第18章『僕らのすべて』
砂漠の風が、錆びついた武器だらけの古い戦場跡を吹き抜けていく。
その中心で立つシウインは、わずかに口元をゆるめた。
「知っていることを話してあげましょう……あなたたちが、私に食らいついてこられるのなら」
希佐はうめき声を漏らしながら身を起こした。
「う、うぐっ……なんで何もかも、こう、簡単にいかないのよ……」
もう考えている暇はなかった。
シウインが踏み出す。希佐も正面から飛び込んだ。ふたりの拳がぶつかり合い、砂が爆ぜる。希佐の一撃は重く、シウインの足を一歩だけ後ろに押し戻した。
その隙を割るように、剣が駆け込む。身体をひねり、軸足で回転しながら、連続で蹴りを叩き込んだ。
シウインは最後の一撃を掌で受け止め、小さく楽しそうに頷く。
「悪くないわね、坊や」
そこへ、炎をまとった糸が空を裂いた。
オードリーが、真剣な表情で燃える糸をシウインへと雨のように降らせる。
シウインは跳んだ。
普通の跳躍ではない。まるで空気そのものに持ち上げられたように、炎の糸すべてを、あり得ない滑らかさで避けてみせる。
希佐はその流れに乗るように、さらに高く跳び上がった。
空中で距離を詰め、一瞬の隙をとらえる。
振り下ろした蹴りが、シウインの身体を地面へ叩き落とした。
「……強いわね」
シウインはそう呟きながら、ゆっくりと身を起こす。
希佐は彼女の正面に着地し、荒い呼吸を整えながらも、決意のこもった目で見据えていた。
シウインは黙ったまま、ふと空を仰ぐ。
「ウンジョン……マコト……。あなたたちの娘は、とても強くて、そして美しく育ったわ」
三人は、ほとんど同時に駆けだした。
シウインは懐かしむような笑みを浮かべ、その姿を受け止めるように見つめる。
彼女の手が光を帯びた。
そこから、光が形をとる。鋼へと変わる。
スーミンが、一振りの完全な刀としてシウインの手に現れた。
続く一閃は、大地そのものをえぐり取った。
風が炸裂する。氷と砂が混ざったような烈風が、三人の若者を襲い、渦を巻いて包み込む。
「うっ……!!」
三人は後方へ押し返され、咄嗟に身を守った。
やがて風が収まると、シウインは静かに刀を下ろした。その顔にあるのは冷たさではない。誇りだった。ほんの一瞬、彼らの姿に、過去に見た誰かを重ねたような眼差し。
エリーは思わず、こっそりと拍手をしてしまう。抑えきれない笑みがこぼれる。
シウインが口を開いた。
「本当にFATEを壊したいというのなら……覚悟を決めなさい」
希佐、剣、オードリー、エリーは互いに視線を交わす。
決意を宿したまま、一歩、前へ。
シウインは片手を開いた。砂漠の上に幻のような光景が広がる。まるで、この大地そのものが記憶を吐き出したかのように。
目の前には、荒れ果てた廃墟の街。
崩れ落ちた柱。
ひび割れた空。
「破壊と苦しみ……」
シウインの声が乾いた風に溶ける。
「それがFATEの知る、すべて」
希佐は唾を飲み込んだ。
「その……エリアス・マクスウェルって人は、一体誰なの?」
重く、長い沈黙が落ちた。
シウインは小さく息を吐く。
「彼は……いいえ、“だった”わね。エネルギー分野を専門とする科学者。そして――」
砂塵の向こうに、一つの影が映し出される。
エリアス。高く、輪郭すら曖昧なその姿。目があるべき場所には、白い花々の帯が浮かんでいる。
「時に忘れられた存在。壊れた人間。……そして危険な人物」
剣が一歩前に出る。
「待ってくれ。この前戦った女が、『マクスウェルのコンポーネント』って言ってた。そいつは……オレを指差した」
希佐は真剣な表情で続ける。
「アリステアさんとリリアナも同じだった。目が光って……あなたたち三人が制御できなくなった時――」
あの瞬間を思い出す。
「FATEが現れた」
エリーは顎に指を当て、考え込む。
「ふむふむ……ということは……」
希佐が言葉を継いだ。
「きっと、あなたたちは“鍵”なんだよ。FATEへと辿り着くための。エリアス・マクスウェルと……どこかで繋がっている」
オードリーは腕を組み、不安げな目で砂を見下ろした。
「その“コンポーネント”ってやつ……剣とアリステア、それにリリアナを、エリアスとFATEにつなげてる、何か……」
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
視線はシウインへ。
「……ねえ、あんたは一体何者なの? どうしてそんなに、エリアス・マクスウェルとFATEのことを知ってるの?」
シウインは刀を持ち直した。
その瞳が、氷のように冷たく光る。
「私は――長く、あまりにも長く生きすぎた者よ」
思わず、全員が身構えた。
