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042 不撓不屈を抱け

 今の俺には重過ぎる助言をもらった翌日、なんとか動けるだけの気力を回復させて一階へ下りた頃にはすっかり太陽が昇りきっていた。

 談話室には号外を読むアレクサンダーの姿だけ。アニカは城下町に遊びに行ったらしく、クララも一緒に買い出しに行ったようだ。


 二人の動向を俺に伝えた男も上機嫌に何処かへ出かけて行った。

 俺をこんなに悩ませる言葉を放った張本人がなんにも感じていないことに釈然としない気持ちになる。

 だけどあの言葉には悪意がない。人を不快にさせたくて放たれた言葉じゃない。

 少なくともそう思うくらいには、自分で考えていた以上にあの男のことを仲間として信頼していたらしい。


 そういえば最近、アニカが出掛ける前に見送れていないな。

 日常生活も既にクララに頼る部分が大きくなっている。

 アレクサンダーも選抜会へ向けて珍しく協力的だ。


 俺は、俺にできることをちゃんとやれているだろうか。


 考えてみれば睡眠効果のある魔法薬の作り方も聞けていないし、せっかく手に入れた魔法薬書もあれからろくに開けていない。

 やろうと思えば機会はあったはずなのに。

 ここでの生活が平穏で、居心地がよくて。この時間がずっと続けばいいのに、なんて思って。


 ローブの内ポケットから取り出した小瓶をぼんやりと眺めた。

 アニカの素直さをいつも以上に引きだした薬と、俺の性別を転換させた薬。

 二本目はわずかに発光しているが一本目はただの水のようだ。こっちの小瓶はもう魔法薬としての効力を失っている。


 俺が調薬できたのはこの二本だけだ。性別転換薬は俺にしか効果が出ていないから、実質一本しか……いや、それすらも魔法薬としてちゃんと機能していたのか、今となっては怪しいものだ。


 人が幸福になる魔法薬を作りたい――そんな思いで魔法薬師の道を選んだというのに。


「……もっと数作らないとダメだよな」


 くよくよしている場合ではないと解っている。頭では、そう、解っているんだ。

 だけど意思に反して身体は動かず、腿の筋肉がピクリと痙攣するばかりで立ち上がれなくて。


 胃が誰かに握り潰されているように痛い。

 この状態で無理をして調薬室へ行っても何もできないだろう。

 自分ができることは解らないのに、自分にできないことは断言できてしまってやるせなかった。


 ……って、そうじゃないよな。

 「できない状況」で「何ができるか」を、推しに出逢ってからの数年で考えられるようになったじゃないか。


 この世界に残ることを決めたのは、確かに「召喚された」事実に流された逃げ(・・)だったかもしれない。

 でも、今は違う。アニカ達の力になりたいと思ったのは俺の本心だ。

 そのためにできることをやりたいと考えたのも嘘偽りのない気持ちだ。


 だったら前を向け、和巳。

 動けない足先を見ていたって現実は変わらないけれど、上を見ていればいずれ景色は変化していく。

 顔を上げられるようになるまでの年月を無駄にはしたくない。否定を、したくはない。


 考えろ、考えろ。

 俺にできる第一歩は、やっぱり考えることだから。


「……そうか、治癒魔法がある……」


 昨夜痛めた拳に触れ、今日まで俺に知識を与えてくれた人達の話を思い出す。

 調薬や身体強化、どんな魔法を使う時でも魔力の巡りを意識することが基本だったはずだ。

 だったら治癒魔法も基本は同じなんじゃないだろうか。


 魔導具の補助があるとはいえ調薬はできている。ヘラを通して鍋に魔力を注いた時のことを思い出して拳に魔力を集中させてみた。


「……ダメかぁ」


 血は滲んだままだ。

 だけど、やれる。今の俺でも行動に移せる。

 どれだけ時間がかかってもいい。ひとつずつこなしていこう。


 そもそも魔力の流れを身体の中で意識するのが難しいよな。

 あれ……「流れ」?

 それなら身体の中を流れているモノ――血の流れをイメージすればいいんじゃないか?

