第二話 魔法書店
謎の黒猫を見失い、気付けば路地裏に入り込んでいました。
すぐに表に出ようと思いましたが謎の黒猫の存在が気になり、もうちょっとだけ捜してみようと思いました。どこにいるかだなんて検討もつかず、ただただ歩きながら見渡していました。
「こっちだよ」
その時にどこからか謎の黒猫の声が聞こえ、私は一気に声のする方を見ました。けどそこには誰一人としておらず不気味な路地裏が漂っていました。
もしかしたらどこかに入り込んだのかと疑問に思い、声のしたところに向かうことにしました。
ここではぐれるくらいなら出会わなければ良かったのにと不満気でしたがなんとか声のしたところまで辿り着くことが出来ました。
「魔法……書店?」
謎の黒猫が入り込んでいそうな建物の前に立ち、見上げた先にある看板には魔法書店と書かれていました。不思議な気持ちになり心が引かれるようで入って確かめることにしました。だって、謎の黒猫は玄関の門を開けることが出来ていましたから。
魔法書店の中は意外にも埃臭くなく、凄く丁重に整えられている本が目に映り、どれも小難しそうでした。けど肝心の謎の黒猫は見当たらず、これは完全にはぐれてしまったと心の奥底で思いました。
「おや? 誰だい? そこにいるのは?」
店主でしょうか。いかにも老婆と言わんばかりにしゃがれた声をしていました。カウンターの先に前後に揺れる椅子があり静かに座ることでゆったりとしているようでした。
「え? その」
私の声が出た頃には老婆と対面していました。カウンターは出入り口の右側にあり死角となっていた為に気付かずやや通り過ぎていたのです。危うく行き違いになるところでした。
「なるほど。ルーシーの仕業だね」
老婆はまるで椅子と戯れるように前後に揺らし、立ち上がることなく、言い切りました。なにかを悟り、老婆の声には一点の曇りもありませんでした。
「ルーシー? あ! 黒い猫?」
どうして老婆が黒猫のことを知っているのか私には理解出来ませんでした。けど、さっきの黒猫とこの魔法書店はこのときになにかの因果があるのだと痛感したのです。
「お前さんからね。ルーシ―の匂いがするのさ。そうだねぇ。悪い子じゃなさそうだねぇ」
初対面とは思えないような口調でした。私が悪い子のはずがありません。けど、いきなり分かれば苦労はしません。ここは潔く返事をし、なんとしてでも黒猫を引き合いに出すことにしました。
「あの! その……黒猫のルーシーはどこに」
独特の雰囲気を持つ老婆の顔には影が映り、思うように表情が読み取れませんでした。ただ分かることは老婆の声には憎悪が感じられないことです。だからこそに私はどこか安堵していたのでしょう。
「行くのかい? あそこへ」
もう老婆がなにを言っているのかが分かりませんでした。私が捜しているのは場所ではなくて黒猫です。このときにもっと深読みしておくべきだったと思いました。なぜならその場所に黒猫がいるかも知れなかったからです。
「あそこはねぇ。あたしのお気に入りの場所なんだよ。……そうかい。選ばれたんだねぇ、お前さんが」
選ばれたというのはあの黒猫にということでしょうか。ただこれ以上に噛み合わないのは嫌なので言わなければなりません、私の名はアニエスですと。
「アニエスです」
会話が成り立たず、ただただ空にのみ込まれる可能性もありました。けどここで私の名を言わなければもっと事態は悪化していました。この老婆は気紛れな風のような人柄でしょう。
「そうかい。アニエスかい。……どうやら言わなければならんようだねぇ」
しゃがれた声に生気が宿り始めました。まるで風が古びかないように何度も吹いているようでした。こう何度も気紛れな風が吹いてしまえば私が混乱してしまいます。ただ今は黙って聴くことにしたのです。老婆は前後に揺らすのをやめ、喋ることに力を注ぎ始めました。
「いいかい。アニエスや。良くお聴き。あたしは第二のお店を考えておる。もしあのお方を納得させることが出来たのならそこの店主にしてやろう。これはいわばあたしからの試練だねぇ。分かったかい」
私が店主になる。老婆からの試練。路頭に迷うのは嫌です。ここははっきりと返答したいところです。けど、本当に私に店主は務まるのでしょうか。気になります。
「ほほう。さすがはルーシーが選んだことはある。面構えが違う。あたしには分かる。アニエスには才能があるとな」
才能。魔法も魔力すらも恵まれなかった私にどうしてそんなことを言うのでしょうか。怒りよりも空しさが勝ち、私の気分は地に落ちていきます。こんなにも空に憧れを抱いたことなんてありませんでした。空という現実に押し潰されるようではこの先に絶望しかないような気がしてきました。
「なに。行けば分かる、ここからがアニエスの人生なのだから」
私の人生。空を見上げることなくずっとすごもり令嬢として生きてきた私の人生。ようやく来たのかな、帰路の旅が。心が叫びたがっているんだ、これこそが私の人生だって。
「見上げたいよ、私だって空を。だから」
これは怒りなんかじゃない。生きる希望なんだ。空が私を裏切ったんじゃない。私が空を裏切ったんだ。だから。
「行きます! 私! もう泣きませんから!」
話が噛み合ってないのは私も一緒。空は空、私は私だ。ここから踏み出すのは空じゃない。地に足をつけた現実なんだ。歩かなければ進めない。もうすごもり令嬢とは言わせない。
「その意気込みは確かと見た。ならば後は分かるね。外で待っておるよ、アニエスを導く者が」
導いてほしい、その為の一歩なんだから。なんだか一気に砕けたみたい。これが本当の私なんだ。空に憧れた日々はもうやめて前を向いて歩こう、窓際ですごもり令嬢だったあの日なんて過ぎ去りし時なのだから。
「有難う。もう行くね、おばあさん」
余りに清々しかったのか私は勢いのままに老婆の名前を聞きそびれていた。けど私が去ろうと横切った時には椅子が揺れ動く音がしていた。多分だけど上機嫌の時に揺れ動かす癖があるのだろう。
「達者でな。アニエスよ」
最後に聞こえた言葉に私は安堵していた。こんなにも前を向いて歩くことが幸せだなんて気付いたことなかった。今の私なら行けるはずだ。誰がこの先で待っているのかなんて不安になることなく、魔法書店の扉を開け外に出た。
「待っておりました、アニエス様。お館で待たれていらっしゃいます、レベッカ様が」
魔法書店の外には若い男性が待ち構えていた。見た感じは執事にも見えた。実に畏まった言い方に私はやや困惑していた。けど、丁寧な対応に老婆の言っていた人なのかと信じ始めていた。思い切って勢いのままに口を動かし始める。
「行きましょう! そこへ!」
どうして黒い服を着用した若い男性を信じたのかは分からない。ただ言えることは勢いのままであったとしか思えない。こんなにもつながっていくのが運命なのかとどんどん覚悟を決めていった。
「これからはアーヴィンとお呼びください。では参りましょうか、アニエス様」
先に名乗ってくれた。けどそれにしてもどこで私の名を知ったんだろう。盗み聞きしていたとは思えない、だってそんな大声を出していないから。
ここはもう行くしかないと腹を割り、私はアーヴィンさんの後をついていくことにした。この出会いに私の運命はどうなっていくのだろうか。それは私にすら分からないことだった。




