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ドSの姉に恥ずかしい妄想ノートの中身を見られたら、俺は一生逆らえない

俺の青春は、一冊のノートに握られている。そのノートが無くなった時、人生が終わったも同然だ。


それは、学校から家に帰ってきた夕方のことだった。中間テストも終わり、開放感に包まれながら家に着く。


「ただいま」


家には夕飯を作るママがいた。軽い足取りで階段を上り、自室のドアを開けた。部屋に入るとママが布団を干してくれたのかふわっとお日様の香りがした。


ノースフェイスのリュックを、雑誌や服が散らかった所にドサッと放り投げる。


制服を脱ぎ、ジャージに着替えながら、頭はすでに空想の世界へ。


学校帰り、駅前に次元を破り出現した禍々しい悪魔のような怪物。市民が逃げ回る中、サイコキネシスやテレポート、影分身や魔法の剣、色々な魔術を駆使して戦い、街や人を守る俺…


「よし、この続きをノートに書こう!」


勉強机に向かうが、肝心のノートが見当たらない。


黒魔導戦争ラグナロク』――俺が密かに書き溜めている、ストーリーのアイデア集だ。


魔術次元に迷い込んだ俺が、魔獣に襲われそうになる。後に師匠となる老人メビウスとその弟子カズヒトに助けられる。カズヒトと共に魔術を修行して現実世界に帰還。


だが、カズヒトが黒幕に話に乗せられ闇に堕ち禁断の黒魔術を手にして――っていう壮大なファンタジーだ。


でも、正直、ヒロインとの甘美で刺激的な沢山のシーンが本命かもしれない。


漫画も小説も書けない俺は、思いついた設定や下手なイラストを描いて色鉛筆で端から丁寧に色を塗って満足している。


通学中や授業中に浮かんだアイデアをスマホに残し、家でノートに清書するのが日課だ。


なのに、そのノートがどこにもない。ここ1週間、テストで忙しくて触ってなかった。


どこに置いたんだ? いつもは机で書き、家族の誰にもバレないように本と本の間や引き出しの奥にしまっている。

けど、台本代わりに持って戦いごっこをすることもある。


誰もいない時は、広いリビングで戦闘シーンを妄想しながら動き回るから、置き忘れた可能性も…。


もし家族に見つかったら――


もう、顔から火が出る。ちゃんと隠したつもりだったのに、最悪の事態だ。最悪の事態。それは、中身を見られること。


普通の「campus」ノートなのに、調子に乗った俺は、表紙にマジックペンで「黒魔導戦争ラグナロク:コンセプトアート」と書き、「山本大陽(やまもとひろはる)」とフルネームまで記した。


家族が見たら、「何これ? ひろはるが書いたの?」と中を開けるに決まってる。誰が見た可能性がある?


まず、ママ。ママは勝手に部屋に入って掃除する癖があるし。今日も布団を干してシーツも洗ったと言った。

まさかママが布団を干した時に……?


