表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

その1

「はぁ……」

月光差し込む執務室で、エルシアは一人頭を悩ませていた。

堂々とした石造りの部屋は、シルバーリーフ冒険者ギルドのクレスタルム支部の歴史と重厚さを物語っていた。

そんな場所に自分が座っているというのが、時々まだ信じられないことだった。


壁には歴代の支部長たちの肖像画が飾られている。

その中では彼女の肖像画だけが若い女性の姿で、他の経験豊かな顔ぶれの中で異彩を放っていた。

史上最年少で支部長に就任した天才冒険者。

その称号は誇らしくもあり、プレッシャーでもあった。


書棚には魔物図鑑や冒険記録が並び、窓に面した壁には詳細な地域地図が掛けられていた。

重厚な樫材の机の上には書類の山が積まれ、魔力結晶の灯火が青白い光を放っている。

その青白い光に照らされ、机の隅に置かれた銀細工の時計が浮かび上がっていた。

透明な水晶の中では封じ込められた時の精霊が青い光の軌跡を描き、「月の第四刻」と呼ばれる深夜の刻を指し示している。


エルシアは深く呼吸し、机に置かれたサザンクロス領の領主、アルバート・クロス伯爵からの公式羊皮紙文書を見つめ直した。

その横には返答用の上質な羊皮紙と、構想を書き留めた青白く文字が浮かび上がる魔力黒板が置かれている。

支部の最大のパトロンであり、死霧の森に最も近い領地を治めるクロス伯爵から届いた懸念事項と、それに対する彼女の返答の下書きだ。


エルシアは羊皮紙に目を落とし、伯爵の丁寧な筆跡を追った。

「サカモトという男をどう扱うべきか」—それが今回の相談の核心だった。

一ヶ月でSランクまで駆け上がった青年の存在は、すでに領主たちの間でも重大な関心事になっていた。

特に、彼の制御不能な力を恐れるクロス伯爵は強い懸念を示していた。


「彼の力を恐れるのは当然かもしれない...」エルシアは静かに呟いた。

彼女自身、あの青年の正体に不安を覚えることがある。同じ年齢でありながら、その実力は彼女をはるかに超えていた。


エルシアは自然な銀色を帯びた髪を指で梳きながら、ペンを取り上げた。

彼女の特徴的な髪色は、幼い頃から「祝福の証」と言われてきた稀有な特徴だった。


「従来の対応策では効果がないことは認めざるを得ません。

しかし、伯爵様の提案する『強制的な能力制限』は、冒険者ギルドの理念に反するものです」


彼女は一瞬ペンを止め、自問した。

本当にそれだけなのか? 実はあの青年の実力に、自分自身が脅威を感じているだけではないのか?

この決断は正しいのだろうか?


エルシアは机の隅に置かれた小さな水晶球に視線を移した。エドモンド・グレイソン、前支部長で現在は彼女の相談役を務める老冒険者に連絡を取るべきかもしれない。しかし、深夜のこの時間に彼を煩わせるのも憚られる。それに…彼女は不安を振り払うように首を振った。


「いつまでも前支部長に頼っていては、本当の支部長にはなれない。」彼女は小声で自分に言い聞かせた。「24歳の私が支部長を任されたのは、自分で判断できると信じられたからでしょう。」


それでも胸の内には不安がくすぶり続けた。まだS級になって4年、支部長になってからはわずか数ヶ月。経験豊富な前任者なら、今回のような危機にもっと適切に対応できるのではないか。


「『翠牙の古竜』を一人で倒すなど、私ですら五人の仲間と協力して辛うじて成し遂げたことなのに」


エルシアは壁に飾られている伝説級モンスターの剥製に視線を向けた。

S級昇格を果たした20歳の時、彼女が仲間たちと命懸けで倒した古竜「ジェイドファング」の頭部だ。

当時の彼女は五人の精鋭と共に挑み、全員が重傷を負いながらもついに撃破した。

この偉業により彼女は史上最年少でのS級昇格という記録を打ち立て、四年後には同じく最年少での支部長就任へと繋がった。


一方、カズヤは先月、単身で北方のノスフェルド国境を襲っていた魔獣の群れと「深淵の混沌体」と呼ばれる超S級の災厄を一日で討伐してしまったのだ。

普通なら少なくとも二十人のS級冒険者を要する大規模任務を、彼は朝食前の運動だと言わんばかりに片付けてしまった。

その後彼が要求した報酬は村人全員が身売りするほどの額だと伝え聞いている。


エルシアは鏡を見るたびに自分の成長を実感していた。あの頃と比べれば確かに強くなった。

でも、あの深淵の混沌体を一人で倒せるとは思えない。今でも。

「世界って、こんなに変わるものなんだな…」


エルシアは決意を込めて、再び書き始めた。

「総本山と相談の上、私はカズヤ・サカモトをサザンクロス領に招き、伯爵家の特別顧問として迎え入れることを支持します。

貴家の懸念は理解できますが、彼の力を恐れ制限するのではなく、活用すべきです。

彼が敵に回れば、我々に勝機はないでしょう」


彼女はペンを置き、書いた内容を読み返した。この決断は正しいのだろうか。前支部長のグレイソン卿ならどうするだろう。老練な彼ならもっと慎重に判断するかもしれない。しかし時間はない。


