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だいなまいと  作者: 篠義
1/6

そのいち

 仕事中は携帯に出ない。というのが、建前ではあるが、マナーモードにしてあるから、カタカタと机の上で飛び跳ねる。ワン切りや急がない相手なら無視していると、勝手に留守電になるのだが、無視してはいけない相手もある。

 カタカタと鳴っている携帯の相手を確かめたら、とんでもないヤツだったので、慌てて廊下へ走り出た。

「もしもし? 」

「「・・・おお・・・・出よったか? 」」

 相手は鷹揚で高飛車だ。これはいつものことだ。気にしてはいけない。

「なんかあったんか? 」

「「いやいや、時候の挨拶を、ばな。」」

「なら、切るぞ。」

「「まあまあ、待たんかいな。腹の傷は痛むんか? 」」

 相手の言葉に、はっと気付いた。それは、相手に入院の事実を知られているということだ。ぐっと言葉に詰まったら、相手はからからと笑っている。

「なんで知ってる? 」

「「ああ、心配せいでも、あれからやないわ。あれは微塵も気付いてない。・・・・・まあ、なんていうかなあ。いろいろと情報というのは交差しているわけよ。しかし、こっちに、連絡がないのは、ちぃっとばっかし薄情なんやないか? 」」

 薄情? なんで、そんなこと言われなあかんねん、と、俺は怒鳴りそうになったが、こらえた。さすがに、職場の廊下で喧嘩するわけにはいかない。

「こっちで処理できたからや。あんたには関係ない。」

「「まあ、そうやけどな。そういう時こそ、連絡すべきやないか? そういうことやったら、あれを連れて出張しとくこともできるんやさかいな。 ほんなら、無理して一週間で退院せんでもよかったやろ? 」」

 確かに、そういうことだ。この相手が、俺の嫁の上司であるから、小細工するなら、そういうことも可能だろう。だが、ここで借りなんぞ作ると、後々が厄介だ。

「別に無理してへん。あんたに借りを作るぐらいやったら、多少の無理するほうが楽に決まってるからや。」

 はっきりと、そう言うと、相手は電話の向こうで楽しそうに笑っている。それから、ガラリと声を変えてきた。

「「相変わらずのようで安心した。あれには気付かれてへんから、安心したらええ。もし、どうしても、の時は声をかけてくれ。」」

「わかってる。・・・・せやせや、あんたら、ちょっと、俺の嫁を働かせすぎや。ええ加減にせいよ。」

「「そういや、仕事が増えすぎてるかもしれんなあ。あんたが来て助けたったらええんと違うか? 」」

「どあほ、その手に乗るかいっっ。俺は、家で待つほうがええんじゃ。」

 以前から、ずっと、誘われているので、こんなことは慣れっこだ。だが、それだけはしない。定時で帰って、家で待っているほうがいい、と、俺は思っている。同じ職場では、それは難しいだろう。相手だってわかっていて、からかっているだけだ。

「「まあなあー、それはわかるんやけど。」」

「用がないなら切る。とりあえず、深夜残業は、やめさせろ。」

「「わかったわかった。調整しとくわ。」」

 一年に何度かかかってくる電話ではあったが、相変わらず過ぎて笑ってしまう。あのおっさんのお陰で、俺は背中を押されたのだと自覚している。ある意味、縁結びの疫病神だ。思い返すと笑ってしまうぐらい子供じみたことをしたのだ。






 誰にでも、ムシの好かないやつというのがいる。うちの同居人は、意外にも、そういう人物は少ないが、それでも我慢ならないヤツというのは存在する。

「どや? 今夜は、しっぽり、おっちゃんと夜明けのコーヒーでもせーへんか? 」

 職場で、パソとニラメッコしていたら、背後から、ぽんと肩を叩かれた。それも、うそ寒いほどの親父台詞付だ。

「それ、なんぼほどで? 」

「まあ、クソガキの使い古しやから、片手くらいで、どや? なんなら、スイートルームとかルームサービスはつけさせてもらうで。」

 とりあえず、軽めにノッてみたら、やっぱり、返事も寒かった。今時、スイートとかルームサービスって・・・・どこのバブリーなおっさんやろうと呆れる。

「中古品なんで、遠慮しますわ。」

「いややなあー、ドンペリのピンクもつけてるでぇー、みっちゃん。」

「それで釣られる女の顔が見たいですわ、堀内さん。」

 今は、直属ではないが、上司ではある堀内は、昔から、こんなことばかり言うので、俺も慣れっこだ。昔は、本気で尻を揉んでいたこともある。

「新地のおねーちゃんは、これで釣れるんやけどなあ。みっちゃんは、身持ちが硬いから、かなわんわ。」

 となりの席に、どっかりと座り込んだ堀内は、ちょっと堅気には見えない服装をしているが、一応は、俺の会社の幹部ではある。今は、本社が中部にあるから、そちらに詰めているが、たまに、こちらにも帰ってくる。

