036 事の裏
その部屋には蝋燭が灯っておらず、窓から注がれる月明りだけが室内を照らしている。
静寂に包まれていたはずの暗い部屋で独り、雑多な音を響かせて執務机の上の荷物をなぎ倒す男がいた。
「クソ、クソ、クソッ!!!」
彼の名前はオイレンファルター・フォン・トランスパレント。
リヒト王国の宰相まで上り詰め、病弱の国王に代わって王命を下す、向上心に満ちた男だ。
「勇者を襲うのも失敗、賢者を攫うのも失敗。あいつら……結局何ひとつ成し遂げられていないじゃないか!!」
宰相として国王に、そして民に人格者として信頼を向けられているというのに。
業腹でたまらないと憤り、人前では見せない癇癪を露わにする。
「この俺が利用価値を見いだしてやったというのに……フン、しょせんはシュロットか。どいつもこいつもとんだガラクタだ。まあいい、使えなくなったガラクタは処分してまた他のガラクタを使うまで」
けれどもすぐに体面を整えた。
内ポケットから数枚の紙を取り出して、手慣れた素振りで指令書を燃やし尽くす。
「シュロットなど使わなくとも、勇者の小娘も賢者の小僧もすぐに篭絡してやる。幸い先代勇者と違って小娘は何も知らないんだ。まずは勇者から手駒に……いいや、賢者を先に俺の支持者にしてしまえば自然と勇者も俺について来るだろう」
計画がとん挫してもまた新たな計画を立案する。
「仲間に加わった女もそうだ。金や地位を与えればどうせこちらの配下につく」
宰相を務めるだけあって頭も回る人間だ。
貴族、平民、シュロット。多岐に渡る人心掌握にも彼にはそれなりの自負があった。
「アングリフ王は虚弱で表舞台に立つこともほとんどない。このまま俺が全てを掌握し、いずれ王へ至るのだ!」
リヒト王国の国王、シュヴェアラー・アングリフ・フォン・リヒト。
特異である勇者を除いた祝福者の能力はその血に受け継がれることが多い。
建国時からこの国を護ってきた彼の血脈は、女神がこの世に降臨した最初の祝福者とされている。
その祝福は公には知られていないが、代償として薄命の運命を辿っていることは周知の事実だ。
国王の娘はまだ幼い。
今なら下剋上が可能だと考えているのだろう。
「そのために邪魔なのはあと――騎士団、か」
苦虫を嚙み潰したように顔をしかめる。
王位を得るべく手回しをしてきた男にも理想通りに動かせない存在がいた。
「チッ、王の犬め。俺の判断よりもお飾りの王を盲目的に信じるとは無能にもほどがある。貴族共のように信じるべきはこの宰相だと愚鈍に理解させるにはやはり上から手を打つべきだな。騎士団長……あの男はまだいい。俺が王の座につきさえすれば手駒になりうる。それよりも対処すべきは――あの四人、か」
口にはしない。
けれど「あの四人」が誰なのか私には容易に読み取れた。
当代の騎士団には歴代の団員の中でも記憶に残る変わり者が多い。
一貫性と実行力を兼ね備えた第二隊長、ヒルデガルト・フォン・ルートヴィヒ。
利他的な第三副隊長、ハネス・フォン・メルケル。
やる気がないようで行動が読み辛い第四隊長、フェルディナント・ブラオレーゲン=シュッツァー。
そして歴代の副団長には珍しく王という存在を盲目的に信じていない今代の副団長、ラインハルト・フォン・ベルンシュタイン。
警戒して然るべき人員だ。
裏を返せば、彼らをなんとかできれば障害はほとんどなくなるということ。
宰相の目論見を放置すれば、近い将来に王族の血が途絶える可能性がある。
王族の血を失いたくないと感情が揺れる一方で、こんな国滅んでしまえばいいと考える自分がいる。
国王直属の騎士団がなんとかできないのであれば――それがこの国の結末なのだ。
私は抗わない。そんな気力は、もうないのだから。
そう、思っていたのに。
諦観することで心を保っていた私のもとにあの子が現れた。
まだ諦めるなと背中を押すように、熱を失いかけていた私の思いを突き動かす。
彼を守らなければ。彼を生かさなければ。
本来なら勇者の安全装置でしかない賢者を最大限活かさなければ。
私にはそれができる。やらなければ後悔すると己を奮い立たせる。
彼には性別転換薬を調薬させた。
見た目の変化は潜伏にも場に馴染むのにも有効だから。どう使うも彼次第。
クララ・フォン・ヴォネモーントと会わせることにも成功した。
いずれ仲間になるよう誘導するつもりだったけれど、あの子達が自らの意志でそれを達成してくれている。
この世界での知識や生き抜き方は彼女から学べることだろう。
例の科学者は想定外。だけれどアレクサンダー・フォン・マイヤーの技術力は確かだ。
鬼が出るか蛇が出るか、日々変化する彼の未来予測を静観することに決めた。
そして、アニカ・フォン・シェーファー。
勇者としてはまだまだ未熟であるものの、ルーカス・フォン・フォーグラーの意思の多くを継いでいる。
先代勇者亡き今、希望を望むべき存在であるか見極めていかなければ。
私にできることはあの子をサポートをすること。
自分で道を模索しているあの子には今はまだ知られない方がいいだろう。
私の考えはまとまった。
その間に宰相も呼吸を整え終えており、分厚い扉へ手を伸ばす。
彼は窓の外から私が見ていたことを知る由もない。
荒れた書類をそのままに部屋を去る姿を見送り、役目を終えた私の式神も星の瞬く夜空に飛び出した。




