第3章『夜のラン』
遠くで響くサイレンの音が、ネオンの光に溶けていった。
青い髪の少年は、意識を失った少女を背負いながら細い路地を進んでいた。
パーカーのフードで彼女を覆い、誰にも見られないようにしている。
「もう夜か……」少年は暗く染まる空を見上げて呟いた。
「姉さんたち、今日は帰ってこないといいけど……」
背中からかすかな声が聞こえた。
「あ……うぅ……」
「また目を覚ましそうだな」
彼は少女を支え直しながら、路地の出口へと歩いた。
目を細めると、まぶしい光が一気に広がる。
街全体がざわめいていた。
音楽、笑い声、エンジン音、そして夏の始まりを祝う群衆。
「うわ……最悪だ……」
バーやクラブの明かりが通りを埋め尽くし、酔っ払いが押し寄せてくる。
「夏の始まり、ね……」
――街の別の場所。
CROWSの建物の一つが、夜の闇の中で静かに光っていた。
青髪の少女――かつて「バスタード」と戦った三人組の最後の一人――が、人気のない廊下を歩き、明かりの灯るオフィスへと入っていく。
中ではジェインがパソコンに向かってキーボードを叩いていた。
モニターの青い光が眼鏡に反射する。
「……あ、え?」ジェインは顔を上げた。
「今日は帰るの?」
「……帰らない。やることがあるの」
モニターから目を離さずに答える。
「“バスタード”が現れてから、ずっとそんな感じね」
「それがどうしたの?」
「体に悪いと思うけど……」
沈黙。
「……もういいわ。私、先に帰る」
「待って」ジェインは視線を画面に向けたまま言った。
「ソウドに迎えに行かせるわ。出前でも頼みなさい。カードはここにある」
少女は黙って彼女を見つめ、無言のまま部屋を出て行った。
――一方その頃。
群衆の中で、青髪の少年は必死に人混みをかき分けていた。
「くそっ!なんでこんな所に……!」
押し合い、怒鳴り声、煙。
やっとのことで駅にたどり着いた頃には、もう息も絶え絶えだった。
背中の少女はいまだ眠っている。
ポケットからカードを取り出そうとするが、うまく出てこない。
「……ちくしょう!」
その時、ジム帰りらしいブロンドの女性が電車から降りてきた。
スポーツウェア姿に、首にはイヤホン。目は鋭く、自信に満ちていた。
少年はなんとか改札を抜けようとしたが、勢い余って彼女とぶつかる。
バッグの中身――化粧品や水のボトルが地面に散らばった。
「うわっ!ご、ごめん!」
女性は冷たい目で彼を睨みつける。
「バカじゃないの!?どこ見て歩いてんのよ!全部弁償してもらうから!」
「えっ……あ、はい……」
少年は一歩後ずさり、次の瞬間、踵を返して全力で走り出した。
「ちょっと!待ちなさい!」女性もすぐに追いかける。
「あとで払うってば!今はちょっと用が――!」
「ふざけるな!」
――駅の外。
ネオンと人波の中を、少年は必死に逃げていた。
だがその足が、誰かの靴を踏んでしまう。
「てめぇ……」
振り返ると、豪華なスーツを着た男が立っていた。
胸元にはこぼれたドリンクの染み。
その背後には、同じジャケットを着た十数人の男たち。
「ガキ……今、自分が何したかわかってんのか?」
「お、おい、落ち着けって……ただの事故だろ?」
「やっちまえ」
「うわっ……!」
怒号が響く。少年が振り返ると、ブロンドの女性もそこにいた。
彼女の表情が固まる。
少年は反射的に彼女の手を掴んだ。
「――走るぞ!」
一瞬、彼女の頬が赤く染まる。
二人はそのまま路地へと駆け込んだ。
「こんなに走ったの、今日だけで何回目だよ……!」
「待てコラ!」
背後から怒鳴り声が迫る。
背中の少女がもぞもぞと動いた。
「うるさいなぁ……寝れない……」
そのまま彼の背からずり落ち、地面に尻もちをつく。
「いったぁ……!」
「おい!」少年は急停止し、振り返る。
ブロンドの女性も立ち止まって彼らを見た。
少女はゆっくりと立ち上がり、頭を押さえる。
「あいたた……うぅ……」
その瞬間、追ってきた男たちの影が迫る。
「はぁ……はぁ……」少女はくしゃみをした。
次の瞬間――。
炎。
少女の口から吹き出した火が、男たちの行く手を遮った。
「な、なんだ!?」「逃げろ!!」
一瞬にして路地が紅く染まり、熱風が通り抜ける。
「……あたま、いたい……」少女は呟いた。
ブロンドの女性が言葉を失う。
「なに……いまの……?」
少年は黙ったまま。
少女はゆっくりと二人を振り返る。
背後では、まだ小さな炎が揺れていた。
「あなたたち……誰?」
二人は言葉を失ったまま、ただ彼女を見つめていた。
沈黙の中、パチパチと火の音だけが響いていた。




