第12章『時が奪ったもの』
世界が止まっているかのようだった。
時間そのものが息を潜めているように。
柔らかな風が街を横切り、穏やかな瞳をした少女の髪を揺らす。
彼女は友人たちと並んで歩き、笑っていた。
何気ない、ただの人間らしい瞬間だった。
ふと、ショーウィンドウのガラスに映る自分の姿に目を留める。
「……え?」
笑顔が消えた。
胸の中心を光の亀裂が走る。
まるで砕ける寸前のガラスのように。
次の瞬間、少女の膝が崩れた。
「ロジ!? ロジ、どうしたの!?」
友人たちが慌てて彼女を支える。
だが、その瞳の光は消え、街は重たい沈黙に包まれた。
遠く離れた静寂のオフィス。
ケイシーは顔を上げた。
窓に映る街の光が、彼女の瞳にちらつく。
呼吸が乱れていた。
亀裂も光も傷もない。
だが、その内側で何かが確かに崩れていた。
「……そろそろ私も行く頃ね。」
背後からジェレマイアの声が静寂を破った。
その頃、地下の空間では空気が歪んでいた。
FATEが燃えていた。
肉体を持たぬ心臓のように鼓動し、光を吐く。
希佐はその中心へと歩み出た。
青い炎が瞳に映る。
「……FATE。」
「希佐、待って!」
オードリーの叫びが届くより早く、光が爆ぜた。
希佐の胸に雷のような衝撃が走る。
だが彼女は倒れなかった。
足元が軋み、金属の床を踏み締める音だけが響く。
「FATE……!」
その声は祈りにも似ていた。
砕けた願いの残響のように。
メアリーが息を呑み、オードリーは恐怖で動けずにいた。
空気が痛い。
世界そのものが悲鳴を上げている。
それでも希佐は手を伸ばした。
指先が光に触れた瞬間、記憶が弾けた。
母の笑顔。
父の声。
茜色の空。
空っぽの教室。
仲間たち――ティアラ、ミサキ、ユカリ、イヴェット。
湖、野花の咲く草原、そして二度と戻らない日々。
FATEの形が変わる。
純白の姿。
顔も性別もなく、青い輪郭を纏った存在。
風もないのに揺れる外套。
そして背中には、鼓動する棺。
その手が希佐の手を取った。
声が重なる。
男と女が同時に話すように。
「もし本当に私を望むなら――立ち向かえ。」
紅の閃光が空間を裂く。
「逃がすものか!」
ジェレマイアが現れ、ソヒョンを剣として握っていた。
怒りと焦燥に燃えた剣筋が、FATEに降り注ぐ。
光と衝撃が弾け、瓦礫が宙を舞う。
希佐も立ち上がり、彼と並んで突進した。
炎と鋼。
交錯する過去の二つの影。
オードリーは震える足で一歩を踏み出そうとした。
だがメアリーが手を握り、止める。
「だめ……危険すぎる。」
恐怖の中に、静かな悲しみが混じっていた。
それだけでオードリーは動けなかった。
轟音。
FATEが剣を抜く。
光が歪む。
遠く離れた別の場所――ジェーンのスマートフォンが震えた。
画面に見慣れぬ警告。
『アラート:FATE』
「……FATE?」
アシュリーが顔を上げる。
「どうしたの?」
「説明してる時間はない、行くわよ!」
戦場では光が荒れ狂っていた。
希佐とジェレマイアは押し返され、息を切らしていた。
FATEが低く呟く。
「……まだ早い。私は……まだ、弱い。」
声が全員の頭に響く。
「だが、奪うことはできる。あの時と同じように……再び。」
空気が凍りつく。
世界が泣いていた。
FATEが剣を掲げた瞬間、白光がすべてを呑み込む。
光が消えた後、残ったのは沈黙だけだった。
誰も死んではいなかった。
FATEは跡形もなく消えていた。
アリステアが膝をつく。
胸の亀裂が一瞬輝き、消える。
希佐は拳を床に叩きつける。
「……くそっ!」
ジェレマイアが剣を構えた。
「対象コードネーム・バスタード――立花希佐。拘束する。」
「バカな! 本当の敵はFATEよ! 見たでしょ!」
オードリーの叫びが響く。
だが電撃が彼女の体を包み、膝をつかせた。
「全員動くな!」
ジェーンが兵士たちを率いて入ってきた。
冷たい視線を希佐に向ける。
「ソード!」
アシュリーが駆け寄り、倒れた兄に膝をつく。
胸の亀裂が静かに消えていく。
ジェーンもその傍に膝をついた。
「……全員退避。」
ジェレマイアが希佐の腕を乱暴に掴む。
「やめて! 間違ってる! FATEが敵なのに! どうして!?」
涙が頬を伝う。
ジェレマイアの返答は短かった。
「分かっている。」
その冷静さが、何よりも残酷だった。
オードリーは顔を伏せて泣き、メアリーは拳を握るしかなかった。
戦場に広がるのは、敗北の匂い。
高層のオフィスで、ケイシーが机に手をついて息を整えていた。
「……おかしいわね。」
モニターには、運ばれていくオードリーと倒れたソードの映像。
ケイシーの瞳が一瞬揺れる。
泣き出しそうな表情だった。
街の灯りは、何も知らぬように瞬き続けていた。
そしてその上空――FATEが再び姿を現す。
電気のようなエネルギーの塊として。
その形は崩れ、夜空に溶けていく。
遠く離れた場所、白い花々が風に揺れていた。
静寂の中、誰かの笑い声がこだました。
古いラジオとテレビが沈黙のまま並んでいる。
花の上に一つの手が置かれていた。
エリアス・マクスウェル。
「……まだ早いな。」
彼の前に並ぶ白いチェスの駒。
「だが――」
花畑に身を横たえ、空を見上げながら微笑む。
「悪くない、初接触としては。」
風が花びらを揺らす。
その唇が歪み、笑みが広がる。
「……だろう?」




