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不倒の流血王 世界ウエルター&ミドル級王者 カーメン・バシリオ(1927-2012)

作者: 滝 城太郎

最近世間を騒がせている熊は、頭蓋骨の厚さと体脂肪のおかげで警官の拳銃弾では致命傷を与えることができないというが、人間の中にも特異体質なのか、常人なら意識が飛ぶような強打に堪えることができるばかりか、小休止するだけであらゆるダメージから回復できる者がいるようだ。バシリオがいかに不器用なボクサーであっても、熊並みの耐久力がある人間に致命的なダメージを与えることができる強打者は現われなかったようだ。

 一九五〇年代、一六九センチという短躯にもかかわらず最激戦区の中量級で二階級制覇を達成したカーメン・バシリオは史上最強の“咬ませ犬”だった。

 当時のウェルター、ミドルの両階級は“帝王”シュガー・レイ・ロビンソンを頂点とする群雄割拠の時代で、彼に続く準主役級にもキッド・ギャビラン、ロッキー・グラジアノ、ジェイク・ラモッタといった一流どころがズラリと顔を並べ、この中に割り込むのは容易なことではなかった。

 「中量級スターウォーズ」と呼ばれた一九八〇年代も、シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュラン、マービン・ハグラーの四強にウィルフレド・ベニテス、ドン・カリー、マイク・マッカラムといったいずれ劣らぬ強豪が絡む戦国時代の様相を呈していたが、ジュニア階級が増設され、団体数も次々と増えていったこともあり、対戦相手さえ慎重に選べば、二階級はおろか三階級制覇すら十分可能な時代であった(当時はWBA、WBC、IBFの三つがメジャー団体だった)。

 これだけ条件が整っていても、正式階級であるウェルターとミドルを制したのはレナード、ハーンズ、デュランしかおらず、この中でも実質的な中量級最強王者だったハグラーに勝てたのはレナードだけである。

 そのレナードにしても、ハグラー戦は自らがこだわった十二回戦制のおかげで僅差で逃げ切れたという印象が強く(判定は微妙なスプリット)、十五回戦制であればハグラーが勝っていたという意見は今も根強い。

 それに比べるとロビンソンの時代は、ウェルター、ミドルの王座は一つずつしかないため、世界挑戦の機会そのものが少なかった。しかも王座を狙うなら「史上最強」のロビンソンとの直接対決は避けられないとあって、二階級制覇など夢のまた夢だった。事実、ギャビラン、グラジアノ、ラモッタといったビッグネームでさえ世界戦ではロビンソンに撃退されている。

 ところがバシリオは、これほどの絶対王者を打ち破って二階級制覇を達成しているのだ。ウェルター、ミドルの二階級制覇はトミー・ライアン、ミッキー・ウォーカー、シュガー・レイ・ロビンソンに続く史上四人目の記録であり、その後はレナードがハグラーを破った一九八七年までの間にエミール・グリフィスしかいない。


 カーメン・バシリオはニューヨーク州カナストータのイタリア系移民の家に生まれた。父は玉葱農園で働き兄弟は十人いた。高校時代はボクシング部に在籍していたが、ボクシング以外のことに興味を見出せなかったため高校は中退し、海軍に入隊した。

 一九四八年に二十一歳でデビューすると、二年間で三十試合に出場し、二十二勝五敗(十四KO)三引分の成績を残す。スピードもテクニックも大したことはなく、かといってパンチ力がスバ抜けているわけでもないバシリオは、タフさだけが取り柄の泥臭いファイターだった。

 中量級にしては小柄でリーチも短いうえ、決定的なフィニッシュブローがないことは、この階級では大きなハンデだったため、メインエベンターになってからはKO率も下がり、勝ったり負けたりの繰り返しだった。そんな不器用な男が表舞台に立つきっかけとなったのが、一九五二年五月のチャック・デイビー戦だった。

 TVボクシング界のアイドル、チャック・デイビーは無敗の三十二連勝を続けるウェルター級のホープだったが、その実態は視聴率を稼ぎのために弱い相手を選んで作られた記録に過ぎず、バシリオも手頃な「咬ませ犬」としてデイビーの連勝記録の生贄となる予定だった。ところがヒット・アンド・アウェーでポイントを稼ぐタイプのデイビーは少々のクリーンヒットを浴びても執拗なボディアタックを繰り返すバシリオに大苦戦を強いられる。判定は一旦バシリオに上がったものの、ジャッジの一人の集計ミスで引き分けに訂正され、デイビーはかろうじて連勝ストップを免れた。TV局としても、最終的にキッド・ギャビランの持つ世界ウェルター級タイトルに挑戦するまでは連勝を続けてもらわなくてはならないというお家事情があったため、さぞかしほっとしたに違いない。

