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好きだと、言って。  作者: 水樹ゆう
(Ⅰ)~忘れえぬ人~亜弓編
25/33

  【沈黙】愛は盲目。-2


 そう言えば。

 恋人の一大事だというのに、肝心の伊藤君の姿がどこにも見えない。

 ふと、そのことに気付いて、私は浩二に耳打ちした。

「浩二……、伊藤君は?」

 伊藤君が所属するサッカーチームを抱えているのは、地元の大手家電メーカーだ。この中央病院までなら、車で三十分とかからない。少なくても、私と同じくらいの時間には連絡が行っているだろうから、もう着いていても良いはずなのに。

 それとも、試合で、地方とかに出ていてすぐには来られないんだろうか?

「……言ってない」

 相変わらずドアに視線を固定したままの浩二の呟きに、一瞬、意味が分からずに思考が止まる。

 え……?

「言ってないって……、どういうこと?」

 嫌な予感が走り、私は思いっきり眉根を寄せた。

 まさか。

 まさか、ハルカが危篤だって、伝えてないってことじゃないよね?

 だって。そんな馬鹿なこと、あっていいわけがない。

 ハルカが、もしかしたら命が危ないって局面で、恋人の伊藤君にその状況を知らせない――。

 そんなこと、あっていいわけがない。

 私は、信じられない思いで、浩二の横顔を凝視した。

「伊藤には、伝えていない」

 表情を変えることなく、浩二は呟く。

「な……んで?」

「……」

 沈黙。

 それが、浩二の答えだった。


 浩二はハルカが好き。

 ハルカの思い人の伊藤君は、邪魔者だ。

 だから、ハルカの危篤を伊藤君に伝えない。

 実に、簡潔明瞭な理屈じゃないか。

 よもや――。

 よもや、我が従弟が、ここまで性根の腐った人間だなんて、思いもよらなかった。

 情けなくて、情けなさ過ぎて、涙も出てきやしない。

 ギュッと唇を噛んで、私は、浩二を殴り飛ばしたい衝動を、ギリギリのところでこらえていた。

 優先順位。順番を間違えたらダメだ。

 浩二のことなんか、今はどうでもいい。肝心なのは、ハルカにとって何が一番優先されるかってこと。

「浩二、伊藤君の連絡先は?」

「……」

 いつもよりも、ワントーン低い声で問いただすも、浩二は答えない。

 ああ、もう。あの時。伊藤君に会ったとき、連絡先を聞いておくんだった。調べられるだろうけど、今は時間が惜しい。

 一刻も早く伊藤君に知らせるためには、親友である浩二に聞くのが、一番手っ取り早い。

 人間。怒りがマックスに近づくにつれて、だんだん声音が低くなるらしい。

「浩二、伊藤君の連絡先を教えて。私が知らせるから」

 自分でも、こんなドスの効いた声が出せるのかと感心するほどの低音ボイスで、再び同じ質問を繰り返す。

 でも――。

「……」

 沈黙しか返ってこない。

「浩二、教えて」

「……」

「浩二」

「……」

 浩二は、答えない。

 ただ、それだけが自分のすべきことだと言いたげに、厳しい表情のまま、集中治療室のドアを見つめている。

 ――そう。そうなの。

 そういう了見なら、もういい。

「分かった。もうこれ以上は聞かない」

 もう金輪際、従弟とは思わない。

 やっぱりアンタは、世界で一番の最低野郎だっ!

 ハルカのご両親がいる手前、さすがにその捨てゼリフは心の中に押しとどめて、傍らに立つ直也に視線を向ける。

「直也。悪いんだけど、手伝ってくれる?」

「ああ、なんなりと」

 私と浩二のやり取りを静観していた直也は、快く了解してくれた。

 浩二なんかに頼らなくたって、なんとかしてみせる。

 ここには、こう言うのが得意な、直也って心強い味方だっているんだから!

 まずは、会社の方に電話をして。

 たぶん、部外者には、直接の連絡先は教えてくれないだろうから、直也と手分けして……。

 頭の中で、伊藤君への連絡手順をシミュレーションしつつ、電話をかけられる病院の外に向かうべく、私は直也と二人でその場を離れようとした。

 でも。数歩進んだとき、背後で響いたドアの開く音に、私はドキリと動きを止めた。

 一秒。

 二秒。

 息詰まるような、数秒間の後、

 背中越しに聞こえてきたのは、おそらくは看護師さんだろう年輩の女性の声。

「三池ハルカさんのご家族の方、どうぞお入り下さい」

 感情を排した事務的なその声からは、その言葉が何を意味しているのか推し量れない。

 息を呑み。静かに、イスから立ち上がる人の気配。そして、その気配は、部屋の中へと消えていく。


 ハルカ……。

 ハルカは……?




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