探偵と僕の事件簿 ―電話をかける少女―
トン、トン!
部室のドアに、ノックの音が響いた。探偵と僕は、それまで続けていたとりとめのない話を中断し、同時にドアの方に顔を向ける。探偵が笑って言った。
「お客さんかな? やれやれ探偵に暇なしだね」
僕は席を立ち、我が探偵事務所――某学園高等部部室棟、第二二一号室のドアを開いた。
部室を訪れたのは、輝くような金髪に空の色を写したような青い眼、白く透き通った肌。一目見て欧米系の白人と分かる、交換留学生の女子生徒だった。
応接用のソファを勧めると、探偵は机を挟み依頼人と向かい合わせに座る。僕は二人を横から見るように、端末が置かれた机のパイプ椅子に座り、メモを手にする。ご用件を、と切り出した探偵の言葉に、セーラー服を着せたフランス人形のような美少女が口にしたのは、人捜しの依頼だった。
依頼人は理由あってある人物を探している。その人物が当校の生徒であるのは間違いないのだが、顔も名前も分からず、手元にあるのは電話番号のメモだけ。
どうしても直接会いたいと考え、約束を取り付けようと何度も電話をかけた。しかし毎回、たちどころに切られてしまって取り付く島もない。
この相手を捜すのを手伝って欲しい――
困り切った顔の依頼人。聞いた限りでは、相手としっかり意思疎通さえ出来れば解決しそうな話である。探偵は、駄目で元々、この場でもう一度電話をかけてみてはどうかと提案した。
依頼人はピンク色の可愛らしい携帯電話を取り出すと、一つ一つ番号を確かめながらダイヤルする。トゥルルル……という呼び出し音が数回、やがて先方が出た気配がした。依頼人は緊張した面持ちで、片言の日本語で懸命に語りかける。
「モシモシ、ワタシめりーサン。イマ部室棟ニイルノデスガ……」
ブツン、という音が聞こえてくるようであった。沈黙した携帯電話を手に、涙目でこちらを見る依頼人。何も言えず頭を抱える僕。探偵はというと、納得したように頷きながら、きっぱりと宣言した。
「一緒に、電話のマナーを勉強しましょう!」
今のうちに身に付けておけば社会に出ても役に立つよ、と言いながら、マナー集を手本に役割分担を決めて電話のかけ方を練習する。何かが間違っていると思いながら、それに付き合わされること一時間。短期集中での厳しい特訓の後、再度、依頼人に電話をかけさせた。
「突然ノオ電話、失礼致シマス。ワタクシ――ト申シマス。今、少々オ時間ヲイタダイテモヨロシイデショウカ?実ハ――」
今回は、幸い一方的に切られることもなかったようだ。涙目になりながら、しかし今は嬉しそうに、電話の相手と会話を続ける依頼人。
ファーストネームでなく苗字を名乗ったのが良かったのだろうなあ、などと思いながら、ふと探偵の方を見ると、右手の親指をぐいっと立て、得意げに笑っていた。
先方とアポイントが取れたとのことで、一緒に来て欲しいという依頼人に付き添い、部室を出る。重度の方向音痴で……と打ち明けつつ、依頼人は、何度も先方に電話をかけては「今、――ニオリマス」などと現在地を報告し、道案内を求めている。最後には携帯電話で話しっぱなしになりながら、ようやく一つの教室に辿り着く。
放課後その教室に残っていたのは、一人の男子生徒。まだこちらには気付いていない様子で、窓の外を見ながら、携帯電話を耳に当てている。依頼人はその姿を目にすると、一目散に駆け出し、その背中に抱きついた。
後から事情を聞けば、以前に依頼人が校舎裏のゴミ捨て場で貧血を起こしていたのを、保健室に運んでくれたのがその男子生徒だったとのこと。依頼人は激しい目眩の最中で、恩人の顔も名前も確認できず、保険医の先生はうっかりして電話番号しかメモに残していなかった。
再会を果たした今では、毎日手作り弁当を手に、恥ずかしがって逃げまわる男子生徒の後を追い掛け回しているとのことである。
探偵は、そんな元依頼人からのメールを読み上げてみせると、にこにこ笑いながら
「女の子って、電話で話すより、やっぱり自分で会いに行きたいものだよね」
などと、珍しくも色恋について語ってみせた。
僕への連絡は、いつもそっけない留守電で済ませてしまうくせに。こちらの面目など微塵も気にかけず笑う探偵に、僕は深々とため息をついた。
*
その依頼人が訪ねてきたのは、年に一度の学園祭を翌日に控え、学校中が上を下への大騒ぎ、そんな日の午後のことだった。
部室棟では、それぞれの部が趣向を凝らした出し物の準備に余念がなく、あちらこちらから、看板を打ち付ける音や楽器を練習する音が聞こえてくる。
我が部では例年、探偵が来客の職業や経歴を推理し、的中したらお代を払ってもらうという、占いまがいの出し物をやっているが、売上は残念ながらほとんどゼロ。さしたる準備も必要ないので、僕は探偵と二人、部室でだらだらと過ごしていた。