 二ヶ月後の再戦では、デイビーが無難にアウトボックスして連勝を三十三に伸ばす一方、高視聴率のTV番組で果敢なファイトぶりが全米に中継されたことで、負けたバシリオの株も上り、以後ビッグマッチの声もかかるようになった。世界ライト級の名王者の一人に数えられるアイク・ウィリアムスに勝ち、キッド・ギャビランとの世界タイトル戦で二度も接戦を演じたビリー・グラハムとも一勝一敗一引分けと互角に戦えたことは、バシリオにとって大きな自信となっただけでなく、タイトル挑戦権という思わぬ幸運までもたらしてくれた。

 一九五三年九月十八日、バシリオの地元ニューヨークの戦没者記念館で行われた世界ウェルター級タイトルマッチは、五度目の防衛戦で三十七勝〇敗のTVアイドル、チャック・デイビーにワンサイドのKO勝ちを収めたギャビランが絶対的優位と見られていた(賭け率は五対一)。

 ボーロパンチと回転の速い連打で売り出してきた「キューバの鷹」ことキッド・ギャビランは、ノンタイトルでロビンソンと互角に渡り合ったこともある中量級実力NO2の人気選手である。長身から放たれるジャブと変則アッパーは小型のファイタータイプの接近を容易には許さないだけに、至近距離に飛び込むしか勝機のないバシリオにとっては最もやりにくい相手だった。

 第一ラウンド、ギャビランはジャブと左アッパーでバシリオをコントロール。ロングレンジからのバシリオのパンチはほとんどが空振りで、接近すれば左右のボディアッパーで体を起こされてしまう。ところが二ラウンドにクラウチングスタイルからするすると懐に潜り込んだバシリオが伸び上がるようにしてショートの連打を浴びせると、体重を後方にかけていたギャビランは仰け反るようにダウン。スリップ気味ではあったが、打たれ強くディフェンス技術にも長けたギャビランにとってキャリア二度目のダウンだった。

 これで試合は俄然ヒートアップし、両者ともにビッグパンチの応酬を繰り広げた。十四ラウンドには、ギャビランがボーロパンチの際に巧みに繰り出すサミングでバシリオの左目は完全にシャッターを下ろすが、最後まで一歩も引かずにギャビランに立ち向かっていった。

 判定は二対一でギャビランの辛勝だったが、UP通信はドローとしているように、後半はギャビランが足を使って安全策を取った印象が強く、改めてバシリオの突進力とタフネスが評価される結果となった。なお、バシリオがギャビランからダウンを奪った第二ラウンドは、『リング』誌によるベストラウンド・オブ・ジ・イヤーに選ばれた。

 一九五五年六月十日、ウェルター級トップコンデンターとなったバシリオは、同じイタリア系の突貫ファイター、トニー・デマルコを十二ラウンドTKOに下し念願の世界タイトル奪取に成功した。この一戦は序盤から小柄なファイター同士による息もつかせぬ打撃戦が続く好ファイトだったが、十二ラウンドにバシリオの連打でデマルコがロープに詰まったところでレフェリーストップというのはやや早すぎる感もあったため、ファンは再戦を望み、半年後にリターンマッチが実現した。

 この試合も前回同様、両者ともにほとんどノーガードの打ち合いに終始したが、中盤以降はデマルコの左右のスイングと右ストレートが効果的で、じりじりとリードが広がっていった。そして迎えた十二ラウンド、互いに疲労困憊でパンチも心もとなかったが、タフネスで勝るバシリオが足の止まったデマルコに一気にスパートをかけ最初のダウンを奪う。

 コーナーによろよろと崩れ落ちたデマルコの目はすでに焦点が合っていなかった。ファイト再開直後にバシリオの右が炸裂すると、一瞬硬直したデマルコが前のめりにキャンバスに崩れ落ちかけたところをレフェリーが支えて試合をストップ。バシリオはスリリングな逆転KO勝ちで初防衛に成功した。


