031 謎の執事に連れられて
購入した料理を持ってアニカの元へ戻ると、先ほど託した本を眺めながら何故か彼女もるんるんとしていた。
俺が注文している間に何かあったのかもしれない。例えば友達に会えたとか……交友関係の広い彼女ならあり得る。
「いいことでもあった?」
「カズミさんがこんなに嬉しそうにしてるの初めてだなっと思って! なんだかあたしまで嬉しくなってきちゃいました♪」
……そうか、俺のことでそんなに喜んでくれていたのか。
素直に伝えてもらえる気持ちが心に沁みる。くすぐったさはありつつも、自分事のように笑顔を見せてくれるアニカを俺も見習っていかなければ。
緩む頬はなんとかフードの陰に隠せたけれど、弾む声音は隠せないことを言葉の端々から感じつつも同調した。
「俺もさっきアニカのこと考えてた。あのウェイターさんみたいに大きなリボンも似合うだろうなって」
「ほんとですか? あたし達似たようなこと考えてたんですねっ。えへへ、仲間って感じでもっと嬉しくなってきましたーっ!」
凄く優しい気持ちに包まれながら昼食を取っていると、近い距離から突然声をかけられて肩が飛び跳ねる。
アレクサンダーだ。いつの間に近付いて来ていたのか真後ろに立つ男に、気持ちがすっと凪いでいくのを他人事のように感じる。
「何やら楽しそうな声が聞こえてきたが」
「…………」
「おやおや、小生は仲間外れかね。それは随分と寂しいじゃないか」
「どこがだよ……」
そういうことは寂しそうな顔をしてから言ってください。ほら、あんたもアニカを見習おうぜ。
「古書店はもういいのか?」
「ああ、気になる書籍は全て購入したからね。しかし一人では持って帰れそうにない。どちらか手伝ってくれると助かるのだが……勿論手を貸してくれるだろう?」
流れるように荷物持ちの任を投げてきたアレクサンダーに、ぶどうジュースまですっかり飲み干したアニカが進んで荷物持ちに名乗りを上げる。
俺も魔法薬書に載ってある素材を買った後なら手伝えると言えば、当の本人から「すぐに帰って実験したい」と断られてしまった。
好意を無碍にする速度が段違いだ。本当にアニカを見習ってほしい。
「あっ! でもそうなるとカズミさんをひとりにしちゃいますね。ど、どうしよう……」
「……いや、俺は大丈夫だよ。まだこんなに明るいし、欲しい物だけ買ったらまっすぐ帰るしさ」
古書店へ戻っていく二人を見送った俺は、バゲットサンドをちまちま食べつつ改めて魔法薬書を開いた。
何度見ても変わらない。やっぱりどの落書きも日本語で書かれている。
古い時代、この世界に召喚された日本人がいたのだろう。
そのおかげで俺もこうして魔法薬書が読めるんだ。ヒントを残してくれた見知らぬ人へ向けて心の中で感謝しつつ、早速日本語の落書きを読み進めていく。
この過程でまた、ひとつの事実に気が付いた。
「あれ……素材は解るけど、これでなんの魔法薬ができるんだ……?」
書かれている日本語のほとんどは素材の名称だ。その物量に対して原文はページいっぱいに長々と書き連ねられている。
多分、魔法薬の名前や作り方が載っているんだろうけど……うん、ダメだな。パラパラとめくってみても目につくのは単語ばかりで望みがない。
魔力を素材に馴染ませる以外に必要な工程があるのだろうか。
「やっぱり副団長に読めるかどうか聞いてみるか。最悪、アレクサンダーの興味を探ってみて……」
食べ終えてからも思考に耽っていると露店の横を馬車が通り過ぎて行く。
この世界で馬車を見るのは初めてだな。
なんて意識をしたのも数秒のこと。すぐに視線を本へ戻した俺の思考を、今度は馬車が停止する音によって遮られることになった。
なんだ、故障でもしたのか?
興味本位で顔を上げるとちょうど馬車の中から人が降りてくるところで、目新しい光景に思わず視線を向けてしまう。
燕尾服のようにきっちりとした身形は貴族……いや、執事だろうか。
御者と話す後ろ姿はブレもなくピンと伸びていて、あそこだけいつもの城下町とは違う雰囲気に包まれており――
「ッ!」
――執事のかけた眼鏡がなんの前振りもなくこちら側へと振り向いた。
ガタイの良さに目がいっていたが女の人だったのか。
……いや待て。あの人、こっちに近付いてないか?