エルシアは羊皮紙を折りたたみ、机の引き出しから取り出した水晶のペーパーウェイトを上に置いた。

水晶の中に閉じ込められた微小な火の精霊が活性化し、羊皮紙の上のインクだけを選んで乾かしていく。就任時に祝いに前支部長からもらった実用魔道具で、彼女のお気に入りだった。


「グレイソン卿はいつも言っていたわ。『どんな決断も完璧ではない。だが、決断せねばならぬときがある』と。」彼女は自分を奮い立たせるように呟いた。


「サカモトを完全に味方につけないと……」


エルシアが手紙を封じようとした瞬間、突然執務室のドアがノックされた。

「どうぞ」


扉が開き、若い女性冒険者リリアが慌ただしく入ってきた。彼女はギルドの伝令役で、エルシアの親友でもあった。

「エルシア!大変よ!サウザンド荒野の『死霧の森』から魔獣の大群が押し寄せているの!」


エルシアは即座に立ち上がった。

「詳細は?」


「先ほど到着した伝書鳥の報告では、これまでに見たこともない種類の魔獣が何百と集まり、森の外へと進軍しているの。既にクロス伯爵領の南部の村三つが避難を始めているわ」


「クロス伯爵の私兵団は?」


「既に前線に展開しているけど、数が少なすぎるわ。王都からの援軍は北方フロストピーク領での小競り合いで出払っていて、到着には三日はかかるって」


エルシアは手元の封じかけた手紙を見つめた。

彼女がカズヤをクロス伯爵の特別顧問として推薦する内容を書いたばかりだというのに、その直後にサザンクロス領の防衛が必要な危機が訪れるとは奇妙な偶然だった。

まるで運命が彼女の決断を後押ししているかのようなタイミングである。


「サカモト・カズヤのいる場所はわかる?」


リリアの表情が一瞬驚きに変わった。

「ええ、今日は街の東の宿に滞在してるって情報が入ってるわ。でも、エルシア、彼に頼るつもりなの?」


エルシアは静かに窓の外を見つめた。

「危機の前では選り好みはできないわ。彼の実力は認めざるを得ない。それに...」

彼女は少し間を置いてから続けた。

「支部長として、利用できる戦力は全て活用するのが私の責務よ。たとえそれが扱いの難しい相手だとしても」


エルシアは微笑んだ。

「それにね、これは彼の忠誠心を確かめる絶好のチャンスでもあるのよ」


迷いがちらついたが、彼女は表情に出さないよう努めた。カズヤという未知数の存在に頼るのは危険かもしれない。前支部長ならもっと保守的な選択をするだろう。しかし、若き支部長としての彼女の判断が今、試されている。


エルシアは机の引き出しから小さな青い結晶を取り出した。

「緊急招集の魔力結晶よ。全てのB級以上の冒険者を呼び出して。それから…」


彼女は別の、より輝きの強い緑色の結晶を手に取り、一瞬躊躇した後、リリアに差し出した。

「これをサカモト・カズヤに直接渡して。『死霧の森』での戦いに、クロス伯爵家の特別顧問として参加を要請するって伝えて。報酬はギルドが保証するわ」


リリアは一礼すると、素早く部屋を出て行った。


窓から見える月の光が雲に隠れ、部屋が一瞬暗くなった。エルシアは古竜の剥製を見上げた。

「あの時みたいに、今回も勝負に出るしかないわね」


あの時は己の命を賭けた。

今回はサザンクロス領の未来と、そして支部の信頼を賭ける。

もし失敗すれば、グレイソン卿の期待を裏切ることになるだろう。

エルシアはそう思いながら、戦装束へと着替え始めた。


着替えながら、彼女は窓辺に置かれた小さな書簡に目をやった。先週届いたグレイソン卿からの手紙だ。「若さは時に弱点となるが、それ以上に強みになる。古い考えに囚われない判断こそ、新時代の支部長には必要だ」と記されていた。


「わかっています、グレイソン卿」彼女は静かに呟いた。「私なりの道を進みます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