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好きだと、言って。  作者: 水樹ゆう
(Ⅰ)~忘れえぬ人~亜弓編
2/33

01【求婚】プロポーズは突然に。


『好き』と言う気持ちをどうすることも出来ずに、ただ震える胸の奥に抱えていたあの頃の私。

『彼』じゃない他の誰かを好きになるなんて。

 恋人同士になるなんて、考えも及ばなかった。

 ましてや――。


 


 週末の、アフターファイブ。

 けっこうな値段がするにもかかわらず、ホテルの展望レストランは、大勢の客で賑わっていた。ほとんどが、私たちのようなカップルだ。

 微かに流れる、洗練されたBGM。適度に落とされたシャンデリアの明かりの下。二人掛けの丸テーブルには、白いテーブルクロス。

 ディナーを一通り平らげた後のテーブルの上にあるのは、ワイングラスとチーズ類が乗ったおつまみの皿。窓の外には、まだ当分眠りにつきそうもない、夜の町の灯りが、星空のように瞬いている。

 フルコースの料理で、お腹もいっぱいだし、ワインも美味しい。

 たまには、こういう贅沢もいいものね。

 なんて、おごって貰っておいて良いご身分な感慨にひたっていたら、今日の招待主様が、ニコニコ笑顔で爆弾発言を投下しなさった。

「なあ、亜弓。もうそろそろ、結婚を視野に入れないか?」

「へ?」

 予想外の。

 ううん。予想はしていたけど、あえて想像しないようにしていたこの事態に、私は実に間抜けな声を上げた。

 給料日前なのに、シティ・ホテルの展望ディナーを奮発してくれると言うから、何かあるとは思ったけど――。

 その私の反応に目の前の彼、本日のディナーの太っ腹な招待主。私の五年来の恋人・篠原直也は、『仕方がないなぁ』という風にメガネの奥の綺麗な二重の瞳を柔和そうに細めると、もう一度同じセリフを繰り返した。

「だから、もうそろそろ結婚を視野に入れないかって、言ったんだ」

 結婚――。

 その二文字の意味する事の重大さに、思わずゴクリと唾を飲み下す。

 何となく、そうなるんだろうなぁと言う気はしていた。

 短大を卒業後、就職した会社の先輩だった直也と付き合って、この五年。

 私にとってそれは、日だまりのように穏やかで、満ち足りた日々だった。

 コピーすら満足に取れなかった新人OLの私に、厳しいけれど、いつだって丁寧な指導をしてくれた、優しい『篠原先輩』。彼から交際を申し込まれたとき、正直驚いたけど嬉しくもあった。

 激することのない穏やかな気性と、それを表すような理知的な風貌。

 七歳年上の直也は、大人で優しい。

 いつだって、私の事を一番に考えてくれるし、なにより。私は、この人のことが好きだ。それなのに、素直に喜べない私って、どう言うんだろう?

「亜弓?」

「あ、ううん、ゴメンね。急だったから、ビックリしちゃった……」

 アハハと、思わず笑って誤魔化してしまった。

 驚いたのは、嘘じゃない。

 ただ、彼のプロポーズに驚いたんじゃなくて、自分自身のこの反応に驚いた、って所が微妙だけど……。

 普通、五年も付き合った恋人に結婚話を持ちかけられたら、ルンルンと無条件で嬉しくなるモノじゃないんだろうか?

 確かに、直也が、私のことを真剣に考えてくれているんだって、そう感じられて、嬉しいんだけど。

 このモヤモヤは、いったい何なの?

 まるで、喉の奥にサンマの小骨が引っかかった時のような、この心の隅っこのモヤモヤ~っとした感じは……。

『長すぎた春』のせい?

 それとも。『早すぎるマリッジ・ブルー』とか?

「今すぐじゃなくても良いから、考えてみてくれないか?」

 トン――。

と、白いテーブルクロスの上に彼が静かに置いたのは、シルバーの指輪ケース。 蓋を開けて、私の方に向けられるその小箱の中には、プラチナ台の指輪が入っていた。

 大振りの、おそらくはダイヤモンドだろう透明な宝石が、指輪の上にドンと鎮座している。

 こ、これが、俗に言う『給料三ヶ月分』ってヤツだろうか?

 た、高そう……。

 シャンデリアの明かりを受けてキラキラと美しい輝きを放つ宝石のまばゆさに、一瞬見とれて、ハッと我に返る。

 私を見詰める直也の瞳はあまりにも真っ直ぐで、迷いがなくて、思わず逃げるようにワイングラスに手を伸ばして、コクリと赤い液体を口に含んだ。



 佐々木亜弓。

 二五歳。

 OL五年目の夏。

 私は、人生で初めて『プロポーズ』なるものをされて、そして何故か。

 素直に喜べない不可解な自分の反応に、うろたえていた――。




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