 

 怪我をした右の拳を左の手で覆う。

 じんわりと熱がこもってきた。俺が生きている証だ。


 まずは魔力を放出して。

 血流を意識し、魔力を全身に行き渡らせるよう懸命に力を込めて。

 そこから数十分、拳に視線を落として同じ動作を繰り返した。


 正直言って成果は感じないが、ひたすらにやるしかない。

 けれど息を吐いて瞳をぎゅっと閉じたことで全身に何か(・・)が巡る感覚を得た。

 そのまま静止して同じ動作をしてみると、不思議なことに血が熱くなるように感じて。


 この感覚には覚えがある。

 性別を転換させるために祈る時と同じだ。

 自覚がなかっただけで、俺は既に似たようなことをやっていたらしい。


 今度は全身に魔力を巡らせること数十分、次第に拳に魔力を留めるコツも掴めてきた。

 魔力を一ヶ所に留めることで拳が普段以上に熱を帯び始めて傷がじくじくと疼く。

 時間をかけて繰り返し、繰り返し、繰り返していれば、痕は残っているものの出血はしっかり完治していた。


「治った、ん、だよな……?」


 最初は瞠目していたが、数分もすれば成功した実感がじわじわと込み上がってくる。

 難しいと聞いていたけれど俺にもできた。

 魔法薬を調薬した時もそうだ。初めてだったのに一応は形になった。

 俺だけの力じゃない。きっと〝賢者〟だから……アニカ達が信仰する女神の加護が効いているのだろう。


 今代の賢者は俺だ。他の誰でもない、俺なんだ。

 これなら俺もちゃんとみんなの力になれる。

 アニカ達の助けになれる。

 大丈夫だ。俺はまだ、頑張れる。


「……次はもっと早く回復できるようにしないとな」


 希望は芽生えた。

 昨日から強張っていた頬が緩み、背に伸し掛かっていた重りがふっと軽くなる。

 痙攣するばかりだった両足にも力が入るようになった。


 よかった。俺はまだ生きることを諦めないでいられる。

 この調子を保っていこう。まずは身体を動かして鬱屈とした空気を振り切って、みんなが帰ってくるまでに普段通りの俺(・・・・・・)として振る舞えるようにしなければ。


 脱いだローブをソファの背に掛け、身軽になった俺は談話室の端でゆっくりと腕立て伏せを始めた。

 通信制の高校では弓道部に入部していたから、室内で自主練をするとなるとこれが一番慣れ親しんでいる。

 この世界に召喚されてからは目の前のことに手いっぱいですっかり忘れていたけれど、明確にゴールがあることをやっている間は嫌な思考を深堀りしなくて済む。


 それからしばらくするとアニカとクララが帰ってきた。

 二人が両手に抱えた食料や日用品を運ぶのを手伝いながら城下町での話を聞く。

 既にパーティメンバー選抜会の話は町中に広がっているようで、道行く人々に声援や参加の声をかけられたようだ。


「噴水広場に人垣ができていて驚いたわ。おかげで合流しやすかったのだけれど」

「いつもはお店とか遊びながらお話しするくらいなんですけどね」

「『選抜会に参加する』という口実が得られたものね。日頃は一歩引いたところで挨拶をするだけでも、仲間になれるなら少しでも印象を残しておきたいと思うのが人のさがじゃないかしら」


 談話室で一息つきながら話は盛り上がる。


「そんなに希望者がいるなら選抜会も賑やかになりそうだな」

「そうね。見所のありそうな人もそれなりにいたわ」

「へぇ……アニカも仲間になってほしい人とかもう見付けたりしたのか?」

「いーっぱい声をかけてきましたよっ。あたし達の仲間になってくださいって!」

「なるほど、それで城下は勇者の話題で持ちきりだったのだな」

「あら、おかえりなさいアレックス。珍しい物を持っているわね」

「ちょっとした知人から手に入れてね。肉の塊とのことだ。好きなように腕を揮ってくれたまえ」

「わーっ、お肉がこんなにたくさん! 今夜は御馳走ですねっ!」


 ああ、この日常を手放したくないな。

 冷え固まっていた心がゆっくりと溶かされていくのを感じながら時間が流れていく。

 俺は自分の頬が緩み切っていることがなんだか嬉しくて、相槌を打ちながら穏やかな時間を心の底から享受した。



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