姉のちはるが中学生の頃、勝手に片付けられて


「入ってくるな!ノックしろ!引き出し開けるな!」


とキレてたのを思い出す。小学生の俺には、掃除してくれるんだからいいじゃん。って思ってたけど、今は痛いほどわかる。


でも部屋はそこまで綺麗になってない…今朝と変わらない。でももしママに見つかってもどこかに持っていったりしないだろうし…


次に、パパ。パパならまだマシ。同じ男同士、察してくれるはず。頭は良くないけど、「年頃の男の趣味だろ」と流してくれるだろう。


恥ずかしいけど、「いい歳でこんなの書いてるのか」と呆れられる程度で済んで元の場所にそっと置くはず。親不孝なのは変わらない。


最悪は、姉のちはるだ。こいつが一番ヤバい。ちはるは子供の頃から俺をからかうのが大好き。幼稚園の頃、公園でBB弾を集めてたら、


「ひろ、黒いBB弾見つけたよ!」


と、てのひらに乗せてきた。それがパカッと開き、無数の足で這いずるダンゴムシだった。


生まれて初めてのダンゴムシとの邂逅。


驚きと恐怖で悲鳴を上げ、シャカリキにパニックする俺を、ニヤニヤ眺めてたあの顔は今も忘れられない。


さらにヤバいのは、ちはるの忍び込み術。中学生の頃、ママに「勝手に入るな!」と言ってたくせに、俺の部屋には音もなく侵入。


ドアノブをゆっくり下げ、静かに開けて、「ひろはる~?」と声をかけてくる。


思春期の男子には致命傷、いやオーバーキルだ。弟のビクビクを心底楽しむドS女。奴の暗殺術に何度も恥ずかしい思いをした。


怒ると喜ばせるだけだから、気にしてないフリをするしかない。


高校入学前の春休み、タオルケットをマントに見立て、ピチピチのヒートテックを着てアメコミヒーロー気取りで戦いごっこしてた時のこと。


ちはるはドアをそっと開け、俺が気づくまでの数分間、独り言を喋りながら透明の敵と戦う弟の姿をガン見。気づいた瞬間、心臓が口から飛び出しそうになった。


「うわ! もー何だよちはる! 勝手に開けるな、 ノックしろって!馬鹿、馬鹿、くそばばあ!」


冷静を装えず、顔を真っ赤にして叫ぶ。ヒートテックで全身タイツみたいな姿でマントを着てキレ散らかす俺を見て、ちはるは顔をクシャクシャにして腹を抱え、涙を流しながらゲラゲラ笑った。



「あんた何してんの!? 高校生にもなるってのに!マジでヤバいって、ほんと無理コイツ…ギャハハハハハ!」



ここに、俺の怒声を聞きつけたパパが「何だ、何だ」と駆けつける。「あーおかしいおかしい」と笑いで痙攣する腹が苦しいのか廊下でゴロゴロ転がるちはるを見て、


「コラ、ちはる! まさか…ひろはるが自分のあれを触ってるとこ見たのか!? ノックして15秒待てって約束しただろ! 謝ってあげなさい!」


パパの盛大な誤解に、ちはるはさらに笑いの深淵へ。釣られた魚のようにのたうち回る。


「パパ、違う、そうじゃなくて~!」


と言いいながら滝のような涙で今にも笑い死にそうだった。

そんな約束してたのか? だからちはるは人の心を踏みにじる暗殺術を覚えたんだ。屈辱すぎる。


そんな姉にノートを見られたら、俺の人生は終わり。大学に持って行って友達や彼氏に「弟の奴こんなの描いてたんだよー!」って見せびらかすだろう。


将来、俺の結婚式のスピーチでネタにされる未来しか見えない。


「落ち着け、俺…どこだ?」


ベッドの下、引き出し、本棚――どこにもない。でもテスト期間中にどこかで見たような、ないような…?


戦闘シーンの所はまだしも、ヒロインの濡れ場シーンを見られたらママやちはると目を合わせれない……ベッドに寝転がりクネクネしてるうちに意識が朦朧としてうたた寝。


夢ではまだ学校で友達と笑ってた。目が覚めると、辺りは暗い。帰宅から2時間ほど経ってる。


下から家族の話し声。パパも帰ってきたようだ。お腹がグーっと鳴る。


「よし…行くか」


腹を括り、部屋を出て階段を降りた。





1階のリビングに降りると、家族は夕食を終えてそれぞれくつろいでいた。


キッチンで食器を洗うママが、俺の姿に気づく。


「ひろはる、寝てたの?」


「…うん、ちょっと」


「ご飯食べて、早くお風呂入ってきなさい」


いつもの席に着き、いつものように会話を交わす。ママが次々と料理を運んでくる。


今日はオムライスだ。ママやちはるが作るオムライスは最高で、バターの香りが食欲をそそるし味の奥に深いコクがあって、同じ材料で俺が作ってもなぜかこうはならない。


ご飯を口に運びながら、俺はこっそり家族の顔を窺った。

もし誰かがノートを見ていたら、いつもと違う反応があるはずだ。


まず、ママ。普段と変わらない様子だが、俺の視線に気づいたのか、すぐに目が合った。思わず視線を逸らす。小学生の頃、悪さをして隠し事をしていた時の心境に似ている。


次に、パパ。俺が見ていることに気づかず、床に寝転がってテレビをダラダラ見ながら大きなあくび。ポッコリしたお腹をかき、カビゴンみたいな雰囲気で何を考えているのかわからない。