目が合ったのは気のせいだと思っていたけれど、それにしては彼女の歩みに迷いはない。
きっと俺の近くに知り合いがいたのだろうと当たりをつけてフードの中で俯けば、鼓動と同じ速さで鳴っていたヒールの音が俺の真横で止まる。
「失礼。今、暇してるかしら」
「え……俺?」
「なら少し付き合ってくれる? 貴方に話したいことがあるの」
図書館での第四隊長に続いて女の人にもナンパされるなんて……いや、ナンパかこれ?
顔を上げると力強い瞳から逃げられなくなった。
状況が呑み込めずに呆ける俺をよそに執事はテーブルの上を片付けていく。魔法薬書を丁寧に携えて俺の手を取り、人混みの中を先導して進んだ。
あれよあれよという間に馬車に乗せられ、見ず知らずの人と二人っきりの状況にようやく危機感が込み上げてくる。
だけど言い訳はさせてほしい。俺だって裏路地でシュロットと出くわしたり、アレクサンダーみたいに一服盛られることがないように脳内で回避のシミュレーションをしてきた。
まさか白昼堂々手を引かれて連れて行かれるだなんて、自分に起きるわけがないと思っていただけなんだ。
この世界では男女で力の差は測れない。ましてや俺よりも背が高く身体つきもしっかりしている人だ。
相手に魔力というバフがある以上、抵抗という手段は「ない」に等しいだろう。
せめて逃げ道を探さなければ。
その一念で景色の過ぎ去る窓を横目に見遣る俺に、凛々しく揺らぎのない声が降ってきた。
「こんなところで会えるだなんて思わなかったわ」
「あの……どこかでお会いしましたっけ?」
「ええ、一昨日の夜にバールベーアでね」
差出人不明のチケットにつられて観に行ったダンスショーのことを思い出す。
あの時にこの人もいたのか。ってことは近くに座ってたんだよな?
いくらフロアが薄暗くてもこんな人が傍にいたら印象に残ってると思うけど……ん? 俺の記憶だと、あそこには従者も含めて男しかいなかったような……。
「私はクララ。クララ・フォン・ヴォネモーントよ」
執事は唸る俺に対しても表情を変えず、胸元に手を添えて自己紹介を始める。
しかし名乗られたところで「ああ!」となるわけもなく、必死になってショーにいた従者達の顔を思い出すべく頭を働かせた。
俺の反応の意味を遂に読み取ってもらえたのか、眼鏡越しに投げかけられる眼差しが心なしかきりっと吊り上がる。
「ステージ名は『ビア』。覚えはないかしら」
「……あっ! もしかして、ポールダンスの!?」
たったひとりで観客を魅了してみせたあのポールダンサーの姿が思い浮かんだ。
言われてみれば強いほど感じる目力がそっくりだと納得する自分がいる反面で、あまりにも異なる服装に頭がますます混乱する。
もしかしてあのダンサーの姉妹とか……なわけないよな。
ステージ名だって言っているくらいだし……いやでも……。
「えと……ポールダンサー、なんですよね?」
「そうよ」
「じゃあ、その恰好は?」
「これは仕事服よ。何かおかしいかしら?」
「イエ、トテモヨクオニアイデ」
執事服が仕事服? ポールダンサーなのに?
ちぐはぐの情報にいよいよ頭を抱える。危機感なんて一気に頭の片隅に吹き飛ばされてしまった。
説明を求めて上目に様子を窺うことしばらく、騎士団の眼鏡代表と似た性質の察しのよさがキラリと光る。
「私、本業は執事なの。父も兄弟もみんなそう」
「じゃあこの間のショーは……?」
「ポールダンサーは――強いて言えば趣味ね。だけど本気の趣味よ。あの服は言わば勝負服ってところかしら」
なるほど、と吞み込むので精いっぱいだ。アレクサンダーとはまた違った突っ込みにくさがある。
続けざまに「そろそろ本題に入らせてほしいのだけど」と畳みかけられ、もう少しだけ待ってくださいと頼んで時間をもらう。
その後なんとか思考を整理したはいいけれど、今度は何を言われるのかと身構えながら綺麗に引かれた紅から紡がれる言葉を待った。




