第6章『学ぶべきことが多すぎる』
街の灯りが遠くで瞬き、空気は粉塵と静電気で満たされていた。
まるで世界そのものが息を潜めているようだった。
青い光の傷を全身に刻んだリリアナが、ゆっくりと立ち上がる。
「どうしたの? 本気じゃないの?」と、挑発するように笑った。
キサは服の埃を払いながら、軽く顔をしかめる。
「はぁ……服が台無しだわ。」
そして皮肉めいた笑みを浮かべた。
「たとえ望んでも、あなたを傷つけることはできないの。」
「……は?」リリアナが眉を上げる。
キサは指を突きつけ、鋭い瞳で見据えた。
「でも——その中にある“何か”は、壊せる!」
「あなたを操っているそれを、絶対に消してみせる!」
リリアナが短く笑うと、次の瞬間、二人の姿が消えた。
超人的な速度。空気が裂け、赤と青の軌跡が夜空を切り裂く。
拳と拳がぶつかるたび、建物が震え、音が雷鳴のように響いた。
キサが口を開き、炎を吐き出す。
火炎の奔流がリリアナを包み込むが、彼女は一切怯まずに突き進み、キサの目前に迫る。
閃光のような一撃。
拳と拳がぶつかり、火花が散る。
キサは後退しながら身を翻し、嵐のような連撃をかわす。
反撃の回し蹴りがリリアナの腹部を捉えた。
「中にあるFATEを……引きずり出さなきゃ。でも、どうやって……!」
息を荒げながら、キサの額に汗が光る。
リリアナの体が青白い雷光に包まれ、咆哮を上げた。
「キサァッ!」
遠くからソードの声が届くが、彼女は耳を貸さない。
次の衝撃は凄まじかった。
二人の体がビルの屋上から弾かれ、夜空を螺旋を描いて落下していく。
「——っ!」
キサは羽を広げ、リリアナを抱きかかえたまま空を裂く。
「もう……間に合わないっ!」
地上でオードリーが息を呑む。
「キサ!」
隣で、痛みに顔を歪めたソードが必死に立ち上がった。
地面に叩きつけられた瞬間、爆音と衝撃波が通りを覆った。
火の粉と煙の中から、ひとりの影がよろめきながら現れる。
キサだった。腕の中には、気を失ったリリアナ。
「……はぁ。」
穏やかに息をつき、キサは優しく呟く。
「大丈夫。あなたのせいじゃないわ。こんなものに操られているなんて……。」
顔を上げると、角の向こうにオードリーの姿があった。
「オードリー……。」
「わ、私たちは……ただ、帰る途中で……。」
言葉を失うオードリー。
そのとき、背後に閃光が走った。
「危ないっ!」
オードリーの叫びと同時に、キサは身を翻す。
背後で爆発。
煙の中から現れたのは、白い髪の少女——ソヒョンだった。
その瞳は冷たく、口元には余裕の笑み。
右手には輝く剣——その刃に映るのは、彼女自身の顔。
「その子を離しなさい。」
ソヒョンが刃先をリリアナに向けた。
キサの瞳が細くなる。
「……あなた?」
そして挑発するように口角を上げた。
「もしかして、あなたもFATEを追っているの? 予想通りね。」
ソヒョンは吹き出した。
「FATE? 本気でそう思ってるの? あの中にあるのが、それだと?」
瞳が刃のように光る。
「あなた、何もわかっていないのね——タチバナの娘。」
その言葉に、キサの胸が跳ねた。
「今……なんて言ったの……?」
一瞬の隙。ソヒョンの姿が掻き消える。
空気が歪み、次の瞬間にはキサの真横にいた。
初撃を受け流し、二撃目を避ける。だが三撃目が直撃し、キサの体が宙に舞った。
「ぐっ……!」
地面に叩きつけられる。
倒れたリリアナを見下ろしながら、ソヒョンが剣を構える。
「これで終わりよ。」
——その瞬間、音が切り裂いた。
銀色の糸が彼女の腕に絡みつき、動きを止める。
「……何?」
次々と放たれる細い糸。ソヒョンは身を翻し、すべてを回避する。
糸の発射源——オードリー。
彼女の周囲に、幾重にも糸が広がっていた。
片手のナイフが警光を反射し、冷たい表情が夜に映える。
かつての柔らかな笑顔は、もうどこにもなかった。
「チッ……あのガキが。」ソヒョンが舌打ちする。
オードリーは静かに息を吐いた。
「はぁ……。」
その背後で、ソードが疾走する。
「——っ!」
次の瞬間、彼の蹴りがソヒョンの首元に炸裂した。
「ぐっ……!」
彼女がよろめくと同時に、その視線がソードの胸へと落ちた。
そこには、リリアナと同じ青い紋章が淡く光っていた。
「あなたも……マクスウェルの要素を……。」
ソヒョンの声に笑みが混じる。
キサが再び立ち上がる。
息は荒いが、その目は燃えていた。
ソヒョンは状況を冷静に見極め、笑った。
「ファーシー、マクスウェルの要素を持つ者、そして“抑制”の使い手……ふふ、ひとりじゃ荷が重いわね。」
剣を下ろしながら、淡々と続ける。
「でも、目的はわかった。次は——あなたたちの方から来るでしょうね。」
オードリーとソードが構える。
ソヒョンは倒れたリリアナを抱え、微笑む。
「……また会いましょう。」
青い光が爆ぜ、彼女たちの姿は煙の中に消えた。
短い静寂。
キサが肩で息をしながら呟く。
「ふぅ……危なかった。」
「大丈夫?」オードリーが駆け寄る。
「また来る……今度は、仲間を連れて。」ソードの声が低く響く。
そのとき、サイレンが夜を裂いた。
赤と青の光が通りを照らし、数台のパトカーが彼らを囲む。
「逃げて!」キサが叫ぶ。「今すぐ!」
「もう遅いんじゃない?」オードリーが苦笑する。
ライトが顔を照らす中、キサは俯いた。
「結局……巻き込んでしまった。」
「もう関わってるよ。」ソードが呟く。
「……そうね。」キサが静かに息を吐いた。
「——動くな! 手を上げろ!」
警官の怒鳴り声。
その瞬間、キサはふたりの顔を見た。
ソードとオードリー。
その瞳の奥に、かつての仲間——ティアラとイヴェット——の姿が重なる。
キサは思わず、二人の手を取った。
「止めても無駄なんでしょ?」
微笑みが浮かぶ。
心の奥で、小さな声が囁く。
また……感じてる。
この愚かな心が……。
顔を上げ、頬を染めながら笑った。
「なら——一緒に行こう!」
爆発音が夜を裂く。
煙の中から、巨大な影が舞い上がった。
竜形態のキサ。
背にソードとオードリーを乗せ、街の光を背に飛び立つ。
風が頬を打ち、誰もが言葉を失う。
ただ、見上げる光の海。
遠くの屋上から、その光景を見つめる影がひとつ。
アリステアだった。
「……面白くなってきた。」彼が笑う。
『メアリー、位置は特定できたか?』
『もうすぐです。』通信越しに声が返る。
アリステアは口元を歪め、背を向けた。
「よし——行こうか。」