 バシリオのボクシングは打たせてから打ち返すというシンプルなものだった。リーチが短く、スピードにも乏しいため、相手が接近してくれない限り勝機はない。そのために相手に打たせるだけ打たせて、連打のスピードが鈍ったところで一気に勝負に出るのがいつものパターンだった。いくら打たれ強いと言っても急所にクリーンヒットを浴びれば、一瞬意識が飛んだり、足が硬直したりすることはある。ところが、バシリオはコーナーに戻って足踏みをしているうちにパンチのダメージによる痺れから回復できたという。


 一九五六年三月十四日、バシリオ二度目の防衛戦の相手は、ギャビランからウェルター級王座を奪ったこともある元王者のジョニー・サクストンだった。サクストンはデビューから三十九連勝を記録したアウトボクサーだったが、二年間負けなしの十三連勝と波に乗るバシリオの波状攻撃の前には体格で勝る挑戦者もたじたじだった。勝負は判定にもつれ込んだが、誰もがバシリオの勝利と思ったところ、何と勝者はサクストンだった。

 これには場内大ブーイングだったが、公式判定は覆らない。

 サクストンがマフィアの大物、フランキー・カルボとブリンキー・パレルモの支配下選手だったことで、ジャッジの買収説も流れたが、六ヶ月後、バシリオは拳できっちりと決着をつけた。足を使って逃げるサクストンを追い回し、九ラウンドTKOで仕留めると、感極まったバシリオはリング上で涙にくれた。

 サクストンとのラバーマッチでも二ラウンドKOで圧勝、いよいよウェルター級で目ぼしい相手がいなくなったバシリオはミドル級進出を決意した。そこにそびえたつのは、全時代、全ての階級を通じて最も偉大なボクサーといわれるリングの帝王、シュガー・レイ・ロビンソンという名の高峰だった。


 一九五七年九月二十三日、ヤンキースタジアムは稀に見る大番狂わせに熱狂と感動の坩堝と化した。ボクシングの申し子とでも言うべき華麗なるシュガー・レイが、不器用で無骨な小男に王座を追われたのだ。

 無敵のウェルター級王者からミドル級に転じて三度目の王座となるロビンソンは、足掛け十年以上も世界の王冠を戴く「キング・オブ・キングス」である。すでに三十六歳になるが、牡牛のように荒っぽく頑丈なジーン・フルマーからKOでタイトルを奪還して意気軒昂。全盛期ほどの体のキレはないにせよ、パンチ力、スピードのいずれにおいてもランキングボクサーの中でロビンソンに匹敵する者はいまだに見当たらなかった。

 ましてやバシリオのようにリーチも短くフットワークもないボクサーでは勝てる要素がない。今宵のバシリオは、ロビンソンの前に捧げられた「生贄」になるはずだった。

 相変わらずロビンソンのジャブは速く、コンビネーションも素晴らしかった。バシリオの左目は見る見るうちに腫れ上がり、撲殺された死体のような形相になってきた。しかし、バシリオの本領発揮はここからである。我慢比べなら人後に落ちないバシリオはロビンソンの再三のクリーンヒットにもめげず、執拗に接近戦を挑んでくる。まるでパンチの衝撃で神経が断線してしまったかのようだ。

 やがて疲労でロビンソンの動きが鈍ると、バシリオのパンチが的確に王者の顔面を捉え始めた。いつもならば低い態勢から接近する相手はアッパーと打ち下ろしのストレートで翻弄してしまうロビンソンも、極端なクラウチングスタイルから体を振りながらパンチを伸ばしてくるバシリオを捕まえきれず、やすやすと懐に潜り込まれてしまう。中盤以降は、身体を密着させながらのパンチの交換で優位に立ったバシリオが劣勢を挽回し、ロビンソンにとっては苦しい展開となった。

 ラストラウンド、劣勢を自覚しているのかロビンソンは最後の反撃を試みるが、ベタ足ながら上半身を折り曲げて左右にフェイントをかけるバシリオの前にパンチは空転を続け、試合終了のゴング。判定は二対一のスプリットでバシリオに上がった。まさにバシリオ一世一代の根性ファイトだった。

 バシリオもよく耐えたが、ロビンソンのパンチにもう少しスピードと切れがあれば、もっと早く試合が終わっていたかもしれない。これほど空振りするのは珍しいというほど後半空振りを繰り返したロビンソンのパンチは明らかにスピード不足だった。これはスタミナ配分を考えず、バシリオの泥仕合に引き込まれたことで予想外の体力の消耗を強いられたチャンピオンサイドの作戦ミスと言えるかもしれない。