エリーが不安そうに希佐の腕を掴む。
「シウイン……?」
「これはね、もう一度経験したことなの」
シウインは淡々と言う。
「ずっと、昔に」
映像が変わる。
若いシウインが、1900年代の服を着て、古い喫茶店で新聞を読んでいる。
「どうして、エリアスのことを知っているのか――」
光景が、華やかな科学博覧会へと切り替わる。
その会場の一角で、若い研究者たちと楽しげに話すエリアス。まだ人間だった頃の姿。
少し離れたところから、その様子を見つめるシウイン。柔らかな笑みを浮かべている。
「彼を、この目で見たからよ。随分前に、ね」
古びた新聞の一面。写真には、エリアス・マクスウェルの顔がはっきりと映っていた。
皆の息が止まる。
「まさか……あなた……?」とオードリーが言いかけたところで、
シウインは刀を下ろした。
「私はね、多くの人たちと出会って、多くの土地を歩いてきたの」
幻が再び変化する。
今度はシウインの周りに、何人もの人影が現れた。
ウンジョン。マコト。ジェレマイア。そして見覚えのない男女、まだ名を知らない若者たち。
彼女の、遠い昔の教え子たち。
「でもね、人も場所も……永遠じゃないの」
景色が、ガラスのようにひび割れた。
ジェレマイアの背中が壊れていく。
名も知らぬふたりの若者も、同じように砕けた。
ウンジョンとマコトが、静かに手を取り合う姿だけが、最後まで残る。
シウインは片手で自分の顔の半分を覆った。
その表情には、長い時を生きた者だけが持つ、深い悲しみが刻まれていた。
「もしも……過去を変えられるのなら」
さらに映像は巻き戻る。
もっと古い時代へ。
神々の時代。
数多の神々の影が、天を見上げている。
老いた神託者が、空の崩落を予言する。
恐怖に満ちた眼差し。
処刑。
そして――ひとりの幼い少女に下された、あまりにも残酷な罰。
永遠の放浪。
幼いシウイン。
彼女は戦場を見た。
幾度となく繰り返される戦争。生まれては消える帝国。
光のように砕け散っていく神々の姿。
花びらが雪のように降り積もる。
シウインはひとひらをすくい上げ、じっと見つめた。
場面は変わる。
荒野に高層ビルが立ち始める。
灯りが増えていく。
夜の光に彩られた都市――パロ・サント。
シウインは、その生まれゆく街を、遠くから静かに眺めていた。
誰も言葉を失ったままだった。
シウインは、ほんの少しだけ笑みを浮かべる。
「それでもね……こうして長く生きてきた中で、マコトとウンジョンが、ちゃんと幸せになれたことだけは――本当に、うれしいの」
希佐は、うつむきながら震える声で呟いた。
「……パパと、ママが……?」
オードリーがそっと希佐の手を握る。
剣は、彼女の肩にそっと手を置いた。
エリーも、そばでそっと袖を掴む。
「希佐。必ず、あなたを元の時代に戻す方法を見つけよう」
オードリーのその言葉に、希佐は涙をこらえながら笑みを浮かべた。
スーミンは再び人の姿となり、恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに彼らの輪に歩み寄ってくる。その瞳には、まだ見ぬ“友達”への期待と、不思議な安堵が宿っていた。
束の間の微笑みが、彼らのあいだを静かに満たした。
一方そのころ、パロ・サント。
CROWSの廊下には、重たい静寂が漂っていた。
カチリ、と音を立てて、会議室の照明が灯る。
室内には、組織の幹部たちが集まっていた。
ケイシー、ジェーン、アリステア、ジェレマイア……そして他の幹部たち。
ケイシーが口を開く。
「昨日、バスタード――立花希佐と、その協力者二名の軌道を追跡しました」
正面のモニターに、希佐、剣、オードリーの顔写真が映し出される。
「彼らを。必ず、私のもとへ連れてきなさい」
その瞳は冷たく、揺れなかった。
「理解不能な力を追い求める子供たちを、野放しにはできません」
ジェーンとアリステアは、互いに重い視線を交わす。
ケイシーは続けた。
「それから――この組織に、密かに紛れ込んでいる者も。見過ごすつもりはありません」
その視線が、アリステアの横顔をかすめる。
アリステアは、両手で口元を覆い、考え込むように目を伏せた。
「以上よ。……わかったわね?」
ケイシーは椅子から立ち上がる。
「明日、正午――《オペレーション・ハント》を開始します」
画面に、リリアナ、スヒョン、ジェレマイアの姿が映し出される。
「この作戦に投入されるメンバーは、すでに選抜済みです」
ケイシーの声が、部屋の隅々まで染み込んでいく。
「さあ――反撃の時間よ」
スクリーンが暗転する。
砂漠と都市。
離れたふたつの場所で、物語は、確実に衝突へと向かっていった。




