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第19章『いつも君を守るために』


砂漠の風が、砂に突き立てられた錆びた武器の間を吹き抜けていた。

古い戦場は沈黙に包まれ、まるで時間そのものがここで止まってしまったかのようだった。


剣瑛シウインは、その中心に立ち、静かに景色を見つめていた。

折れた剣、埋もれた槍。

その姿はこの世界から浮いているようにも見えたし、あるいは世界のほうが彼女に追いつけていないだけなのかもしれなかった。


かすかな笑みが、その唇に浮かぶ。

壊れそうで、痛みを孕んだ微笑。


「もしも……過去を変えられたなら……」


その呟きは、風に溶けて消えた。


――記憶が、否応なく溢れ出す。


舞い落ちる桜の花びら。

春の光に包まれた学園の廊下。

若く、無邪気な笑い声。


五つの影が廊下を駆け抜けていく。


「もう咲き始めてる!」

榮純エイジュンが振り返り、笑顔で叫んだ。

「行こう!」


誠人マコトがそれに続き、楽しげに笑う。

ジェレミアは少し後ろから、掌に落ちた花びらを見つめていた。

テヒョンはアリスとじゃれ合いながら、空中の花びらを捕まえようとしている。


剣瑛は、少し離れた場所からその光景を見ていた。


教師としてではなく。

守護者としてでもなく。


ただ――

この瞬間が二度と戻らないことを知っている者として。


中庭で、皆が空を見上げた。

あの頃の空は、今よりずっと広く感じられた。


「……きれいだね」

榮純が呟く。


誠人は、そっと彼女の手を握った。


花びらが地面を覆い尽くす。

笑い声。

誰も気づかないまま交わされた、果たされることのない約束。


景色が変わる。


大人の手に抱かれた、小さな命。

毛布に包まれた赤子。


立花 希佐。


榮純と誠人は、疲れた中にも幸せそうな笑みを浮かべていた。

仲間たちはその周りを囲み、新しい命を祝福している。


テヒョンとアリスは、手を取り合い、静かにその光景を見つめていた。


――だが。


映像は歪み、砕ける。


砂が唸りを上げ、巨大な影が記憶を横切った。


牙を持つ鯨。


剣瑛は、はっと目を覚ました。


砂漠が現実へと戻る。

呼吸は荒く、震える手が額を押さえる。


静かな涙が、砂の上に落ちていった。


「……テヒョン……アリス……」


遠くで、牙鯨が再び砂を裂き、夕空にその影を刻む。


剣瑛は目を閉じた。


「……私は、君たちのそばにいる……いつまでも」


砂漠の風は穏やかに吹き、遠くの武器は変わらず沈黙していた。


希佐が一歩前に出る。

疲労はまだ身体に残っていたが、その瞳は揺れていない。


オードリーは手首を回し、金属の糸を指先に絡ませた。

淡く熱を帯びた光が、砂の上に揺れる。


一瞬の静寂。


次の瞬間、オードリーが踏み込んだ。


円を描くような動き。

炎を纏った糸が空を切り、正確な軌跡を描く。


希佐は反射的に身を沈め、砂が頬を掠める。

回転しながら、最初の一撃をかわした。


「……相変わらず、真っ直ぐすぎるわ」

オードリーが言う。


希佐は息を切らしながら笑った。

「そっちこそ、まるで舞台に立ってるみたいだ」


次の攻撃は、さらに速かった。

希佐は腕を交差させて受け止めるが、衝撃に押し戻され、膝をつく。


オードリーは背後へ回り込み、蹴りを放つ。

希佐は辛うじて防いだが、砂に膝をついた。


オードリーは、動きを止めた。

糸の光が消える。


「……大丈夫?」


希佐は地面に手をつき、荒い息のまま顔を上げる。

だが、その表情は穏やかだった。


「大丈夫」

そして続ける。

「ただ……あなたが勝つためじゃなくて、壊さないために戦ってるって、忘れてただけ」


オードリーは瞬きをした。


「……違うわ」


希佐は立ち上がり、砂を払う。

「違わない。あなたの攻撃は、傷つけるためじゃない。止めるため」


風が二人の間を抜ける。


「あなたの戦い方は――危険の周りを踊るみたい」

希佐は自分の手を見る。

「私は……正面からぶつかってばかり」


オードリーは息を吸った。

「……そうやって動けば、考えなくて済むから」

小さく告白する。

「身体が先に動けば……思い出さなくていい」


「……何を?」


オードリーは迷い、そして短く笑った。

「……大したことじゃないわ。たぶん」


希佐は一歩近づく。

「それ、“大したことじゃない”顔じゃない」