そして、一番厄介な姉、ちはる。向かい側でスマホの動画に夢中だ。顔を向けた瞬間、すでにこちらを見ていた彼女と目が合う。ビクッとしてスプーンがお皿にあたってカチャリと鳴った。



「ちょっと、あんた。さっきからみんなの顔じっと見て何?」



ちはるの声は、ママやパパにも聞こえるボリュームだ。何かを察したような目つきに、俺は冷静さを装ってごまかす。


「別に…何もないよ?」お茶を飲んで平静を装うが、ちはるは「フッ」と鼻で笑った。


「何かバレたら相当マズい隠し事でもあるんでしょ?」


「は!? 違うし! 」


反射的に否定してしまった。なぜこの女は、俺の考えを見透かすんだ? もしかしてノートを見た上で、わざと匂わせているのか? あいつならやりかねない。でも、これまで散々からかわれてきたから、確信が持てない。ママとパパも、ちはるのペースに巻き込まれている。


「そうなの、ひろ?」


「お前、タバコとか吸ってねえよな?」



パパの適当な発言に、ママの目がギョロッと光る。



「ひろはる、タバコ吸ってるの?駄目よ!もし刺青でも入れたら家追い出すからね!」


「ちょっと、ママ、パパ、落ち着いてよ。ビビりのひろはるがそんな勇気あると思う? 」



ちはるが俺を見てニヤニヤしながら話を続ける。

 


「ひろはる、小学校の低学年の頃にさ、テレビで癌の特集見てて、『バランスの良い食事と運動が大事』ってやってたら、『ママー! いっぱい運動したらガンにならないよね!?』ってその場で腹筋始めちゃって。ビビリすぎでしょ?」



何回するんだよこの話。

ママとパパがゲラゲラ笑い出した。バカにされた気がして、恥ずかしさで顔が熱くなる。



「そんなことあったねー」



ママは曖昧に笑う。ちはるはさらに追い打ちをかける。



「だからさ、ひろがタバコや刺青なんて天地がひっくり返ってもありえないよ。ひろ、あんたの考えてること、全部お見通しだから」



この女、まさか…。もしノートを見ていたら、中身をチラつかせて俺をからかうはずだ。


普通の姉ならショックを受けつつ黙っていてくれるのに、なぜ俺の姉は弟が困ってるのを喜ぶんだ?


ママもパパも、俺をいつまでも子供扱いしてる。だったら、俺がもう大人一歩手前だってことを教えてやる。



「みんな忘れてるかもしれないけど、俺、来年で18歳だぞ? 一応タバコも吸える年齢だからな」


「タバコって20歳からじゃない?」


「あ…そうか」



姉の指摘に、頭が真っ白になった。18歳で成人、車の免許は取れるけど、タバコとお酒は20歳からだ……カッコつけようとしたのに、見事にズッコけた。


リビングは三人の爆笑に包まれた。顔が真っ赤になった俺は耐えきれず、「もういい! お風呂入ってくる!」と食器をキッチンに持って行き、その場を逃げ出した。


結局、誰かがノートを見たのか、リビングに置いてあるのか、さっぱりわからなかった。それどころか、バカな発言で自爆してしまった。


――くそ、なんで俺はいつもこうなんだ。いざという時、何も言えず墓穴を掘る。理想の山本大陽とは程遠い。


情けなさに腹を立てながらシャワーを浴びる。現実の俺はダサいが、妄想の中の俺は違う。



『黒魔導戦争』の世界では、市民を守る黒魔術師だ。


闇に堕ちたカズヒトが禁断の黒魔術を使い別次元からモンスターを次々と召喚、圧倒的な数により追い詰められるが、なんとか俺とメビウス師匠の二人で撤退させる。


まだこんな壮絶な戦いが始まる前は大人のお姉さんとも遊ぶプレイボーイだった。


魔術師の俺を追いかけてスクープするライターの女性と店に入り、取材のつもりだったがカウンター席で口説く。彼女はまだお酒を飲んでいないのに顔を赤らめ、ビールを勧めるが、俺はオレンジジュースを注文。