「身持ち? そんなん、あったかなあー。」

「あるがなぁっっ。おまえぐらいやで、俺を十数年も袖にし続けてるんは。」

 やれやれと、大袈裟に額に手をやって頭を振っている。こういう格好が、よく似合う親父ではある。それから、いそいそと俺の太ももに手を置くあたりが、なんとも如何しがたいほど、手癖が悪い。

「どや? そろそろ、倦怠期とちゃうか? もうええやろ? 新しい世界へ、おっちゃんと行こうやないか。」

「すいませんね。たぶん、あんたと一晩過ごすって言うたら、うちの旦那が、とんでもない暴挙に出ますけど、よろしいか? 」

「まだ、そんなにラブラブなんか? おまえらはっっ。ええ加減に冷めたら、どないやねんっっ。」

「・・・・ラブラブ?・・・・」

「そら、ラブラブやろ? まだ、あいつ、おまえの帰りを家で待って、メシ作ってるんやろうが? 」

「あーまーそうですね。」

「ほんで、『あーん』とかしとるんちゃうんかい? 」

「いや、・・・あ・・・そういや、やってるか・・・」

「風呂も一緒、寝るのも一緒やろ? 」

「いや、風呂は狭いから、それほどは・・・・」

「日々、寝不足になるほどいちゃいちゃしとるんちゃうんか? 」

「そこまでは、してないと思うんやけど。」

「ほんだら、その目の下の隈はなんじゃ? 」

「これは、残業続きで、こうなってるんですわ。なんせ、俺、ここんとこ、仕事が山積みで。」

「ふーん、ほーそうかそうか。おっちゃんが聞いたとこでは、おまえ、日曜は寝たきり老人並みに介護されてるらしいやないか? 」

「・・・・え?・・・ここんとこは、そんなことは・・・・なんせ、あいつ、年一回の繁忙期で、俺より遅かったし・・・・ていうか、人のとこの夫婦生活を、なんで調べるんかなあー、このおっさんは。」

 と、そこで、はっと気づいた。ということは、だ。このおっさん、俺の同居人に連絡を取ったということだ。

「あんのクソガキも、しつこいわ。もう、そろそろ、俺にみっちゃんを返してくれてもよさそうなもんやのに。」

「また余計なことを・・・・なんで、電話するんやっっ、堀内さんっっ。」

 俺の旦那は、過去、この堀内といろいろとあって、この男が苦手だ。たぶん、今夜は機嫌がとても悪いだろう。下手をすると、明日、俺は、寝たきり老人にされるかもしれない。

「ぷぷぷ・・・明日は休みやから、倦怠期夫婦の営みに、ぴりりとしたスパイスを投入したろうと思って。元彼からの愛やないか。」

「誰が、モトカレじゃっっ。」

「あ、おまえ・・・さんざんっぱら、俺に貢がせたくせに、そんなことを言うかえ? 」

「借金は全額返したわいっっ。」

「返さんでもよかったのになあ。」

 昔、ちょっと足りなかった学費や、諸々の経費を借りたことがある。確かに、返さなくてもいい、とは言われたが、俺の同居人がバイトを増やして無理して返した。借りを作りたくないという理由で。なんせ、このおっさん、とんでもないことを、俺の同居人に言ったからだ。『愛人のお手当て』とのたまったのだ。そりゃもう、同居人が顔色変えるほどに怒ったのは言うまでもない。

「俺の旦那で遊ぶのはやめてくれ。ほんま、花月は、あん時のこと怒ってたんやから。」

「あははははは・・・いや、あいつは、ほんまおもろいわ。」

 そして、堀内は、というと、なんというか、俺の保護者を気取っていたから、花月を試していた節があった。あの当時、花月の本気の怒りに、堀内は、とても嬉しそうに笑ったからだ。

「俺は、あれでないとあかんねん。」

「わかってるでぇーおっちゃんも。せやけど、やっぱ、舅としては、たまに、婿はいびらんとあかんやろ? 」

「誰が舅やっっ。」

「ほな、モトカレ。」

「どあほっっ。なんでもええわ。喉かわいた。」

「うんうん、おっちゃんがおいしいレイコを頼んだろな。」

 背後に控えている他の従業員に向かって、「みっちゃんのために、おいしいレイコを配達してもうてっっ。」 と、叫んでいる。本社の幹部である堀内の命令に、慌てて従業員が外へ駆けて行く。腐っても本社の幹部様の命令は絶対であるらしい。

