2 始まりの街
ゲーム配信前にログイン出来るのは、特別感が半端ない。年甲斐もなく、はしゃぎたくなるが、守秘義務があるから、夫にも息子にも黙っていないといけない。
いそいそと食卓テーブルで自分用のPCを立ち上げる。
「あれ、エンディングまで行ったんじゃないの?」
向かい側でネット配信の株式を見ている夫が声をかけた。
「終わっても、まだ、色々する事があるのよ。」
そう答えながら、暫くは一人の時間にやった方が良いのかしら?と思う。
「ふーん。」
と気のない返事が返って来るから、まあ、夫なら、画面を覗かれた所で、これがエターナル・エデン・クロニクル、EEC16の現地人プレイとは気が付かないだろう。
息子が年末年始に帰省した時に、気をつければいいか。問題を先送りにしてヘッドギアを被って、椅子に凭れる。
「ちゃんと横になれば?」
夫のアドバイスをひらひらと手を振ってスルーすると、ギアのスイッチを入れる。PCに送られていたアドレスに接続し、パスコードを入力する。
目を開けると、足元でなにかがもぞもぞと動いた。
「にやぁ?」
濃いグレーの小さな塊が、可愛い鳴き声を上げた。
「アレキュ。」
思わず、涙が零れる。
二年前に16歳で死んでしまった愛猫が、初めて家に来た時の手のひらサイズでクレハのアバターの脚にすり寄っている。抱き上げるとその暖かさも、にゃっと必死で爪を立てて捕まる仕草も、生前そのままで、もう、これだけで、五体投地してこの運営に感謝したい。
「アレキュ、アレキュ。」
スリスリと頬を寄せて、猫吸いを堪能する。
「猫アレク様、お気持ちはわからなくもないですが、仕事してください。」
「アレクがしゃべった!」
「いや、もう、本当に、勘弁して下さいよ。」
びっくりして力の緩んだクレハの手の中から子猫は飛び出すと、すっくと二本足で床に立ち上がった。
「ゲーム配信まで、する事は沢山あるんです。猫吸いしている場合じゃありませんよ。」
「うぅ、アレキュがカッコイイ。How cute アレキュート♡」
「もしもーし、聞いてますかぁ。」
たしたし、と揺れる尻尾がまたキュートだ。
「戻ってこないと、このガイドキャラ、いつもの蝶々妖精に戻しちゃいますよー。」
「はっ!すみません。つい、嬉しくて。」
「もう、お願いしますね。」
二本足で立つアレクは、猫らしさが無くなったから、クレハはじきに正気に戻った。
「えー、こほん。では、改めまして。猫アレク様、こと、クレハ・デ・ノースヴィラ女男爵さま。今後はクレハ様、と呼ばせて頂きますね。」
そう言って、アレク型ガイドキャラは、今いる場所が、EEC16の国の一つ、シデリアンの旧王都ヴァルゴの領主邸の最上階にある一室で、窓の外の噴水広場に、旅人たちが転送されてくる、と説明した(ちなみに、ゲーム開始後はこの部屋は王侯貴族専用とされ、普段は閉鎖される予定らしい)。
「この広場を囲むように、各種ギルドのシデリアン国東支部が置かれています。有名どころでは、冒険者ギルド、傭兵ギルド、商人ギルド、生産者ギルドなどですかね。転送されてきた旅人にはパスポートが支給されます。身分を証明するためにはこれらのギルドに所属する事をお勧めしています。パスポートと呼んでいますが、所謂ステータス画面ですね。ですから、ギルドに所属しなくても活動は出来ます。
あ、クレハ様もパスポート持ってますよ。旅人ではなく、あなたの故国ヤマタイのパスポートです。」
「ヤマタイ?」
「覚えて下さいねー、あなたはハーフエルフです。エルフの国はこの大陸ペルムから更に東に行った島国ヤマタイです。」
「そんな国EECにありましたっけ?」
「無いですよ。今回、あなたがそんな恰好をするから、急遽、設定に組み込んだんです。まあ、基本、エルフの国は秘匿とされ、これまで詳細は誤魔化して来てるので、口外無用ですからね。」
「あれ、でも、EECのキャラメイクに種族エルフってありますよね。」
「でも、クレハ様もこれまで、どの種族で遊んでも、自分の生まれた国なんて、意識した事無かったですよね。」
「あー、そう言えば。」
とクレハは思い出す。
自身はヒューマンかエルフを選ぶ事が多かったけれど、それはあくまでアバターの容姿優先で、ゲーム内に同族がいようといまいと、気にした事は無かった。
