1 救世主な2人
巨大な月の前にある一隻の宇宙船。それは地球を救う為の希望の星。成功すれば、人類史に残る大偉業。しかし失敗すれば、人類史なんてもの自体なくなるし、そもそも地球がなくなる。そして今、船内にいる二人の男の頭には、失敗の二文字が渦巻いていた。
「もう終わりだ。地球に残した家族も、ローンを組んで買ったマイホームも、地球も俺も、すべて終わりだ……」
沈痛な面持ちで口にするのは、伊澤一。この宇宙船の飛行士であり、地球の救世主である。いつもは、見事にセンターで分けられている黒髪だが、今は緊張と暖房が生み出す脂汗のせいでおでこにペッタリと張り付き、センターどころの騒ぎじゃない。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ。しかし、このタイミングで動かなくなります? 普通」
と、緊張感の無い声を発するのは、椎名龍。伊澤と同じく飛行士であり、同じく地球の救世主だ。
「普通かどうかは知らんよ。あー。なんてことだ! すべて終わりだ! くそっ、クソッ!」
伊澤は喚き散らしながら自分のもみあげを執拗に触った。
「まぁ、落ち着いてくださいよ。伊澤さん。ね」
と椎名は伊澤をなだめながら、自分は染めたばかりの髪の毛を鏡でチェックしている。
「あのね、君。こんな状況で落ち着いている方が不自然だよ。つまりね、君は今とても不自然なんだ!」
怒鳴るように吐き捨て、伊澤は泣き出した。かなり情緒が不安定だが無理もない。ことがことなのだ。
「不自然って言われても。まぁ、確かに僕たちは大変な状況に陥ってますよ。宇宙船の燃料が足りないって普通ありえませんからね。映画なんかじゃ絶対起きない話ですよ。でも、実際に起きてますから。しゃあないですよ。伊澤さん」
「じゃあ、どうするのさ!」
伊澤は左手で近くの取っ手を持ち、右手で椎名の襟元をつかみながら、どうすんの、どうすんのと繰り返し言う。椎名の頭が前後に揺れた。
「ま、あ、ま、あ、ちょっ、と、やめ、て、くだ、さい」
椎名は力で解決することを好まない。現に、こんなに頭を乱暴に揺らされても、言葉でなんとかしようとしている。
「ほら、ほら、地、球が、滅亡、する前、に、まず、僕が、死んじゃ、いますっ、て」
と、必死の説得を試みるが、伊澤の椎名を揺らす手は、むしろ激しさを帯びていく。
「ぅ、ぅぁ」
椎名が囁くように声を漏らした。しかし、まだ伊澤は椎名の頭を振っている。右は真っ赤、左は真っ白の頭髪をたくわえた椎名の頭が、どし、と重くなった。急いで手を離すと椎名は人形のように動かないまま、ふわふわと浮かんでいった。
「おい、椎名君?」
椎名がまるで意識を失ったように、遠くにゆっくりと飛んでいってしまう。伊澤は少なからず焦った。心の中で色々と考えた。気絶だろうか。長旅で疲れたのかもしれないな。もしかして俺のせいか? いや、それは無いだろう? 別に軽く揺らしていただけであって、別に大したことはしてないじゃないか。元々体調が悪かったんだろう。うん、きっとそうだろう。
そんな、短いながらも重要な脳内会議が終わって、やっと一言、
「おい椎名君、体調が悪いならいってくれよ」
と発した。もちろん返事はない。とりあえず椎名の所に向かい、また声をかける。
「おい、おい」
軽く揺らしてみるが、全く反応が無い。
「お、おい。まじかよ、悪い冗談はよしてくれよ……」
伊澤は、なんと言っても責任感の強い男だ。横暴さも、不安定な情緒もすべて、強い責任感の裏返しなのだ。
額の汗を拭って、深呼吸をする。その後、伊澤はしばらくなにも喋らずに虚空を見つめてたが、ふと我に返って、
「いやいや、まずは脈を計らないと」
と独り言を呟く。二人でも心細いのに、一人が気絶、もしくは……
なんて最悪の事態を考えそうになったので、すぐさま考えるのをやめた。伊澤はこういう時にすぐ無心になれる。一つの才能だ。
伊澤は、椎名の手首に指を当て脈の確認をする。無心になった彼にとって、椎名の生死を判断する重要なこの作業も、朝の歯磨きと同じようにこなせた。まもなく、一定のリズムで送られてくる血液の鼓動を感じ、ほっとする。
「よし、取り敢えず死んじゃいないな」
ひとまず安心して額の汗を拭いた。そして椎名の意識が戻ることに期待して、身体を揺らす。かなり軽くだ。すると、
「ふふっ」
と声がする。椎名だろうか?
