007 みんなが平和でいられるように
「実は、この力は……お兄ちゃんから受け継いだモノなんです」
「えっ……?」
確か『勇者の加護』は、勇者が死んでしまうと国内の誰かにまた授けられるものじゃなかったか?
身内から加護を受け継げるなら血筋が関係している、とか……いや、それなら法則性が解ってないなんて言い方はしないよな。
「あ、お兄ちゃんって言っても本当のお兄ちゃんじゃなくて、同じ村で育っただけなんですけどね」
懐かしむように目元を緩めた勇者は少しの間を置いて寂し気な顔をした。そういえば先代の話をした副団長も似たような表情だったな、なんて思って。
「でも、あたしを本当の妹みたいに可愛がってくれて……それで、あたしを助けて、死んじゃったんです」
俺は何も言えなかった。
驚きや衝撃は勿論、慰めたい気持ちが思考を占拠しているのに、アニカにかける言葉が見付けられない。
「辛かったな」も、「悲しかったな」も、違う気がする。「大変だったんだな」が今のところ一番しっくりきているけれど、俺はまだ、その時のアニカ達に何があったのかを知らない。
出会ったばかりの相手にその境界を易々と踏み込んでもいいものだろうか。
人の死に触れる記憶を呼び起こされるのは、それこそ辛く悲しいんじゃないだろうか。
聞くべきか悩んでいる俺に気が付いたのか、アニカはぽつりぽつりと話し始める。その瞳に涙を浮かべることもなく、言葉にも詰まることなく当時のことを教えてくれた。
先代の勇者――ルーカス・フォン・フォーグラーはアニカにとって兄のような存在あり、小さな頃から慕っていた凄い人だということ。
半年前、シュロットと呼ばれる荒くれ者に村を襲われ、アニカは連れ去られてしまったということ。
そして、国を守るために走り回っていた先代勇者がアニカを救うために駆けつけ――アニカを庇って死んでしまったこと。
聞く限り、やはり『勇者の加護』は通常、血縁や本人の意志で受け継がれるようなものではないようだ。
けれどアニカは、先代勇者が自分の腕の中で動かなくなったと同時に『勇者の加護』を授かったのだと確信した。
最初の気付きは〝うなじが熱く疼いた〟こと。
次に、体内を巡る魔力量が突然抑えきれなくなったこと。
勇者の紋章がうなじに出ることはアニカも知っていた。
魔力量が急激に上昇すると一時的にコントロールが効かなくなることも先代勇者から聞いていた。
中でも決め手になったのは、水の張ったガラスの破片に映った自分の髪色が――先代勇者のように、一部変色していたからだったらしい。
悲痛な気持ちを抱く思考の端で、見た目の特徴も加護に関係しているんだなと考えた。
今までは人の見た目を観察することはあまりなかったけれど、人を覚えるためにも特徴を羅列してみるのもひとつの手だ。
見知らぬ世界で生きるのであれば、意識しておくに越したことはない。
「しばらくは何もできませんでした。泣いて、叫んで、冷たくなってくお兄ちゃんをただただ抱きしめることしかできなくて……」
アニカの言葉尻が弱くなる。
その後は遅れて来た騎士団の人に救助され、そのまま国に保護されたものの、身近な人を亡くしてしまった喪失感は数日かそこらでは拭えなかったらしい。
当たり前だ。俺は想像することしかできないけれど、現実を受け入れるまでにも結構な時間がかかるだろう。
「……大変だったんだな」
やっと口にできた俺の言葉に、アニカは笑った。悲しい気持ちを吹き飛ばすように、もう見慣れた彼女らしい笑顔を浮かべる。
「一週間くらいは毎日大聖堂で女神様の御神体を見つめるばかりだったんですけど……どうしてあたしが『勇者の加護』を授かったのか、やっと気付いたんです。女神様がお兄ちゃんの無念を晴らせって、あたしにその機会を与えてくださったんだって!」
彼女の思いを聞くほど、女神を信用し、信頼し、信仰していることが伝わってくる。
勇者として何をすればいいか解らなかったアニカを導いてくれた王様や宰相のことも、女神と同じくらい信じている。
自分に期待してくれる人に応えたいのだと、力強く拳を握った。