「レイコって、死語やで、堀内さん。」

「そうか? アイスカフェなんとかって言うんか? 」

「まあ、ええけどな。昼飯おごってや。俺、あっさりしたもんが食いたい。」

「はいはい、可愛いみっちゃんの頼みやったら、なんでも聞いたるでぇ。たんと食べて、あのクソガキを寝たきりにしたれっっ。」

 ふと、会話を反芻して、そういや、いろいろ貢いでくれているのかもしれないと気づいたが、気づかぬふりをしておくことにした。俺の太腿を撫で擦って、それから、傍に控えていた、こっちの支社の部長に向かって、「俺の可愛いみっちゃんが、深夜残業ばっかりで、目の下に隈を浮かべているっちゅーのは、どういう了見なんや? あ? 」 と、堀内は凄んだ。部長は、しどろもどろで、「人員が不足しておりまして・・・」 と、返事した途端に、「おまえら、みっちゃんが入院でもすることになったら、どうやって、この仕事を処理するつもりなんや? え? 」 と、切り返す。

「いや、一応、休日はありますし・・・」

「どあほっっ、こいつは、倒れたら復活するまで時間がかかるんや。その間の仕事の配分は考えとるんやろうな? 」

 以前、堀内が体験しているから、真実味がある。確かに、以前、俺が入院したら、ここの機能は完全に停止した。他に誰も、俺の仕事をこなせる人間がいなかったからだ。それから、堀内は、二番手、三番手を用意して、俺から仕事の半分を取り上げてしまったのだ。

「堀内さん、そこいらへんで勘弁したってくれ。俺が抱え込んでる所為で、誰も手出しできひんようになってもうてるんや。」

 さすがに、自分の直属の上司が頭ごなしに怒鳴られていてはまずいだろうと、助け舟を出した。この仕事をやりたがる人間はいない。だから、堀内が本社に移ったら、二番手とか三番手は、他の支社へと移動した。他も人員不足だったからだ。それから補充されないままに、やっぱり、そのまんまだった。

「みっちゃんも悪いけど、それを見て見ぬフリしたこいつらもあかんやろ? だいたい、おまえは、いつもそうや。出来るから言うて、誰にも手の内を晒さんから、深夜残業しとる羽目になるんやろ? そろそろ、みっちゃんも四十路に近なってるんやから、そこいらも考えんとあかんで。もう、ええ加減に管理職についたらええねん。」

「そんな面倒なもんになるのはイヤや。」

 すでに勤続二十年を超えた俺は、本来なら本社の管理職になっているはずだったが、面倒なので、長年突っぱねて、ここまで来ている。現場仕事でええから、ここから移動させないでくれ、と、言い続けているからだ。

「あかん。そろそろ、子飼いの手下ぐらいは使え。そうせんと、本社へ移動させて、おっちゃんの秘書にしてまう。」

 じろりと、本気の顔で堀内に睨まれる。ずっと、言い続けられているが、今度は、かなり本気らしいことがわかる。

「移動させるんやったら辞める。」

 ここで怯むと、その通りになるから、こっちも負けていられない。

「なら、部下ぐらい使え。」

「教えんの面倒や。」

「あかん。今度ばかりは、言うこときいてやるつもりはない。・・・・明日、こいつの手伝いができそうなヤツを、二、三人揃えて寄越せ。それから、今から、浪速は俺の接待で外出やっっ。」

 平身低頭な態度で控えている部長に、そう命じて、堀内は、俺の腕を持ち上げた。今までも、こういうことはあったが、いつもは、「辞める」で、どうにか収まっていた騒ぎだったのに、今回は、そうもいかないらしい。

「・・・あのなー、俺にも都合っちゅーもんがあるんやけど? 堀内さん。」

「ほれ、見てみぃ。俺とデートする時間も取れへんような状況になっとるっちゅーことやないか。日報ぐらい誰かに処理させたらええんじゃっっ。ほれ、立て、みっちゃん。メシに行く。」

 無理矢理に、机から引き剥がされた。たぶん、食事だけでは済まないだろう。今夜は、何時に帰れるかなあーと、溜息をつきつつ立ち上がった。

「パソは閉じてしまえ。もう、ここには帰られへんぞ。」

「え? 」

「久しぶりに戻ったわしが、昼飯だけで済ますはずがないやろ。」

「いや、晩飯までは付き合う。」

「それから、お泊まりコースでしっぽりや。」

「はあ? こらこら、おっさん。」

 言い出したら、梃でも動かないのは、いつものことだ。仕方がないので、オフコンを終了して外出の用意をした。昔から、堀内は強引だった。だから、こう言い出したら、もう変更はきかないだろう。

「みっちゃんは、わしの言うことだけきいとったらええ。」

「何ぬかしとるんじゃっっ。それで、仕事になるかぁーいっっ。」

「おーおー、相変わらず、可愛い啖呵をきるやないか。はははは・・・それでこそ、みっちゃんや。ほな、懐石食いにいこ。」

 段取りが終ると、堀内に引き摺られて外出した。部長が、拝む真似をして見送っている。とりあえず、この本社の幹部を、ここから連れ出して欲しいということだろう。それがわかっているので、俺も黙って付き合うことにした。ただし、しっぽりお泊りコースは論外だから、殴り倒しても帰宅するつもりだ。

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