「今回もその辺はするっと流す予定だったんですけどねー。まあ、ゲームが始まってみないと何とも・・・。VRMMOってシナリオが無いじゃないですか。何年か後には種族間の確執、なんて出て来るかもしれないんで、伏線ですよ、伏線。」
ふーん。
「まあ、こういうイレギュラー対応も、クレハ様たち現地人役のお仕事になる可能性もあるので、よろしくお願いしますね。
では、外に出てみましょう。」
そう言うと、アレク型ガイドキャラは、子猫に戻る。
『これから先は、人目もありますので、子猫モードになります。他の人には猫の鳴き声にしか聞こえませんので、僕に話しかけてると変な人扱いされると思って下さいね。』
「いや、猫好きはふっつーうに猫に話しかけるよ。」
クレハはアレクを抱き上げて、言われるままに、建物の外に出た。
噴水広場はその名の通り、中央に噴水があり、野球場が丸っと入りそうな大きさだ。ヴァルゴの街の行政区で領主邸もその一角を占めている。
噴水広場には3本の大きな街道が接続しており、北に向かう1本が隣の領都スコルピウスに向かう主街道であり、さらに北上すると王都レオに至る。南行きの1本は、大湿地帯を迂回し隣国エディアカランに繋がり、西側の街道は草原地帯を横断するうちに広大な草むらに飲み込まれ、点在する町や村へと枝分かれした馬車道となる。その他、細い路地が幾つも噴水広場を中心に歪な放射線状に走っていて、それが住民たちにとっての生活道路だ。ヴァルゴの街のモデルはフランス革命時代のパリ、とアレクが解説した。
クレハの住む家はこの東南側の路を徒歩1時間ほど下った所にある。3階建てのレンガ作りのアパルトマンに挟まれた路地は、大人二人が両手を伸ばしたほどの幅で、それなりに広いため、所々、屋台や露店が開かれている。怪しげな露天商の並べる品々にゲーム心を刺激されるが、アレクがその度に爪を立てるので、浮気はしないで、まっすぐ、家に帰る事にする。
路地を抜けた先は、主街道と違い、舗装されていない土の道で、馬車の轍をわざと踏みながら、猫を撫でつつ歩く。ゴム底の靴では無い、革靴から得られる足底の感覚は、ずっと昔、田舎で暮らしていた時の、砂利道の感覚に似ている。
やがて、建物が少なくなり、田んぼが広がる。南側が大湿地帯になるこの辺りでは、稲作が行われている。
異世界転生あるあるの、日本人なら米。その要求に最初から答えた形だ。
クリスマス発売予定だが、ゲーム内の季節は春。なので、田んぼには青々とした植えられたばかりのまだ頼りない稲が、風に揺れている。
「長閑だねぇ。」
「まだ、配信前ですからねぇ。」
アレクも半分うとうとしている。
時々、農作業をする人や、ヴァルゴの街に向かう馬車などとすれ違う。
「ちゃんと人がいるね。」
「当たり前ですよ。NPCの動作確認は最重要業務です。」
「あれ、皆NPC?」
「そうですよ。この辺り一帯の現地人はクレハ様お一人です。」
「責任重大!」
「まあ、普通に社会生活を送っていれば問題は起こりません。多分。」
「最後の一言が不穏!」
そんな会話を楽しみながら、歩く事2時間。
予定よりもゆっくり、道中、あれこれを学びながら、クレハは自分の家に着いた。
竹やぶの中に、人一人が通れる程の狭さの道がある。
「これは、普通に気が付かないんじゃない?」
「認識阻害がかかっている設定です!」
ふんす、と鼻息荒くアレクがドヤる。
くっ、可愛い。
その道を進むと、目の前には日本家屋。
「おおー。」
憧れていた純和風の日本家屋、縁側に、テンションが上がる。
「そのハーフエルフの見かけで日本家屋って、おかしくないですか?」
「いやいや、アレクにゃー、縁側で日向ぼっこをしながら、猫を撫でる。これ、憧れよ。」
早速、縁側に座って、膝に子猫、ぽかぽか陽気。
「あー、お茶が欲しいね。」
ここまでずっと歩いてきたし、アレク型ガイドキャラとずっと会話をしてきたので、喉が渇いていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。」
そう言って、差し出された玉露と羊羹に、クレハはぎょっと、思わず立ち上がった。
縁側につながる和室に、ゴスロリメイド服の少女が控えめに立っていた。
「こんなサービス、頼んでないけど!?」