「え、あなた高校生なの…?ふーん、残念。私、年下は興味ないのよね」


「嘘ついてるだろ」


「え?普通に考えて、大人の女が子供にドキッとすると思う?」


「自分の気持ちに正直になってみな」


「だって高校生と付き合ったら…犯罪じゃない…」


「なら、魔法で君を5年若返らせてあげるよ」


「なんて失礼な子!」



サッと手を重ね、色気のある声で彼女を“その気”にさせる。

肩に顔を寄せる彼女に、俺は余裕の笑みを浮かべ…ジュースを飲む。魔法なんて必要ない。口説くのも、その後も――。


そんなお決まりの妄想に浸りながらシャワーを浴びていた。なぜかシャワータイムはアイデアが湧く。


妄想だけでなく、今回のノート事件の探り方も閃いた。


この質問をすれば、相手の反応でノートを見たか見てないかがわかるはずだ。見ていたら気まずい反応をするだろうし、見ていなければ「何言ってんの?」みたいな顔をするはず。


ドライヤーで髪を乾かしていると、パパがお風呂に入りに洗面所へやってきた。



風呂から上がると、リビングには家事を終えたママと、ソファーでくつろぐちはるがいた。


「冷蔵庫にシュークリーム入ってるよ」


ママが言ったこの言葉に幸せが詰まっていた。ノートのことも学校の嫌なことも忘れそうになる。冷蔵庫を開けると、ひんやり冷えたフワフワのシュークリームが目に入る。美味しそう…と思っていると、


