そのに
関西夫夫
関西弁で、字書きはできるのか? で、はじまった、このお話。
意味がわからない言葉があれば、連絡ください。ははははは。
嫁からのメールで、「晩メシはいらない。」と、連絡してきた。そういうことだろうな、と、花月も、「了解。」 と、だけ送っておいた。堀内が、こちらに戻っているのなら、確実に食事に誘うことは、以前から当たり前だった。別に、それで立腹するほど、花月は大人気ないことはしない。深夜を越えて帰らなかったら、煩いほどに携帯を鳴らしてやるつもりはしているけど、そういうことはない。
「御堂筋、今夜はデートか? 」
「いいや、違う。」
「ほな、メシに付き合ってくれ。」
「おお、かまへんで。」
独りで食事する気にはならなくて、同僚を誘った。他の同僚たちも、都合のつくものは一緒に飲むことになって、結構騒いで飲んだ。だが、それでも九時にはお開きにして、家路に着く。何時になるのか知らなくても、十時には家に戻っているつもりだった。
部屋は無人で、明かりを点けた。出て行った時と変わらない。いつも、花月のほうが帰るのが早いから、これはいつものことだ。とりあえず風呂に入る。いつもなら、食事の準備をするところだが、ふたりともが外食の日というのは、なんだか侘しい。
「ついでに洗濯もしとこうかな。」
風呂場の隅にある汚れ物専用の篭を取り上げて、洗濯機に放り込む。風呂の湯張りをしている間に、ちょこまかと家事をして、ゆっくりと風呂に浸かった。
・・・・なんにもあらへん・・・・
腹立ちを抑えるように、自分に言い聞かせている段階で、花月は苦笑いで、掬った湯で顔を洗う。何も変わらない。ずっと、この生活を続けていくのだと、自分に言い聞かせているのが、どうもおかしい。堀内は、水都を連れて行くことはしない。そんなことをしたら、水都が完全に壊れてしまうことを知っている。けど、あの男と一緒に居ると思うだけで、腹の底にもやもやしたものと、背中に冷たいものが溢れてくる。
・・・・頼むわ、俺。なんで、そんなに不安になってるんや。なんでもあらへんっっ。なんでもあらへんやろっっ。・・・・・・
十年前に決着はつけた。水都は、自分と生活するほうを選んだ。だから、何も心配することなんてないのだとわかっていても、どうもいけない。イライラしてくるのを止められなくて、乱暴に湯船から上がって、身体を洗った。
・・・もう十年も経ったっちゅーのに、俺は情けない・・・・・
十数年前に出会って、それから、こうやって暮らしている。これでいいと、自分も水都も思っている。
「・・・しかし、大人気ないこと言うたよなあー・・・・」
あの当時を振り返って、花月は笑う。二十代前半の何もわかっていないガキだった自分は、堀内にとんでもないことを言った。思い返したら、堀内は、よく耐えたもんだと感心する。下手をすると、腕の一本や二本は折られていてもおかしくないぐらいに、とぼけたことを言ったのだ。
そろそろ、就職を決めなければならない時期が来ていた。なんとなく公務員でよかろうと試験を受けたから、それさえ合格していれば、それで充分だった。漠然と、そんな感じで、両親にも、そう報告したら、「それなら、この夏休みは戻ってくればどう? 」 と、提案された。それまでの夏休みは、実家に戻って、あちらで短期バイトをしたりしていたからだ。ただ、今年は、そこまで長居するつもりはなかった。だが、長期の休みでなければ実家に帰るのも難しくなるのは事実だし、とりあえず、十日ばかりは帰省することにした。
「十日ほど、実家に帰ってくるわ。」
「・・そうか・・・まあ、のんびりしてきたらええやん。」
親友と言うよりも濃い関係になっていた水都に、報告したら素っ気無く返された。水都には帰る実家はないということは、その時には、すでに知っていた。アルバイトで生活費と学費を賄っている水都には、長期休みはない。休みも、いつものようにバイトに精出すだけだ。
