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062 叙情記に栞を挟む暗躍

 灼かれた空が桔梗色に塗り潰される夜、風を切る音が王都の上に落ちていく。

 それ(・・)は雲ひとつない星海を駆け抜けて、大聖堂の一番上の小窓へと降り立った。


「おかえりなさい。無事に帰ってきてくれたようで何よりです」

キィ~~(あるじ、ただいま)!」


 白く柔らかい翼を閉じた魔獣に両手を伸ばしたのは、透き通るほど真っ白な長い髪を煌めかせる男だった。

 人間離れした雰囲気を纏う男は労わるように魔獣を撫ぜている。

 一連の仕草には女性らしさを内包しており、男性らしい声音で丁寧に言葉を紡いだ。


「貴方には苦しい思いをさせてしまいましたね。魔力はもう足りていますか?」

キュイ(いっぱい)!」

「彼らに会ってみてどうでしたか?」

キィ(たのしかった)!」

「ふふ、そう。彼らを気に入ったのですね。勇者アニカ・フォン・シェーファー、そして薬師寺和己……あの子となら、今度こそ……」


 開いた口が止まる。

 男は続きを語るべきか悩んだ末に「語らない」選択を取った。


「……いえ、あまり期待はしないでおきましょう。ルーカス・フォン・フォーグラーでさえ女神(あれ)には一矢報いることさえ出来なかったのですから」


 物憂げに目を伏せる男の頬に魔獣が擦り寄る。


「おや、彼女のもとへ行きたいのですか?」


 キィと鳴きながら主張する小さな生き物にひとつ頷いて、閉じかけた小窓の扉を再び開放した。


「貴方が望むのならその選択もいいでしょう。どうかあの子達のことを傍で支えてあげてくれますか?」

キィ(まかせて)!」


 夜空に舞い上がった魔獣が嬉しそうに小窓の外を旋回する。

 魔獣は男が静かに微笑むのを確認してから、一直線に大聖堂から離れていった。

 独り残された男──大魔導師(・・・・)が蝋燭のない部屋で月を見上げて独り言ちる。


「そちらは今、大変な事態にあるようですね」


 彼の脳裏には複数の映像が流れていた。

 その内のひとつに勇者達の暮らす寄宿舎がある。

 気を休められるはずの談話室は緊迫感で満ちていて、科学者と賢者が正反対の表情を浮かべて対峙していた。


「鬼が出るか蛇が出るか。あの時静観した答えの一端を垣間見えるかもしれません」


 賢者の様子を見守る大魔導師の視界にぴゅんと飛び込む影がひとつ。式神だ。

 彼が魔力を込めて折ったやっこさんの折り紙は声を伝えるだけでなく、ある程度の自立意志で動いてその場の光景を脳裏に送ってくれる。

 リヒト王国でも大魔導師だけが使える唯一の魔法だった。


 式神がくいっと扉を示し、瞬きをする間に眼前の式神の記録を読み取った(あるじ)が振り返ると同時にノックの音がこだまする。


此方(こなた)です……」

「どうぞ」


 余計な文言は不要のようで、たったそれだけのやり取りで扉が開かれた。

 外から入ってきたのは修道服を着た女性だ。


「大魔導師様……シスター・ムッター……ただ今帰還いたしました……」

「待っていましたよ、司教ムッター。早速報告をお願いしても?」


 司教と呼ばれたシスターはこの国が誇る最高峰の治癒士のひとりであり、調薬にも長けている。

 貴重な人材である彼女は大魔導師の願いを受けて王都の外に出ており、自らの足で巡った辺境の現状を手短に報告した。


 隣国に近い村ほど人が住めなくなっていること。

 そのせいで近隣の大都市に人が殺到していること。

 シュロットの数が大戦前よりも増大していること。

 派閥を組んでも瓦解してきたシュロットの一部が〝警邏団(けいらだん)〟の名で徒党を組んでいること。

 新たな勇者による庇護を望む声が各地であがっていること。


 他にも、羅列するだけで結構な時間を要した。

 口を挟まずに耳を傾けていた大魔導師はわずかに眉根を寄せて嘆息する。


「先代勇者ルーカス・フォン・フォーグラーを喪った代償は大きいようですね」

