8. 願いと祈り
「母様?」
洞窟に入っていくツムギにもわかったらしい。
ここがいかに空気がよどんでいるか。
ミナトがツムギの痣に触れたこと、ツムギがミナトの痣を認識したことで、前より敏感になったのだろう。
母を呼ぶ声色には、恐怖と不安と心配が絡まっていた。
「…遅かったか」
ミナトが先ほどまで話をしていた狐の姿はなく、影の塊だけがそこにあった。
影は暗黒の色。
もう人の言葉をしゃべることは、ないだろう。
ツムギも気付いたのか、足が動かない。
「ツムギ、母様の名前は?」
「え、でも…」
「いいから!」
あの『狐』のことだ。
この子が妖怪に干渉しうる者と知っていたなら、その名前をミナトに言わなくても、ツムギには言う。
「その名前がおまえの母さんを救うんだよ!」
「か、母様の名前は…」
ツムギのくちびるから紡がれた言葉。
その言葉が届いたのか、影がどことなく笑った気がした。
ミナトは両足を踏みしめ、両手を大きく広げる
『パン……パン…‼』
まずは二拍手。
力強くならされた拍手に呼応して、左の首元から力が這い出して、体を覆う。
その力はミナトが『送り屋』としての核から生まれる力。
痣と同じ、緑色に見える膜が体全体を覆いきるのを待ってから、ミナトは静かな眼差しを影となった『狐』に投げかけた。
『パン‼』
「我が名はミナト、穢れ前をお送りする者」
『パン‼』
「山の主、白玄を、お送りします」
拍手に合わせて述べれば、緑の膜がミナトから離れ、白玄だったものを覆っていく。
「母様!」
引っ張られる裾を見ると、ツムギがミナトにくっつき、育ての母を見ていた。
「ツムギさん」
ミナトは静かに語りかけた。
ミナトだけでも浄化はできる。
しかし、ツムギが力になってくれれば、いい。
「君の母様は君に生きてほしいんだよ。だから、祈るんだ。私は生きるんだって」
「わ、わかった」
目をつぶり、ツムギが裾をつかむ手に力が入る。
それを確認してからミナトもゆっくりと目を閉じる。
一心に祈る。
――あなたが育てたこの子は、あなたの願いどおり、人間として、大切に育てます。だから、静かにお眠りください。
願いを引き継ぐことが弔いになる。
祈りを伝える緑の力は穢れた妖怪にとって浄化の炎となり、汚れと共に存在を消す。
『任せたよ』
薄いまぶたの中で、影が緑の炎に飲まれるのがわかった。




