婚約破棄なさるなら、国宝級の贈り物もいらないですよね?
貴族の令嬢リリアナは、青みがかった銀髪を揺らしながら、大広間の一角で黙々と机に向かっていた。
手元にあるのは、厚手の布に包まれた美しい剣と、細やかな魔術刻印が施された宝石箱。
どちらも彼女が数か月かけて準備してきた“特別な贈り物”である。
「――リリアナ、今日は記念の夜会なのに、まだ準備をしているの?」 傍らから心配そうに声をかけたのは、彼女の友人であるクレア。
見渡せば、すでに煌びやかな宴会の準備は整い、華麗な衣装をまとった客人が続々と集まり始めている。
「ええ、もう仕上げは終わっているのだけれど、最後に点検をね。私が所属する工房の職人たちにも協力してもらったし、これにかけた時間と労力は半端じゃないわ」
「そうよね。だって、貴女の婚約者・クリスピン様への贈り物だもの。きっと最高の出来栄えでしょう?」
「そう信じたいわ。……ふふっ、今日は婚約記念日でもあるし、お互いが用意した贈り物を披露するっていうのが、この国の伝統なのよね。私も楽しみにしていたの」
笑顔を見せるリリアナの表情には、わずかな不安の色も混じっている。
というのも、彼女は元々“平民出身の工房育ち”という出自を揶揄されてきた。
幼いころに父親が爵位を授かり、のちに“伯爵令嬢”という身分にはなったものの、その過程は周囲から見れば異例。さらに結婚の話が進んだのは、上流貴族の父同士がまとめた縁談によるものだ。
婚約者クリスピンは長身の伯爵令息。街の若い貴族男性のなかでも有名な遊び人らしく、社交界ではいつも女性を連れ立って華やかに振る舞っている。
「本心では、私みたいな経歴の娘との結婚など望んでいないのでは?」という噂は、リリアナの耳にもちらほら届いていた。
しかしそれでも、彼は表向き穏やかに接してくれる時期もあった。
リリアナは“家柄や周囲の言葉に惑わされず、自分を見てくれる人”だと信じたくて、懸命に努力してきたのだ。
婚約者にふさわしい贈り物を作ろうと、数か月かけて工房を回り、古い錬金術の文献を探り、素材を吟味し……ひたすら研究に打ち込んだ。
彼女の手掛けた品は、並の職人が束になっても再現できないほどの高度な魔術刻印を要する逸品となっている。
大広間の中央には、豪華なシャンデリアが光を放ち、談笑する貴族たちの群れが広がる。
いよいよ夜会の主役とも言える“婚約者同士の贈り物披露”が始まるらしく、司会の声が響いた。
「――では、本日の主賓であるクリスピン・ウェンフィールド様とリリアナ・アルトワーズ様、壇上にお上がりください!」
リリアナは大勢の視線を浴びながら、クリスピンと並んで壇に立つ。
彼女の胸の奥は期待と緊張でいっぱいだった。
けれど、クリスピンの横顔はどこか浮かない表情をしている。リリアナは「どうしたのかしら」と少し心配になったが、先に口を開いたのはクリスピンのほうだった。
「……父上には悪いが、もう限界だ。リリアナ、聞いてくれ」
「え?」
「すまないが、俺はもう“形だけの”婚約を続けるつもりはない。そもそも、父が強引に進めた縁談だ。こんな重苦しい結婚なんて真っ平だよ」
皆のざわめきが大広間を包む。司会者も、リリアナ自身も凍り付いた。彼は続けて言った。
「お前の献身には感謝していないわけじゃない。だが、正直言って重いんだ。いちいち工房で何かを作ったとか、魔術の研究にのめり込んでいるとか……そういうの、俺には理解できないし興味もない。それに、もっと華やかで目立つ令嬢と恋愛したいのが本音だ。だから、悪いが別れよう」
「……え?」
言葉が出てこない。まさかこんな公式の席で破棄を言い渡されるとは、リリアナは思いもよらなかった。全身から血の気が失せていく中、彼はさらに追い打ちをかけるように言い放つ。
「そうだな、せっかくお前が勝手に手配したプレゼントも……悪いが気が重い。受け取ったら今後も縁が続くようで嫌だから、いらない。捨てちまってくれ」
あまりにも急な宣言に、近くにいた貴族たちからは「なんという無礼だ」「ご父君の面目を潰す気か」と呆れる声が上がる。
しかしクリスピンは意に介さない様子で、リリアナに冷たい眼差しを向けていた。