看板くらい作っておこうかと、あまりやる気もなく相談していたところに現れたのは、背中まで伸ばした緑の黒髪が美しい、落ち着いた雰囲気を持った女子生徒だった。
その大人びた表情は悩みに曇り、微かに浮かべる笑みも力がない。応接のソファに腰をかけ、依頼人が話した内容は――
学園祭が近づくにつれて、自分は、時間の中を堂々巡りしているのではないかと、強く感じるようになった。学校中が浮き立つ中、級友たちと一緒に過ごす時間は、いつまでも続いて欲しいくらい楽しい。しかし、そんな大騒ぎの中、時折、激しいデジャヴに襲われることがある。
自分は学園祭当日を迎えることの決してないまま、この居心地の良い日々に永遠に閉じ込められているのではないか。 心の片隅に生まれたこの閉塞感、説明のしようがない不安感を、解消する術はないのだろうか――
静かに語るうちにも、その目は心の動揺を映して潤み、肩は小さく震えている。僕は気の毒に思いながらも、依頼人の悩みを解決するのは、探偵よりはむしろ医者の仕事ではないかと考えていた。
僕自身医者――もとい保健委員であるから、保健室に案内するくらいのことはできる。そう提案するために声を掛けようとしたところ、探偵は顎に手を当て宙を眺め、何かを思い出そうとしている様子である。
探偵は、ちょっと調べ物を、と言って、壁際のボロ端末を使い、学内ネットに接続して何やら検索を始めた。僕は端末の席を譲り、依頼人を慰める方に回る。悩みをすっかり吐き出した今、その美しい横顔はやつれて老け込んで見え、僕は胸が痛んだ。
やがて、調べ物を終えた探偵が、数枚のプリントアウトを手に依頼人の前に戻った。僕はその表情から、依頼人にとって決して良い調査結果ばかりではなかったことを悟る。探偵は言った。
「良い情報から。まず、あなたは時間のループに巻き込まれてなどいません」
はっと面を上げる依頼人。その顔は、救われたように喜び輝いている。でも、と一転その表情を陰らせ、口にする。どうしてそうと言い切れるのでしょうか――
探偵はうほん、とかしこまり
「大変申し上げにくいのですが……学内新聞のバックナンバーによれば、あなたは毎年、前夜祭で大酒を呑んでは大暴れ、学園祭当日は一日ダウン、翌日には記憶喪失、それが響いて留年決定、というのを、この数年間繰り返しているようです」
なにげに有名人、前夜祭名物になっているみたいです、と語る探偵の言葉に、唖然として口を開けるばかりの依頼人と僕。でも良い話もありますよ、と探偵は笑った。
「今年からは、未成年者飲酒で取り締まりを受ける心配はありません。思う存分飲めますよ」
その言葉を咀嚼するのに数秒間。
前夜祭の準備に入り始めた部室棟中に、依頼人の悲痛な叫び声が響き渡った。
*
失意の依頼人が立ち去った後の部室で、慰めるつもりが裏目に出てしまった、と頭を掻く探偵。今頃はやけ酒でも浴びているかもしれない依頼人を、また酔い潰れては大変と、後で二人して探しに行くことに決めた。
我が部としての学園祭の準備は終わり、最後に一休みと、それぞれの定位置に腰を下ろす。そこで僕は、先程から感じていた疑問を、探偵にぶつけてみた。
本当にこの事件は解決したのだろうか? 真実、時間が繰り返されているとしたら。毎年の留年という記録も、探偵や僕、依頼人の記憶や思い出も、全部ひっくるめてループしているのだとしたら――
ループの内側にいる僕たちが、それを認識する方法はあるのだろうか? と。
その質問に、たっぷり一分は考え込んだ後、探偵が発したのは
「――まあ、それならそれで、別に構わないと言うか」
あっけらかんとしたその言葉に、なんだそれは、と思わずずっこける。探偵はあははと笑いながら
「時間がループしようが逆行しようが、キミはそんなに変わらないでしょ?」
などと、人を小馬鹿にするような、失礼なことを平気で言う。まあ、探偵が構わないと言うのであれば、僕に否やはないが――
放課後の部室棟。ボロ机の向こうに腰掛け、窓に差し込む西日を背に、いたずらっぽく笑いかけるセーラー服の少女。僕はオンボロ端末が置かれた机のパイプ椅子で、半ば呆れながらその言葉を聴く。怠惰で間延びした、モラトリアムの時間。
なんとも心地良い、デジャ・ヴ――
*
トン、トン!
部室のドアに、ノックの音が響いた。探偵と僕は、それまで続けていたとりとめのない話を中断し、同時にドアの方に顔を向ける。探偵が笑って言った。
「お客さんかな? やれやれ探偵に暇なしだね」
僕は席を立ち、我が探偵事務所――某学園高等部部室棟、第二二一号室のドアを開いた。
前作で一部の方からご好評をいただいたので、第二弾を書いてみましたが、ネタの上滑り感がかなりきついです……。コメディ難しい。