「おまえも来ぇーへんか? 」
一緒に連れて行こうと、花月は思っていたのだが、当人が、「そんなに休んだら、生活苦になる。」 と、断られた。
「十日したら戻るからな。」
「別に、夏中、向こうにおったらええがな。ほしたら、涼しい生活できるやんか。」
「俺はできても、おまえが熱死するやろうがっっ。俺んちの鍵、渡しとくさかい。あっちで生活しとけ。ええな? 」
水都の部屋にはクーラーがない。花月の部屋には、それがついていたから、夏は、大抵、花月の部屋に水都が逃げ込んでいる。そういう事情もあって、花月は心配したのだ。はいはい、と、鍵を手にした水都は、「せいぜい電気代をあげといたるわ。」 と、憎まれ口を叩いた。
十日が長いと思ったのは、久しぶりだ。両親と顔を合わせたら、後は別に、これといって用事はない。だが、往復の航空券を手配したから、期日までは帰れない。まだ携帯電話を水都が持っていなかったから、連絡も取れない。バイトや学校の都合で一週間、逢わない時だってあるというのに、この十日は長かった。すぐに会いにいけない距離というのが辛いと思ったのも、この時が初めてだ。じりじりして、どうにか十日経過して、下宿に戻ったら、誰も居なかった。出て行った時のままの自分の部屋を見て、慌てて、水都の下宿へ走った。バイトがあるから、まだ帰っていないかもしれないと思ったが、意外にも水都は居た。ただし、でろりと部屋の真ん中に転がっていた。
「おいっっ、水都。」
抱き起こしたら、目を開けた。けど、ぼんやりとしている。ぺちぺちと頬を叩いたら、「うるさい。」 と、小さな声がした。
「おまえ、どうしたんやっっ。」
「・・・誰や?・・・」
「吉本やっっ。」
大声で返事したら、「ああ。」 と、思い出したように声を出した。
「・・・十日経ったか?・・・」
「はあ? 」
「・・えらい早いやないか・・・」
「え? おまえ、何言うてんねんっっ。」
暑い盛りの夏の夕暮れで、抱き上げている身体が異常に暑い。だから、熱射病に気をつけろ、と、さんざんっぱら注意したのに、水都は無視した様子だ。風呂に水を張り、服を脱がせて、そこに沈めた。コンビニで、氷を買ってきて、水都の口に放り込む。時間すら把握できていないとしたら、こいつは、何時から、こんなことになっていたのだろう、と、顔を覗きこむ。
「めしは? 」
「・・・適当に食ってた・・・」
「バイトは? 」
「・・・わからん・・・ここんとこ行ってない・・・」
ふう、と、息を吐いた水都は、ゆっくりと顔を上げた。なんだか、ぼんやりしている瞳で、「実家におったらよかったのに。」 と、また、憎まれ口を叩いた。
堀内は、事務所で頭を抱えていた。ここの業務が完全に停止状態に陥った。それというのも、この仕事を担当している人間が無断欠勤をしているからだ。一日、二日、来ないぐらいのことは、たまにあるが、三日ともなると、これは、何かあったな、と、予想はついた。そうでないと、この仕事をしている人間は、生活費すら危うくなるからだ。
「しかし、バイトひとりが無断欠勤したぐらいで、これとはな。・・・・日報だけでも、どうにかしとかんとまずいな。」
すっかりと、任せっきりになっていたことを失念した。自分が教え込んでいた頃は、数日に一度は自分がチェックしていたのだが、ここのところ、本社からの呼び出しが多くなって、そこまで手が廻らなくなっていた。そして、バイトが優秀で、ほとんど、自分の手を出す必要がなくなっていたのも、失念した理由のひとつだ。今では、バイトでありながら、正社員の時間給より高い金額で雇っている。それというのも、堀内がやっていた仕事を、バイトひとりで賄っているからだ。各店舗の売り上げの集計やら資金繰りやら、それに附随した事務一切が、そのバイトの仕事だ。