「今までお兄ちゃんが頑張ってた分、あたしも頑張りたいんです! この国のどこにいてもみんなが平和でいられるように……! だからカズミさんを喚べた時、あたし、本当に嬉しかったんですよっ」
「……そっか。アニカの期待に応えられるように俺も頑張るよ」
アニカと話していると、勝手に重くなった気持ちも不思議と軽くなる。健気に前を向こうとする姿に心が引っ張られるのだろうか。
置いたフォークを再び取ろうとすると目の前から嬉しそうな声が聞こえた。
「えへへっ」
「……何?」
「本当は、どんな人が賢者さんなのか最初は不安だったんです。でも、優しそうな人ですっごく安心しましたっ」
……それを言うなら俺だってそうだ。
異世界に突然召喚されて、解らないことだらけで、それでも自分の世界に戻りたいとは思わなくて。
これから全く知らない人達と過ごしていく。俺にとって酷いストレスが待ち受けているであろうこの世界で食事が喉を通っているのは、勇者がアニカだったからだと思う。
彼女の何が俺にそう思わせたのかはまだ言葉にできない。けれど副団長とはまた違った、まるで昔から知っているような安心感を覚えていることは確かだ。
〝勇者と最も相性がいい〟なんて理由で召喚されただけあって、俺にとっても相性がいいんだろうと思うことにした。
「あたしもカズミさんのこと、ちゃんと知りたいです。好きなモノ、好きなこと、今まで頑張ってきたこと……いろいろ教えてくださいっ」
キラキラと期待に満ちた眼差しを向けられ、何を話すか考えてみる。
こういう時は何を言うのが正解なのだろう。自分の話をするなんて面接以来だ。
これが俺の特技だと胸を張れるものは思いつかない。好きなモノはいくつか思い付くけれど、ソシャゲの話なんてしても伝わらないだろう。
うんうん唸る俺に、アニカは嬉々として助け船を出してくれた。
「じゃあじゃあ、カズミさんの家族の話聞きたいです!」
「家族か……母さんと暮らしてたよ」
「お父さんは一緒じゃなかったんですか?」
「名前だけの人ならいたけど……」
一年ほど前だったか、ろくに会ったこともない父親の家から訃報が届いた。
送り主は父親の現妻で、母さんの分の遺産もあると手紙で伝えられた。しかし葬式に呼ばれることはなく、今までにも怨み嫉みをかけられ続けていた母さんは――遺産を放棄し、そのまま心を病んでしまった。
「それじゃあ……今、お母さんはひとりなんじゃ……」
「いや、心配しなくても施設にいるから大丈夫。遺産は放棄したけど、お金は定期的に振り込まれてくるからさ。お世話してくれる人がちゃんといるし、母さんはひとりじゃないよ」
今は俺が通帳を管理しているから確認したことがあるけれど、世間一般の養育費より多かった。
そのお金は、母さんを想って送ってくれたのだと淡い希望を抱いたこともあったけど、そういう情のある人なら母さんに会いに来てくれただろう。そうじゃないなら何か理由があるはずだ。
とは思いつつも、結局はどうでもよかった。
自分達を捨てた父親のために、これ以上心をすり減らしたくなかったから。
「お母さんに会いに行けなくてカズミさんも不安ですよね……お母さんもきっと心配してるはずです」
「……まあ、そうだな」
確かに不安はある。大きな怪我をしていないか、重い病気になっていないか。さっきはああ言ったが、心配していないわけがない。だけど――
「――母さんは、どうだろう。病んだままボケちゃったのか、ここ半年くらい俺のことが解らなくなっててさ」
施設に会いに行っても、俺の顔を見ると違う名前を呼ぶ。そういう時って俺が会い続けても逆効果になるんじゃないかと思って頻度を減らしていたところだった。
俺も……高校に入ってから鬱症状が強く出ていたから、少し解る。これ以上心が壊れてしまわないように、無意識に壁を作ってしまったのだろう。
新しい情報を一気に浴びせられた俺と同じように、アニカも処理に少し時間がかかっているようだ。
首を傾げるアニカはひとつひとつ飲み込みながらも、気になることはためらうことなく聞いてくる。
俺は質問に答えながら、自分のことを少しずつ掘り起こしていった。