 両者は六ヶ月後に再戦し、今度はロビンソンが雪辱を果たして四度目の王座に就くが、これも大接戦で判定は二対一と割れた。いずれ劣らぬ白熱の打撃戦を展開したこの二試合はともに『リング』誌による年間最高試合に選ばれている(一九五七年度、一九五八年度)。


 わずか六ヶ月でミドル級王座を手放したバシリオの野望はまだ潰えていなかった。ロビンソンが防衛戦不履行によりタイトルを剥奪されたため、一九五九年八月二十八日、元チャンピオンのジーン・フルマーとバシリオの間でミドル級王座決定戦が行われることになったのだ。

 頭突きを交えたラフなインファイターであるフルマーに苦戦を強いられたバシリオは、十四ラウンドに右ストレートをまともに浴びて後退したところに左フックのダブルと返しの右を叩き込まれグロッギー。レフェリーストップのTKO負けで王座奪回に失敗した。

 負けたとはいえ、これも『リング』誌による年間最高試合に選ばれ、バシリオの試合は五年連続の選出となった。選出回数計五回はモハメド・アリと並ぶ史上一位タイだが、五年連続となるとバシリオしかいない。

 アリのように絵になるスマートで芸術的なボクシングがファン受けするのは当然としても、その対極にある原始的なボクシングがこれほど支持を受けたのは、バシリオの不屈の闘志が見る人の心を揺さぶった結果であろう。不利な予想を覆すところにバシリオのボクシングの醍醐味があったのだ。

 ファンの期待に応えて挑んだフルマーとのリターンマッチは、十二ラウンドにいいパンチをもらって足が止まったバシリオがロープ際でもみ合っている最中に、突然レフェリーストップが入るという何とも不可解な幕切れとなった。

 ブレークかと思っていたバシリオは、TKO負けを宣せられるや怒りが爆発した。いつも形相が変わるほど打ちまくられながら逆転勝ちしてしまうのがここ数年来のパターンだっただけに、ダウンすら奪われていないところでストップされるなど納得がゆくわけがない。

 「何なんだ、一体。どういうつもりだ」激昂してレフェリーに殴りかからんばかりに詰め寄ったバシリオは、周囲から引き離された後もあろうことか観客席に向かって卑猥な台詞を連呼するなど半狂乱となり、危険を察知してリングに飛び込んできた二名の警官からコーナーまで連れ戻されている。


 諦め切れないバシリオはさらに翌年、ポール・ペンダー(NBA以外の公認ミドル級王者)に挑むが、惜しくも判定で敗れ、グローブを壁に吊るした。

 引退後のバシリオは、ギネスビールに勤務するかたわら、大学で体育学のインストラクターを務めていた。後年、心臓病で体調を崩したが、あれほど打たれながら脳には全く異常がなかったという。

 バシリオの出身地カナストータには、現在国際ボクシングの殿堂博物館がある。これには地元の英雄であるバシリオの殿堂入りに際して、地域住民たちが結束して博物館の建設を推進したといういきさつがある。

 現役時代から暮らしぶりもつつましく好漢として知られたバシリオが、なぜリングでは凄惨な流血戦を勝ち抜いてこれたのか。それについて彼はこう答えている。

 「私は人を傷つけることを楽しんでいるわけじゃない。だけど、良いことには嫌なことも付きものだ。もし君たちが通りで僕を見かけたとしよう。その時、「ハロー、チャンプ!」って声をかけてくれれば、それが私にとって最高の幸せなんだよ」

 金でも地位でも名誉でもなく、ファンから気軽に声をかけてもらうこと、そんな小さな幸福感を味わうために、不器用な男は現代のコロッセオに身を投じ、歴史的な名勝負を繰り広げたのだ。

 生涯戦績 56勝16敗(27KO)7分

全階級を通じて歴代最強の声も高いシュガー・レイ・ロビンソンにタイトルマッチで勝っただけでも、歴史的な偉業だが、ギャビランはウエルターでは相当な実力者である。現在の中量級でこの二人に勝利できる可能性のあるボクサーはまず皆無だろう。努力と根性だけでメイウェザーは倒せないが、努力と根性でロビンソンとギャビランを破ったバシリオならどうだろう?

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