「日報だけ作成してくれ。後は、わしが戻ってからやるから、放置しとけ。余計なこと晒すなよっっ。」
それだけ命じて事務所は出た。とりあえず、バイトの現状を知る必要がある。何かしらあったのだとは思うが、電話も携帯も持たない相手では、出向くしか方法がない。
「しもたわ。携帯だけでも渡しておくんやった。」
毎日のように出社する相手だから、と、油断した。大通りでタクシーを拾い、バイトのアパートへ向かう。比較的、近い場所であるから、すぐに到着した。
カンカンと鉄錆の浮いた階段を登って、鍵などかかっているはずもない扉を乱暴に開いたら、そこには、バイトともうひとりが居た。薄いふとんに転がっているバイトの額には、濡れタオルが乗せられていて、傍には栄養ドリンクが何本か転がっている。
「おいおい、みっちゃんっっ。どないしたんやっっ。」
大声で、そう叫んで近寄ったら、バイトではない青年が、「あんた、誰や。」 と、バイトの前に立ちはだかった。
「俺は、みっちゃんのパトロンや。おまえこそ、なんじゃっっ? 間男か? 俺の可愛い愛人に、ご無体なことしたとか言うにやったら、南港へ沈めんぞっっ。」
怒鳴ったら、青年ではなく、バイトのほうが緩々と起き上がって、転がっているドリンクの瓶を二、三本纏めて投げつけた。
「・・・・誰がパトロンやと? 」
「おお、生きとったか? どないしたんじゃ? 四日目の無断欠勤は洒落にならんぞ、みっちゃん。」
「・・・四日?・・・ああ、そんなに経ってたんやな。・・・今夜から出るわ。」
ふらふらと立ち上がろうとしてバイトが、膝をつく。おいおい、と、堀内は、その腕を支えた。
「なんじゃ? 風邪か? 」
「・・・わからん・・・」
起き上がろうとしているが、どうも旨くないのか、ふらふらとしている。これは病院へ担ぎ込むほうが先だろうと、堀内は、傍の青年に、バイトの腕を手渡した。
「タクシーを停めてくるさかい、おまえ、こいつを下まで担いで下ろせ。」
今まで、バイトに友人がいたという話は聞かなかったが、ひとりぐらいは居るのだろう。そうでなかったら看病なんてしているはずもない。とりあえず、知り合いの病院へ携帯で連絡をして、タクシーを手配した。
栄養失調、夏風邪、熱射病という、夏の定番メニューを、次々と掲げられて、バイトは入院することになった。バイトは入院の言葉に、激しく抵抗したが起き上がるのも難儀な状態では、文句を吐くだけで、精一杯だ。
「・・・せやけど・・俺・・・金あらへんのに・・・」
点滴を受けて、少し楽になったバイトが渋い顔をしている。理由は至極簡単だ。金がないのだ。
「せやから、社保の手続きしとけ、と、わしが言うたやろ? 」
保険がないから、全部、実費ということになる。入院なんてことになると、相当、纏まった数字が入用で、ぎりぎりの生活をしているバイトには、そんな蓄えはない。
「水都、金のことやったら、俺が貸すから。」
強引に付き添ってきた青年は、吉本花月というらしいが、心配そうに顔を眺めて、そう勧めている。
「そんなん、おまえが用意せいでもええ。わしのほうで段取りする。」
付き合いの長さから言えば、堀内のほうが長い。バイトが、借金を嫌がることも知っているので、そこいらは給料から月賦で返すとかいうことにしてやれば、バイトも折れる。
「いや、俺が用意します。」
しかし、吉本も折れない。ついでに、バイトも、「すまんな。」 と、借りるつもりであるらしい。
・・・おや?・・みっちゃんが・・こいつを信用しとるんかいな・・・・
とても珍しいことだと、堀内は思った。十年近く付き合っているが、バイトが、こんなことを素直に言ったのは初めてだ。かなりおかしな人間なので、これと付き合える友人などいないだろうと、堀内は思っていた。現に、今まで、そういう人間はいなかった。学校とバイトの往復しかしない、変わり者の浪速水都と一番、長時間付き合っているのは自分だと、堀内は自負していたのだ。
