く。

 ハルカはもう、この世界のどこにもいないのだと、もう、二度と会えないのだと、頭では理解している。

 でも――。

 昨日まではあった笑顔が、もう見られないこと

 昨日までは聞こえた澄んだ声が、もう聞けないこと。

 昨日までは感じられた温もりが、もうどこにもないこと。

 頭では理解していても、感情がついていかない。心がついていかない――。

 荒れ狂う波に押し出されるように、込み上げてくる熱いものが、せきを切って溢れ出そうとしたその時。

「佐々木!」

 ふいに、前の方から声を掛けられて、私は、弾かれたように視線を上げた。

 低音の、聞き覚えがある落ち着いた声音――。

 巡る視線の先で、喪服に身を包んだ長身の男性が、駐車場の方からゆっくりと私の方へ歩いてくるのが見えた。

「伊藤君……」

 どうして?

 ここに来るはずがない、その人の名前を、私は掠れる声で呟く。

「急なことで大変だったな……。浩二も、来ているんだろう?」

 心配そうに、私に向けられる瞳は、相変わらず真っ直ぐで陰りがない。私は、私より頭一つ分高い位置にある、その瞳を静かに見つめ返した。

「うん、一応、婚約者だからね。親族の人たちと、控え室の方にいるよ。なんだか、色々やることがあって大変みたい」

「そうか……」

 浩二は、たぶん来られないだろうって言ってたけど、来てくれたんだ……。

「伊藤君、今日から海外へ親善試合に行くって聞いたけど、大丈夫なの?」

「ああ。焼香をすませて、浩二の顔を見たら、すぐに戻らなきゃいけないんだが……」

「そっか。忙しそうだね」

「なあ、佐々木」

「うん?」

「佐々木は、大丈夫か?」

「え? あ、うん。大丈夫、大丈夫」

 心配そうな瞳に覗き込まれて、私はブンブン頭を振った。

 そう、私は大丈夫。

 大丈夫じゃないのは、浩二の方だ。浩二が、涙を見せない――。

 あの日、私が、リンゴジュースを買って病室に戻ったとき。

 もう既に息を引き取ったハルカを、まるで、壊れ物を扱うみたいに大切そうにその腕に抱き、全身で、慟哭しているのが分かるのに、それでも、浩二は、涙を見せなかった――。

 医師の正式な死亡診断が下り、駆けつけたご両親が泣き崩れるその傍らで、涙を見せずただ静かに佇んでいた浩二。

 こんなときは、泣いたっていいのに。

 婚約者の浩二が泣いたって、誰もとがめたりしないのに。

「そうか、浩二が……」

 ぽつりと落とされた伊藤君の呟きに、私は静かに頷いた。

「なんだか、心配でね。もともと涙もろいヤツなのに、涙一つ見せないなんて、そうとう無理しているんだろうなぁって。でも、私には、どうしてあげることも出来ないし……」

 私は、何もしてあげられない。三ヶ月年上の従姉だといつも威張っているのに、肝心なときに、何もしてあげられない。

 私に出来るのは、浩二の代わりに泣くことくらいだ。

 ハルカが火葬炉に入れられる直前の、『最後のお別れ』のとき。

 棺桶の中で、みんなに手向けられた花々に守られるように、白無垢の花嫁衣装を身に纏い、死に化粧を施されたハルカは、本当に綺麗で。

 今にも、『あーちゃん』って、いつもの笑顔を見せてくれるようなそんな気がして、私は、込み上げてくる熱いものを押さえきれず、とうとう、泣き出してしまった。

 浩二が泣かないのに、泣いたらいけない。

 そう思えば思うほど、涙は止めどなく溢れ出した。

「大丈夫」

 また涙の余韻が冷めやらず、再び熱いものが込み上げてきてしまった私は、優しく響く伊藤君の声に、ハッとして顔を上げた。

「え?」

「浩二は、大丈夫だ。アイツは、そんなに弱い人間じゃない。きっと、三池を最後まできちんと見送ってやりたいと、それが最後に自分ができることだと、そう思っているんだろう」

「最後に、自分ができること……」

「アイツなら、大丈夫。でも――」

「でも?」

「おそらく、全てが終わったら大泣きするだろうから、そのときは佐々木、君が側にいてやってくれ。俺には、それが出来ないから……」

 伊藤君の、少し鋭い感じのする切れ長の目が、ちょっと寂しそうに細められる。

 そうだった。

 伊藤君は、浩二の一番の親友。私が知らない浩二を、伊藤君は知っている。

 浩二のことを、たぶん私以上に、一番良く理解してくれている人だ。

 そうだね。

 今は、ハルカをきちんと見送ってあげなくちゃ。

 私にとってもそれが、最後に、ハルカにしてあげられること。

「うん。まかせておいて。浩二が大泣きしたときの特大ハンカチの役割、しかと、この佐々木亜弓が承りました!」

 おどけてガッツポーズを作る私に、伊藤君はあの少年のような笑顔を返してくれた。





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