だが、その様子を見た王族関係者や彼女をよく知る人々は、「あの贈り物を捨てるだと……?」と困惑の表情を浮かべ始める。
リリアナは唇を強く結んだ。
胸の奥がズキズキと痛む。
数か月間、寝食を惜しんで準備してきた特別な贈り物。
それを否定され、結婚すら不要と言われた。
それでも、覚悟を決めるように一呼吸おいてから、クリスピンに問い直す。
「……では、あなたは本当に私の贈り物を必要としていないのですね?」
「そうだ。俺には何の役にも立たない。親の決めた縁談に合わせた、お前の自己満足でしかないんだろう?」
「わかりました。では、皆さまの前で確認させていただきますわ」
リリアナは、壇上に置かれた長テーブルへ歩み寄り、布に包まれた剣と宝石箱を手に取った。
互いの贈り物を披露するはずだったが、実際にはクリスピンは手ぶらで、何の用意もしていないようだ。
周囲の貴族たちは、彼女の持ち物を見て「それを捨てるなんて……」と不安げに顔を見合わせている。
「職人工房の同僚とともに作り上げた特別な武具と、錬金術で生成したポーションのセットです。
剣には私独自の魔術式が刻んであり、使い手の動きを軽くし、相手の攻撃を最小限に抑える効果がある。宝石箱の中には、数百年ぶりに再現したとされる回復薬が入っています。重傷を負ってもすぐに治せる力を持ち、この国でも同等の品を作れる者は、限りなく少ないといわれています」
リリアナは淡々と説明を続けた。
その言葉を聞いた人々の視線が、次第に武具へ、そしてポーションへと吸い寄せられる。
どうやらただの高級品というだけでなく、国家レベルで保護されるような希少技術が注ぎ込まれた逸品であると理解しているようだ。
「王立学術院の査定では、“国宝級の価値がある”と評価をいただいたのですが……それでもいらない、と?」
「国宝級……まさか、そんな大層な。だってお前は工房で職人の真似事をしていただけだろう?」
「いいえ、私の父はこの国で唯一の魔術工房を開設した者の一人。小さいころからそこで技術を学んできましたので、私にとっては“真似事”ではありません。実際、貴方にも何度かこのお話はさせて頂きましたが…悲しい事に、聞き流されていたのですね。」
軽く剣を抜き、リリアナが前方の空気を断つように振ると、風を切る鋭い音がやけに響いた。
刃先が光り、独特の魔力の軌跡を描く。
その光景に、大広間の貴族たちが「これは本物だ……」と息を呑む。
さらに彼女が宝石箱を開き、ポーションの瓶を少し掲げると、やわらかな金色の輝きがこぼれ落ちた。
「この魔力反応……!」
「学術院の研究員でも再現できないはずだぞ」
会場のあちこちから驚愕の声が上がる。
すると、王族の一人が「……その品、もし手放すおつもりがあるなら、我が王宮にぜひいただきたい」とまで声をかけ始めた。
途端にクリスピンの目が泳ぐ。
彼は一瞬のうちにこの武具やポーションの価値を理解したのだろう。
国宝級の技術を有する贈り物、しかも数量限定の手作りとなれば、どれほど高値になるか計り知れない。
先ほどまでの彼の態度とは打って変わり、焦りがにじんだ声でリリアナを引き止める。
「ま、待て。お前、そんなものを作っていたのか? いや、正直に言えば、俺は最初から欲しくなかったわけじゃなくて……誤解だ。うん、ちょっと言い過ぎただけなんだ。さっきの言葉は取り消そう。だから、その贈り物は受け取るよ、もちろん」
「ですが、あなたは皆さまの前で“捨てろ”とおっしゃいましたよね?」
「そ、それは……急に言葉が出ただけで……」
「手間と時間、そして私自身の想いを込めた品です。今さら翻意されても、私のほうこそ受け取っていただきたくありません」
はっきりと拒否を宣言するリリアナに対し、クリスピンは必死に取り繕おうとするが、さっきまでの自信家ぶった態度はどこにもない。
彼女は剣を鞘に納めると、宝石箱を丁寧に包み直し、そのまま壇上から離れようとした。その様子を見ていた王族や上流貴族たちが、口々に声をかける。
「もし売却されるなら、我が家が高値で買い取りたい」
「いや、わが国の治安維持部隊で使えれば、大幅な被害軽減が望める。公的に落札させていただけないか?」
