第16章『僕たちの下にあるもの』
夜明けが砂漠の地平線を黄金色に染めていた。
砂丘が光を受けて目を覚まし、風が低く唄うように流れていく。
すべてが静かで、すべてが止まっているような朝だった。
キサはゆっくりと目を開けた。
即席の天幕が風の震えに合わせて揺れている。
油と砂の匂いが鼻を刺した。
一瞬だけ、ここがどこなのか思い出せなかった。
遠くでオードリーとソードの笑い声が聞こえた。
彼は工具箱を運び、彼女はそれを古い机の上に積み重ねている。
その何気ない動作が、ほんの少しだけ人間らしさを取り戻しているようだった。
「やっと起きたか」
ソードが汗を拭いながら笑う。
「この数日、狂ってたんだから。少しぐらい夢見させてよ……」
キサはぼやき、毛布に顔を埋めた。
「負傷したフルシーは眠らなきゃ治らないんだよ」
オードリーが携帯を見た。
「キサ……今、午後三時半」
「えっ……? ……なにそれ!? そんなに寝てたの!?」
キサの叫びが金属の壁に反響し、二人の笑いを誘った。
陽が高く昇るころ、彼女も作業に加わった。
エリーは机の上に身を乗り出し、ゴーグル越しに工具を動かしている。
溶接の光が、彼女の小さな横顔を照らした。
「何してるの?」
「FATEを探知できる装置を作ってるの」
ソードが答えると、キサは小さく頷いた。
彼女はポケットから古い携帯を取り出した。
「これ、使えるかも」
オードリーが眉を上げる。
「ずいぶん古いね」
エリーが受け取り、慎重に観察した。
角には傷、背面にはテープ。けれどどこか温もりを感じる機械だった。
「お父さんが作ったの」
キサが言う。
「FATEのエネルギーを感知できるように改造してある。
危険な場所を避けられるようにって。」
「……すごい」
エリーは小さく息を呑んだ。
「お父さん、天才だったんだね」
ボタンを押すと、かすかな音が鳴った。
「放射線量を測るガイガーカウンターみたいなものだわ。
これを基にすれば……」
彼女の声が弾んだ。
キサは微笑んだ。
エリーの目に宿る輝きは、かつての自分を思い出させた。
「世界はまだ変えられる」と信じていた頃の光。
「新しく作る必要はないわ」
エリーは呟きながら手早く分解を始めた。
金属音、火花、彼女の手の動きが踊るように速くなる。
太陽が傾くころ、彼女は完成品を掲げた。
「できた! “異常電磁エネルギー増幅レーダー”!」
小さな手に輝く機械。アンテナとコンパスが青く光った。
「完璧だ……」
キサが呟くと、エリーは嬉しそうに笑った。
その瞬間、地面が震えた。
ほんのわずかだが、確かな鼓動。
キサの耳がぴんと立つ。エリーが顔を上げる。
「嫌な感じ……」
遥か彼方、砂の海が盛り上がった。
巨大な影が太陽を遮る。
砂を割って姿を現したのは、海の生き物のようで海では生きられないもの。
鯨に似た巨体、青白い装甲、牙のような突起。
砂漠を泳ぐ“クジラ”だった。
「……何、それ……?」
キサの声がかすれる。
「“歯鯨”。そう呼ばれてる」
エリーの瞳が恐怖と敬意で揺れる。
「シウインさんがそう名付けたの。
砂漠を守る女の人。私の恩人よ」
「会ってみたいな」
キサが小さく笑う。
「協力してくれるかもしれない」
三人と一人は歩き出した。
キャンプが遠ざかり、砂丘の向こうに沈む。
夕暮れの光が、彼らの影を細く伸ばした。
「ねえ、エリー。どうしてここに住んでるの?」
キサの問いに、少女は歩を緩めなかった。
「一年前、両親が亡くなったの。
姉が私を育ててくれたけど、アリステアさんがずっと支えてくれた。
でも、ある日突然――CROWSの人が来たの」
風が少し冷たくなる。
「悲しみを乗り越える間もなく、姉はCROWSに連れて行かれた。
アリステアさんは不信に思って、私を遠くへ逃がしてくれたの。
CROWSは姉だけでなく、私にも興味を持っていたみたい」
「どうして?」
ソードの声が低く響く。
「エンジンを作ったから。廃材燃料で動く、半永久的なモーター。
……そのせいで、私たちは離ればなれになったの」
小さな拳が震えていた。
「もう一度、姉に会いたい」
キサは俯き、小さく頷いた。
ソードがぽつりと言う。
「やりたいことより、何を選ぶか、だな」
オードリーが笑う。
「急に哲学者みたい」
「どこかで読んだ気がする」
三人の笑い声が、風に溶けていった。
そのとき――空が揺れた。
低い唸り、砂丘の崩れる音。
鯨の影が再び現れ、荒れ狂う風が砂を巻き上げた。
「来た……!」
エリーが叫ぶ。
嵐が迫る。砂が壁のように立ち上がる。
「嵐だ! 砂嵐が来る!」
「コンパスを見て!」
エリーは新しい装置を握りしめた。針が震えながらも方角を示している。
「見えなくても、進めばいい……!」
砂が顔を叩き、呼吸さえ痛い。
誰かの声が遠くに聞こえる。
光が揺れる。
地面が沈んだ。
「下だ!」
エリーの叫びと同時に、砂を割って影が出現した。
巨大な目。牙。轟音。
歯鯨が襲いかかる。
キサが息を吸い込む。
炎が体を包む。
人の形が燃え、竜の姿が現れる。
灼熱の閃光が砂嵐を裂いた。
バスタードが突撃し、鯨を弾き飛ばす。
衝撃で空気が震え、砂が爆発のように舞う。
鯨は遠くで吠え、再び砂に沈んだ。
「……やった?」
誰かが呟いた。
しかし次の瞬間、地面が再び揺れた。
もっと深く、もっと重く。
砂の下から、さらに巨大な何かが息をした。
音が止む。風が止む。
砂漠全体が呼吸している。
誰もが理解した。
この世界の下には――
まだ何かが、眠っているのだと。