・・・こんなとこも失念しとったとこかいな・・・
たまに顔を合わせて食事したりする程度のことはあったが、ここのところ、それも回数が減っていて、浪速に友人が出来たことも知らなかった。なんだか、お気に入りの玩具を横取りされた気分で、堀内は、むっとした。
「あかん、愛人のお手当は、パトロンのわしの仕事じゃ。おまえごときに、みっちゃんの世話なんかさせられるかいっっ。」
病室であることを忘れて、堀内は啖呵を切った。そういう感情は、実はないが、いつも、そんなふうに冗談交じりに言っていた。実際は、保護者の気分である。
「・・また、それか・・・まあ、ええわ。おっさん、前借にしといてくれ。それでええやろ?」
やれやれと、浪速のほうが、それで折れた。吉本のほうは複雑な顔をしていたが、とりあえず、職場の上司であることを説明して、ここは引き下がらせたのだ。
一週間ばかり入院させた。それも個室に、だ。それは、見舞いにしといたる、と、堀内は、その分を差し引いた分だけを、浪速に知らせた。
「どうせ、うちに就職するんやろ? 一月千円ぐらいの天引きにしといたる。」
実際問題として、二週間近くのバイト代がちゃらになってしまった浪速は、学費の支払いと生活費の算段も厳しい。わざと、「愛人のお手当や。」 と、茶化して、かなりの額を、堀内は個人的に、浪速の口座へ振り込んだ。仕事上、手放すことは惜しいバイトであったことも、その理由だったし、保護者な気分だったこともあった。浪速が、バイトに来たのは高校生の時だ。高校生ができるバイトではなかったので、年を偽っていたが、それは目を瞑った。その代わり、ホールの仕事はさせずに、奥の仕事を教え込んだのだ。それなら、バイトが人目につく心配もないし、この商売の仕組みや損得を知らない高校生なら、そのテクニックを流用することもあるまいと考えてのことだ。
当時は、実家にいたらしいが、それでも、食事は外食ばかりだった。「親とは、どうも上手くない。」 と、無口な高校生は、それだけしか、堀内には教えなかった。いろいろと食事を奢ったりして、聞きだしたのに、その程度だった。しばらくして、金が貯まったので、独立すると言い出した。そこで、問題になったのが、保証人だ。浪速は、未成年であるから親の同意書と保証人が必要だった。同意書は簡単に偽造できる。だが、保証人は実印と印鑑証明、源泉徴収票などという公的な書類が必要だった。
それらを親に頼むことは、浪速にはできなかったらしく、堀内に、そういう書類の偽造は可能であろうか、と、相談を持ちかけた。
「確かに、金さえ積めば、それはできるけどな。わしでよかったら、それぐらい貸してやるで。」
それまでの二年間の働きを見ていて、堀内は、その程度には浪速を信頼していた。親との不仲は、少なくないが、ここまで、親と確執があるのも珍しい。二年間で、それをずっと堀内は見ていた。無関心であるだけではない。何かしら、親子でありながら繋がりが薄いのだ。
・・・あれが決定的やったな・・・・
親に保証人を頼めない子供。年若いうちから働いて、独立しなければならなくて苦労している浪速は、現代社会より古い世界の人間みたいだった。
今、対面で、のんびりと酒を呑んでいる相手を眺めていて、しみじみと、「よう、あんなええヤツを見つけたことや。」 と、口から出た。こんな壊れておかしい人間に、あんなお人好しがくっついた。
これこそ奇跡と言わずして、なんと呼ぼうと、堀内は思う。
「割れ鍋に綴じ蓋夫婦と呼んでくれ。」
そして、浪速は苦笑して、そう返事した。相変わらず、憎まれ口ばかり叩いている浪速だが、それでも、この繋がりだけは大切にしている。子供が親離れしたような寂しい気分を、堀内は味合わせてもらった。だが、浪速が最後まで壊れずにいられるのは、その繋がりのお陰であるから、無下にもできないのが辛いところだ。