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009 感傷に浸る夜

 食事を終えて後片付けをして、ひとりで寄宿舎の中をもう一度歩いた。

 新築の匂いがする。物も少なく、キッチン横の倉庫には箱がいくつか積まれているだけ。二階の空き部屋に至っては空っぽだった。


 三階の手前がアニカの部屋だ。前を通ったが物音はしない。ちゃんと眠れていればいいんだけど。

 俺は同じ階の一番奥の部屋を使うことにした。軋まない扉を開くと、机に椅子、それからベッドがある。シーツは汚れひとつなく綺麗に整えられていた。


「……まだこんな時間か」


 濃密な一日だったが、まだ夜も始まったばかり。窓から注がれる月の光を浴びながら、鈍く輝くシルバーリングに目を落とす。

 北極星をイメージしたその星(マーク)は彼女と同じで俺の心を照らし、導いてくれる。

 推しの姿を思い浮かべて気持ちを上に向かせ、今度は今日会った人達のことを改めて思い浮かべた。




 アニカは見た目も中身も明るい人だ。


 まずは見た目だが、桃色に染まる柔らかい髪色に勇者の証である別の色が混ざっている。強いて言うなら……黄緑っぽいかな。

 ああ、あと、左前と右後ろに非対称な形の三つ編みが細いリボンで留められていた。頭の上にぴょこんと飛び出たアホ毛も印象的で、彼女が動くたびに一緒になって感情を表している。

 桃色の瞳は大きくて、薄暗い地下にいても誰からも何からも損なわれない生気に満ちあふれていた。


 性格は前向きだ。

 一人で勝手に考え過ぎるきらいがある俺からすると眩しいところもあるけれど、アニカの言葉には自然と心開いて耳を傾けられる。

 この世界で一番過ごす時間が長くなるだろう相手だ。緊張の糸を張り続けなくてもいいのはありがたいし、アニカにとってもそういう相手で在れるように尽力しよう。




 副団長は団服と礼節のある立ち振る舞いから遠い存在として認識しかけたが、話せば気さくな人だった。

 さっきアニカに聞いた話だが、年齢的にはギリギリ二十代らしい。十歳も年上だとは思わなかった……想像以上に童顔な人だな。


 他に見た目の印象を挙げるなら……短い金髪に、縁のある眼鏡をかけていた。瞳も明るく、両耳には四本の金糸が揺れるピアスを付けていた気がする。

 きょろきょろと視点が動き回るアニカと違って、副団長は話をしている間は静かな眼差しを向け続けていた。あまり見られるのはプレッシャーになるけれど、目線が合えば瞬きをしたりにこやかに目を細めてくれたから圧はそこまで感じなかったな。


 性格は、多分感じのいい人。からかわれることもあったけど、会ったばかりの俺に手を貸してくれると約束してくれた。

 それにアニカも懐いているし……餌付けされている雰囲気もあったけど、まぁ、嫌な印象はない。

 アニカも、副団長も、この世界で生きるために頼りにできる数少ない人だ。信じていこうと思う。




 あとは、俺達をここまで案内してくれた騎士団の事務員さん……確かエマって名前だったっけ。

 色素の薄い髪をハーフアップにまとめ、翡翠石のような瞳がゆっくりと瞬く姿が記憶に残っている。

 ほとんどアニカや副団長を話すのを見ていただけだったが、穏やかで優しそうな人だった。


 他に会った人といえば薄暗い地下で話した五賢星とかだけど、髭を生やしていた老人以外には顔どころか体格すら覚えていない。ほとんどアニカや手元ばかりを見ていたから当然か。


 アニカはもとより、他の人を思い浮かべるのは名案だったな。

 彼らの特徴を自分の中で再確認することで、さきほどよりも彼らのことを身近に感じられる。

 他人との関わりを他人事だと切り捨ててしまえば、俺は前を向けて生きていけない。

 独りだと思っていた時期ではなく、今の俺がこの世界に召喚されたことは不幸中の幸いだったなと自分を再三納得させる。

 大丈夫だ。不安はあるが、少なくとも衣食住は保証されているのだ。戦うことに関しては何も解っていないも同然だけど、できる範囲でなんとか頑張ってみよう。




 新たな決意とこの世界で出会った人達のことを記憶に刻んでいると、ふと母さんの姿が脳裏を過ぎった。

 たったひとりの、俺の家族。


 施設にいるあの人は元気に過ごしているだろうか。

 大病を患ったりしていないだろうか。

 俺がいなくなったことに気付いているのだろうか。

 俺のことを思い出す日はあるのだろうか。

 俺を……俺に会いたいと、思ってくれる日が来るのだろうか。




 ……ダメだ、やめよう。夜に気が滅入ることを考えてもいいことがない。


 俺は布団の上にあった寝巻に着替え、帽子とTシャツを丁寧に机の上に置いた。

 今手元にある数少ない推しのグッズだ。なくさないよう、汚さないよう、大事にしなくては。


 大丈夫だ。仕事中だっていつもは着替えている。右手に在るリングがいつだって俺の心を落ち着かせてくれるから、問題ない。


 次に、ボディバッグの中から薬のシートと水の入った水筒を取り出した。他に入っているのは家の鍵と除菌シートだけ。後者はともかく前者は使い道がないな。

 ポケットに入れていた財布を鍵と一緒に仕舞って机の奥に置いた。万が一の時(さいがい)があっても困らないように持ち歩いていた常飲薬を飲み、真っ白なシーツに腰をかける。



 大丈夫、大丈夫だ。

 薬があるうちはどんなに辛い夜でも眠りにつける。

 上手くいけば、魔法薬でも似たような効果を得られることは副団長から言質は取れた。

 調薬するための場も用意してもらえる。

 やりたいことだって、少しずつだけど見えてきた。


 俺はこの世界でも、ちゃんと生きていける。

 きっと、きっと、大丈夫。


 だから母さん。どうか俺のことは心配しないで。

 思い出せなくていい。忘れてしまったままでもいい。

 元気に生きていてくれれば、それだけでいいんだ。


 (あのころ)のようにちょっと甘すぎるお菓子を作って、(あのとき)のように折り紙を好きな形に折って遊んで、(いつも)のように笑っていて。




 充電の少なくなったスマホで小熊星が所属する♡V(ハートビート)のデビュー曲を流しながら、ベッドの上でこの世界(じんせい)最初の夜を過ごした。


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