「ふはははっ」
今度は腹を抱えながら口を大きく開け、間違いなく椎名が笑いだす。
「いやぁ、焦ってましたね。伊澤さん」
椎名が得意げに話しだした。それを、伊澤は冷静に聞く。とはいっても、ただの冷静ではない。嵐が来る前の、もしくは獲物を仕留める為に茂みに身を隠す虎のような、殺気を帯びた冷静さだ。しかし、伊澤はこの心の火山の噴火をまだ耐えることができる。先ほど感情的になって椎名の首を振りすぎたことの反省からだ。
「どうっすか? スペースドッキリですよ。この状況で、まさかドッキリを仕掛けられるとは思わなかったでしょ。いい思い出になりましたね。お互い」
しかし、そんな簡単に人は変わらないのだ。伊澤は反省なんて忘れて怒りをあらわにした。
「おめでたいのは髪の色だけにしとけよ! くそガキが!」
椎名に飛びつくために伊澤は壁を蹴った。今の伊澤は、地球のことも燃料のことも頭に無い。あるのは、死ね椎名という感情だけだ。
「貴様、生きては返さん!」
全ての四肢を満開に開き、椎名に向かう。なぜそんな格好なのかと問えば、とりあえず体のどこかが当たればいいと考えたからだ。とにかく、当たればそれなりに痛いだろうし、一度椎名と接触できれば、あとはどうとでもなる。首でも締めてやればいいのだ。
しかし、残念なことに、全く速度が出ていない。其の実、歩くよりも遅いのだ。先ほど壁を蹴った時、少し足を滑らせたのが原因である。伊澤は往々にして大事な所で恥をかく癖がある。
ゆっくりと宇宙船内を、大の字のポーズをした伊澤が浮遊している。こんな状態で椎名にぶつかったとして、なんになるだろうか。今からでも近くの手すりにつかまって、再度突撃をするべきじゃないか? しかし、今更どうすることもしなかった。伊澤は目を閉じて静かに、ただ静かにしている。
「伊澤さん、日が暮れちゃいますよ」
椎名の言葉を聞き、ついに涙を流した。正確には、涙が目頭と目尻に溜まり、ある程度の大きさになると、その目から離れ、宇宙特有の丸い水玉になった。伊澤は、宇宙では涙を流すというより、涙が溜まるって感じなのか、不思議だな、と知的好奇心を刺激されていた。もっと宇宙空間の涙について考えようと思ったのだが、それどころではないのでしかたなく頭の隅に追いやる。今、考えるべきは、椎名という男のスペースドッキリについてなのだ。ここを理解しないことには、なにも話は進まない。まず、なぜ椎名という男はこんなに呑気なのだろうか? 宇宙人の本拠地、月を破壊する使命を果たすことができず、地球を滅亡させてしまうかもしれない、という状況でなぜ、死んじゃったドッキリをするのだろうか? なぜ、それをスペースドッキリというのだろう? 考えれば考えるほど謎は増え、一つも理解することができず、また伊澤は涙する。連射式のシャボン玉機の如く。
「伊澤さん? 涙なんか流してどうしたんですか? 泣いてもなにも解決しないですよ?」
と言われ、伊澤は目の周りにくっついている涙を手で払い、口を開いた。
「いいかい、椎名君。さっき君は日が暮れちゃうと言ったけども、宇宙にはさ、日が昇るも暮れるも無いんだよ」
「あっ、確かに。というか、今更その話ですか?」
と、椎名は神経を逆撫でするような発言をするが伊澤は無視をして続ける。
「あとね、この涙は流れてないよ。宇宙だから流れずに溜まるんだよ」
「それも確かに」
「ほら、見てて」
伊澤は、優しい笑顔になり椎名をじっと見つめた。目から涙が溢れ出す。そして小さな水玉がまた宇宙船内を満たしていく。
「笑いながら泣いたりして、もしかして伊澤さん、変な人なんですか?」
「かもしれないな」
椎名の無神経さに、伊澤は疲れ果ててしまっていた。そしてやかましさと引き換えに、やる気を失った。浮遊し、微笑みながら涙を生み出すこと以外なにもしたくない。
「伊澤さんが、変な人だったとは。じゃあ、頼ってられないなぁ。よし、俺が頑張るか!」
なぜか、伊澤の無気力とは裏腹に、椎名のやる気は高まっていた。そもそも、椎名という男は危機感が無いだけで、モチベーションは高いのだが。
椎名はまず、浮遊する伊澤をどかし、状況を再度確認する為に窓から外を見た。そのままでは暗くてなにも見えないので、備え付けのライトで照らしながら。相も変らず巨大な穴が見える。
この巨大な穴は、宇宙人が月の内面に作った基地への門だ。何個かある門の中でも、一番小さい所らしいのだが、それでもかなりの大きい。今にも吸い込まれてしまいそうだ。まぁ、本当に吸い込んでくれたほうが、燃料切れの宇宙船にとっては都合がいいのだが。
