054 やりたいこと、全部
クララが紅茶のおかわりを淹れてくれる横でアレクサンダーが雑談の流れのまま口を開いた。
「ひとつ気になることがあるのだが」
「? どうした?」
「いやなに、今日までに君が発した『中途半端』という言葉についていささか否定が過ぎると常々感じていたものでね」
意図が汲み取れなくて首を捻る。
この言葉を肯定的に使うだなんて考えたことすらなかった。
「人生とはやりたいことに挑戦し、より興味を持った物事に注力していくひとつの軌跡だ。中途半端だなんだと己を嘆くのは勝手だが、それらは自分を前進させてはくれまいよ」
「だって……実際、中途半端だろ」
「『中途半端』上等だとも。こたびの難所を乗り越えた君の人生には今まで以上の選択肢が広がっているはずだ。迷いながら選択していく過程を一歩ずつ堪能するといい」
本当に……いいのか?
全部を一気にやろうとしなくても。
一歩ずつを楽しんでも。
使命感だけを生かすんじゃない。自分の思いを殺さなくても、いいのだろうか。
「膨大な思考に振り回されることが君のやりたいことなのかね。無駄に時間を費やしたくないと考えるのならば行動に移せばいい。アニカクンらのためだと思えば君の身体は動くのだろう?」
「でもそれじゃあ……全部できるようになるまで時間がかかりすぎる。みんなにもっと迷惑かけるだけだ」
「あら、おかしなことを言うのね。私もアニカもアレックスも貴方の努力する姿を迷惑だなんて思ったことないわよ」
彼らにそう言われると甘えてしまいそうになる。
全部できるようにすることが賢者として俺にできる最低限だと、思わなくてもいいのだろうか。
「あたしだってまだまだ勇者の道の途中ですっ。だけどこの先がどんなに長くたって、みんなとなら乗り越えられる自信がありますよ!」
「道の……途中……」
「何事も最初から完璧を求めるなど身も心も滅ぼす劇薬に他ならない。そも、『完璧』とはひとつの定型だ。その道が自分に合っているかどうかを判断するのもまた自分自身だと思うがね」
「私もおおむね同意見よ。そもそもの話、魔力すら知らなかった人間が一ヶ月で調薬も治癒も効果が出ていることの方が驚きだわ」
俺にとってこの世界に来てからは知らないことの連続で、十九年という短い人生の中でも濃密な一ヶ月だった。
知ることが増えるにつれて募るのは『焦り』。
俺はこのままでいいのだろうか、という焦燥はいつだって感じてきた自覚がある。
今回の一件はそれらの延長線上にあっただけで、俺が考えていることにそう違いはない。
「考えてみてちょうだい。今背負っている重圧を取り払った時、貴方が本当にやりたいことって何?」
ああ、俺は恵まれてるな。
考え過ぎる俺のために、仲間が言葉を噛み砕いて気持ちを軽くしようとしてくれている。
そんな仲間に報いたいと思うのは人として自然なことだろう。
「……さっきの言葉は、撤回しない。調薬も治癒も……少しずつでいいから俺にできることはやっていきたい」
「一応理由を聞いておこうか」
「今日までの努力が無駄じゃないって……みんなが教えてくれたから。みんなとなら大変な課題もやり切れるって、俺も思ったんだ」
──〝賢者として〟生きるよ。
あの言葉は紛れもない本心で、これ以上ないくらい前向きな気持ちで発した決意だ。
だけど思い描いていた道のりは少し違ったのかもしれない。
俺は「ひとりで頑張った先にみんなの笑顔がある」と考えていたけれど、みんなは「努力する過程」すらも一緒にと考えてくれていたんだな。
「いいですねっ。調薬も治癒も鍛造も鍛錬も他にもたっくさん! カズミさんがやりたいこと、いっぱいやっていきましょうっ」
「うん……そうだな。力、貸してくれるか?」
「もっちろんです!」
力強い返事をしてくれるアニカが頼もしい。
嫌なことは嫌だと言ってはばからないアレクサンダーが静かにカップを傾け、クララは揺るがない眼差しを与えてくれる。
なぁ、母さん。
ここにいるとさ、二人で暮らしてた時のことを思い出すんだ。
外には辛いことがたくさんあるけど、家でなら心が傷付くことはそうない。
