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好きだと、言って。  作者: 水樹ゆう
(Ⅰ)~忘れえぬ人~亜弓編
27/33

  【沈黙】愛は盲目。-4


「説明する」という浩二に連れられて、私と直也は、広いフロアの一角にある喫茶コーナーに足を運んだ。

 時間的にティータイムには中途半端なためか、利用者は一人もいない。大きめの窓から一望できる中庭には、強くなり始めた夏の日差しの下、常緑樹が風に吹かれて緑の枝を揺らしている。

 壁際に立ち並んだ、ジュース類の自動販売機の前に置かれている四人掛けの小振りの白いテーブルセット。その一番奥に私たち、私と直也は、浩二と向かい合うように二人並んで腰をかけた。

「席を外そうか?」

 いとこどうしの、家族会議的なニュアンスを感じたのか、直也が伺うように申し出た。

「いえ。篠原さん。あなたに、聞いて頂きたい話なんです」

 そう言って、直也を見つめる浩二の瞳には、決意の色が見える。

 直也に、聞いて欲しい話……?

 胸の中の、嫌な予感が大きく膨らんでいく。

「篠原さん。単刀直入に、言います」

 いつもより少し低いトーンの声音でそう言うと、浩二は、まっすぐ直也を見据えた。

「はい」

 直也は、静かに頷く。

「亜弓には、好きな男がいます」

 なっ!?

「こ、浩二っ!?」

 いきなり、何を言い出すんだこのバカタレはっ!?

 前置きなしの浩二の爆弾発言に、私は思わず声を荒げてイスを鳴らして立ち上がった。

 私は、浩二がどうしてハルカの婚約者なのか、その説明を聞きたかっただけだ。

 なのに。なのに!

 浩二は、私が一番触れられたくない心の奥に秘めているものを、よりによってそれを一番知られたくない人の前で暴露してくれた。

 いくら従弟でも、アンタに、そんなことをする権利があるのっ!?

「浩……二っ……」

 一気に上昇した感情メーターのおかげで、返って言いたいことが出てこない。それに。今、直也はいったいどんな表情をしているのか。

 怖くて。立ち上がったまま、私は、直也の方が見られない――。

「……たぶん、その人は、さっき君たちが連絡を取る取らないでもめていた、『伊藤君』のことじゃないかと思うんだが……、違うかな?」

「……えっ?」

 私と浩二は二人同時に、驚きの声をあげた。

 直也は、確かに勘が鋭い人だ。でも、いくらなんでも、浩二の話を聞いただけで、私の好きな人が伊藤君だなんて推測出来るはずがない。

 驚きのあまり直也の方に視線を走らせた私は、メガネ越しの瞳と視線がかち合って、ビクリと身を強ばらせた。

 直也の瞳に、怒りの表情はない。いつもと同じに、澄んだ穏やかな瞳。ただ少し、そこには苦笑めいたものがミックスされている。

「……亜弓から、聞いたんですか?」

 浩二も、さすがに驚きの色が隠せない。

「ええ、まあ……。聞いたと言えば聞いたことになるのかな?」

「え、うそっ!? 私、そんなこと言ってないよっ!」

 今度は、ハッキリと苦笑を浮かべて言う直也に、思わず私は言い返してしまった。

「寝言をね、何度か聞いたんだ」

「は……?」

 ポソリと、苦笑混じりに落とされた直也の言葉に、またもや私と浩二は同時に間抜けな声をあげた。

 ……寝言?

 寝言を、言った?

 えええええーっ!?

『ブッ!』

 浩二も、直也の言わんとしていることの意味が理解できたのか、吹き出した後、視線を有らぬ方に彷徨わせて肩を振るわせている。

 今は、その浩二の態度を怒る気力も湧かない。

 ううん。

 怒る資格もない。

 ――ああ、私って。

 私って。

 史上最低の、大馬鹿女だ……。


 生きるって、なんて、恥ずかしいことなんだろう――。

 今それを、私は、骨身に染みて実感していた。

 あろうことか、仮にも婚約者のまえで、他の人の寝言を言うなんて。

 穴があったら、入りたい。

「……ごめんなさい」

 他に、直也に対して、言うべき言葉が見つからない。

 たとえ、心の奥に秘められた、プラトニックな思いであっても。

 ううん。プラトニックな思いであるほど、それは、裏切りに他ならないのに。

『好きでもないのに好きなフリをして、結婚しちまおうなんて根性の人間は、卑怯とは言わないのか?』

 いつか、浩二が私に言ったあの言葉。

 あれは、半分当たっている。

 私は、卑怯だ。

 確かに、直也を好きだけど。伊藤君を思うようには、直也を思うことはできない。

 それを分かっていて、それに目を瞑って、直也との結婚に逃げようとした。

 本当、卑怯で情けない女――。


「それでも、俺は構わないよ」

 喫茶コーナーのイスに座り、ひたすら反省モードに突入していた私は、その直也の言葉にハッと顔を上げた。

「直……也?」

「俺は、この五年間、佐々木亜弓という人間を間近で見てきた。器用に、男を二股にかけられるような人間じゃないことも、知っているつもりだ。だから、亜弓の心に、他の誰かが住んでいるのだとしても、俺を選んでくれると言うなら、それで構わない。じゃなければ、プロポーズなんてしないよ」

 直也は、こんな私でも、構わないと言ってくれる。

 それは、嘘偽りなく、とても嬉しい。

 もう、涙がでそうなくらいに嬉しい。

 たぶん、私は直也と結婚すれば、その懐にくるまれて守られて、幸せになれるだろう。

 でも、もしも。

 もしも、『明日世界が滅ぶなら――』

 その時、私が選ぶのはきっと……。


 初めて会ったときから、出来の悪い後輩OLの私を何かと気に掛けてくれた、厳しくて優しい先輩。

 大好きだった。

 メガネの奥の優しい眼差しも。

 頭を撫でくれる、大きくて温かな手のひらも。

 その腕の中にいれば、いつだってとても安心できた。

 だけど。

 私は、

 私は、この人を、愛してはいない――。


 ――心は、どうして、思うようにはならないんだろう。

 こんなに私を思ってくれている人を同じように思えたら、どれほど幸せだろうに。

 押し寄せる感情の波が、目頭を熱くさせる。

 泣くな。

 ここで泣いたら、それこそアンタは卑怯者だ。

「ごめ……んなさい。私、結婚……できませんっ」

 こぼれ落ちそうになる涙の粒を、どうにかギリギリ押しとどめて、私は、直也に深々と頭を下げた。






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