「あー、私のも持ってきてー」


ちはるの呑気な声に幸せが剥がれそう。ソファーに寝転ぶ姉の腹に投げつけたかったが、シュークリームに罪はない。仕方なく、彼女のおでこにそっと置いてやった。


ママとちはると三人で食べながら他愛もない話をした。そして、ついに例の質問を切り出す。


「ママ、ちはる、聞いて」


「なに?」


二人はスマホに夢中で顔を上げない。


「もし、もしだよ? 俺が変態だったら、どう思う?」


二人は同時に「今なんつった?」みたいな目でこっちを振り向いた。





「ひろはるが変態だったら?」


直球すぎた質問に、2人はポカンと口を開けた後、ママは甲高い声でいかにもおばちゃんらしい笑い方をして言った。


「…まあ、変態の度合いによるかな、ね?ちはる」


「うん、なんでそんなこと聞くの? 学校で友達と盗撮でもして、罪悪感でも感じた?」


「するわけねえだろ!」


「じゃあ何で?」


ノートを見た二人の反応を探りたかっただけだ。

「『黒魔導戦争』のノート見た?」なんて聞けるわけがない。

ちはるに言ったら、「何それ? 見せなよ!」と興味津々になるに決まってる。言い訳は準備済みだ。



「アイドル見てると…服の中どうなってるんだろ。って思っちゃって、こういうの考える俺、変態かな?」



思春期らしい純粋さを装った完璧な言い訳。ノートを見てなければ「そんなことか」と流すだろうし、見てたら「知らないフリすんな」と反応するはず。


さて、どう切り返す?ちはるが先に口を開く。


「まあ、男子なら普通でしょ?」


ママも頷く。



「そうそう、年頃の男の子ならみんな考えるよ。パパだって最初は私の胸ばっか見て、鼻の下伸ばしてたんだから」


「うわ、ママ! やめてよ、想像したくない! キモいって!」


「ごめんごめん、でね…」



まずい、話が脱線してる。変態かどうかの話題に戻さないと。一気に攻めてみるか。


「じゃあさ、俺が女の人の裸を描いてたらヤバい?」


その時、ママは俺からスマホに視線を向けた。

リビングにはテレビの音だけが響く。ママが「そうねえ」と口を開いた。



「変じゃないよ。男子なら普通でしょ? ディカプリオだって船の上で女の人の裸の絵を描いてたじゃない」


「ママ、それ映画の話じゃん!」



ちはるのツッコミに笑いそうになるが、ホッとした。見られたら恥ずかしいけど、肩の力が抜けた。大人って寛容だな。どこぞの姉とは大違い。


ちはるは特に反応なし。俺のこと、どう思ってるんだ?


しばらくして、ママが「おやすみ」とリビング横の自室へ。ドアをガラッと開け、



「ひろはる、弁当箱出してよ。出さないと明日のお弁当作らないからね」



と言い残して閉めた。

パパがお風呂から上がり、入れ替わりでちはるもお風呂へ。


ポッコリお腹を晒しながらコーヒーを淹れ、シュークリームを頬張るパパを横目に、リビングでノートを探す。


本棚、雑誌の山、散らかったカウンター――どこにもない。慌ただしく動き回る俺に、パパがうんざりした声で言う。



「何か探してる?」


「うん、学校のノート…見てない?」


「何の授業の? 特徴は? 『現代文』とか『数A』とか」


「紫のcampusノートで…俺の名前書いてあるやつ」


「あースマン、ひろはる、紫のノートなら見たよ。勉強に必要じゃ無さそうだったから捨てちゃったわ」


「はあ!?見たの!?…嘘だろ?」



パパは頭を抱えて唸ってる。まさかのママでもちはるでも無く、パパに見られた?しかも捨てられた? 



「うん嘘、そんなに声上げるほどパパに見られちゃ駄目なやつ?」



俺は舌打ちし黙り込み、再び探し続ける。パパは気にしてないのか、察してるのか、テレビに目を戻した。


リビングにないなら、自分の部屋か? いや、まさか…ちはるの部屋?

アイツがお風呂の今がチャンス。念のため、部屋に行ってみよう。


階段を上がり、姉の部屋へ。ちはると俺の部屋は隣同士。普段は漫画を借りに来たり、こっそり香水を拝借するくらい。


勉強机は高校卒業後にパソコンデスクに変わったり、1人用ソファがあったりすっかり大人の雰囲気。服や物は散乱してるしアニメのフィギュアが置いてあるけど。


ノートがここにあったら絶望的だが、探すしかない。本棚、デスク、カバン、化粧品の棚――どこにもない。


ふと、デスクの引き出しに目がいく。いつも俺をからかってくるちはるにも、見られたらマズい秘密があるんじゃないか?


好奇心に駆られ、引き出しを開ける。

大学の資料や本の間に、クリアファイルがあり、ファイル越しにアニメのイラストらしきものが見えるが、よく見えない……なにこれ?


手に取ってファイルを開こうとした瞬間、鼻歌交じりの足音が階段を上がってきた!


ちはるだ、ヤバい!

引き出しを閉め、慌てて物を元の位置に戻し、本棚から『鬼滅の刃』17巻を手に部屋を出るとドアの前の廊下でお風呂上がりのちはると鉢合わせ。



「何? 何か用?」


「ま、漫画! 久々に鬼滅読もうと思って…ね」



ちはるはなぜか、俺の顔から足までゆっくりジーッと見ていき、また視線が顔の方まで上がってくる。


なんだよその目は…!息ができないよ…!