俺にとって家族のいる家は心休まる居場所みたいだ。
急にいなくなってごめん。
俺のことを忘れていく母さんから逃げてごめん。
もう二度と会えないかもしれなくて、ごめん。
でもさ、俺、こっちで元気にやってるよ。
ひとりっきりの部屋で推しに心を生かされているだけだったあの頃よりもずっと、胸を張って前を向けてるから。
だからどうか安心して。
いつかまた会えたら、成長した俺を見て笑ってくれるように。
そんな日が来るようにさ。俺、頑張って生きるよ。
アニカ達みたいな仲間ができたんだって、母さんにも話せる時が来ると嬉しいな。
「君の意志が固まったようで何よりだ」
「俺が諦観に流されてたこと、あんたは最初から気付いてたのか?」
「身体を覆う魔力は意識してもなかなか制御しきれるモノではないのだよ。その上、存外に心情が表れるらしい」
意志が強い者ほど身に纏う魔力が安定している。
逆に俺から流れ出る魔力は霧のように形をなくしていたようだ。
「今は以前と比べると安定して流れ出しているね。いい巡りだ」
「はは、安定しても流れ出したままなのかよ」
まだまだ成長の余地あり、ってことだよな。
よし、ますますやる気が出てきたぞ。
「さて、選考会はもう明日だ。カズミクンが決意を新たにしたところで作戦を共有しておきたいのだが、話を進めても構わないかね」
俺とクララが頷く。
アニカは余分にあったアップルパイを全部食べきってから大きな返事をして、話題が切り替わる前に俺を見て言った。
「話しておきたいこと、まだあったりしませんか?」
「──あ」
そうだ。まだアニカには話していない特大のネタがあるんだった。
「まだ悩みがあるんですかっ!? あたしにできることがあればなんでも言ってください!!」
「いや……悩みってわけじゃなくてだな……」
どうする? 言うか?
というか見せるべきか?
こんな突拍子もない現実、言葉にしたって信じ難いと思うし。
「あのさ……アニカとアレクサンダーにはまだ言ってなかったんだけど……」
三方向から浴びせられる視線を遮るようにフードを目深に被って両手を合わせた。
いつものように祈ることおよそ二十秒、全身を駆け巡った熱を発散するようにフードを肩へ落とす。
「俺……女の子に、なれます」
「えっ! えっ!? えええっ!?!?」
アニカがお手本のような驚愕を見せてくれたかと思えば、目の前で起きた変化を確認しているのか俺の頬を両手で触れた。
近過ぎる距離に目を逸らせば、すぐ傍に好奇心に満ちた瞳が二対ある。
「三人共……ちょっと離れようか……」
「今のどうやったんですか!? どうして女の子になれるんですかっ!?」
「偶然性別を転換させる魔法薬ができて……」
「何の素材を使ったのかね? 服用した時の使用感、変化するようになってからの心身の変化、作るに至った経緯諸々を小生に聞かせておくれ。あわせて現物を是非とも見せてほしいのだが」
「現物はあるけど……もう魔法薬としての効果はないと思うぞ…………というかなんでクララまで驚いてるんだ?」
「実際に変化をこの目で見るのは初めてだもの。これなら人混みであっても姿を変えられるってわけね。面白いわ」
それぞれの圧に押されてたじたじになりつつも片っ端から質問に答えていく。
直前まであった緊張感はどこへやら、談話室はわいわいと楽しげな熱気に満たされた。
もう一度男に戻って、もう一度女の子に変わって。
探究心の強い彼らは飽きもせず笑みを浮かべている。
気付けば俺の頬もすっかり緩みきっていて、身体測定から腕相撲まで求められるまま応じてしまった。
観察されるのはこそばゆいが、これは現状俺にしか使えない魔法とも言える。
今後有効に使ってもらうためにも必要な段階だ。
「カズミさんカズミさん! 次は一緒に踊りましょうっ!」
「うわあっ! 待て待て、それは流石に狭いって!」
「ぶつかっちゃったら道を変えればいいんですっ。ほら、こうやって!」
手と腰を取られてソファの隙間を縫って回る。
くるくる、くるくる、くるくると。楽しい時間は終わらない。
結局、俺達が選抜会の話を始める頃にはすっかり日が暮れていた。