「このライトじゃ、中がどうなってるのかまでは分からんな。うーん、どうするか。地球を救わにゃならんのに」
何度か照らし方を変えても特に状況は変わらない。いつの間にか、ライトの光でどこまで照らせるかの遊びに変わった頃、椎名はこの任務のことをあらためて思い返していた。月の内部基地で、爆弾のスイッチを起動するという重要な任務のことを。本当なら今頃は月の中で、慌てふためく宇宙人たちをしりめに、持ってきた爆弾を爆発させているはずだったのに。結局したことといえばドッキリを仕掛けて伊澤が変な奴だと分かったくらいで、なんと無駄な時間を過ごしたのだろう。と椎名は思うのだった。あと、地球に戻っていちご大福が食べたいとかも思うのだった。
「とりあえず、もう一回宇宙船を起動させてみるか」
ライトを消して壁にかけてから、浮遊している伊澤をどかし、椎名は操縦席に座った。そして起動ボタンを押す。なにも反応が無い。もう一度押してみる。また反応が無い。しかたないので連打すると、宇宙船が振動しはじめた。
「おっ! 来た来た!」
他人事のように椎名は声を出した。すみっこに追いやられた伊澤もさすがに目を開き、
「んっ! なんだ?」
と叫ぶように言った。どうやら、宇宙船が動きだしたのだ。
「おい、椎名! どうやったんだ!」
「分かりません、ただ、起動スイッチを押したら動いたんですよ。発進します!」
「おい、ちょっとま……」
伊澤が言い終わる前に、椎名は宇宙船を発進させた。それと同時に、宇宙船内の電気が消える。そして、真っ暗な月の大穴に宇宙船は消えていった。
が、ものの数秒で宇宙船のエンジンは止まった。
「おい、椎名。いきなり発進するな! あと、止まってるぞ」
「止まりましたね」
どうやら、今のが宇宙船に残された最後の力だったらしい。
「止まりましたね。じゃないよ! 電気も全部消えたじゃないか!」
「ですね」
「もう!」
伊澤はなにを言っても無駄だと判断し、壁にかかっているライトを探しはじめた。椎名は操縦席につけられたライトを使って、すぐに点灯させる。伊澤はその光を頼りにもう一つあるライトを手に取り、二人とも無事ライトを手にした。
「このライト、すっごい明るいですよね。うちにも欲しいな」
と、椎名はライトをいじりながら言う。
「なんというか、君はほんと状況が分かってないよね」
伊澤は宇宙船の発進で気持ちに区切りがついたのか、もう完全に諦めたのか、こんな椎名の発言にもあまり食ってかからない。そんなことよりも、外の状況が気になっている伊澤は、確認の為に、ライトで窓から外を照らす。
「うわっ」
見るや、すぐさまライトの電源を消した。
「どうしたんですか?」
と伊澤を気にかけながらも、椎名は宇宙船が動いた理由を考えるのに夢中だ。あちこちを触って回っている。
「大変なことになったぞ。椎名」
「今更どうしたんすか。燃料切れの時点でもう大変ですよ」
「さらに、大変になったってことだよ」
伊澤の体の震えが、ライトをカタカタ言わせている。
「さらにって、なんですか?」
伊澤は唾を飲み込み、一言、
「すぐそこに宇宙人がいる」
そう言った。椎名の反応は確認せずに、喋り続ける。
「今、この宇宙船は大穴の中まで進んだみたいだ。っで、壁を見たんだが、そこに宇宙人がいる。バイクのような物に乗ってた。目視できたのは一人。あー、俺たち、気づかれてんだろうなー」
ガタガタと震えが止まらない伊澤は、また目に涙を溜めた。
「あー、怖いよぉ」
と言いながら、また水玉が生み出される。伊澤がちらりと椎名のほうを見ると、椎名は結構普通の顔をして、涙を目で追っているようだった。
「あっ、もしかして」
直後、閃いたように椎名が言う。
「この宇宙船が少しだけ動いたのって、内部でなにかが起こったわけじゃないですか」
「あぁ、ああ、そうかもな」
伊澤は泣きながらも律儀に返事をして涙を拭った。
「いや、言いたいことはですね」
椎名は取り出したタオルで、水玉の処理をしながら言った。
「宇宙空間でも、涙は流れるでいいんじゃないですか? なぜなら、見えない内部で、涙は涙腺を流れて出てくるからです。いやー、絶対そうだ」
なぜ、椎名は、今そんなことを考えているのだろうか? そんな疑問の種は、すぐに殺意に変わった。
「今! そんなこと! 関係ないだろ!!」
満足げな表情を浮かべるこいつの息の根を止めてやると、伊澤は体勢を整えた。がその時、宇宙船の窓に何かがぶつかる音がする。
「なんだよ! うるせぇな!」
伊澤が音のするほうにライトを向けると、椎名も伊澤も固まってしまった。蛇に睨まれたカエルのように。
宇宙人が、窓を叩いているのだ。