「彼はどれほど小さき声にも応える……素晴らしい勇者でした……此方にも彼ほどの膂力があれば……」

「私は貴方が選りすぐった情報に信頼を置いています。先代勇者と同じ働きを求めてはいませんよ」

「ありがたきお言葉に存じます……」


 話は先代勇者の流れから今代の勇者へと移る。

 司教は王都に帰還する途中で駆け付けた廃村で瀕死の勇者を見付け、賢者の懸命な治癒によって生命を救ったのだと語った。


「先代にはまだまだ及びませんが……今代には〝賢者〟がおります……彼のひたむきな姿に……此方は期待をしてしまいました……」

「期待を? だけれどあの子はまだひとりでは満足に治癒魔法が使えないのでしょう?」

「治癒魔法は魔力の相性(・・・・・)が強く作用されますが……人である以上、肝要なのは『救いたいと思う心』だと……此方は常々感じております……」

「それがあの子にはあると、他でもない貴方が感じたと?」

「ええ……彼に足りない技術は此方が教えましょう……」


 片や国王に次ぐ地位の大魔導師。

 片や王都の大聖堂を担う治癒士の司教。


 二人の間で交わされる計画を共有される人物はほぼおらず、国を守る騎士団の団長にさえ秘密裏に進められている。

 それほどまでに重要な司教が自ら外へ赴いた最大の理由があった。


「それで、例の件ですが──」

「こちらも報告させていただきます……」


 扉のすぐ内側に立っていた司教がゆっくりと歩を寄せる。

 大魔導師は微動だにせず挙動を見守り、極力落としきった声量に耳を傾けた。


「東西南北と森林を巡って参りましたが……精霊族(エルフ)のひとりを招けるやもしれません……」

「精霊族は本来人間の前に姿を現さない種族……変わり種(・・・・)を見付けたのですね?」

「ええ……その者は少し前まで人と暮らしていたようで……あちらから此方に声をかけていただきました……」


 彼女の手の内にはリンドウの花が握られている。

 遭遇した精霊族への道標なのだと言って、その判断を大魔導師に委ねた。


「リンドウの精霊族ですか。どのような方でしたか?」

「此方の成すことに眼を煌めかせ……楽しきことにはよく笑う……か弱き幼子の姿をしておりました……」

「人間と暮らしていたのなら適正(・・)はありそうですね」

「ええ……数日を共に過ごしまして……人に害をなす個体ではないように感じました……彼女であれば招いてよいかと……」


 大魔導師は脳裏で流れ続ける談話室での光景に意識を向け、和己の挙動に注目するべく目を閉じた。

 数秒後、覚悟の据えた眼差しが月光の如く耀く。


「解りました。貴方の判断を信じます、司教ムッター」


 机の上に置かれた厚い本の表紙に触れながらいくつかの指示を出し、秘密の会合を締めにかかった。


「どうあれ精霊族の力は必要です。明日にでも勇者と賢者と(・・・・・・)共に生きていく道(・・・・・・・・)を提示してきていただけますか?」

「大魔導師様の仰せのままに……」






 魔獣も部下もいなくなった部屋で再びひとりになった大魔導師は、喉元まで出かかった言葉を飲み込んで足元に落ちる影を見遣る。


 大丈夫、大丈夫だと自分自身に言い聞かせて。

 先代勇者の死をきっかけに潰えたと思っていた希望の光が残っている可能性を感じて。

 もう一度期待してもいいのだろうかと、ひたすらに自問自答を繰り返して。


「この魔導書に記された未来を覆すには、やっぱり〝勇者〟だけじゃなくて〝賢者〟が必要なのね。女神の魔力を直接(・・)受け入れてない、貴方の力が……」


 式神から届く談話室の状況もこちらと同じで刻一刻と変化している。

 大魔導師は目の前にいない賢者へ向けて言葉だけを残し、月明かりの届かぬ暗所へと消えていった。









 一章「賢者として生きるということ」了

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