「ふーん、いいけど、ちゃんと戻してよ。あんたいつも適当な場所に置くでしょ」


「ちゃんと戻す…」



ちはるは、フッと笑い「変な子。」と言って髪をかきあげて部屋に入った。


怖ぇ……死ぬかと思った…。っしゃ、なんとか自然に切り抜けてやったぜ。心臓がバクバクしている。


自分の部屋に戻り、もう一度探す。机、引き出し、本棚、押し入れ――やっぱりない。


ベッドに大の字で倒れ、眩しい照明を腕で覆いながら考える。どこだよ…『黒魔導戦争』…。


ちはるが隣の部屋で髪を乾かしている音を聴きながら妄想の世界へ。


闇に堕ち禁断の魔術を手にしたカズヒトは、俺や自分の故郷でもあるこの人間界で暴走し、とうとう俺達の師匠のメビウスまで殺める。



「ひろはる!僕はもう後戻りできないんだ!」


「よせ、カズヒトー! それ以上はお前の体も、この世界も崩壊する!」



禁断の黒魔術vs正義の魔術の闘い……。早く闘いを終わらせないと宇宙が崩壊する。俺との戦いで過ちに気づいた彼は自ら魔術で命を絶ち…


「ごめん…ひろはる…」


と俺の腕の中で静かに眠る。死闘を終え、荒廃した川崎市の中心で、俺は涙を流す。

親友の死を乗り越え、魔術師ひろはるは世界の脅威から人々を守る英雄として、今日も戦う――。ここで壮大なメインテーマと共にタイトルが流れる。エンドロール後のおまけ映像では続編を匂わせる伏線が張られ…


「あ、弁当箱」


そんな妄想に浸ってると、ママに言われた弁当箱を思い出した。リュックから弁当箱を取り出し、そこでハッとする。


「そうだ…! そうだ、そうだ!」


帰宅時、リュックを雑誌や服の山に投げた。その下の服をめくると…。


「黒魔導戦争【ラグナロク】コンセプトアート 山本大陽」


紫のcampusノートがそこに!あった! よかった、ほんとに良かった! そうだ、戦いごっこした後、パパに「お風呂入れ」と言われて、隠すのが面倒で雑誌の上に置き、服をかぶせたんだ。


それから中間テストで忙しくて放置。今日、忘れててリュックをその上に投げたから…。


ちはるの言う通り、ちゃんと戻さないからこんなことに。


だが、解決だ! 誰も、ママもパパも、ちはるにも見られてない。平和が戻った。


「あ~っ」と大きなため息をつき、ホッとしながらノートを開く。


テスト明け、溜まった妄想を書き起こす時だ。ウキウキしながらページをめくってると、背後からスッと手が伸び、ノートをひょいと奪われた。


振り返ると、不敵な笑みを浮かべるちはるがそこに立っていた。






ちはる…いつの間に。音もなくドアを開けるその姿は、まるでアサシンだ。ノートを見つけた安心感で油断していた俺の隙を突かれた。


「なんか様子が変だと思ったら、漫画読むんじゃなかったの? 何、このノート?」


取られた! まずい、中まで見られる!


「ダメダメダメ! 返して!マジで返せって、おい、返せ!」


俺は必死にノートを取り返そうと飛びかかるが、ちはるは軽やかに体をかわし

、次々とページを開いていく。


魔術次元の世界観、魔術道場の設定、俺が描いたモンスターのイラスト、下手くそな絵を眺めながら、ちはるは楽しそうに読み上げ始めた。



「魔術次元? マスター・メビウスが弟子のカズヒトと一緒にモンスターから俺を助ける…って、これ自分で考えたの? 学校で朝礼中に空が割れて、モンスター登場? んで、『お前ら早く帰れ、じゃないと魔法でお仕置きだ』だって!」


「 読むな、返せ!マジでお前!」



俺はちはるの腕を掴むが、振りほどかれて彼女はノートを抱えたまま部屋に逃げ込んだ。追いかけるが、時すでに遅し。



「うわ、なにこれ!?」



最悪のページ――ヒロインとの生々しい描写を見られてしまった。



「『手を重ね、俺の色気のある声で…』って!ギャハハハ! あんたの声って色気あるの? うわここ、めっちゃ大胆じゃん、足広げて! ここだけ気合い入りすぎ…リビングで言ってたのって、これの事?」