一瞬、戦士の仮面が外れ、疲れた少女の顔が覗いた。


「ずっと、決められてきたの」

「どう動くか、どう見せるか、どう笑うか……どう倒れるかさえ」


希佐は黙って聞いていた。


「戦ってるときだけ……身体が、自分のものになる」


希佐は、優しく微笑んだ。

「それなら、私たちは似てる」


そして、軽く伸びをする。

「まあ……これ以上蹴られたら、本当に地面と仲良くなるけど」


オードリーは、思わず笑った。


「警告したでしょ」


希佐は両手を上げる。

「降参。今日はここまで」


一瞬迷ってから、オードリーは手を差し出した。

希佐はそれを強く握る。


「……強いわ」

オードリーは言った。

「炎だけじゃなくて」


希佐は頷く。

「あなたも、速いだけじゃない」


夕日が、砂漠を染め始める。


「気を抜くな」


剣瑛の声が響いた。


剣はなく、ただ注意だけがそこにあった。


蒼道そーどは背筋を伸ばす。

「す、すみません!」


剣瑛は、必要以上に長く彼を見つめた。

裁くためではなく、見抜くために。


少し離れた場所で、スーミンが静かに立っていた。

まだこの世界に完全には属していないような、淡い存在感。


「希佐とオードリーは、自分の身体と心を理解している」

剣瑛は続ける。

「進むべき時、退くべき時、本能に耳を傾けることを知っている」


「その均衡が、二人の戦いを洗練させている」


蒼道は拳を握った。


「だが、お前は違う」


沈黙。


「力だけに頼りすぎている」

「それでは、FATEには届かない」


その名が、空気を重くした。


「抑制を目覚めさせるには、己と向き合え」

「言えずにいるものと、向き合うんだ」


蒼道は小さく呟く。

「……俺は、力しかないのか?」


「その可能性は高い」


その言葉は、どんな攻撃よりも重かった。


「だが……重荷も感じる」

剣瑛は背を向ける。

「まだ、手放していない何かがある」


風が剣の間を吹き抜ける。


「考えろ」

「今は……剣から始めろ」


「え、剣!?」


剣瑛は頷く。

「スーミン」


「はい!」


光が弾け、彼女は剣へと変わる。


「はい、どうぞ。基礎からね」


蒼道が剣を掴んだ瞬間――


カンッ!!


剣は弾き飛ばされ、砂に突き刺さった。


「えええ!?」


「教えるの、得意じゃないの」

スーミンは素直に言う。

「生まれたばかりだから」


そして微笑む。

「だから……本番が一番」


蒼道は歯を食いしばった。

「……やろう」


「手加減しないよ」


――遠く離れた場所で。


本が壁に叩きつけられた。


「……くそっ」


アリステアは荒く息を吐いた。

メアリーとロージーはソファに並んで座っている。


「大統領は……俺たちを疑っている」

「逃走の主犯としてな」


「監視だけじゃない」

メアリーが呟く。

「不信よ」


アリステアは目を閉じた。

「守れない……」


ロージーを見る。

「……すまない」


だが彼女は首を振った。


「理解してます」

「怖いけど……現実です」


彼は息を呑んだ。


「通信は遮断された」

「警告すら届かない」


「でも、落ち着きましょう」

メアリーが言う。

「明日、彼らは動く」


ロージーは胸に手を当てた。

「まだ……ここが重い」


メアリーは手を取る。

「大丈夫」


アリステアは膝をついた。

「……そばにいてくれないか」


ロージーは迷い、そして頷いた。


「……やってみます」


――夕暮れの砂漠。


蒼道は仰向けに倒れ、空を見ていた。


「……動けない」


スーミンは隣に座る。


「勝ち負けじゃない」


夕焼けが広がる。


「生まれたばかりって……どういう意味?」


「私は、武器として作られた」

「でも……感じてる」


「感情?」


「……たぶん」


二人は笑った。


「砂漠の向こうには、何があると思う?」


「……まだ知らないもの」


「……私も、知りたい」


希佐がそっと頭に手を置く。


「急がなくていい」


夜が訪れ、星が灯る。


剣瑛は高台から、その全てを見ていた。


「今度こそ……」


砂の下で、何かが脈打つ。


牙鯨は、眠っていない。


「過去は変えられない」

「だが……今は、守れる」


彼女は剣に手を置いた。


砂漠は静かだった。

だが、物語は確かに――動き始めていた。


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