「回復薬も非常に貴重だ。戦争が起きれば英雄になるレベルだぞ。どうか譲ってはくれぬか?」
クリスピンは冷や汗を浮かべ、オロオロとリリアナに縋るような眼差しを向ける。
「リリアナ……俺たちの婚約、ちゃんと考え直そう。お前さえよければ、父上に掛け合って結婚の準備を急ぐようにするから……」
「それはお断りします」
リリアナは静かに一歩距離を取り、会場をぐるりと見回す。
ざわめく観客の誰もが、彼女に同情し、同時にクリスピンを無責任な放言者として軽蔑の目を向けているようだった。
ひそひそと「彼女の努力を軽視するなんて」「まるで相手の献身をゴミ扱いじゃないか」といった声が聞こえる。
中には「典型的な自業自得だな」という呟きまで混じっている。
「先ほどあなたは大勢の前で“捨ててくれ”と言いました。どうかその意志を貫いてくださいませ。それに、私が工房や錬金術の研究を好き好んでやっていることを“重い”と言い放つような方とは、今後の人生を共にしたくないのです」
言い切ったリリアナは背筋を伸ばしたままクリスピンを振り返ることなく、壇から降りる。
友人のクレアは駆け寄ってきて「大丈夫?」と小声で問いかけるが、リリアナは毅然とした笑みを浮かべ、「ありがとう」とだけ答えた。
そのまま、大広間の中央に差しかかると、やはり王族や名だたる貴族が続々と近寄ってくる。彼女の作り出した品の価値を知り、純粋に関心と敬意を示しているようだ。
誰もが口々に感嘆を漏らし、改めて彼女を称賛し始める。
「今からでもお宅の工房を見学したい」
「この技術、王立学術院で正式に研究してみてはどうか」
「ぜひ、貴女にスポンサーを申し出たいが……」などの声が飛び交う。
先ほどまでは“平民出身の工房育ち”と下に見る人もいたはずなのに、いざ本物を目の当たりにすると一気に態度を翻す。
だが、リリアナは心の奥で静かに思う。
「私の力や作った物の価値だけを見て手を伸ばしてくる人とは、慎重に付き合わないといけない」と。
一方、壇上に取り残されたクリスピンは、かつての社交界での顔色を丸潰れにしてしまった。
彼は周囲からの冷たい視線を感じ、まともに立っていられないほど萎縮している。
あれほど堂々と「自由になりたい」などと言い放った男が、今やすっかり孤立した状態で俯くだけだった。
宴はあまりの展開の激変に戸惑いながらも進行し、数曲の演奏が流れる中、リリアナは会場を後にする準備を始める。
彼女のもとへ王族の使者や貴族たちが続々と話し掛けてくるが、彼女は冷静に対応し、取引や面会の約束を少しずつ取り付けていく。
そこにはもう“他人の評価に怯えて萎縮する娘”の姿はなかった。
最後にクレアが出口まで見送り、心配そうに尋ねた。
「リリアナ、本当にあの人と婚約解消でいいの?」 「もちろん。私の努力をあれほど踏みにじる人に、これ以上時間や気持ちを注ぐなんて嫌だもの。……それに、私には夢があるの。いつか工房のみんなと組んで、新しい魔術技術をこの国に広めたい。ごめんなさい、こんな形で夜会を騒がせてしまって」
「ううん、気にしなくていいわ。かえって貴女の才能がはっきり示されたし、これからのリリアナがどんな未来を築くのか、私も楽しみになったわ」
クレアの言葉を聞きながら、リリアナは“本当に大切なもの”が何かを改めて胸に刻む。
それは、誰かに押し付けられた結婚でも、自分を軽んじる人のご機嫌を取ることでもない。
彼女が築き上げた技術と信頼、そして自分自身の尊厳だ。
夜会を後にして、ひんやりとした石造りの廊下を歩くうちに、リリアナの目にはうっすらと涙が浮かんだ。
悔しさや悲しさも混じるが、どこか清々しい想いがこみ上げてくる。
もし相手が本当に自分を見てくれていたなら、今日のような裏切りはなかっただろう。
だが、そうではなかった。
それを知れた今、彼女には新しい道が開けている気がした。
会場の奥からは、まだざわめきの声が聞こえる。
必死に婚約解消を取り消そうとするクリスピンの言葉も少し耳に入ったが、リリアナは振り返らずに扉の向こうへと消えていった。
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