ちはるは笑いながらページをめくる。俺は顔がカーッと熱くなり、床に崩れ落ちた。もうダメだ、完全に終わった。


もう終わりだ。何も考えられない。


命がけで探し出したノート。

その中でも一番見られてはいけないページまで、全部ちはるに見られた。


ちはるはベッドに座り、くすくす笑ってノートを読み進めている。俺はただ、彼女の部屋の床を見つめるしかなかった。

完全敗北だ。もうちはるには一生逆らえない。


ぼんやりと部屋を見回すと、ちはるのオシャレなデスクが目に入った。


――待てよ。あの時、ノートを探している時に見た引き出し……参考書で隠されたクリアファイル。中にイラストみたいなものがあった。隠し方が、俺のノートと同じだ。


まさか。ちはるも、見られたらヤバいものを隠してるんじゃないか?


俺は立ち上がってちはるのデスクの引き出しに手を伸ばしかけたその時――



「これ、結構いいじゃん。よくできてるよ、ひろはる。」


「え?」



今、褒められた? 俺は動きを止めた。



「どういう意味?」


「でも濡れ場シーンに関しては現実離れ過ぎ! いかにも、まだ…」


「ん?」


「あ、いや、でもこの『魔術次元』の世界観、モンスターの設定とか、兄弟子が闇に堕ちて師匠を殺す展開…ベタだけど王道で面白いよ。ほら、見てみな」



恐る恐るちはるの隣に座り、一緒にノートを見た。


「これどういう設定? どうやって思いついたの?」


ちはるの質問に、俺は一つ一つ丁寧に答えた。話しているうちに、なぜか笑顔になっている自分に気づいた。


だが、ちはるが次のページをめくると例のヒロインとの濃密な描写が目に入った。


二人とも一瞬固まり、気まずい沈黙が流れる。ちはるはそっとノートを閉じた。



「急にノート奪って読んじゃって、ごめんね。まさかこんなエロいの書いてるなんて、思わなかったから。」



ちはるが謝ってきた。昔、彼女のイタズラがひどすぎて俺が泣いた時、こうやって謝ってくれたことがあった。

成長するにつれてそんなことも減り、謝られるなんて久しぶりだった。



「いいよ、別に…」



俺は照れ隠しに呟いた。



「弟がこんなの描いてたら、ショック?」



ちはるは「んー」と天井を見上げ、笑みを浮かべた。



「まあ、ビックリしたけどさ。ひろはるがこういうの考えてるの、分かる気がする。頭ん中で暴れてる妄想をノートにぶつけただけでしょ? 面白いよ、これ。」



彼女の意外な言葉に、俺の肩の力がスッと抜けた。



「実はさ、お姉ちゃんもひろはるくらいの歳の時、あーいや、実は今もたまーに書くんだよね」



ちはるはデスクの引き出しからクリアファイルを取り出した。まさに俺が見つけてやろうと思っていたものだ。



「これ、見てもいいよ。ひろはるのノート見ちゃったし」



クリアファイルには、デジタルで描いたイラストの印刷物が入っていた。


――人気アニメの男キャラ同士が抱き合ったり、女キャラ同士がキスしたり。俺はポカンと口を開けた。

ちはるもこんなの描いてたのか。



「姉がこんなの描いてたら、ショック?」


「うん、キショい」



即答したら、脇腹に肘鉄を食らった。



「これ、BL好きな友達に影響されて描いてたの。姉弟そっくりだね。でも、ひろはるの方がすごいよ」


「どうして?」


「私のイラストはアニメの同人だけど、ひろはるのは全部オリジナルじゃん。こんな才能あったなんて知らなかった」


「…ありがとう」



才能、か。皆こんなこと考えるけど、考えてないフリをしてるだけだと思ってた。

なのに、ちはるに認められた気がして、胸が熱くなる。



「表紙に『黒魔導戦争:コンセプトアート』って書いてるけど、映画にする気?」


本当は小説や漫画が書けないから設定をメモしただけ。でも、ちはるに「才能」と言われ、「映画」と聞かれて、初めて本音がポロッと出た。



「なあ、お姉ちゃん」



その時、ちはるはなぜか肩をピクっとした気がした。

「…なあに?」と返す声はいつもより柔らかく感じた。



「俺、将来映画の仕事に就きたい。子供の頃、パパと観たヒーロー映画やSF映画が忘れられなくて、現実じゃ有り得ないのをまるで本物のようでさ、それって沢山の人が協力して制作したからできる物なんだなってエンドロールのスタッフを見て感動してさ」


「へー、ひろはるの夢、初めて聞いた。これを映画にするの?」


「いや、さすがに壮大すぎて邦画じゃ無理だよ」


「じゃ、ハリウッドでいいじゃん。英語頑張りなよ」


「…できるかな?」


「最初からできるわけないでしょ。それまでコツコツ日本で修行して、いつか40歳くらいで『黒魔導戦争』作ればいいよ」


「ありがとう。大学で映画やVFX学びたいな」


「そうしなよ。いつか撮りたい映画取れるまで修行して、濡れ場シーンを極めてね」


「余計な事言うな!」


久しぶりにちはると本音で話した気がする。昔みたいに素直に甘えられたような、温かい気持ちになった。


ノートをパラパラめくってると、開けっ放しのドアからパパがひょっこり顔を出した。


「おや?お前ら、くっついて何してんだ? 久しぶりにこんなに仲良くしてるの見たな。体はでかくなっても、昔のまんまだな」


パパの声は呑気だけど、どこか柔らかい。優しい笑顔だ。俺とちはるがベッドでノートを見てるのをじっと見て、ソファーにドスンと座った。



「何だよ、パパ。急に入ってくるなよ」



ちはるが軽く睨むが、パパは気にもせず、遠くを見るように呟く。


「昔さ、ちっちゃい頃、リビングで二人で絵描いてたな。ちはるが『ひろ、塗り絵はまず絵の端っこから塗ってくと綺麗に塗れるんだよ!』って色鉛筆で描いて、ひろはるは『お姉ちゃん、すげー!』ってキラキラしてた」


パパの声が低く、しんみりしてる。俺は気まずくなって、ノートを膝でギュッと握った。ちはるもパパをチラッと見て、いつもみたいにツッコまず「あー、懐かしいね」と呟く。


「何だよ、パパ、急に。気持ち悪いな」


俺は照れ隠しに言うと、パパは笑って



「いや、大きくなったなって。お前ら仲良くしてると嬉しいよ。あと何回見れるかな、こういう光景」



最後、めっちゃ小さく呟いたのが、なぜか胸に刺さった。



「んで、何見てんだ?」



パパがいつもの調子でノートを覗こうとしてきた。俺とちはる、



「見るな! 出ていけ!」



とハモって叫ぶ。パパはビックリした顔で、



「なんだよ、仲良いな!」



と笑いながら、部屋を出てなにか惜しむようにゆっくりとドアを閉めた。





数日後の朝、朝食中、ママが進路の話を振ってきた。学校行く前にこんな話、しんどい…。


でも、ちはるにしか話してなかった夢を、ママにも打ち明けてみる。


「一応は大学行きたい。映画とかVFX学びたい」


ママはパンをかじりながら、初めて聞いた俺の夢に目を丸くする。


「へぇ、映画撮りたいんだ! 大学行くんなら勉強、頑張りなさいよ」


「そうだね」


眠気で重いまぶたをこする俺に、ママがポツリと言う。


「部屋にあった『黒なんちゃら』ってノート、ちょっとだけ中を見ちゃったんだけどあれ映画にしたいの?」


「まあ今すぐは無理だけど、いずれかは…」



え、今なんて…見た!?ちょっとだけってどこまで!?


朝から脳が震えそうだが、ママの笑顔を見て俺はほんの少し誇らしくなった。


--おしまい

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